慶賀の使節
吾妻栄子
慶賀の使節
「この度は征夷大将軍就任のこと、誠に慶賀の至りに存じます」
唐風の衣裳に身を包んだ琉球王子は平伏したまま低い声で続けた。
「我が琉球国より心よりお祝い申し上げます」
海を越えて江戸城に現れた異国風の使節の中でも一際高雅な装いだが、体格はまだ背も伸び切らず、語る声にも熟しきらぬ幼さが漂う。
「月からの使い?」
上座からいとけない声が飛んでくる。
「琉球ですわ」
まだ若く美しい乳母が穏やかに訂正する。
「海を越えた琉球から上様が将軍になられたお祝いに向こうの若君が来て下さったのです」
広間の最上段の、身に着けた豪奢な絹の着物に半ば埋もれるようにして座している四歳の将軍は小さな白い手で下座の王子を指差す。
「でも、お
幼子の白桃じみたふっくりした両の頬に笑窪が刻まれる。
「月の王子様だからあんなに美しいんだろ」
居並ぶ幕臣と琉球使節団の人々の表情がふと和らいだ。
平伏した琉球王子も浅黒い端正な面に微苦笑を浮かべる。こちらも十四、五歳で上座の将軍と比べてもまだ兄ほどの少年である。
「確かにご立派な若君でいらっしゃいますね」
お幸と呼ばれた乳母も笑顔で頷く。
「月の国はいかなる所か」
幼い将軍は着膨れした錦の着物から抜き出たか細い首を傾げる。
「我が琉球は瑠璃色の澄んだ海に
まだ少年の琉球王子は控え目だが誇りやかな声で続けた。
「こちらの春には見事な桜が花開きますが、琉球ではでいごが春に朱い花を咲かせます」
唐風の装いを纏う若き王子と使節の人々の目に懐かしげな光が宿る。
「でいご?」
幼子は不思議そうに問い返す。
「南国の花にございます。琉球では
「見てみたいのう」
小さな体に絹の和服を重ねて着けた征夷大将軍は傍らの乳母にあどけない声で語った。
「余も琉球に行ってみたい」
居並ぶ幕臣たちは困惑した笑いを浮かべて互いを見合わせる。
「
琉球の王子はこちらもまだ少年の幼さの残る顔に寂しい微笑を漂わせた。
「しかし、上様がお越しになるようなことがあれば我々は心より歓迎致します」
「きっと行く、余は必ず月の国に参るぞ」
広間に幼子の高らかに笑う声が響き渡った。
*****
「時下、征夷大将軍様に置かれましてはますますご健勝のこととお慶び申し上げます」
「この度は我が父の琉球国王即位に伴い、謝恩の使いとして参りました」
居並ぶ幕臣たちの、比較的若輩の者はやや敵意のこもった、老輩の者は眩しげな眼差しをこの異国の青年王子に注ぐ。
「ご苦労であった」
上座から静かな声が響く。
「皆、楽に致せ」
声に含まれる温かさに青年王子と使節の人々は幾分和らいだ面持ちになった。
「こちらも春だが、南国の者には寒かろう」
上に座す将軍は目尻の皺をいっそう深めつつ雪白の頭を頷かせた。
「いいえ、こちらは見事な桜の花霞でこの世の極楽のようでございます」
琉球王子の澄んだ声は偽りなく響いたが、相対する老将軍の目にはふと寂しい光が宿った。
「琉球にも今頃はでいごの朱い花が咲き誇っているのではないか」
「はい、恐らくは」
青年王子は幾分戸惑った面持ちで応えた。
「瑠璃色の澄んだ海と白砂の浜に囲まれ、春には真っ赤なでいごの花が咲き乱れる国だとそなたの祖父殿は教えてくれた」
体格は立派だがそれだけに肉の落ちた肩の目立つ老将軍は乾いた声で笑う。
「いつかこちらも首里の城を訪ねると約束したのに果たせぬまま、祖父殿は逝ってしまった」
居並ぶ人々もやりきれない面持ちで目を伏せる。
「余には未だに遠く光り輝く月の国だ」
深い皺の刻まれた蒼白い顔を寂しく微笑ませた将軍は、しかし、温かな声で続けた。
「そなたたちは花盛りの江戸を心行くまで楽しんで無事に国に帰り着いて欲しい」
(了)
慶賀の使節 吾妻栄子 @gaoqiao412
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