椎名ゆり その4




 新宿にあるスタジオ。防音された壁に囲われた、静かな一室の中。

 いつも予約しているその部屋に今日一番乗りしたのは私だった。


 今日はこれからバンドでスタジオ練習だ。私がボーカルとギターを担当しているバンド。

 作曲や個人練習は毎日やっているが、みんなで揃って練習ができる機会はたまにしかない。次のライブも近いし、今日はそこで演奏する曲の合わせがメインだ。

 可能なら、さっき思いついた曲も、みんなで完成させてしまいたいところである。


「椎名、新曲できたって?」

 一人で準備をしていると、その一声と共に扉が開いた。

 入ってきたのは少年、という形容が似合いそうな、背が低い、童顔の男の子。

 これでも私と同い年で、学部は違うが大学の同級生だ。

 名前は鈴木勇すずきゆう。大学の軽音楽サークルで出会った彼とは今はバンドメンバー同士だ。


「ああ、メールで言ったとおりだよ。みんなが来たら聴かせる」

「自信ありそうだね。またすごいの作ってきたんだね」

「ユークンを納得させられるかは不安だけど。でも自信はある」

 私が笑ってみせると、ユークンも優しげな笑みを返してくれた。背中に担いだ荷物を下ろし、セッティングを始める。


 ユークンはキーボード担当。彼は子供の頃からクラシックピアノを習っていて、色んなコンクールで賞を取ったりもしている。

 まさしく私が羨んでいたような、整った音楽環境で育った男の子だ。


 ユークンの才能はすごい。

 演奏の技術は寒気がするぐらい滑らかだし、作曲や編曲に関してだってセンスが良過ぎて怖いぐらいだ。

 彼のホームページには自作の曲が大量にアップロードされていて、そのどれもが名曲ぞろい。

 だから私は新曲を作った時も、それにアレンジを加える時も、ユークンに聴かせる時だけはやたらと緊張する。

 ユークンはいつも私が思いつかなかったことや気づかなかったことを意見してくるし、私が理解していない音楽理論を踏まえての構造的な指摘までしてくるぐらいだ。

 無論それが嫌かというとそんなことはなく、私より優れた見地から分析されることで楽曲がより優れたものに生まれ変わっていくことが純粋に嬉しい。


 それはそれとして、ユークンを理屈抜きで納得させられた時は、彼のセンスに勝てたような気がしてとても嬉しい。

 だから毎回そうなれるように頑張る。

 もちろん今回も。


 ……って。ああ、そんなことを考えていたら、ものすごく緊張してきた。

 早く聴いてもらって、この胸に詰まった熱気みたいな感覚を吐き出してしまいたい……!


「ああ、ごめん。やっぱりユークンにだけ先に聴いて欲しい」

「え?どうしたの?」

「ユークンから先にオーケーもらっておいたら、他の二人にも自信持って聴かせられるかなって思って」

「あはは。そんな心配しなくても、椎名の曲なら僕もみんなもいいって言うに決まってるのに」

「そんなことは……」


 ないと思う。

 仮にあったらそれはすごく嬉しいことだと思うけれど。

 私だって努力してるし、認められれば喜ばしい。


 けど同じぐらい未熟で足りていない自覚もあるから、そんな手放しで打ち出せる程の自信はどうしたってまだついてこない。

 自分でも良く出来たとは思うし自信だってあるけれど、それを絶対的な完成だと言うことは今の私にはできない。

 高校生の頃の独善的な私ならばともかく。今は。

 そしてそんな向こう見ずで過剰な自信は、一生出てこない気がするし、それでいいとも思う。


 ……そんなことを心がけながらユークンに新曲を聴いてもらった。コードと歌詞を書いた紙を渡して、確認をしてもらう。



「……っていう感じなんだけど、どうだろう?」

「……」

 ユークンは答えない。どこかぼんやりとした表情のまま、渡した紙と演奏を終えた私の間あたりに視線を送っている。

「……ユークン?」

「……あ、うん、ごめん……、えっと、その、いいんじゃないかな?」

「そ、そうか? でも、ユークンからすれば思うところも色々あるだろ?」

「え、えっと……、メロディもポップで聴き心地がいいし、歌詞もすごくいいよ……その、椎名の声ともマッチしてると、思うよ……うん……、すごくいい……すごく……」

「……そう、か?」


 おかしいな。

 ユークンならもっと色々あるだろ。

 このメロディは私がよく使いたがるやつだからやめといた方がいい、とか、このコード進行は理論的には不自然で気持ち悪いとか、歌詞だって……、

 でも、ユークンは呆然と私の渡したメモを眺めているばかりで、何も言ってこない。


 ……これは? 本当に?

 ユークンが何も言えないぐらいに名曲ということなのか?


 よくないよくない。

 私はまた調子に乗りかけてる自分をそっと諫める。

 謙虚に謙虚に。冷静に。


 ……とはいえ、素直に喜ぶべきところなのかもしれない。

 ユークンが何か言ってくることを前提に考えていたが、言葉を勝手に先読みして、不必要に構えてしまったらユークンだってやりづらいし、本当に良いと思ってくれたとしたらそれはとても申し訳なく失礼なことだ。

 私は別にユークンのことを口うるさい人間だとも思ってないし、口出しされることを嫌だとも思っていないんだ。

 知識が深くていつも頼りになるユークン。


「あ、あは、それなら、よかった。ユークンに褒めてもらえて、私も嬉しい」

「うん……」

「……けど、そうか。いい曲になってるか。はは、嬉しいな。これをみんなでアレンジしてくのが楽しみだ。ユークンのキーボードが加わったら、きっともっと素敵な曲に生まれ変わるぞ。期待してる。またいつもみたいに、私が思いつかないみたいなかっこいいソロ、考えてくれるんだろ?」

「……」

「あ、そうだ、実はベースとドラムも簡単だけど考えてあるんだ。リオたちが来る前に相談させてもらってもいいかな?ボーカルとギターならともかく、それ以外の楽器はユークンの方がよく知ってるだろ?」

「……ホント、いい曲なんだよ」

「ユークン……?」

「……すごいね、椎名は」

 どこか遠い目をして私を見てくるユークンに、私はちょっとだけいたたまれない気持ちになる。

 褒めてくれるのは嬉しいし、それがユークンのようなすごい相手ならばなおさらだけど、あまり手放しで評価されても困ってしまう。


「あ、ご、ごめんね。ちょっと考え事、してた……」

「そ、そうか、よかった……、私のことだから、また失言してユークンを傷つけてしまったのかと思った……」

「いや、そんなことは、ないんだけど……」

「私はいつも調子に乗りすぎるからな。いつもごめん、ユークン」

「ううん、いいよ、それは。……じゃあ、まあ、二人が来るまでアレンジとかしてよっか。椎名がどうしたらいいと思うか、聞かせてよ」

「あ、ああ……。それじゃあ――」

 やっぱり何だか様子の変なユークンにどこか不安のようなものを覚えながら、先程演奏した曲のアレンジに取り掛かっていく。


 でも、作業が始まると先ほどまでの何やら気まずい空気はもうなく、何か言いたげだったユークンがいつもどおりの優しげな笑みを浮かべて私の話を聞いてくれることが嬉しくて、私も徐々に調子を取り戻していった。


 よかった。ユークンがいつもどおりに戻ってくれて。

 彼は私にとって、心から信じられて、便りになる実力の持ち主なんだ。

 他の二人が頼りないというわけじゃないけれど、自分より音楽というものに深く精通しているユークンの言葉は私にとってとても重く、尊い。

 バンドメンバーの仲間として、互いに切磋琢磨して向上し合っていける良きライバルとして、これからもずっと仲良くしていきたいぐらいに思っているんだから……。



「ういー、おまたせー」

「ごめーん、遅くなっちゃったよー」

 ある程度作業を進めた辺りで、残りのバンドメンバーもやってきた。

 ベース担当の入巣香織いりすかおりと、ドラム担当の山口理緒やまぐちりお

 イリスとは中学生、高校生の頃からの長い付き合い。

 リオと知り合ったのは大学だが、よく話す仲の良いクラスメイトだ。

 二人とも元々音楽が割と好きで、聴くだけでなくやる方も多少の心得があったようだったので、大学で出会ったユークンとバンドを組むことに決めた時に私が声をかけた。

 以来この四人で活動を続けている。


 バンド名は「DIVERSITYダイバーシティ」。「多様性」という意味。


 四人がそれぞれ違う楽器を演奏するバンドはまさしく多様性がある集まりだと思うし、そんなみんなであれこれと相談しながら作り上げていく楽曲たちも多様性を持っていればいいという意味が込められている。

 ……イリスがつけてくれた名前だ。私もすごく気に入っている。


「あ、それがさっき言ってた新曲かな?わたしにも聴かせて聴かせて」

「もちろん。リオとイリスのパートも、ざっくりだが考えてあるよ」

「ホントに?椎名ちゃんすごい」

「き、気に入ってもらえると嬉しい」

 リオが期待を込めた視線を送ってくるので、私も気分が良くなる。リオは新曲が出来るといつもそうやって喜んでくれて、「はやくライブで弾けるようになりたいね」と言ってくれる。

 バンド練習をやる時はいつも熱心ですごく楽しそうにやってくれるので、一緒にいる私も頑張らなければという気持ちにさせてくれる。


「すごい、かっこよさそう!いつもすごいね椎名ちゃん」

「そ、そうかな?褒めてもらえると嬉しい」

「もちろん、ゆうくんもすごいよ。この辺のフレーズとか、考えてくれたのゆうくんだよね?」

 楽譜を指さしながら語るリオに、ユークンが目を丸くする。

 リオの言うとおり、その部分はユークンが思いついて、書いた場所だ。

 でも、そのパートは本当に些細な部分で、何か癖とか特徴が出るような箇所ではなかった。

「よ、よくわかったね」

「わかるよ、バンド仲間だもの。ふふ、ゆうくんのこういうフレーズって、かわいくて好き」

「……そ、そっか」

 リオにそう言われて、ユークンも嬉しそうだ。

 ちょっと照れくさそうにもじもじしている。


 こういう風に、リオの的確に相手の良い所を見つけて評価してくれるところは、大したものだといつも思う。

 そんな彼女がバンドの中にいて、裏方に徹しながらも真ん中から上手く間を取り持ってくれているのだと思わされてならない。

 ドラムという楽器をやっていることからもそうだ。

 ベースと一緒に音楽のリズムを根底から成すドラムは全体の流れをよく感じ取ってペースを刻まないといけない。

 空気が読めないヤツはドラムなんてできない。

 当然私はできない。情けない限りだけど……。


 それを可能にしているのは、リオ自身に私たちに引けをとらないぐらいの知識や技術、感性があるからだ。

 彼女はあまり主張しないし、目立つタイプでもないが、状況を見る力に長けていて、本当ならリーダーとして先頭に立つこともできるような人間なのだ。

 大人だなあ、と思う。

 パッと見る限り普通の女子大生なのだが、そうやって見ると普段の挙動にもなんだか芯があって、やたらしっかりしているように見えてくる。

 気のせいかもしれないが、多分気のせいじゃない。



「……って、イリス、なんでおまえはげんなりした顔してるんだ」

 と、リオとそんなやり取りをしている最中、変な顔をしているイリスの姿が目についた。

「べ、別にしてないってば。ただ、椎名の考えるベースって難しいのばっかりなんだもん。まーた超必死こいて練習せにゃならんのかーと思って……」

「そんな難しいものを要求しているつもりもないんだが……」

「うっさいなー、あたしみたいな凡人にはあんたの発想って時点で既に斜め上なのっ」

「人を天才か何かみたいに言うな」

「ちぇ、またそれかよ。いつだって自覚なしだもんなーあんたは」

 いつもどおりぶつくさ言いながらベースを準備するイリス。文句を言いながらも早速やってみるつもりはあるらしい。


 付き合いの長いイリスと私は、こんな言い合いも挨拶のようなものだ。

 不真面目で怠惰なところはあるが、この中では一番付き合いが長いイリスは私のことを一番よくわかってくれているし、私も一番信頼していると言っていい。

 イリスは面倒くさがりなところはあるけど、根っこの部分ではしっかりしているのだ。


「それじゃあ、合わせる前に新曲をやるぞ。ユークン、用意はいいか?」

「いつでもいけるよ」


「よし、聴いてくれ二人とも」



 そうして、私はユークンと一緒に、さっき思いついた新曲を披露した。

 結果としては、イリスもリオも大層気に入ってくれたようで、「次のライブでやれるように今すぐ練習しようよ」とか言い出す始末だった。

 私であってもそれはさすがに厳しいような気がしていたが、二人の熱意を見ているとそれも不可能ではないのかもしれない。

 私もユークンも、感化されたようにやる気が出てくる。



 いや、まだまだだ。


 今日は他にも、元々演奏する予定だった曲の合わせだってしなければならないんだから。

 四人揃って弾ける時間は限られている。

 やりたいことは、山程ある。


 有効に活用しなければ――。



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