椎名ゆり その5
楽しい時間は飛ぶように過ぎて、予約していた分の時間はすぐに終わってしまう。
ライブに向けた練習は順調で、大きな問題は見当たらなかった。
ユークンは言うまでもなく完璧だし、リオも難しいと思われたドラミングを叩けるようになっている。
文句の多いイリスも自分のパートは問題なく弾きこなしており、バンドとして弾いた時もすぐにピッチを合わせて揃えることができた。
ただ、新曲についての議論は中途半端になり、まだ喋り足りなかった私たちは少し脚を伸ばして駅近くの電気街にあるサイゼリヤというファミレスに入る。
高校の頃から何度も来ては、溜まり場にしている場所だ。
料理の値段が安くて、ドリンクバーの種類が多い。
新曲の会議をするため、という意味もあるが、スタジオ練習の後はみんなでこうして夕食を共にするのがいつもの流れだ。
長居したい時はこうしてファミレスに行くし、新宿に詳しいイリスの案内で美味しいお店に連れて行ってもらうこともある。
時には食事ではなく、ゲームセンターやカラオケなどで遊んだりもする。
ライブ後にもやる打ち上げと意味合いとしては同じだ。
楽器を弾いたりするだけではなく、共に食事をしたり、遊んだりすることで、深まっていく信頼がある。
だから全然無駄ではないと思うし、有益だ。
何より私も、この三人と過ごすそうした時間はとても楽しいと感じているし。
楽しい時間は飛ぶように過ぎる。
今日も議論は白熱し、気づけば深夜と呼べる時間に差し掛かっていた。
家まで徒歩で帰れるのはイリスだけで、ユークンとリオは電車を使わなければならない。
名残惜しいが、楽しい時間は次の練習までお別れだ。
次回の練習予定はライブの直前。
大詰めの調整を行い、ライブに向けてテンションを高めていくことになるだろう。
バンドとしての調子はとても良く、今から楽しみだ。
バンドを組むのは、楽しい。
同じ音楽でも、自分一人で曲を弾いたり歌を唄ったりしたって、こんな気分にはなれないだろう。
人間同士だし、音楽をやっている者同士なので時には意見がぶつかることも、様々な原因から喧嘩をすることもある。
けれど、それはみんな真剣に取り組んでいる証拠だし、そうした困難を乗り越えて分かち合った成果はかけがえがない。
相談し合って、協力し合って、励まし合って、強まり深まっていく関係性がある。
そうして出来上がる楽曲も、それを演奏できた時の達成感は、私たちの絆から生まれた結晶だ。
音楽をやっていたからこそ知れた相手の良い所があって、音楽をやっていたからこそそれ以外の部分でも気心の知れた仲でいられている。
それはとても得難いものだし、一生をかけて大切にしていきたい……私にとっての宝物だ。
音楽は大切だ。でもそれ以外も大切だと今の私は思っている。
「楽しかったな、イリス。まだ話し足りないぐらいだ」
ユークンとリオの二人と別れた帰り道、私は並んで歩いているイリスにそんな声をかけた。
「え?そう?元気だねー椎名は。ホント、音楽のこととなると底なしって感じ」
「それはみんなとやっているからだ。みんなのことが好きだし、バンドとして楽しいからこんなに元気なんだ」
「そ、そう……?」
私の発言の何が引っかかったのか、イリスはちょっと照れくさそうに目を泳がせた。
「じゃあウチ来る?お姉ちゃんに断り入れとけば、泊まっていっても構わないけど」
「え?」
イリスの家でお泊り?
彼女の家には何度も遊びに行ったことがある。
付き合いの長い私たちなので、そのぐらいのことは別に初めてではない。
私が少し動揺しているのは、その行動があまりに楽しそうで、迷わず頷いてしまいそうだからだ。
とはいえさすがに夜も遅いし、仲の良い友人とはいえいきなり家におじゃまするなんてのは大人としては……、
「そ、それは家の人に申し訳ない……が」
「ぷっ、あんたってすぐ顔に出るねー」
そしたら笑われた。
楽しそうなのが顔に出ていたらしい。
「い、イリスだって、練習で疲れてるだろ?」
「申し訳ないどころか「行きたくて仕方ない」って顔してるよ」
「うわっ、すまない。……単純な性格なんだ。許してくれ」
「いいよ。そんじゃいこっか。あたしも楽しかったしね」
「あ、ああ!ありがとう、イリス!」
音楽をやっていたから得られた出会い。続いていく関係性。
そういう力が、音楽にはあった。
ただ単純に好きだからというだけではない。
そういう副産物的に生まれたものだって、私にとって充分に尊い。
だからずっと、ずっとこんな風に、音楽を通じて、バンドを介して、ユークンと、リオと、イリスと、四人で仲良く生きていけたらいいな……と、私は心から思っている。
「……でねー、あたしの彼氏のナオくんがさー」
「うんうん」
楽しく雑談。夜道は長く、夜も長い。楽しい時間はまだ続いていく。
イリスとの付き合いは長い。
最初に会ったのは中学生の頃にまで遡る。
イリスの家は新宿の外れで、私は中野。
お互い学区が違うため中学は別々だが、私が通わされていた進学塾に、二年生の冬頃にイリスが入ってきて、私たちは出会う。
学校が違えば空気も異なり、塾内での交流は然程密ではなかった。
だけど、その適度なドライさが、人間関係の機微に疎い私にはちょうど良かったんだと思う。
それはイリスにとっても同じだったようで、私は塾で何人かの他校の友人を作り、イリスもそのうちの一人になった。
その時の距離感は良くも悪くも普通という感じで、特別仲が良いという感じはしなかったけれど、私たちは学力的にも同程度で、同じ高校を受験すると決まった辺りから、なんとなく一緒にいる機会が増えていく。
結果的に私たちは同じ高校に合格し、関係はその後も継続されることとなった。
顔を合わせる機会が多いということはそれだけで関係性を濃くする……裏を返せば会わなければ人の繋がりなんてどんどん薄れていくもので。
その時塾に居合わせた同期の中で今でもこうしてつるんでいるのはイリスぐらいなものだ。
何度も言うが、イリスとの関係を私は大切に感じている。
イリスはものぐさで腰が重いところがあるけれど、いざという時はそれなりに行動力があって友人としてとても頼りになる。
気だるげなのは実はシャイだからで、図太そうに見えて裏では色々なことを思い悩んでいる繊細な一面もある。
そういう深い部分を知れる程、長い時間一緒にいる。
イリスの良さを知っているから、不真面目でだらけた感じという表面的な悪印象も私は許せる。
普段なら。
「てか、ごめんね、さっきは。スタジオであたし、またダルそうな顔してたっしょ?」
「あ、いや、こっちこそ。変に突いたりして悪かった」
「悪くないよー。音楽に対して真剣なのは椎名のいいとこだし。悪いのはいつもやる気ねーあたしなんですよ」
「いや、そんな……」
そんなイリスでも、いや、そんなイリスだからこそなのか、私は音楽に対してもそうであるイリスの不真面目な態度にきつくあたってしまうことがよくある。
私とイリスの生きるペースは、根本的に違っている。
そんなふたりが同じ事をやろうとすればズレが生まれて当然なのに。
イリスは練習が嫌いだとよく言う。
今日みたいに皆で揃ってのスタジオ練習ならまだ我慢できるようだが、家で一人でやっても退屈すぎて集中が続かないのだそうだ。
事実そうなのだと思う。
皆で合わせると、イリスがあまりベースを弾いていないとを感じられる瞬間が多々あるからだ。
今のところイリス一人が決定的についていけないような状況には至っていないが、もしそうなったとして私はイリスを許せるだろうか?
「いや、ホントに。あたしがバンドで足引っ張ってんのは承知してんだよなー。ホントならベースが一番しっかりしてなくちゃいけないのに」
「……」
本音を言えば、一人だと集中が続かないというイリスの言葉も私には感覚的によくわからない。
ユークンやリオはイリスのそんな言い訳を糾弾しつつもどこか「まあ仕方ないよね」とか「そういうこともあるよね」みたいに共感している節があるため、納得していないのは私だけのようだ。
不思議だ。楽器を触ることが苦痛に感じる時間があるぐらいなのに、何故音楽をやろうと思ったんだろう?というか、楽器を触ることが苦痛な時間ってなんだ?私はそこからよくわからない。
家であろうと一人であろうと、楽器を弾くことが楽しくない時なんてあるんだろうか?
そりゃあ、体調が優れなくて今ひとつ乗り切れないことはあるだろうけれど、そんなの年に一度か二度あるかないかだし、それがほぼ毎日続くなんてイリスはどこか具合が悪いんじゃないかと心配になってしまう。
大切な友人だし。
でも、ユークンやリオも毎回そんなことを言っているイリスを真剣に怒っているわけでもない辺り、そういう気分になることが少なからずあったりするということだ。
ウソだろ?と思う。
リオは真面目で疲れていても文句はほとんど言わないし、それだけにドラムも上手い。
ユークンなんて私より長い時間、充実した環境で音楽をやってきているはずだろう?それなのに嫌だったりすることがあるのか?
考えられない。
楽器があって、歌が唄えて、音が連なっていく時間が、楽しくないわけないのに……。
というか、私は「練習」という言葉にすら違和感があったりする。
私にとって楽器を弾くことは練習なんて堅苦しいものではなく、頭の中でずっと渦巻かせてきたイメージをようやく再現できる、ようやく発散させられる解放の瞬間みたいなもので、自分のイメージが音になっていくのが嬉しくて、楽しくて、感動的で、それを改良したり、アレンジしたりするのはもっと興味深くて、時間が経つのなんて忘れてしまうからだ。
ただ、これも他の人はそうじゃないらしくて、長時間やっていたりして疲れてきたりすると、苦しそうにしている姿を見たりする。
イリスなんかは開始五分でそんな顔をすることもある。
そんな顔をされると私はやるせない気持ちになって、ついついきつくあたってしまうのだ。
しかも私自身口下手で、どうやら自分にしかない感覚らしいそれを言葉にすることができないものだから、「もっと練習しろ」だとか「情熱が足りないんだ」だとか、彼らの言葉を借りてくるような微妙に見当違いな言い方になってしまい、余計に傷つけてしまってばかりいる。
その度に反省する。こんなことがしたいんじゃない、と悔しくて涙が出そうになる。
そしていつも、「椎名みたいに子供の頃から続けてるわけじゃない」とか、「才能のあるあんたには凡人の悩みなんてわからない」とか、そんなことをよく言われる。
違う。
違うんだ。
確かに私は長いこと音楽をやってはいるけど、そんな部分についてのうぬぼれなんて全然なくて、ただ音楽をやるのが楽しいだけなんだ。
みんなは、楽しくないの?
そんなはずはない。
音楽が楽しくないなんてことが、あるわけが……。
だから私は不満で、寂しい。
皆が私と同じぐらいの楽しさを感じていないことに。
私は確かに上手いのかもしれないけれど、それは音楽が好きだから自然にそうなっただけなんだ。
皆がこういう気持ちを持っていたら、すぐに私と同じ、いや私なんかよりもっともっと上手くなれるはずだ。
それだけのものはみんな持ってる。普段は私よりずっとしっかりしているじゃないかみんな!
世の中には私より演奏が上手くて、感動的な曲や詩を作れる人だっていっぱいいるじゃないか。
そういう人を見ると、私はすごくワクワクして、頭がカーッと熱くなってきて、音楽のことで頭がいっぱいになっていることに気付くんだ。
それはとても幸せな感覚で、いてもたってもいられなくなる。
だから、私はイリスにあきらめて欲しくない。
私とは違う、とかそんな寂しくなるようなことを言って、私……いや、音楽から距離を置かないで欲しい。
私はみんなと一緒に、楽しく音楽していたいんだ。
音楽が好きなんだ。
楽しいんだ。
それだけあれば、私はこんなにも幸せな気持ちになれるのに。
「椎名……? どうかしたの?」
「あ、ごめ……、ちょっと、考え事、を……」
隣を歩いているイリスを見て、そんなことを考えていた。
私より背が高くて、スタイルも良くて、ひけらかさないけど実は結構おしゃれで、格好良い彼氏がいるイリス。
不真面目だけど自分を持ってて、迷いながらも強く生きていられるイリス。
そんなすごい友人を、音楽というものに付きあわせて、一方的に貶める権利が私にあるのか?
あるわけがない。
私はただ、自分が大好きな相手に、自分と同じものを強要して、それが受け入れられず駄々をこねているワガママな子供でしかない。
情けない。申し訳ない。泣きたくなる。
「ど、どしたの?なんか泣きそうになってない?」
「な、なっでない……、違うんだ、イリス……悪いのは、むしろ私で……」
けれど、本当に泣きたいのは、そんな私をまだ友人だと思ってくれていて、こうして私を家に呼んだりしてくれているイリスでいてくれることが嬉しいからだ。
ごめんね。ありがとう、イリス。
家についたら、音楽以外のことも、話せるように頑張るから。
私は、音楽が好きだ。
けれど、友人も好きだ。
だからその二つが、良い関係で結びついていてくれたら良いと思う。
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