椎名ゆり その7
久しく感じていなかった待ち遠しさは、それまでの毎日をやけに長く感じさせて、それでもその日はやってきた。
奇しくも次のスタジオ練習の前日に、フジノたちのライブが行われる。
どんな演奏が見られるかわからないが、すごくないわけがない。
明日の私はDIVERSITYのみんなにそのことばっかり話していそうだな。
それを迷惑がられるだろうな、という申し訳なさと同時に、否応なくそうなってしまいそうな演奏がこれから見られる期待感に、その日の私は一日そわそわしながら過ごした。
夕方になって、いつもどおりのラフな格好で新宿まで向かう。
今日の人ごみはいつもより少し楽しそうに見えて、それこそが私が浮かれている証拠なのだとわかる。
目的のライブハウスは歌舞伎町にあった。
夕方を過ぎて徐々に騒がしくなり始めた日本最大の歓楽街を抜けていく。
それでも私の目的は歓楽街的な何かではなく、あくまでたまたまそこにあるだけの音楽なのだが。
この感覚は懐かしく、心地良い。
賑やかな道と行き交う人、そこに紛れるように建てられた雑居ビル、チラシがたくさん貼られた地下への階段、薄暗い廊下、響いてくる音響……。
今やハコでのライブも慣れたものだけど、いちリスナーとしてチケット片手にライブを見に行くなんて少し……いや、かなり久しぶりだ。
自分が出演するときとはまた違った、たぎるような高揚感が蘇ってきて、私はうずうずする。
顔が熱くて、どきどきしている。
まるでこれからデートでもするのかというような感じだ。
男の子とデートなんてしたことないけど。
受付でチケットを渡し、ドリンクチケットを受け取る。
私は酒に弱い方だが、今日ぐらいアルコールを口にしてもいいかもしれない。
ハコの内装は一般的なライブハウスのそれだった。
入り口付近にバーカウンターがあり、あとは殺風景な空間。
天井には空調などのパイプが剥き出しのまま走っていて、壁には今後の日程などが書かれたポスターが何枚か乱雑な感じに貼られていて雰囲気があった。
奥のステージはカーテンで仕切られていて、開演に向けた作業をしている音が、場内放送のBGMにまぎれて聞こえてくる。
結構広い場内には、入場開始してすぐだというのに既に何人も客が入っている。
ステージ直近で缶ビールを口にする男性。
スピーカー前にはパンク系のファッションをした男女のグループが声高に歓談している。
物販にいち早くありつこうと、開始前から定位置をキープしている女性もいる。
……全体的な客層を見ると、あまりお行儀のいい感じのライブではなさそうだ。
パンクか、ハードロックか、ヘヴィメタルというほどではなさそうだけれど。
寝不足になるぐらい楽しみにしていたくせに予備知識の全くない私は、フジノの普段の雰囲気からするとヴィジュアル系か、それに近い耽美な雰囲気を勝手にイメージしていたところもあったが、客の男女比は同じぐらいで、追っかけっぽい浮ついた雰囲気のファンも少ない。
むしろ、どちらかというと硬派な感じで、みんなラフな格好で、純粋にライブを楽しもうと腹をくくっている風ですらある。
……結構荒れるかな。
そんな気がした。
大盛り上がりするライブは慣れていないと危険なものだ。
とはいえ、私にとってはそれも望むところ。
リスナー側のライブ参加だって私は長い。
どんなジャンルのライブでも、それ相応の楽しみ方は心得ているつもりだ。
下ろしていた髪を後ろで結び、シャツの袖をまくった。
貴重品はポケットに最低限。あとは駅のロッカーに入れてきた。
着替えも持ってきたし、いくら暴れて汗だくになったって平気だ。
こうなったら、思う存分騒いでやろう!
そうして、場内真ん中辺り、正面辺りに立ちながら、ハコの空気を感じ取りながら開演を待つ。
そうしている間にも客はぞろぞろと入ってきて、場内はすぐに人でごった返すようになった。
人数が増えて、周囲の会話もわいわいと騒がしい。だけど心地良い。
騒音の中で私の心は落ち着いていて、程よいトランス感を感じている。
そうして一時間弱が経過した辺りで、場内放送に割り込む形でスピーカーから声が聞こえてきた。
「お集まりの皆様こんばんは。
アナウンスをしているのはよく聞けばフジノだった。
よく通る声で、ライブの諸注意なんかを読み上げている。
内容はいたって事務的なそれだが、それまでがやがやと喋っていた場内は傾聴しなければという感じに静まっていた。
こういう場内放送をハコのスタッフに代わって出演者が担うケースはたまにある。
ファンにとってはそれすらも良いサービスになるのだろう。
……というか、喋るの上手いなフジノって。
あの独特な口調もそうだけど、聞く者の関心を引くトーンのようなものをを心得ている感じがする。
案外声優とかナレーターとか、向いているんじゃないだろうか。
こういう時、前に出てくるのはフロントマンの役目であるような気がするが、フジノのキャラクターを知る私にはこれも適任であるように思えたし、ファンにとっても恒例の演出であるようだ。
ベーシストにしてリスナーからアイドル的に受け入れられているフジノのスタイルは、私には決して真似できそうもないが大したものだと思わざるを得ない。
フジノのアナウンスが終わって数分後、またざわついていた場内にブザーが鳴り響いた。
同時に雑談も鳴り止み、場は再び静まり返る。
薄暗かった照明が完全に落ち、場は真っ暗になった。
数秒の間がおかれる。
いよいよ始まるという期待感。
爆発寸前の高揚が触れ合っている身体を通じて聞こえてきそうだ。
そうしてバッと照明が灯されると同時にカーテンが取り払われた。
ステージには楽器を手に立ち並ぶ三人組と、待ちわびていたとばかりに爆発するリスナーたち。
大歓声だ。
乗り遅れた私は少したじろぎながらも、その心地よい熱気に徐々に浮かされたような気分になっていく。
「Welcome to our LIVE! We are BARBARIAN LEG LARIAT!!」
流暢な発音でマイクにそう言ったのは、三人の中央に立つボーカルの女の子だった。
ようやく現れて口を開いた彼女は、そう、女の子だった。
ライブチケットに載っていた名前から、元々そうだと知ってはいたが、初めて見るその姿は思っていたよりもずっと小柄で、それでも可愛らしいと言うより……、
「待たせたなァ、始めんぞ!」
……苛烈だった。
ライブ自体は大変な盛り上がりを見せていた。
熱狂的と言っていいだろう。
彼女たちを心から好んでいる人々が集まり盛り上がることによって、会場全てが熱を帯びている。
反面、ものすごく統制が取れているところもあり、演奏を聴こうとざわめきが自然と鳴りを潜めるタイミングも多々あった。
そうした細やかな機会は客の誰かしらが心得ていて、自然と皆が呼吸を合わせている。
そうさせるだけあって、演奏のレベルもものすごく高い。
BARBARIAN LEG LARIATは三人編成のいわゆるスリーピースバンドで、少ない人数で成立しているだけあり個々の技量がとても高い。
個人的にまず目が行くのはよく見知ったフジノで、ベーシストとしての彼女の手腕も見事なものだった。
基本は裏方に徹しつつも力強くテクニカルに、時に印象的なソロを挟むなどして場に存在感をもたらしていた。
中には彼女がコーラスやボーカルを務める曲もあり、本来のボーカルとはまるで違う空気の演出は構成としても心に残った。
開始前のアナウンスでも思ったことだが、曲の合間に挟むMCがとても上手い。
ボーカルの子は余り喋る方ではないようで、彼女はフジノの喋りに促される形で発言をする程度。
客はそれに一喜一憂していたが、ボーカルの一言を喜んでいるというより、フジノ自身のMCが好まれているのが感じられる。
これなら、ボーカルを差し置いて彼女が好きだと言うようなファンも現れることだろう。
ドラムは男の子で、小柄ながら力強いドラミングが印象に残った。
リオとは違うタイプの、ある意味でフジノと似た、自身も主張するタイプのリズム隊だ。
実力の方も確かなようで、私たちと同年代でありながら、あの速さで正確にパーカッションを打ち分けるだけの技術はプロでもなかなかいないだろう。
外見やドラミングは多少荒っぽいが、よくよく耳を澄ませてみると、刻まれるリズムの正確さに驚かされる。
そして特筆すべきはやはりボーカル・ギターの彼女だ。
最初に抱いた、可憐さの中に見えた気圧されてしまいそうな苛烈さは、気のせいではなく本物で、ライブ中の彼女も男性顔負けの激しいパフォーマンスを披露していた。
演奏といい、歌唱といい、彼女が考えたのであろう歌詞の内容といい、ものすごく暴力的で荒々しく、反面どこか繊細で、絶妙にリスナーの心に響くものを与える。
彼女がまとう無愛想ながらも惹きつけられる気配も、その演奏を一層補強していて、演奏中もMC中も客のことなどあまり目に入っていないようでありながら、リスナーからは絶対的に支持されているような空気が感じられた。
カリスマとはこういうことなのだろう。
圧倒的だった。
これほどの求心力を持つ人間を、私は初めて見る。
……すごい。すごい。
これが、本物の、ライブ。
本物の音楽は……、こんなにも、すごい。
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