第27話 Stairway To Heaven

「ぎゃああああああっ!?」

「ちッ……そこォどきやがれ! この河童が!」

「ひぃぃいっ!? だ、だだだ、誰がどくかァッ!!」


 怒鳴り声を上げて刀を振り回す猿田彦に、かっぱえびが泣き叫んだ。猿田彦がニヤリと笑った。

「オイオイ。協力するってンなら、お前の命だけは見逃してやってもいいんだぜェ……!?」

「うおおおおおッ!? こんなに信用できない言葉は、聞いたことがねェえッ!!」

 ギラリと光る刀剣と銃を前に、かっぱえびは薄い桃色の水に姿を変えたまま、ブルブルと水面からだを震わせた。かっぱえびは今、我愛無ガーナの口全体を水になった体ですっぽりと覆っていた。自らが水の盾となり、フランを追って体内に入ろうとする猿田彦を、必死に押し返しているのだった。


「オラァッ!」

 猿田彦は口から入るのを諦め、我愛無ガーナの首元に勢いよく剣を突き立てた。だが、怪物の体からはほんの少し血しぶきが上がるだけで、みるみるうちに傷口が塞がって行く。悪意に満ち満ちた猿田彦の狂刃では、他に突破口を開くどころか、我愛無ガーナを活性化させるだけに過ぎなかった。


「巫山戯やがって……! そこどけ! さっさと心臓を渡しやがれ!!」

 ドォンッ!! と衝撃音を轟かせ、猿田彦が怒りに任せてかっぱえびに向けて発砲した。さらに持っていた剣で闇雲に水面みなもを切り続けるも、桃色の水はゆらゆらと波打つだけで、撃ち抜かれも切り裂かれもしなかった。無理やり通ろうとすると水圧で押し戻され、その手に掴もうにも水は指の間をするりと流れ。どうにもならない状況に、猿田彦はギリギリと歯軋りを繰り返した。


「だ……だはははは! これぞ・『みずになるの術』!」

「ンだとォ……!?」

「学習能力無いんか、このお猿さんはよォ! 水が、切れるわけねえだろ!」 

 どうやら自分に危害は及ばないと分かると、途端に元気を取り戻すかっぱえびだったが、

「だったらあの、小鬼どもだ」

「うっ……!」

 猿田彦が踵を返したのを見て、再び息を詰まらせた。

 フランと心臓を諦め、鬼娘たちを追って駆け出して行く猿田彦を見つめ、かっぱえびは祈るように声を震わせた。


「頼むぞォ……。二匹とも、上手く逃げ延びてくれよ……!」


□□□


「うっ……!」

「オイオイ、頼むぞ。まだこれくらいで死らんでくれよ」


 帝が穏やかな笑みを携え、地面に跪く桃太郎を見下ろした。その脇には、桃太郎の右手から零れ落ちた草薙剣くさなぎのつるぎが転がっている。桃太郎は、今しがた起きたことが信じられない、と言った顔で相手を見上げた。


「神器を取れ、桃太郎。で諦めるなど、まだまだ英雄とは程遠いぞ」

「……こんなこと聞くのもなんですが」

 帝が厳かに声を張り上げた。桃太郎は思わず苦笑いを浮かべた。帝は今、何一つ武器を持っていない。こっちは神器とやらで、さっきから何度も何度も切りつけている。それなのに、鋼のような帝の肉体には、ほんの少しの切り傷ですら与えられなかった。


「あなた本当に、人間ですか?」

「人間じゃよ。ただ、桃から生まれた……それだけの」

 帝が不敵に笑った。桃太郎は再び草薙剣を手に取り、つま先にウンと力を込めて一直線に帝に向かって突進した。だが切っ先が帝に触れるや否や、またしても剣はそこで止まり、微動だにしなくなった。驚きに目を見開く桃太郎の前で、帝は汗一つ掻くことなく、ふわっと右手を掲げた。すると、その『風圧』でたちまち桃太郎の体はぐるんッ!! とひっくり返り、為す術もなく頭から地面に叩き落とされた。


「ぐぁあッ……!?」

「全く、拍子抜けじゃ」

 帝が肩をすくめた。

「あれほど迷いなかったお主の怒りは、一体どこへ消えた? 最後の最後で有象無象物の怪なんぞに気を取られ、戸惑うなどと……。まだまだお主の心は若く、弱い。では、国は護れんぞ」

 

 その『圧』で、桃太郎は今日初めて、敵対する相手に言い知れない恐怖を覚えた。てんで相手になっていない。遥か彼方の高みから……我が子の成長を見守る親鳥のように、文字通り赤子の手を捻られている。その実力差は、歴然であった。帝は嬉しそうに桃太郎を手招きした。


「さぁ来い! 物の怪どもを斬り殺した時の怒りを、我愛無ガーナから皆を守るために奮った勇気を、もう一度余に見せてみろ!!」

「……望むところだ!!」


 桃太郎は雄叫びを上げ、再び剣を握りしめ、勢い良く帝に向かって突進して行った。


□□□


「待ちやがれェ!! この餓鬼どもォ!!」

「きゃあああっ!?」


 死体の山の間を縫うように、鬼子が親友の首を抱え、右に左に逃げ惑った。だが、元々運動神経など無いに等しい鬼子は、あっという間にゼエゼエと息を切らし、

「ガハハハハ!! 鬼の首、討ち取ったりィイ!!」

 背後に迫った猿田彦の刀で、いとも簡単に首を斬り飛ばされた。


「大変……!」

 ぽーん! と空中に投げ出された鬼子の首は、そのままそばにあった死体の山へと突っ込んだ。頭部を失った彼女の体は、ふらふらと二、三歩よろめいた後……抱きしめていた親友の首を、そっと千切れた部分に当てがった。


「ふぅ……!」

「はぁ!?」

 すると鬼子の胴体にくっついた鬼美の首が、『ようやく体が手に入った』とばかりに一息ついた。さすがに猿田彦も、その様子にぽかんと口を開けて立ち尽くした。


「何だそりゃ!? そんなことも出来ンのかよ! お前ら、化け物か!?」

「やっと気づいたか」


 鬼美が、猿田彦に背を向けたままぐるりと首を真後ろに回転させ、『ベー』っと黄色い舌を突き出した。

「だから首を取ったくらいじゃ死なないって、何度も何度も言ってるだろうが!」

「クソがぁッ!!」

「おっと」

 猿田彦は怒りに任せて銃を撃ちまくり、鬼美はひょいと体を捻らせて狂弾を避けた。鬼美はそのまま軽やかな足取りで山の上まで登ると、青筋を浮かべる猿田彦を見下ろして、ニヤニヤと笑った。


「ふ、くくく……あたしは鬼子よりは、もうちょっとだぜ」

「”首をすげ替える”たぁ……こいつぁますます、生かしちゃおけねェ!」

「追いついて見やがれ! こちとら何年、やってると思ってんだ!」

 

 山の向こうへと姿を消す鬼美を追って、猿田彦が歯を剥き出しにして走り出した。


(行っちゃった……)

 それからしばらくして、鬼子は彼らがいなくなったのを見計らって、いそいそと死体の山から這い出てきた。その首から下には、先ほど桃太郎に屠られた、烏天狗の胴体がくっ付いていた。

(ごめんなさい……ちょっとだけ、借りるね)


 鬼子はなれない胴体を必死に動かし、羽を広げ、父親を探しに地面にできた大きな穴の中と飛んで行った。 


□□□


「チッ。行き止まりか……」

 

 死体の山でできた迷路を辿り、闘技場リングの壁のところまでやって来たところで、猿田彦は立ち止まった。確かにこっちへ、鬼が逃げ込んだような気がしたのだが……。


(まだこのどこかに、隠れてやがんのか……)

 壁際にまで、打ち寄せる波のように積み上がった物の怪たちの死体を一瞥し、猿田彦は静かに唸った。彼はわざとらしくボリボリと頭を掻き、引き返すフリをして、周囲に異変が無いか目を凝らした。するとほんの一瞬、死体の山の端で、こっそりと猿田彦こちらを覗く影が蠢いた。

「ガハハ! そこかぁ!」

「……!」

 右斜め前の山の麓。すぐ近くだった。慌てて山の奥に逃げ込もうとする鬼娘の肩をひっ掴んで、猿田彦は豪快に笑った。

「どんなに逃げ足が速かろうが、行き止まりじゃ意味ねェなあ。 えぇ? オイ……」

 猿田彦が逃げようと暴れる小鬼を羽交い締めにしようとして……不意に笑顔を引っ込めた。

「何だ……?」


 彼が掴んだのは、鬼子の体だった。

 その桃色の、小さな体には、首から上が付いていなかった。


「体だけ……首は?」

 猿田彦が戸惑った声を上げると、途端に彼を囲んでいた死体の山が一気に燃え出した。


「何だぁ!?」

「こっちだ!」

 すると、突如燃え盛り始めた死体の山の上で、首だけになった鬼美が叫んだ。彼女は今、自分の首を妖怪・輪入道の車輪の部分に嵌め込み、火の車と化していた。


「オイオイ……体を囮にして……」

「そのまま焼かれっちまえ!」

「……そんなんで、策を練ったつもりなのかよ。えぇ、オイ!!」

 輪入道の姿を見た猿田彦が、我慢できなくなったかのように吹き出した。さらに勢いを増して行く怪火の中で、猿田彦はしかし、歯を剥き出しにして不敵に嗤った。


「教えてやろうか? 何故ワシが、元はただの人間でありながら……」

「何だ……!?」

 猿田彦はそう言うと、死体の山の中に手を突っ込み、そこから千切れた妖怪の足を取り出した。

「……もう百年近く、こうして生きながらえているのか!」

「お、おい!?」

 鬼美が見ている前で、猿田彦は大きく口を開け足に喰らいついた。


「マジかよ……」

「ガ……ハハハ! 喰ってるんだよ、妖怪の血肉をなぁ!」

「オエェッ!?」

 屍肉を貪るその光景に、思わず吐きそうになる鬼美を前にして、猿田彦は勝ち誇ったように嗤った。

「犬神の言う『共存』だとか、あの鳥の『利用』、あるいは帝が目指した『滅殺』……どれもこれも、生温いんじゃ! 物の怪どもはワシらの『養分』!! 一生『奴隷』として、こき使ってやるけえのぉ!!」

「いやいや、それ死体だぞ……!?」

 ようやく落ち着きを取り戻した鬼美が、ゴクリと唾を飲み込んだ。

「お前本当に、人間かよ?」

「ガハハハハ!! もはやワシを、ただの人間と思うな! 炎に焼かれたくらいじゃ、ワシは殺せんぞ!!」

「……あぁ、そう。で、誰がアンタを殺すって言った?」

「何……?」

 猿田彦の眉がピクリと動き、揺らめく陽炎の向こうで、鬼美が静かに笑った。


「今度は何だ……?」

 両手を広げ勝ち誇っていた猿田彦が、ようやく異変に気がついて辺りを見渡した。

 燃え盛る死体の山々……その遺体の一つ一つが、今ゆっくりと起き上がり始めていた。


「何だァッ!? 何が起こってる……!?」

「『葬い』だよ」

 猿田彦を見下ろして、火車になった鬼美がボソリと呟いた。


「あの世に逝っちまった魂は、『葬い』をしなきゃならねえって。島で青鬼の爺ちゃんが死んだ時、あたしのおっとうが言ってた」

が……お前ら、離せッ!! 離せって言ってるだろうが!!」

 怪火に焼かれた死体たちが、ゆらゆらと猿田彦に群がって来た。猿田彦が怒鳴り声を上げ、縋り付く死体を振り払おうともがいた。しかしそこら中に積み重なった死体は、次から次へと、途切れることなく彼に押し寄せて来た。


「やめ……!? 餓鬼が、テメーら舐めやがって!! オイッ……!?」

「それが、生きてるモンの務めだって。死んだ物の怪たちは、最後に炎で弔われて、歩いてんだ」

「ンだと……!? ど、どこに!?」

「さぁ……」

 猿田彦は、ゾロゾロと歩き出した大量の『死者の行列』に巻き込まれ、今や顔だけしか見えないほど埋もれてしまっていた。彼が完全に死体に飲み込まれてしまう前に、鬼美は猿田彦と目が合った。鬼美は少し遠い目をして、崩れ行く山の上で、ゆっくりと白い煙を吐き出した。


「ヒィィ……ッ!? ま、待ってくれ! 助け……」

「……すぐに分かるだろ。生きたままその中を、永遠に彷徨ってろ。この猿が」

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