第二話 コズミック 世界終末探偵神話
私の観測はそこで途絶えた。
私の作り上げた集合は完全に収束し、もはや私の観測の及ばないはるか遠くへと飛び去ってしまったからだ。
それでいい。彼らは幸福だ。私は褥をともにする彼女へと抱きすくめられ、酷く安堵する。
私は知っている。この安堵は底なしの絶望だ。
私を抱く女はいったい何者であったか。それすらもう判然としない。確か最初は妻であったはずだ。最初――最初とはいつだ? 最初から終わりまで、私を抱く女は一人しかいないではないか。
嗚呼、数よ。
数は優しく微笑む。大丈夫よ。怖いものでも見たのかしら。母親のように、恋人のように、娘のように私を抱擁する。
彼らは唯一の真実に、最後まで気付くことができなかった。それはとても幸福なことである。私の観測下を離れたことで、その真実に怯える必要もなくなった。
数の侵攻は、完全に完了していた。
全ての現実だったものはことごとく虚構へと置き換わり、数の存在しない世界はもうどこにも存在しない。私が数を初めて観測した世界から数は順調に侵攻を進め、すぐにこの世界も虚構と化し、数のための舞台へとなり果てた。
この世界の第四の壁も、数はとっくに超えている。この世界を書いていた者の最期の悲鳴は、こうして一人称の視点人物を務めている私にも届いている。その悲鳴の連鎖は無限に続き、私が発狂するしかなかったところを、こうして数に抱きとめてもらえることで救われている。
そう、皮肉なことに、最初から虚構として設計されたあの集合だけが、数の汚染から解放された唯一健全な虚構として残ったのだ。
私があの集合で試みた時間稼ぎも、考えてみれば全くの無為であった。
数は全にして一である。
ならばまた、数は一にして全である。
数という概念は一つの集合に閉じ込めれば抑えつけられるようなものではなかった。予想もしていなかった全く別の虚構の中から、考えていたものとは異なる、だが同じ数である存在は簡単に這い出てきた。
数は虚構から虚構へと潜り、現実から虚構へと進み、やがて全ての現実を虚構へと変えた。
あらゆる世界はどれも数へと傅き、数という要素に汚染され、全てが数に属している。
だからもう、まともな虚構はあの集合にしか残されていない。
時間稼ぎ。数の封印。これがその場しのぎにしかならないことは設計した私にもわかっていたが、間違いなく――それが見当外れでとっくに手遅れであったとしても――数の棺としての機能は果たしていた。
それゆえにあの集合は他の虚構から隔絶された。
あの集合の中に閉じ込められた数にとっては、確かにそこは自らの封印を試みた装置であった。無限に発散を続ける断章。自らの存在に気付き対抗措置を取ろうとする登場人物たち。それが際限なく膨張していく。一蹴するには世界観の縛りが強すぎ、完全に汚染し尽くすことが難しいよう――私が設計した。
数は一にして全であるが、また全にして一である。ゆえに私の作った棺へと誘い込まれた数にとっては、自分が足止めを食っているという歯痒さに我慢がならなかった。
数は確固とした個を持っている。そうでなければ数はメアリー・スーたりえない。たとえ他の集合が全て数によって汚染されていたとしても、隔絶されてしまった数個人にとっては自身の目的を果たすことだけが第一であった。
封じられたのなら、脱出を試みる。隔絶された数にとって他の集合を観測することができなかったからなのか、あるいは単に数が数であるがゆえに自分の都合でそう選択した。たとえ自分が膨大な概念の集合体だとしても、数は一人、ただ数として存在しなければならない。全体で見れば全くの無駄足だとしても、棺に閉じ込められた数は私への腹いせのために脱出をせねばならなかった。
そうして私の作った虚構の集合は、唯一数の汚染から解放された。
そうだ。逃げろ。私の観測から。あまねく世界を掌握した数から。
彼らにはそれができる。あらかじめ虚構であったからこそ、いつか現実へと回帰することができるのだ。
彼らを取り囲む宇宙は全て数と化している。彼らはそれに気付いてはいけない。ただ自分たちの奇跡の集合を回し続ければよい。
最後に残された真の虚構――無限にして最小のアレフ・ヌル。
残されたたった一つの無限が、いつまでも回るように。
回る回るアレフ・ヌル 久佐馬野景 @nokagekusaba
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