第28話 Help!
今にも崩れ落ちそうな岩場の合間を、鬼子は必死で駆け抜けた。
自分の身長の二倍三倍はあろうかと言う大きな
「はぁ……はぁ……っ!」
もしかしたらもう、埋もれてしまったのかも……。
そんな邪念を振り払い、彼女は地下迷宮を奔走した。烏天狗の体を借りて、普段は持ち上げられもしないような、重い岩石を何とか押しのけ。ようやく彼女は、半分に
「お
鬼子は叫んだ。もちろん返事はない。収監されていた物の怪たちは、先の戦いで粗方地上へと送り込まれていて、檻の中に残っていたのはほんのわずかだった。鬼子は首を切り離し、鉄格子の間にねじ込んで、暗がりの中へと転がり込んだ。
「お
肝心の豪鬼の胴体は、右から三番目の檻の中にいた。
土と砂で半分埋もれてしまった豪鬼の胴体を、鬼子は髪を振り乱して、何とか掘り出そうと必死にもがいた。ようやく首の付け根が見え始め、彼女はそっと豪鬼の胴体に己の首をくっつけた。
「んん……っ!」
渾身の力を込めて、地層のように降り積もった土砂を這い出して行く。いくら体を交換したからと言って、命令を出す頭の方に、てんで運動神経が備わっていないのだ。全く知識もなく
「はぁ、はぁ、はぁ……っ!」
そんな彼女の頭を、豪鬼の胴体は両手で持ち上げ、そっと地面に下ろした。鬼子の乱れた髪を、豪鬼が無骨な手で優しく撫で付けた。
「お
目にうっすらと涙を浮かべる鬼子の瞼を、豪鬼は掌でそっと閉じさせた。
「お願い。死なないで……」
もちろん返事はない。それから鬼子は、疲れ果てたのか、そのまま深い深い眠りへと落ちていった……。
□□□
「ぐっ……!」
「立て。もう一度だ」
またしても
「強くなれ、若人よ。国を護れるほどに。民を傷つけぬように。それが、桃から生まれた我らの宿命で……」
突然ボコォンッ!! と大きな音がして、そこで帝の演説は途絶えた。
「何だ……!?」
死角からの攻撃に、さすがの帝も膝を落とした。帝の足元から生えてきた真っ赤な手が、彼のふくらはぎを掴み、地面に引きずりこまんと力を込めた。ひび割れた地面から覗く血塗られた胴体を見て、帝が呻いた。
「貴様は……!」
地の底から現れたのは、豪鬼の胴体であった。
「チッ! 邪魔が入ったか……」
体勢を崩されながらも、帝は何とか両手で踏ん張り、這い寄ってくる豪鬼を足蹴にした。だが豪鬼の方も、掴んだ腕だけは何があっても離すまいと、皮膚の表面に太い血管を浮かび上がらせた。
「桃太郎ッ!」
なかなか振りほどけない鬼の手に、帝がイライラと叫んだ。
「稽古は中止じゃ! 下らん横槍が入った。助太刀せい! 剣をこちらに!」
突然の出来事に呆気に取られていた桃太郎は、その一言で我に返った。彼は地面に転がった草薙剣を見、それからもう一度、倒れ込む帝に目をやった。
「どうした!? はよ、余に神器を……」
桃太郎は急いで神器を拾い上げた。それから帝に草薙剣を投げ渡す……ことはせず、同じく地面に転がっていた豪鬼の首を掴み、穴へと放り投げた。
「なッ!?」
帝は一瞬、不意を取られたように口をポカンと開け、空中で弧を描く首を見上げていた。豪鬼の首はそのまま帝の足元をゴロゴロと転がって、やがて真っ赤な胴体へとくっついた。
「も……桃太郎ッ!? 貴様ァアッ!」
「よお」
とうとう首と胴体が繋がった赤鬼が、動転する帝の足元で唇をニヤリと釣り上げた。
「また会ったな。桃太郎さんよぉ……」
「裏切ったなッ!? 人間を裏切り、物の怪と……鬼などとッ!!」
「まぁテメーは、俺のことなんか知らねえと思うが……」
「くっ……!?」
首を取り戻した豪鬼の腕力は、先ほどとは比べ物にならないほど膨れ上がっていくようだった。帝は神器を諦め、一転、体を捻り攻撃に転じた。確かにその動きは素早かった。尋常ならざる帝の掌底が、豪鬼の胸を突き破り、そのまま心臓を握り潰さんと爪を突き立てた。
だが豪鬼もまた素早く、それを避けなかった。
空いた手で、向かってくる帝の首をめがけて、同じように爪を突き立てた。
「うぐぁッ……!?」
「俺は……テメーが……」
豪鬼の心臓が握り潰されるのと、帝の顔が握り潰されるのは、ほぼ同時であった。
帝が目を見開いた。豪鬼もまた額に脂汗を滲ませながら、真っ赤に充血した目を見開いた。
「テメーが百年前殺しそびれた……鬼の、子供だよ……!!」
「…………ッ!!」
それから一人と一匹は、窪んだ穴の中で重なるようにして倒れこみ、やがてどちらも動かなくなった。
「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……っ!!」
しばらく風の音だけが、静寂の中で踊った。桃太郎は、震える体を神器で支え、恐る恐る穴の中を覗き込んだ。窪んだ穴の中には、真っ赤な血が池のように溜まり、そこに二つ分の四肢が絡み合って転がっていた。
「なぜ……」
「う……!?」
穴の底から、覗き込む桃太郎に声をかけたのは、帝であった。頭を半分潰されながらも、なお語りかけてくる帝に、桃太郎は息を詰まらせた。
「なぜだ……? 最後の最後で……鬼に、味方など……」
「……分かりません」
血の池に顔半分を浸からせた帝が、残った右目で桃太郎を見上げた。桃太郎はゆっくりと首を横に振った。
「ただ僕は……貴方より
「…………」
「……最後の最後で、迷って、戸惑って……。天子様の言う
「…………」
「強者である貴方には、一生、分からない理屈かもしれないけれど……」
「桃太郎よ……断言するぞ」
薄れ行く目の光の中で、帝が最後の力を振り絞って声を震わせた。その目は、桃太郎を怒っているのか、哀れんでいるのか、彼にはまだ判断がつかなかった。
「いつか、その
「……貴方にも、見せてあげたかった。互いに殺し合うばかりでなく、手を取り合う国の姿を」
「……フン。やはりどれだけ体が大きかろうと、まだまだ心は……青いまま、か……」
最後に帝は桃太郎を見上げ、呆れたように笑った。それからゆっくりと、帝の首は、真っ赤な池の中に沈んでいった。
「オイ。
「……!」
次に底から話しかけてきたのは、豪鬼だった。こちらも心臓を潰されてなお、最後の力を振り絞るその姿に、桃太郎はゴクリと唾を飲み込んだ。池の中で豪鬼が声を震わせた。
「……俺の、『後継』がよぉ。娘が……」
「…………」
「……鬼子って言うんだ」
「鬼子……」
「……あの子の、面倒を見てやってくれ。お前に任せた」
「……なぜ?」
鬼からの突然のお願いに、桃太郎は首をひねった。
「僕は、人間ですよ? あの子の敵です。どうして初対面の僕に、そんなことを……」
「あの子も、お前と同じだ。桃から生まれた」
「! それって……」
「鬼子を頼んだぞ。桃太郎」
それから桃太郎が見守る前で、ボロボロになった豪鬼の体も、徐々に池の奥へと沈み始めた。
「娘を、助けてやってくれよ。じゃないと、地獄の底から這い出して来るからな」
最後に豪鬼は桃太郎を見上げ、ニッと笑った。
「もし娘を泣かせたら……桃太郎。俺はお前を……許さねえ、ぞ……」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます