第2話 堕落

それから、毎日平均3時間何もしないで過ごした。


 どうせやることはないのだ。


 3時間ぐらいなんでもない。


 相変わらず仕組みはわからないが、動画を提出するときちんとお金が振り込まれている。

 これで自分にしかできないことに専念できる。


 きっと、神がそれに専念させるために与えたものなのだ。


 やっぱり、俺は愛されている。



「前回は怒って帰って悪かった。酔っぱらい過ぎた。すまなかった。今日はおごらせてくれ」


 ちょうどこの仕事を知った時、飲んでいた友達と会っていた。

 こんなおいしい仕事を知るきっかけを与えてくれたのはこいつだ。

 少しぐらいは感謝してもいいかもしれない。


「俺はお前のために言っているんだ。それが伝わってくれたみたいでよかった」


 撤回しよう。


 こいつには少しも感謝する必要はない。


 相変わらず、いやな奴だ。


「それにしても、俺の言う通り仕事でも始めたのか?服装も小ぎれいになったじゃないか。NEETを止めてneat(小ぎれいという意味の英単語)になったのか?」


 目の前の友人がゲラゲラと笑いながら、気持ちよさそうに話している。


 不愉快だ。


 不愉快極まりない。


 俺が仕事をしたと思ったら今度は先輩気どりか。


「ああ、実は仕事を始めたんだ。お前の言う通りにしてよかったよ」


「おお、そうなのか。それはよかった。そりゃ、今のお前じゃあ、なかなかいい職には就けなかっただろうが、何もしないよりはましだ。これでお前も一つ成長したな。今日はお祝いだ。俺が奢ってやろう。給料も全然ないだろう? いいんだ気にするな」


 今の発言を聞いて確信した。


 こいつは、何もしていない俺をずっと見ていたかったのだ。


 その証拠に俺が仕事を始めたと知るや否や、軽蔑の言葉を畳みかけてきた。


「ありがとう。俺はいい友達を持った。時には厳しい言葉をかけてくれるのが、真の友達だよな。お前には感謝しかないよ。今日はありがたくご馳走になるよ」


 その時、俺の懐から一枚の紙がひらひらと宙を舞って、友達の足元に落ちた。


 勿論、俺がわざとやったことだ。


「なんだ、これは?」


「それは駄目だ。見ないで、返してくれないか?」


「見ないでって、それは振りにしか聞こえないなあ」


「頼む本当にやめてくれ」


「俺とお前の仲じゃないか。今更隠し事なんてするなよ」


 そう言って友人は、その紙の内容を見た。


「なんだこれは? 給料明細じゃないか。隠したがったのも無理はない。そりゃあ、俺に見られるのは恥ずかしいよな。どれどれ」


「300万円? なんだこれは? おい、どういうことだ説明してみろ」


「だから見ないでって言ったじゃないか。書いてある通り、俺の先月の給料だよ」


「そんなことを聞いているんじゃない。どうしてお前のような何もできない人間がこんなにお金を稼いでいるのかと聞いてるんだ」


「何もできないなんてひどいなあ。評価されてるから、お金がもらえてるんだよ」


「俺はお前が何か危ないことをやってるんじゃないかと心配して言っているんだ。何をやっているんだ、さあ言ってみろ」


「それは言えないことになっているんだ。仕事の規約上な。すまない。ただやりがいある仕事で、勿論危ない仕事でも何でもない」


 間違っても本当のことは言えない。


 知った途端、安心して優越感を取り戻すだろう。


 こいつはそういうやつだ。


 今日の目的は友達に劣等感を持たせることだ。


 今までさんざん馬鹿にしてきた罰だ。


「人に言えないような仕事ねえ。遂にお前もそこまで堕ちてしまったか」


「正確に言おう。規約なんかじゃない。お前には言いたくないんだ。お前負けず嫌いだろ。だから、今の仕事をやめて、俺のマネをして追い越してやろうとすると思うんだ。でも、この仕事には適性が必要なんだ。お前には向いていない。お前のためを思って秘密にしてるんだ。友達ならわかってくれるだろ」


「そんなの聞いてみないと分からないだろう?それに、俺がお前のマネをする? 馬鹿にするな。お前のマネなんかするわけないだろ。うぬぼれるなよ。お前が無能なのは今も昔も同じだ」


「飲み過ぎだよ。酒はほどほどにな。今日はもうお開きにしよう。いつも気にかけてくれるお前に感謝して今日は俺が奢るよ。いつもありがとな」


 帰り際の友人の悔しそうな表情は俺にとってご褒美以外の何物でもない。


 こんな気分がいい日はなかなかない。


 せっかくだから遊んで帰るか。


 お金はたんまりとある。



 俺はキャバクラに行った。


 酒に酔っていたのか、はたまた自分に酔っていたのか、そのあとの記憶はぼんやりしているが、ともかく楽しかったということだけははっきりと覚えている。


 今まで女遊びには縁がなかったため、こんなにお金がかかるとは知らなかった。


 最初100万円入っていた財布の中身は今やすっからかんだ。



 その日以降仕事の時間を大幅に増やした。


 今では平均7時間だ。


 相変わらず仕事が途切れることはない。


 夕方まで仕事をして夜は思いっきり遊ぶ。

 節度を持った遊び方をしていれば一晩で100万もかかるようなことはない。


 7時間も働ければ十分だ。



 この頃遊んでいると自分が浮いていると切に感じる。

 俺はいわば成金だ。


 金持ち社会には金持ち社会のルールがある。郷に入っては郷に従えか。


 俺は今住んでいるアパートを出て、芸能人も多数移住していると噂されている都内のマンションをローンで購入した。


 また、身に着けているものもすべてブランド物でそろえた。

 高級車も買った。


 そのせいで、月末にカード会社から請求が来るが、今から毎日15時間仕事をし続ければ返せる金額だ。


 俺は追い込まれないとやらないタイプなんだ。

 だからこれがいい。

 まあ、やることといっても何もしないことなんだけどな。



 毎月のカードの請求と家のローンに追われていると、何もしないことに忙しくて、遊んでいる暇もない。

 何のための仕事なのかわからなくなる。

 後400万円だから、今月は最低でも後134時間は仕事をしないといけない。

 今月は残り8日しかないから一日17時間は仕事をして過ごさなくてはならない。

 起きてボーっとして寝る、これを8回も繰り返さなくてはならないのかと考えると気が重い。


 待てよ。


 俺はなぜお金を稼ぐ手段がこのよくわからない仕事しかないと思い込んでいるんだ?

 あまりに楽で高収入なので視野が狭くなっていた。

 社会にはもっとたくさんの仕事がある。


 そうだ、投資をやろう。


 投資ならプラスいくらという形でなく、何倍という形で資産を増やせるので今の仕事より早く稼げる。


 ずっと時給で働いていてはだめだ。


 それを元手に指数関数的に増やしていかなければ。


 これが大きな失敗だった。


 いざとなれば何もしないだけでお金を稼げるという安心感が金銭感覚をマヒさせた。

 投資で失敗したら、それを取り返そうともっと大きな金額を投資する。

 逆に成功しても、同程度の刺激では満足できなくなり、もっと大きな金額を投資する。結果は見えていた。


 人脈を駆使してあの手この手でお金を借り続けてきたが、いよいよ限界を迎えたようだ。

 金を借りていた人たちが束になって俺の部屋まで押しかけてきた。


「おい、お前の職場はどこだ? 連絡させろ」


「それだけは勘弁してください。絶対に返しますから」


「その言葉を信じれるなら、こんなとこまで来てないんですよ」


「早く言えよ、おら、殺すぞ」


 中には取立人としてやくざのようなものを雇っている人もいる。

 この場を収めるためには仕事のことについて話すしかない。


 俺は、何もしない仕事について話した。


「おい、ふざけてるのか」


 そこら中から罵声が上がる。

 そう思うのも無理はない。

 ずっとやっている俺にだって仕組みはわからないのだから。


「信じがたいとは思いますが、本当なんです。私にはそれしか言えません」


「だったら、お前が金をもらっている人に今電話させろ。緊急事態だ。前借ぐらいさせてもらえるだろう」


 何もしないでお金がもらえるだけでも負い目を感じるのに、前借ができるかなんて厚かましいことを聞いたこともなかった。


 だが、状況が状況だ。


 仕方がない。


 電話をかけて会社の人に状況を説明し、取立人に電話を替わった。

 罵声でも飛び交うと思っていたが、予想に反して少し話すと納得した様子で電話が終わった。


 電話が終わると、取立人同士で何やら会議をし始めた。

 内容は聞こえないし、今の自分の立場で何を話しているかなどと聞くことはできない。


「帰らせてもらう」


 取立人たちが一斉に玄関に向かって歩き始めた。


 あんなに騒いでいたこいつらが帰ろうとするなんて、いったい電話で何を聞かされたんだ?


 騒然としていた部屋は、あっという間に俺一人になった。

 怒鳴り声が飛び交っているのも怖いが、その後に訪れる不自然な静けさも怖い。




 家のチャイムが鳴った。


 なんだよ、今日は疲れてるんだ。


 やっとゆっくりできると思ったのに。


「はい、なんでしょうか?」


「あなたの借金の件について、ご説明させていただこうと思いまして」


 その件は会社と取立人の間の電話でもう解決したんじゃないのか?


「借金?」


「あれほどの額を借りておいて忘れたとは言わせませんよ」


 そりゃあ、返さなくていいなんてそんな虫のいいことは思っていない。


 だが、だとしたらどうして取立人たちは黙って今日帰っていったんだ。


「その件に関しましては、私の会社の方と話していただけたのではないですか?」


「ええ.....。話した結果、尋ねさせていただきました」


「そういうことでしたか。まだ会社の方から連絡が来ていなくて、勘違いしてしまいました」


 どうして会社は何も俺に伝えてこなかったんだ。

 事の重大さを本能的に感じたのか、足が震えて、立っているのもつらかった。


「借金の金額が100億円。一日に8時間睡眠を取って、食事、トイレなどに計1時間使い、残りの15時間をすべて仕事にあてたとすると約61年かかる計算になります。あなたは現在25歳ですから成人男性の平均寿命から考えても一刻の猶予もありません。しっかり返済をしていただくために今からあなたを当社の方へ連行させていただきたいと思います。拒否権はありません」


「ちょっと待ってくれ.....」


 取り押さえられると、目隠しをされ、またしゃべれないように猿轡を取りつけられた。


 当然手足も動かないよう縛られている。


 今この瞬間から何もしないという仕事をやれということなのだろう。

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