第3話 芸術
目隠しを外された時、俺がいたのはトイレとベッドだけしかない部屋だった。
窓すらないこの部屋を自力で脱出するのは不可能だろう。
まるで独房だ。
しかも、俺をここに閉じ込めているだけで儲かるとなっちゃあ、監視も厳しいだろう。
ここで仕事をしろということか。
最初のうちは黙って仕事をしていたが、段々と何の意味があるのかわからなくなってきた。
どうせ仕事しても出れるのは61年後である。
それまで生きてられるかもわからない。
出られたところで86歳の老いぼれだ。
事実上の終身刑じゃないか。
だったら指示に従う必要なんかない。
もう何もせずにいるのにはうんざりだ。
それから俺は普段やれと言われても絶対やらない筋トレを始めた。
ここしばらく何もしない時間が起きている時間の大半を占めていたので新鮮で楽しかった。
そんな生活が数日続いた後、俺は手足を切断された。
仕事の妨げになっている筋トレをさせないためである。
嫌がらせのためではないから、きちんと全身麻酔を施してくれて、痛みはなかった。
痛がっていたら、何もしないという仕事ができないのだから当然の処置だ。
それからしばらく黙って仕事をした。
というよりも絶望で放心状態だったので、自然と仕事をしていた。
これでは万に一つ奇跡が起きて外に出られたとしても、何もできないじゃないか。
もうどうでもいい。
いっそのこと死んでやろうか。
まあ、今や自分の意志で死ぬことすらできないがな。
俺は何のために生まれたのだろう?
このまま借金を返すために、ただボーっとして過ごす生涯に何の意味があるのか?
思えば、俺は自分にしかできない何かをしたかったはずだ。
生活するのに十分なお金さえ有れば、後は己の芸術活動に邁進する心づもりだったはずだ。
結局は余暇があっても何もできない人間だったのか?
いや違う、もう一度この仕事を知る前の自分に戻れたら、絶対にこんな自堕落に過ごすことはない。
もう一度チャンスさえあれば。
あの頃の自分が懐かしい。
無限の可能性に満ち溢れていたかつての自分を恨めしく思う。
無限の可能性?
その時、脳裏に
「芸術は束縛があって初めて作品になる」
という言葉が浮かんだ。
これは、事故で手が常に震えるようになってしまった画家の言葉だ。
最初は今まで通り描くことはできないと絶望し、もう二度と絵を描くのはやめようと思っていた彼だったが、後に震える手を持った彼にしかできない絵を生み出す。
そうだ、
俺は無限の可能性に満ちていたから、無限の選択肢を持っていたから、何もできなかったんだ。
今こそ芸術を創造する絶好の機会だ。
出口のない部屋に閉じ込められ、手足を切断された今の心情を詩にするんだ。
そしてそれを歌い上げる。
幸か不幸かまだ喉だけは生きている。
この部屋を監視しているものを感動させるんだ。
それすらできなくては真の作品とは言えない。
あいにく詩を練り上げる時間は限りなくある。
一度でも声をあげたら声帯を摘出されるかもしれない。
チャンスは一度きりだ。
それから数年間かけて、俺は詩を練りに練り上げた。
ここまで追い込まれてはじめて、何かを創造することの楽しさを知った。
人生で一番充実した時間だった。
何もしないでお金がもらえるより、お金はもらえないけど何かに熱中していた方がいい。
子供の頃は誰もがそう思っていたはずだ。
「お金なんて.....」と言っていた俺も知らず知らずのうちに金の亡者になっていたんだ。
この詩は俺の全てだ。
きっとレンズの向こう側の監視員の心に響くはずだ。
ここを出たら音楽をやろう。
そして、大成功してお金も返す。
つらいこともあったが、今ではこの一連の経験があってよかったと思えている。
そうでもしないと一番大切なことには気づけなかっただろう。
さあ、お披露目しよう。
「ぁぁぁ、ああ.....。いいいー。あっ、あっ。..........」
声が出ない。
焦れば焦るほど、呻き声に近づいていく。
違う、
俺は狂っているんじゃない。
人生をかけた詩を歌っているんだ。
久しぶり過ぎて声帯がなまっているだけだ。
「ううあいええ.....。いうあああえええ.....」
ガチャッ。
固く閉じられた扉が開き監視員が入ってきた。
誤解だ。
俺の目を見ろ。
これが狂ったやつの目に見えるか?
「うぁーーー、ぎゃぁーー」
その目からは大粒の涙が落ちる。
全ては無駄だった。
俺の人生には何の意味もなかった。
舌と声帯、そして涙を流したせいだろうか、眼球も取り除かれた。
芸術なんてどうでもいい。
どんなに素晴らしいものを創造したところで俺にはそれを表現する手段がない。
束縛もここまで厳しければアウトプットできるものは何もない。
人に評価されないとやっていけないようでは、芸術家とは言えないというんならそれで結構。
それ以前に俺はもう人ではない。
考えることも止めて、長い時間がたった。
その時あるインスピレーションが稲妻のように俺の体を震わせた。
大きな勘違いをしていた。
表現する手段がない?
違うだろ。
今や俺自体がキャンバスであり作品じゃないか。
詩を考えていた時は、ここを脱出するためだとか邪念が入っていた。
あんなものは芸術でも何でもない。
だから、罰が下ったんだ。
「お前にはもっと良いものが創れる」
きっと神はそう言いたかったんだ。
ああ、神よ、ありがとう。
真の芸術を理解する機会を与えてくれてありがとう。
やはり、俺は神に愛されている。
俺の芸術魂に再び火がともった。
その日以来、俺はあたかも何もしないという仕事を拒絶するかのように体を動かしたり食べ物を吐き出したりした。
その度に監視員が入ってきて俺の体に手が加えられていく。俺がキャンバスで監視員たちがそこに絵を描いていく。
俺に描かされているとも知らずに。
培養液に浮かんだ脳髄には大量の管がつながれていた。
そう俺はついに脳髄だけの存在になったのだ。
完成だ。
随分と長い時間がかかった。
最後は医学の進歩との戦いだった。
シンプルイズベスト。
これが真理だ。
プチっ
脳髄に栄養を与えていた管が切断された。
脳髄を生きたままにする維持費が時給3万円を超えたのだろう。
脳髄に残っている栄養素を使い切るまでの数秒はまだ意識がある。
本望だ。
やり残したことは何もない。
時給3万円 相沢昭人 @gaudum
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