椎名ゆり その8




 終始圧倒されっぱなしのまま、ライブは気が付けば終了していた。

 前半はバンドやリスナーや、ハコの空気感について色々と考えたりもしていた気がするが、後半は私も一緒になって盛り上がってしまっていて何も考える暇がなかった。

 他の客と同じかそれ以上に、すっかりこのバンドに魅了されてしまっていたのだ。



「すごかった……」

 思わず口をつく感嘆。

 気づけば身体は汗だくで、全身が疲れきっていた。

 演奏が終わってしまったということで、なんともいえない虚脱感さえある。

 ものすごい熱気に、体力を全て奪われたかのようだ。


「はは……」

 笑みが浮かぶ。

 搾り取られた体力の代わりに、私の中に強烈なまでに渦巻く活力があったからだ。

 これはライブを通じて得たもので、あのものすごい空気が私のなかにもたらしてくれたものなのだろう。


 すごい。すごいな……。

 私は思い出す。

 そしてライブって、こういうものだった。


 見る者を虜にして、楽しませて、ものすごい会場から、演奏から、膨大なエネルギーを与えてくれるものだったんだ。



 ……って、こうしちゃいられない。

 せっかく招待してくれたんだ。フジノに一言お礼を言わなきゃ。


 これだけの人気を持つバンドのメンバーに会うことなど叶うかわからないが、今の私はそうしなければと駆り立てられていた。

 あるいは単純なファン心理で、感動のあまり出演者に会いたくてたまらないと思っていただけかもしれない。


 退場していく人ごみに乗るようにして、出口を目指す。

 そして会場を抜けてロビーに出て、驚いた。まるで私を待ち構えていたかのように、フジノがそこにいて、出口へ向かっていくファンひとりひとりに「今日はご来場ありがとうございました」と礼を言っていたからだ。

 それに対し、皆が応援や感想を述べて、満足げな表情で立ち去っていく。

 中には握手まで迫るような熱烈なファンがいたりもしたが、フジノは嫌な顔ひとつせずに笑顔でそれに応じていた。


 私はその様子を見ているだけで、先程の気分がぶり返してきて、今すぐ人ごみを掻き分けてフジノの元へ走り出したい気持ちに駆られた。

「ゆり」

 と、おあずけをされた犬みたいな顔をしていた私にフジノの方から声がかかった。

 それは発走のピストルのような煽動力をもって、私を焚きつける。


「フジノ、すごかったよ!」

 私としたことが何のひねりもない感想を口にしてしまった。

 だというのにフジノは嬉しそうに笑って、「ありがとう」と礼を言う。「来てくれて嬉しいわ。今日はゆりが見てくれていると思って、いつもより頑張ったの」


「そ、そんな……私なんか……、そんなの関係ないぐらい、すごいライブだったじゃないか!」

「ふふ、どうしたのゆり。そんなに慌てて。いつもクールなあなたらしくもないわ」

「わ、私だって、興奮することぐらい、ある……! フジノたちのライブ、そのぐらいすごかったんだ!」


 さっきから「すごい」しか感想を口にしていない気がする。

 でも、自覚するほどの興奮状態にある私は、途中に思ったような詳細な感想など一言も頭に浮かばなかった。

 何気なく周囲を見渡す。

 ロビーの反対側ではドラムを叩いていた男の子が、客に囲まれて何やら騒がしくしていたが、一番の人気があるように感じられたボーカルの女の子は姿が見えない。


「……フジノ、ボーカルの子は?」

「ああ。裏で休んでいるわ。タバコでも吸っているんじゃないかしら?」

「え?でも、フジノも、ドラムの子も、こっちに来てるのに……?」

「疲れたでしょうし。それにあの子、こういう場には出たがらないの」

「……そう、なのか?」


「ゆりとも話をさせてあげたかったわ。本当はこの後一緒に来てもらえればいいんだけれど、私たち打ち上げは身内だけでやるというのが流儀だから」

「あ、いや、いいよ。部外者がいたら、やりづらいだろうし……気持ちだけ、ありがとう」

「また今度、きちんと場を設けて紹介するわ」

「ああ……会ってみたい!フジノとも、今度は落ち着いた場所でちゃんと喋ってみたいな!」

「ええ。私もよ」


 前から気にはなっていたけど、フジノが音楽をやっていると知ってから、私はずっと彼女と音楽の話をしたかった。

 今日は無理だけれど、いつかきっと実現しよう。


「……それにしても、あなたをそんなにまでしてしまうなんて、私なんだか調子に乗ってしまいそうよ?」

「乗っていいよ!だってすごかったんだもん!」

「もう、今日はそればかり。ゆりだって負けないぐらいすごいでしょう? 次のライブ、すごく楽しみにしているのよ」


 そうだった。そういえば私もフジノをライブに招待しているのだった。

 そのことを思い出して、ちょっと暗くなる。

 今日の演奏を見せつけられた後では、いやでも自分たちとの差を感じてしまいそうだ。


「わ、私には、まだあんなライブ無理だよ……! がっかりさせちゃいそうで、嫌だな……」

「自信を持って、ゆり。仮に今はそうだったとしても、あなたはすぐに開花するわ。私、それが楽しみ」


「開、花……?」


 そう、なのかな?


 私も、いつかこうなれるのかな?



 フジノに言われると、そう思ってもいいような気がしてくる。

 私もいつか、今日のフジノたちみたいな、ものすごい空気を生み出せるんじゃないかって。

 別に、人気が欲しいわけじゃない。

 ライブハウスをいっぱいにすることが目的で音楽をやっているわけじゃない。


 ただ、もしも私が、さっき感じたような空気を自らの手で作り出すことができたなら……。


 それはとても、嬉しいことのようで……。




「あ……」



 不意に、私は思い出す。


 ……初めて音楽に触れた時を思い出す。

 父親が聴いていたCDを聴かせてもらったあの時、綺麗な音の配列に感じたしびれるような興奮と、幼い私の胸を打った、感動的な言葉で構成された歌詞。



 そうだ、


 あの時も私は、自分もいつか、そうして自分が感じたような感動を、人々に返したいって……、


 そうやって、世の中のみんなに私のような楽しさを得てもらいたいって……、



 世界中の人を、音楽で幸せにしたい、だなんて……、そんな夢みたいに大きな夢を、抱いたりして……、





 それは今でも変わってない。


 音楽が好きで、大好きで、私以外のみんなにも、音楽が楽しいって思って欲しくて、私みたいに救われて欲しくて、音楽を今も続けている。

 音楽にはその力があるって信じてきたし、そのために頑張ろうって思ってきた。

 けど、私も人並みに年を重ねて、わかったような顔をするようになって、なんとなく今のまま、好きな友達と一緒にバンドをやっているだけでも幸せなんじゃないかって、思ったりし始めていた。

 それが間違いだとは思わないし、それはそれでとても大切なこと。


 だけど、それに満足してたら駄目なんだ。

 音楽で世界中の人を幸せにするという夢は、確かに壮大過ぎて私にはとても叶えられないような気がする。


 けれど、だからって諦めることが正しいのか?


 音楽の正しさを妄信的に信じていた私は、色々と問題はあったけれど、今にはないパワーがあったんじゃないのか?


 信じる力。

 後退を知らず、止めどない、前進の意志が。



 思い直す。


 そうだ、夢はウソでも構わなかった。

 大人になって、常識を身に着けて、安心した気になっていたけど、それで夢を捨てる理由にはならない。


 捨てたらダメだ。

 それがどんな嘘っぱちでも、一生かけても叶えられない大き過ぎるものであっても、それを掲げていたから得られた力が、私にはあったはずだろ?

 向上心は変わらずあった。

 けど、持ち続けることに私は少し疲れ始めていた気もする。


 楽器を弾くことに、歌を唄うことに、曲を作ることにばかり必死だったから、そればっかりが目的になってた。



 私は、音楽が好きだ。

 ……それは、人を幸せにできるからだ。



 私が、BARBARIAN LEG LARIATのライブに感動したのは、その幸せを私自身が実感したからだ。

 フジノたちのライブを通じて、それを思い出したからだ。


 汗だくになって疲れきって、その代わりにもらった途方も無い活力。他の何からも得ることのできない、希望、幸福、熱意、一体感。


 ……そういう力が、音楽にはあるはずだろ。





「……フジノ」


 私は、告げた。

 時が止まっていたかのような思考を経て、頭は信じられないぐらいに冴え渡っている。



「私……、もっと頑張るよ。今までも頑張ってきたつもりだけど、もっともっと頑張りたくなったんだ」


 私の言葉に、フジノは口元に手を添えて「まあ」と感心したような素振りを見せた。「素敵……。今よりもっと輝いたら、あなたは一体どうなってしまうの?」


「変わらないよ。今までもこれからも、私は音楽が大好きなだけだから」


 そう言って、私はフジノに手を振った。

 お別れの合図。


 フジノに何か言いたいのは私だけじゃない。

 私の後に続いてくる他のお客たちに道を譲らなくちゃ。

 話すべきことは話した。

 元気ももらった。


 なら、次は私がそれを返す。



「――次は、ステージの上で逢いましょうね、ゆり」


 フジノはそんな言葉で、私の背中を押してくれた。

 会いたい。ステージ上で。

 フジノたちと対バンできたら、それはどんなに楽しいか。



「ああ! 絶対に!」


 今はまだ無理かもしれない。

 けれど、全力で私は頑張る。


 次のライブも絶対成功させる。

 その次はもっと大成功させてやる。



 フジノにもらったこの気持ちを、全額返済してやるんだ!



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