時給3万円

相沢昭人

第1話 何もしないという仕事

「お前まだ就職してないのか?」


「ああ、やりたいことがあってな。就職するつもりはない」


 本当はやりたいことなんてない。

 ただ働きたくないのだ。


「それじゃあどうやって生活していくんだよ?」


 こいつらは生きるために生きている。

 何のために今を生きているのか、そう尋ねられると次の瞬間を迎えるためと答えるだろう。

 死の瞬間もきっと同じように考えているはずだ。

 将来幸せになるために今を燃やして、幸せを先送りにし続ける、挙句の果てに幸せをつかむことのないまま終わる。

 それがこいつらの生き方だ。

 下らない。

 数が多いことに安心して堂々と攻めてきやがって。


「生活するだけならバイトでも何でもいいでしょ。俺はお前らみたいに埋もれたくない」


「まだ、そんなこと言っているのか。お前は平凡な人間なんだ。認めろ。そしてちゃんと就職しろ。これは俺が友達だから言っているんだぞ」


 お前と一緒にするな。

 俺に説教をすることで優越感に浸っているだけなんだろう?

 聞こえのいい言葉ばかり並べやがって。


「そうかい、そうかい。ありがとう。じゃあ、俺は帰らしてもらうよ」


「おい、俺の話を聞けよ」


 机に自分の分の代金だけおいて、俺は席を立った。


 こんな奴と話していると自分の士気が下がる。

 愚かな人間とはかかわるべきじゃないって論語にも書いてあるじゃないか。

 お金を置いていっただけありがたく思え。


 とは言えどんな仕事をしていくかはそろそろ考えなくてはならない。

 上司がいないこと、働きたいときに働きたい時間だけ働けること、そして創造力を使うことが条件だ。


 サラリーマンなんて奴隷だ。


 そんなものに身を落とすぐらいなら今すぐ死んだほうがましだ。



「ちょっとそこのお兄さん」


 店を出て、通りを歩いていると、狐のような顔をした男が話しかけてきた。


 おそらく、キャッチだろう。

 こんな仕事をしているなんて哀れな奴だ。


「はい、なんですか?」


 普段なら絶対に付き合わないが、今日は先の友人との話でむしゃくしゃしていたので、そのストレスのはけ口として対応してやることにした。


「いい仕事があるんですけどやりませんか? ものすごく簡単な業務で時給は3万円です」


 だますにしてももっとましな口実があるだろう。

 こんなやり方ではだれも引っかからない。


 そうだ、

 なら俺が引っ掛かったふりをして、ギリギリのところでやっぱりやめときますと言おう。

 その時、この狐男がどんな表情をするのか想像すると、先程までの胸のもやもやは吹き飛んだ。

 それに今回のことでこの手のことからは足を洗ってくれないとも限らない。そうだ、これは社会のためでもあるのだ。


「へー、めちゃくちゃ興味あります。どんな仕事なんですか?」


「興味を持っていただきありがとうございます。それでは、ご説明の方をさせていただきたいので、こちらの方へお願いします」


「ここでは説明できないんですか?」


「私はただの案内係で具体的な内容は何も知らないんですよ」


 こりゃあ傑作だ。

 どんな仕事かも知らないで勧誘するなんて、怪しさもここまでくれば面白い。

 とことん付き合ってやろうじゃないか。



 五分ほど歩くと、ビルの一室にある会議室に着いた。


「あとは担当のものから説明があると思うので、私はこの辺で」


 狐男がドアを閉める音が部屋中に鳴り響いた。

 背もたれのない丸椅子が部屋の中央に一つあり、それに隔てて3人の面接官と思われる人が肘をついている横長の長方形の机がある。

 広い部屋なのに、それ以外何も置いていない。


 目の前の3人は40代ぐらいだろうか、見た目に大きな特徴はない。

 刺青の入ったやくざのような人間がいると思っていただけに肩透かしを食らった気分だ。


「よろしくお願いします」


 無言に耐えきれず俺から言葉を発してしまった。


「どうぞ目の前の椅子にお座りください」


 真ん中に座る男が抑揚のない機械的な声で指示した。他の二人も相変わらず無表情だ。


 俺が座るや否や間髪入れずに説明が始まった。

 まるで、俺が椅子に座ったことをセンサーが感知したかのようだ。


「業務内容の方をご説明させていただきたいと思います。あなたには目を開けた状態でなにもしないでいただきます。場所はどこでも結構です。業務内容は以上です。時給の方ですが3万円とさせていただきます」


「何もしないってどういうことだ?」


「そのままの意味です。ただボーっとしていただくのが仕事です。仕事ですから、居眠りはいけません」


 そんな仕事があるわけがない。

 いったい誰の役に立つというんだ?

 寄ってたかって俺のことをからかっているに違いない。


「ふざけるのもいい加減にしてくれ。そんな仕事があるわけあるか」


「そう言われましても、わたくし共はあるとしか言いようがありません。それと言い忘れていたのですが、何もしてない時の様子を動画にとって送ってください。それが仕事の証拠になります」


「なんだそういうことか。動画に撮るのが目的なんだな。その動画は何に使うんだ。言ってみろ」


「ですから先程申し上げました通り、動画を提出していただくのは仕事をしたか確認するためです。それ以外の用途に使用することは決してありません」


「馬鹿にするのもいい加減にしろ。だますにしても工夫が足りなすぎる。そんなことを言うなら今この場で仕事をしてもいいはずだよな? あんたらが見張っている以上動画に撮る必要もないだろう」


 せっかく憂さ晴らしに来たのに、こんなに馬鹿にされたのではストレスが溜まっていく一方だ。


「はい、もちろんです。特に注意事項もございませんので、準備ができたら教えてください」


 相手を詰まらせようとした質問に即肯定で返答され、より一層ストレスが募る。


 本当はもう帰りたいが、自分で言った手前何もやらずに帰るわけにはいかない。

 とはいっても、やることは何もしないということだがな。


「準備ができたので、始めさせてもらいます」




 一時間が経過した。


 何もしていなかっただけなので、当然何事もなく終了した。

 その間三人の面接官も邪魔をしないためなのか俺と一緒で何もしなかった。


 気味の悪いやつらだ。


「一時間たったぞ。さあ、三万円をよこせ」


 待ってましたと言わんばかりに、お金が入っていると思われる封筒が差し出された。


「どうぞ、中身を確認してください」


 言われた通り確認すると、中にはしっかりと三万円が入っていた。


 俺はここで走って帰ることもできるんだぞ。

 いよいよ狙いが分からない。


「じゃあ、あと4時間仕事をさせてもらってもいいか?」


「勿論です。熱心にやってもらえて光栄です」



 四時間が経過した。


「お疲れ様です」


 何もしていないのに何が「お疲れ様です」だと思ったが、流石に四時間何もしないでいると心労がたまる。

 こんな仕事でもちゃんと疲れるのだ。


「では、こちらの方をお受け取り下さい。また、中身の確認の方をよろしくお願いいたします」


 差し出された四つの封筒の中身はいづれもしっかりと三万円が入っていた。

 既に合計で十五万円もらっている。


 もしかしたらこれはいたずらではなく、本当のことなのではないか。


  そんな考えが頭に浮かびだした。


 悪ふざけにしては何が面白いのかわからない。

 かと言ってこの仕事が何の役に立つのかはわからない。

 しかし、人間社会は複雑だ、何が何に作用しているかを正確に把握するのはほとんど不可能といって良い。


 だからきっと俺にはわからない何かの役に立っているのだろう。

 これはありがたく受け取っておこう。


「じゃあ、今日はこの辺で帰ることにするわ」


「少々お待ちください。まず、給料の振込先をこちらに記入してください。また、動画を撮る用のカメラと動画の送り先のメールアドレスが書かれた紙をお受け取り下さい。よろしくお願いします」


「この仕事はいつまであるんだ?」


「基本的には半永久的にあるものだと思っていただいて構いません。少なくとも私どもの方から仕事を辞めるよう言うことはありません」


 理由を尋ねても、どうせ無駄なんだろう。

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