第29話 Don’t Look Back In Anger
「鬼子!」
「鬼子!!」
「ん……」
鬼子が再び目を覚ますと、鬼美と、かっぱえびの顔がすぐそばにあった。さらにその隣には、
ここは、地上だろうか?
瓦礫の隙間から、星空が垣間見える。いつの間にか鬼子は、地下牢から外へと運ばれてきたようだった。切断された体も、戻っている。あれほど積み重なっていた死体の山は、どこかへと引いていた。その中で、生き残った人々が……そして生き残った物の怪たちもまた……負傷したものたちを何とか治療しようと、そこら中で忙しなく動き続けていた。
「よかった……!」
鬼子と目を合わせた途端、今にも泣き出しそうだった鬼美の顔が、ぱぁっと明るくなった。
「ごめん! 葬列の群れン中から鬼子の体を探してたら、遅くなって……」
「鬼美ちゃん……」
「あぁ、おいらも心配したんだぞ。もう三日三晩、寝込んでたんだから」
「三日?」
鬼子が目を丸くした。かっぱえびは笑った。
「あぁ。今みんなで、”お片付け”してるところさ。とにかくもう、どこもかしこも滅茶苦茶でさ。とりあえず桃太郎ってガキが、『人間も物の怪も、残ったものを助けよう』って言い出して。そんで……」
「桃太郎、さんが?」
鬼子はぽかんと口を開けた。
「何で?」
「さぁ、な。あんだけ自分で殺し回っといて、いきなり『助けよう』だなんて……一体どんな風の吹き回しなんだか」
「人間側だって、たくさん怪我をしてるわ。もう
フランが横から助け舟を出した。かっぱえびが肩をすくめた。
「まぁでも、
「…………」
鬼子は黙って、彼らの会話を聞いていた。
遠く向こうでは、瓦礫の片隅で、小豆洗いが怪我をした人間の子供に小豆を食べさせているのが見えた。鬼子は鬼美に目を戻した。鬼美は途方に暮れたような顔で、ボリボリと角を掻いた。
「……分からねえ。あたしは桃太郎って奴と、一回だけ喋ったけど。随分と物の怪を恨んでる様子だったな。『人間狩り』で、自分の村を襲われたみたいなこと言ってたし……」
「おい、待てよ。それは向こうが『妖怪狩り』とか言って、おいらたちを襲い始めたからだろ?」
かっぱえびが口を挟んできた。
「“本”を正せば、向こうが悪いよ」
「でももっと“本”を正せば……コッチが悪いことをしたから、むかーしむかし、桃太郎が鬼退治に来たんだったけか?」
鬼美が腕を組んで、年老いた青鬼が話してくれた昔話を思い出しつつ、「う〜ん」と唸り声を上げた。
「いやいや待てって。もっともっと“本”を正せばだな。そもそも人間が……」
「じゃあもっともっと、もっと“本”を正せば鬼は……」
「何だと? じゃあ、もっともっともっと、もっと”本“を正せば……」
「やっと起きたか」
口論を続ける二匹の向こうから、聞き覚えのある声が飛んで来た。鬼子は思わず体を起こした。
「犬神さん!」
鬼子たちの元に現れたのは、負傷した犬神であった。かっぱえびが飛び上がった。
「ゲッ!? 犬っコロのおっさん!?」
「犬神さん! 無事だったんですね」
「あぁ……おかげで何とかな」
犬神は松葉杖をつきながら、疲れた顔で笑って見せた。
「犬神さん! あの……っ」
「鬼子。俺はもう二度と
「! ……ごめんなさい。私たち、その……」
「いいんだ。“今”、お前たちが無事なら」
犬神が縮こまる鬼子の頭を、グシャグシャと撫でた。それから犬神は頭巾の少女へと向き直った。
「確か、フラン……とか言ったな。オンモラキの下で働いてた……」
「はい」
巨体を前に、フランが身構えた。犬神は『フン』と鼻を鳴らした。
「悪いが、
「……分かりました。でも……」
「分かってるさ。もう見世物になんかしないし……今回の件で、もうできないだろうな」
犬神が肩をすくめた。
「膨れ上がった”悪意”をどうにか
「ガーナは……」
「お嬢ちゃんの目的は、あのデカブツの治療か? 呪いを解く方法があるなら、こっちだって大歓迎だ」
犬神は俯くフランに肉球を差し出した。
「俺は軍を、この国を立て直す。手伝ってくれねェか。今度は正式に……軍の医療班として」
「でも……」
戸惑いを見せるフランに、犬神が笑いかけた。
「なァに。俺だって元々は妖怪だ。人間の下で働くのだって、それほど悪かねぇ……それほど良くもねぇが」
フランはしばらく押し黙った後、
「……分かりました」
ゆっくりと、犬神の肉球を手に取った。
「………だからァ! もっともっともっと……ふぅ、ふぅ……もっともっともっと、もっと“本”を正せばだなァ!」
「それを言うなら、もっともっともっと、もっともっともっと、もっともっと……はぁ、はぁ……もっと、もっと……ぜぇ、ぜぇ……!」
その脇で取っ組み合っていた鬼美とかっぱえびが、とうとう匙を投げ出した。
「もっ……もう、やめよう。よく分かんなくなってきた」
「はぁ、はぁ……そ、そうだな。考えるだけキリがねえや、こんなの」
「……ねえ」
集まったみんなを見渡して、鬼子がポツリと呟いた。
「お
◻︎◻︎◻︎
雲一つない、綺麗な三日月の見える夜だった。
反り返った崖の下では、北風に乗った波が穏やかに打ち付けられ、岩肌を撫でては引いていった。遠く地平線の彼方では、海と空が交わり、その境目で揺れる水面が見るものを誘うようにキラキラと輝いていた。
少女は、草花の生い茂る崖の上に腰を下ろし、ぼんやりと夜鳥の鳴き声に耳を委ねていた。星空は東の空から薄っすらと明るみを帯び始め、どんなに傷ついた人の下にも……物の怪の下にも……また何食わぬ顔で、朝が降り注ごうとしている。
「鬼子ちゃん」
やがて少女の元に、一人の少年がやってきた。少女はまだ前を向いたままだったので、少年は途中で歩みを止め、そこから少女の小さな背中に向かって語りかけた。
「鬼子ちゃん。もしも、村で君が助けてくれてなかったら……あの時君の顔を、思い出さなかったら」
「…………」
「僕は正気を失ったまま……天子様と同じように、君たちを根絶やしにしていたかもしれない」
「…………」
「本当に助かったよ……ありがとう。君には助けられた。それから君の、お父さんにも。僕が弱かったから、君のお父さんに助けてもらって……」
「……いいえ」
「……?」
少年が言葉を途切らせた。少女はまだ海を見つめ、少年に背を向けたまま、ポツリと言葉を零した。
「桃太郎さんは、全然、弱くないよ」
「それってどういう……」
「だって本当に弱いモノは……助けすら呼べないもの、だから。”助けて“が周りに言えるのは、本当は、強いモノだけ」
「鬼子ちゃん……」
少年は立ち尽くしたまま、哀しげな瞳で少女の小さな背中をじっと見つめた。風が強くなり、少女はそれっきりまた黙り込んだ。
「鬼子ちゃん……僕は」
やがて少年が険しい顔をして、訥々と語り始めた。
「僕は今日まで、たくさんの村や町を見てきた。今も『妖怪狩り』に『人間狩り』は完全には終わっちゃいない。僕らの撒いた火種が、世界中で燻り続けてる」
「…………」
「出来ることなら、僕にも君たちと一緒に『旅』を……『償い』をさせて欲しい」
「…………」
「もう二度とこんなことの無いように……。まだこの世界の片隅で、”助けて“を言えない人や物の怪たちを……僕の出来る範囲で、精一杯助けていきたいんだ」
少年が、少女にそっと手を差し出した。少女はまだ、朝靄がかった海をじっと眺めていたが、やがてゆっくりと立ち上がり、少年の方を振り返った。
「鬼子ちゃん……!」
「桃太郎、さん」
少女の目が赤く染まっているのを見て、少年はその顔を強張らせた。少女はその眼差しで、少年の目をじっと見つめた。
「お
「…………」
「お
「……ただ」
また風が、一段と強く吹き荒れ始めた。少年は少女から目を逸らさずに答えた。
「『”娘“をよろしく頼む』って、一言……」
「………っ!!」
それから少女はしばらく、少年の胸に顔を埋めて泣いた。
少年は、少女の泣き声が誰にも聞こえないように、しっかりとその腕で抱きしめた。
◻︎◻︎◻︎
(オイ。本当に大丈夫なのかよ? あんな奴に任せて……)
(だって……あんな顔で言われちゃあ、さ……)
二人のいる崖を、少し離れた茂みの中からこっそり見守る二つの影があった。鬼美とかっぱえびであった。二匹は桃太郎と鬼子の様子を見守りながら、コソコソと耳打ちし合った。
(本当にアイツを連れてくつもりかよ。アイツは俺たちの仲間を斬り殺した、張本人なんだぞ?)
(う〜ん……だからこそ余計に、目を離しとくのは危ないし。それに、アイツがああなった“本”を正せばだなァ)
(まーたその話か。もういいよ、“本”を正すのは)
(まァいいんじゃねーの? 人間だし、イザって時の非常食にはなるだろ。それに、人間を恨んだところで、死んでった爺ちゃんたちが生き返る訳でもないしさ……)
(そうか……)
(それより、問題は鬼子が何て言うかだよ)
鬼美が表情を曇らせた。
(鬼子がダメって言うなら、そりゃダメだ。こんなこと言いたくないけど……正直あたしだって、今の鬼子になんて声かけていいか、分かんないんだよ……)
(はぁあ……。こんなオーゴトになるなら、大人しく『竜宮城』にでも行ってのんびりしてりゃ良かったぜ……)
かっぱえびが大きくため息を零した。鬼美は、少し驚いたようにかっぱえびを見つめた。
(え? えびお、『竜宮城』の行き方知ってんの?)
(ん? あぁ。ホラ一応、おいらも水ン中の物の怪だし……)
(ホントかよ!? じゃあここ出たら、次はそこ行ってみようかな。
(あぁ。あそこは奇麗なところだし、気分転換には良いかもな。飯も美味いし。だけどあそこもまた、“浦島家“と亀ヶ島の“亀子”が、ずっと海戦してっからなァ。道中大変だろうけど、まぁ頑張れよ)
(何行ってんだよ。えびおも一緒に行くんだよ)
(え!? おいらも!?)
(当たり前だろうが。シッ! 鬼子たちが来たぞ……)
桃太郎と鬼子の足音を聞いて、二匹は慌てて茂みの中に隠れた。
恐る恐る顔を覗かせた二匹の元に、しばらくして、手を繋いだ一人の少年と一匹の少女がゆっくりと崖の向こうから歩いてきた。
それから少年少女たちは、太陽が昇るその前に、静かに海へと旅立った。雲一つない、綺麗な三日月の見える朝だった。彼らが果たしてどこへ向かったのか、辿り着いたその地でどうなったのか……それはまた、別のおはなしで。
ひとまず桃を巡るおはなしは、これで、おしまい。
桃太郎許すまじ 〜おばあさんに拾われなかった桃〜 てこ/ひかり @light317
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