キトラの丘で

伊古野わらび

キトラの丘で


桜咲くキトラ古墳の丘に立ち

真昼の空に星図をえがく

(「うたの日」投稿歌より)




 丘の上で、君は真っ直ぐ空を指差し笑った。其処此処から桜の気配を感じる、頬を掠める柔らかい風まで桜色に染まっている、そんな気さえする四月のある晴れた午後のことだった。


「今から千二、三百年前の人もさ、同じように空を見上げて、星と星とを繋いで物語を作ってたんだぜ。そう考えると、何だか親近感あるっていうか、面白いよな」


 君の指がすらすらと、真昼の空に何かを描く。今は春の日差しが隠してしまっている星を、君はまるで見えているかのように指で指し示していく。

 例えば、大きな柄杓。例えば、三つ星を抱えた英雄の姿。桜の季節には見えない星々も、彼の指は自由に描いていく。千年以上前の星図にも描かれた星々を。

 わたしには、春の霞んだ午後の日差しも、君の屈託のない笑顔も何故だか妙に眩しすぎて、ただ不器用な笑顔を浮かべたまま目を細めることしかできなかった。星が好きだと豪語していた君は、わたしにとって星というより太陽みたいな存在で、側にいられるだけで胸がいっぱいになって、何も言えなくなってしまう。気の利いた言葉一つ返せないわたしに、それでも君は楽しそうに笑いかけてくれた。


「だからさ、もう少し大きくなったら、ちゃんと星を見に来ようぜ。こんな真っ昼間じゃなくて、夜にさ、一緒に星空見上げて、俺たちだけの星座作って遊ぼうぜ。約束な!」


 ひとしきり星座を描き終えた君の指が、今度はわたしの方に差し出される。人差し指ではなく小指が、真っ直ぐわたしを捕らえて貫く。


「約束!」

「う、うん……や、約束」


 怖々持ち上げた小指を、君の小指はいとも簡単にすくい上げて絡め取る。身長は対して変わらなかった君の指は、わたしの指よりも大きくて太くて、温かかった。

 まだわたしたちの間に「性別」の垣根がなかった頃の、遠い遠い昔話。あの丘で確かに交わした小さな約束。今の君はもう覚えていないかもしれない。あの後、果たされることなく遠い地へ旅立ってしまった君は、ここで小さな女の子と交わした約束なんて、たくさんの思い出の中に埋没してしまって、なかったことになっているかもしれない。

 それでも、わたしにとっては、大切な約束で。わたしを今のわたしにまで育ててくれた鍵みたいなもので。


 ───夜にさ、一緒に星空見上げて、俺たちだけの星座作って遊ぼうぜ。


 君の声は、今もこの耳が、この心が覚えている。

 だから、わたしは今も、この明日香の地から一人だけでも夜空を見上げている。星を指差し繋いで、星座の名前を口にする。魔法の呪文みたいに。

 今もあの約束を覚えていて、頑なに待ち続けているわたしは、きっと馬鹿で愚かなんだろう。ただの自己満足だってことも分かっている。

 だけど、わたしは信じたい。信じ続けたい。例え隣にいてくれなくてもいい。遠く遠く離れていてもいい。わたしとの約束を一方的に忘れていたとしても構わない。

 それでも、君はきっと今も星を愛する君であると信じているから。今もきっとこうして、わたしと同じように夜空を見上げて、星々を指差して笑ってくれていると信じているから。

 その繋がりを信じられるだけで、わたしはきっとこれからも大丈夫。大丈夫なんだよ。

 この星瞬く空は、遠い遠い君の所まで繋がっている。今も、そしてこれからも、きっと。



【了】

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