椎名ゆり その6




 みんなとスタジオ練習をやってから数日後。


 今日は路上をやる日だ。

 路上をやるのは約二週間ぶり。やや久しぶりの駅前。


 路上ライブはストリートライブとも言って、歩道や公園などの屋外で楽器を弾くことだ。

 昔ほどじゃないが、今も根強くある街場の音楽文化の一ページ。


 私はDIVERSITYを始める前から、時々こうして新宿の駅前でギターを弾いて唄っていて、バンドを始めてからも、音楽をやるの一つの形として続けている。


 DIVERSITYバンドとしてやることはほとんどなくて、やる時は大体私一人だ。

 バンドとしてのライブはハコでやっているし、これはどちらかというメンバーの都合が合わないから私一人でも、みたいな意味合いが強いから、一人。

 なにもしないでいる代わりに行う練習の一環、武者修行のようなものだ。



 夕暮れの新宿駅南口。

 帰宅途中の学生やサラリーマンで、今日の人通りはまずまず。

 平日にしては多い方だと思う。


 状況は、悪くない。

 私は機材をセットし、演奏の準備を始める。

 といっても、ギターとミニアンプと小さな看板、次のライブの告知チラシぐらいだ。


 路上は意図や形態も様々で、宣伝目的で行う場合は演奏者とは別にチラシ配り要員を動員したり、CDの販売を行ったりする人も少なくない。

 私は一人なのでチラシは自分で配るしかないし、私が路上もやっていると知ったユークンが「それならちゃんと宣伝もしようよ」とチラシと看板をパソコンで作ってくれるまではそれすらやっていなかった。

 ただ弾いて唄うだけ。

 ホント言うと私的にはそれだけで充分なのだが。


 というか、ユークンはやはりすごい。

 音楽だけじゃなくてこんなものまでパソコンで作ってしまう。私ももう少しパソコンを勉強するべきか?

 メールとインターネットと、もう販売されていない大昔のシーケンスソフトぐらいしか使えないしなあ……。


 それはそれとして。

 物販に関しては、それで人だかりができてしまうと通行の妨げになると思ってやっていない。

 自分の音楽にそこまでの自信があるわけではないが、そうなってしまってからでは遅いと思うからだ。


 そうでなくても路上ライブ自体は違法行為だ。

 道路不正使用。私も他の人も、この場所で演奏する許可を取っているわけではないし、その結果110番通報されてお巡りさんが来てしまったことも一度や二度ではない。

 興味のない人からすればこんなの騒音と言われても悲しいが仕方のないことだ。

 通りがかりに「うるさい!」と言われたり、トラブルになることだってある。

 何かと難しいが、近頃はそういうものだと納得してもいる。


 昔は他の人もやっているのに私だけ規制されて納得がいかない、と警察官に噛み付いたり、文句をつけてくる通行人と口論になって、それでまた警察を呼ばれたこともあった。

 今思うと完全にたちの悪い不良だ。恥ずかしい。


 音楽の全てが正しいわけではない。

 正しいと思っていた時期が過去あったし、今もそうだったら良いと思うが、そうでない場合もあると納得することにした。

 私は音楽が好きだ。

 けれど、そうでもない人もいる。

 悲しいがそれは事実で現実。


 だったらそれを受け入れ、強くなるしかないぞ。



「よし!」

 思考を経て、演奏への準備は完了。

 今日もまた、楽しい音楽の時間を、新宿駅前の路上から。




 ひと通りやろうと思っていた曲をやり終えた。

 今回はさしたるトラブルも退去命令もなく。


 周囲には足を止めて演奏を聴いてくれる人が何人かいて、置いてあるギターケースに小銭を放り投げてくれるリスナーもいる。

 別にお金が欲しくてやってるわけでもないので、個人的にはなんだか申し訳なくもあり遠慮したいところではある。

 が、こういうのは路上の様式美みたいなもので、私の演奏がお金を払うほどの価値があったという意思表示でもあることから、ありがたく頂いておくことに。

 バンドの貯金にしよう。


「今日はありがとうございました。来週はライブハウスでもやる予定なので、よかったら」

 私が締めの挨拶をすると、拍手の音と声援がそれなりの数。

 私はそうして残ってくれているひとりひとりにお礼を言い、チラシを手渡す。

 快く受け取ってくれる人、「がんばってね」とか「いい演奏だったよ」とか、励ましの言葉をくれる人もいる。

 ありがたい。


「椎名さん、お疲れ様です」

 見覚えのあるスーツ姿の女性が声をかけてきた。

 私が路上を始めた頃から聴いてくれているヘビーなリスナーさんだ。


「あ、どうも。いつも来てくれてありがとうございます」

「いえいえそんなー。仕事帰りに見かけると、がんばってるんだなあってうれしくって」

 中にはこんな感じの私の固定ファンとでも呼べそうな人もいて、こうして軽く雑談を交わしたりもする。

 昔からやっているとこういう交流も多くなっていく。

 嬉しい時間だ。

 近くの学校に通う高校生(ちなみに私の通っていた高校だ)や、仕事帰りのサラリーマン、OL、よく新宿に遊びに来る人、などなど、顔ぶれは様々だ。

 こういう風に話しかけてくれる人たちにも、初期の私は適当に応対するだけだった。


「ありがとうございます。お仕事はどうですか?お忙しいですか?」

「まあ、ぼちぼちですよー」

 だが、近頃の私はそうして話しかけてくれる人の近況を聞いたりするようにしている。

 皆、それぞれの人生を歩んでいて、雑談の中で私が経験したことのない話を聞かせてもらえる。

 それがまた良い刺激になり、次の曲を閃かせたりもするからだ。


「椎名さんは大学生ですよね。いいなあ、こんな風にやりたいことがあって」

「はい。……その、無駄にしないように、頑張ってるつもりです」

 音楽は自分一人のものではない。

 こんな時にも、そのことに気付かされる。



 立ち止まってくれていた人たちにひとしきり挨拶とチラシを配り終えて、場は私が来る前と同じぐらいのペースで人が流れていくようになる。


 今日も楽しい時間を提供いただきありがとうございました。

 そんな念を込めて、私が片付けをしようとし始めた辺りで、遠巻きにこちらを伺っている様子だった一人のリスナーに気がついた。


 真っ直ぐな長い黒髪をした、すごく綺麗な女の子。

 夏だというのに熱くないのか、正装のような真っ黒な服を着ている。

 そして肩には、私の足元に開かれたソレと同じカタチのケース……。


「ごきげんよう、椎名」

 人ごみの中でも不思議と聞き取れる、良く澄んだ声が向けられた。近づいてくる。


 彼女とは最近知り合った。

 以前、いつものようにこうして路上をやっていたら、向こうから話しかけてきたのだ。

 名前はフジノというらしい。

 それが苗字なのか名前なのか、私は知らない。


 彼女は少し変わった雰囲気の持ち主だ。

 大人びた感じはするけど自分と同い年ぐらいだろうか。

 新宿にはよく来るらしくて、たまにこうして路上をやっているとひっそり聞いていてくれたりする。


「今日もとても素敵な演奏だったわ」

「ありがとう。今日も来てくれていたんだな」

「ええ。この道は、よく通るものだから」


 整った容姿と、奇妙な服装のフジノは目立つ外見をしていると思うのだが、演奏中に来ていることに気づくことは稀だ。

 話しかけてくるのもこうして人がはけて来てからが主。

 そういう風な接触を好むリスナーもいるにはいるが、フジノもそんな類だろう。

 きっとじっくり落ち着いて話がしたいたちなのだ。


「フジノは、新宿によく来るのか?」と私は尋ねてみた。「確かに何度も聞きに来てくれてるけど」

「ええ。代々木に住んでいるし、この辺りは何かと便利だもの」

「代々木……」

 ……うちより近い。

 生粋の地元民だったのか。


「友人とルームシェアをしているの。小さなアパートでね」

「そ、そうなんだ」

 お嬢様みたいな外見をしているからてっきり世田谷とかに住んでいるものかと思ったが……案外質素な生活らしい。

 ……というか「ルームシェア」という言葉があまり似合うタイプじゃないなー、この子。


 それはそれとして、



「フジノ、それって」

「? ああ」

 私が指差したのは、フジノが肩から下げていたケースだ。

 さっきも言った通り、同じ形をしたものが私の足元にも置いてある。


「ベースか」

「あら、ケースを見ただけでわかるのね。さすがだわ」

 少し驚いた顔をするフジノだったが、そんなにすごいことではない。

 フジノのケースは私のものより少し縦に長い。

 多くのベースはギターと比べて長いものだからだ。

 フジノの背丈は私と同じか少し高いぐらいなので、少しよく見ればすぐにわかる。


「紹介するわ。私のパートナーよ」と肩にかけたケースをこちらへ提示してくる。「この子はいつも、セクシーな低音を響かせてくれるの」

 それは楽器をというより、まるで自分の後ろに隠れていた子供かペットを紹介するみたいにうっとりした口調だった。

 とても高級そうなハードケースだ。

 どんなベースが入っているんだろう?

 この子のことだから決して安物ではないのだろうな、と私はさしたる根拠もなく思った。


「フジノも音楽をやっていたんだな」

 言いながら少し興奮するのを感じていた。慌てて内心を諌める。

 私は相変わらず、同好の士に対する好感が私は強すぎる。


「ええ、意外だったかしら?」

「いや……そんな気はしてたよ。私なんかの演奏を聴いて、いきなり話しかけてくる人なんて普通じゃない」

「謙遜して。あなたの演奏は素晴らしいわ。誰だって足を止めたくなる」

「そ、そう言ってもらえるのは嬉しいが……」

「自信を持って。全くの初対面で、私が話をしたくなるほどの興味を抱くなんて余程のことよ」

「……て、照れくさいな。そこまで真っ向から褒められると」

「そんなことはないでしょう?あなたほどの実力なら、このぐらいの賛辞、聞き飽きているでしょうに」

「いやいや、持ち上げすぎだ。私なんてまだまだ未熟だし、褒めてくれるのはありがたいけど、まだまだ不相応なもんだよ」

「……あらあら。そう……。器が大きいのか、それとも――」

 フジノは何か言いかけて、言葉を飲み込んだ。


 私も人のことは言えないのかもしれないが、フジノは少し特徴的な喋り方をする。

 整った顔立ちもあって、普通にしゃべっているだけなのだろうが妙な迫力がある。

 何かやましいことがあるでもないのに、緊張してしまう。


「あ、フジノ。せっかくだから、もらってくれ。次のライブの告知なんだが」

「ええ、いただくわ」

 チラシを渡す。機会を見つけて宣伝宣伝。

 せっかく作ってくれたユークンのためにも。

 フジノは特に遠慮することもなくそれを受け取り、眺め始めた。


「素敵なチラシね。あなたが作ったの?」

「い、いや、メンバーが。私は、写真に映ってるだけ」

 チラシにはギターを弾く私の写真が映っている。「絵がなきゃ印象弱いよ」とユークンが載せたものだが、私自身はちょっと恥ずかしい。

 フジノにまじまじと見られて、また妙な緊張。


「ど、どうかな?来週なんだけど、来れるか?」

「……まだわからないけれど、可能な限り空けておくわ。あなたがフロントを務めるバンドなんて、想像しただけで素敵だもの」

 フジノが路上で声をかけてきてくれるようになってからしばらく経つが、ハコのライブは予定が合わずまだ見に来てもらったことがない。

 チラシを渡せたのも、何気に今日が初な気がする。


「椎名の名前は、ゆりというのね」

「え?ああ、そうだけど」

 ひとしきりチラシを眺めた後、フジノはメンバーの名前が書かれた部分を指さしながらそんなことを言ってきた。

「なら、ゆりと呼ばせてもらっても?」

「え?」

 いきなりそんなことを言われて戸惑った。なんのつもりだろう?


「……あ、あぁ、いいよ」

「そう、ならそうさせてもらうわ。ゆり」

「……っ」

 実は名前で呼ばれる経験なんて親と兄弟を除けばほとんどない。

 しかもこんな綺麗な子から呼ばれて……なんだかすごく気恥ずかしい。

 嬉しくはあるが。


「下の名前で呼ぶのが好きなの。すごく近くにいることができている気がするから」

「そ、そう?」

 人を下の名前を呼ぶと、近くにいることができている感じがする……?

 確かにそうかもしれないけど、不思議なことを考えるんだな……。

 ……あれ?

 ふと思いついたことがあり、私は深く考えずにそれを口にしてしまう。


「そ、それって、そうしたいぐらい私を気に入ってもらえてるって、ことなの、かな?」

「もちろん。これからも仲良くしてね。ゆり」

「あ、うん……」

 ものすごくいい笑顔を向けられて、私は反射的に首肯してしまう。

 フジノは表情の変化が少ない感じなのに、時々見せてくる笑みがすごく自然で優しげで、綺麗だからこまる。

 女の私でも魅了されてしまいそうになる。

 表情から内心が読みにくいのに、不意にこうして急接近してくる。

 コミュニケーションのとり方が独特な子だな、と思った。これも人のことは言えないのかもしれないけど。

 ただ、こういう意識の人は、つながりをとても大切にしてくれそうな気がする。

 これから先、この子とは、いい友だちでいられるかな?


「待ってね、ゆり」

 と、フジノと今後仲良くしている想像などをしていると彼女は不意にポケットから手帳を取り出し、パラパラとめくり始めた。


「……それじゃあ、お近づきの印というわけではないけれど」と、手帳から何かを取り出し、差し出してくる。

「これって、……ライブチケット?」

 ついさっき私が手渡したチラシとよく似た文字列が記載された紙。

 BARBARIAN LEG LARIAT are Vo&Gt.上村亜美香 Ba&Cho.藤野林檎 Dr.坂木慶次……、そして何より。


「た、単独?」

「ええ、私は対バン形式も闘争心が掻き立てられて好きなのだけれど」

「すごい!」

 インディーズで単独ライブなんてなかなかできるものじゃない。

 一つのバンドのみで相応の集客が可能であるとライブハウス側から認められなければやらせてもらえないからだ。

 人気のあるバンドでも大抵はそれほどでもないバンドとの対バンでトリを任されるなどして、客寄せに使われたりするような感じなのに。

 当然DIVERSITYだって、まだ単独でやったことはない。


「そ、そんなすごい人だったのか、フジノは……!」

「ふふ、それほどでもあるけれど」

 あ、賞賛は素直に受け取るタイプのようだ。

 嬉しそうに髪をかきあげる仕草が決まっていた。


「ゆり、あなたは素敵なアーティストだわ。あなたのような人に、私たちのコンサートを見に来て欲しいの」

「ぜ、是非行かせてください!」

 最早上がりだしたテンションを下げる気すら湧かなかった。

 偶然知り合った相手がすごい実力のバンドの一員だったと知って、気持ちが高ぶらない方がおかしいだろう。

 どんな音楽が聴けるんだろう?やっぱ感動するぐらい上手いんだろうか?

 うわ、わわわ……!


「……予想外に喜んでもらえて嬉しいわ」

「ああ、ありがとう!ありがとうフジノ!」

「ええ。それじゃあ、今日もこれから練習だから、ここで」

「うん。絶対行くから!」

「楽しみに待っているわ」

 そう言い残して、フジノは人ごみに消えていった。

 優雅にお辞儀をすることを忘れずに。


 手元には、彼女が渡していったライブチケット。

 思わず握りしめてしまったらしく、すこしくしゃくしゃになっている。


「……あ」

 うっかり、しばらくそのまま立ち尽くしてしまっていた。

 片付けそびれた機材と、私を不審そうに眺めつつ通りすぎていく人の群れ。

 我に返って、いそいそと撤収を始めていく。


 そんな中でも口元が緩むのを抑えられない。

 新宿のハコをいっぱいにできるぐらい人気のある、フジノたちのバンドのライブ。


 ……楽しみだなあ。



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