第26話 Smoke On The Water

「う……おい!」


 桃太郎が、我愛無ガーナの体からゆっくりと降りて来るのを指差して、かっぱえびが慌てて後ずさりした。

「桃太郎、さん……!」

「桃子……いや、鬼子、ちゃん」


 桃太郎が抑揚のない声で静かに呟いた。暗くて表情はよく読めない。ジリジリと距離を詰めてくる桃太郎に、鬼子はゴクリと唾を飲み込んだ。桃太郎と鬼子は、しばらくその場で黙ったまま見つめ合った。


「良くやった、桃太郎よ」

「猿田彦総司令官……!」

 すると、そうしているうちに彼の後ろから声が飛んで来て、桃太郎は急いで直立不動の姿勢を取った。やって来たのは、陸軍総司令官である猿田彦と、それから……。


「それに……天子様まで!」

 桃太郎が目を丸くした。本来闘技場リングになど降りてくるはずもない帝が、猿田彦の横に並んで、自分に労いの言葉までかけてくれている。桃太郎はあっという間にしどろもどろになった。

「素晴らしい見世物じゃった。まさか我愛無ガーナまで自力で倒してしまうとは」

「そ、そんな……あの、勿体なきお言葉……!」

「誰だ、あのオッさん?」

 かっぱえびが間抜けな顔をして鬼子にそう尋ねたが、猿田彦に銃口を向けられ、慌てて黙り込んだ。鬼子もまた、口を閉ざしたままだった。彼女の目は猿田彦も、帝も見てはいなかった。ただ、猿田彦の毛むくじゃらの右手に握られた、見覚えのある顔をじっと見ていた。


「コイツも持って来たんだが、どうやら無用の長物だったようだな! ガハハ!!」

「お父っちゃん!!」

 鬼子が泣き叫んだ。猿田彦は豪快に笑い、持っていた豪鬼の首をポイっと投げ捨てた。鬼子は青ざめた顔をして、慌てて父親の首に駆け寄った。

「お父っちゃん! お父っちゃあん!!」

 豪鬼の首は、まだ辛うじて息はあるものの、その両目は閉じられ大分弱っているようだった。急いで胴体とくっつけなければ……鬼子が重たい首を抱え、よろめきながら走り出そうとしたその時、彼女の前に大きな影が覆い被さった。


「おおっと……まだ話は終わっちゃいねえぞ」

「ひっ……!?」

 鬼子の目の前に立ち塞がった猿田彦が、歯茎を剥き出しにして笑った。帝は三匹の妖怪、そして我愛無の心臓をチラリと見ると、腰から剣を抜き取り、桃太郎に差し出した。


「これは……?」

「お主の手柄じゃ、若人よ」

 困り顔をして立ち尽くす桃太郎に、帝が顔を綻ばせた。

「これは天叢雲あめのむらくものつるぎ草薙剣くさなぎのつるぎとも呼ばれる、三種の神器の一つじゃ。百年前、桃太郎が鬼退治に使った、我が国に伝わる伝説の刀!」

「どうしてこれを……」

「この剣で物の怪そいつらを葬り……お主がこの国の新たなる英雄となれ、桃太郎!」

「……!」

 桃太郎は帝から剣を受け取り、小さく目を見開いた。彼の目に戸惑いの色が浮かんでいるのとは対照的に、帝は肩の荷が下りたように晴れ晴れとした顔で頷いた。


「神器はこうして時を越え、受け継がれて行く。受け継いだ英雄が、新たな統治者となる。それがこの国の習わしじゃった。お主はその剣とともに、この国を支え、護り、引っ張っていくのじゃ」

「じゃあ、あなたは……」

「フフ……そうじゃよ。百年前鬼を退治した桃太郎とは、余のことじゃ」

 帝が懐かしそうに笑った。


「お主もそうなのじゃろうが、どうにも余は桃から生まれたが故、通常の人とは体の頑丈さも命の長さも違うらしい。やれやれ。おかげでここまで長生きしてしもうたわい」

 帝が腰に手をやり、嬉しそうに声を張り上げた。

「お主が桃から生まれたと余にそう言った時……フフフ。まぁた法螺吹きが現れたと思うたが、なんの、自分で証明してみせたな! 化け物を倒し、民衆を魔の手から救って見せた。今夜、伝説を作った。お主こそが英雄じゃ!」

「僕……僕は」

 だが桃太郎は、手渡された神器を真剣な眼差しで見つめたまま、表情を崩さなかった。


「どうした? 伝説の勇者よ。はよ、殺せ」

「…………」

「英雄になりたくないのか?」

「……なりたいですよ。そりゃ、子供の頃からずっと憧れで、”選ばれてみたい”って思ってました。だから軍に入り、鬼退治にも志願したんだ。でも……」

 桃太郎は唇を噛み、言い淀んだ。


「でも……僕は村で、あの子鬼に助けられたんです」

 桃太郎が鬼子を振り返って、小さく呟いた。


「村で烏天狗に襲われた時……あの鬼娘が僕らを突き飛ばして助けてくれた」

「フム。それで?」

「自分を助けてくれたモノを、平気で殺すのが英雄ですか?」

 桃太郎が今にも泣き出しそうな顔で、苦しそうに言葉を絞り出した。帝が吹き出した。


「当たり前だ。英雄じゃよ。たとえ一宿の恩を受けたとしても、敵には変わりあるまい」

「分からない……。僕にはもう、誰が敵で、誰が味方なのか……」

「若人よ。騙されるでない。しっかりと今の戦況を、お主の未来を見極めろ。鬼はお主の心のに付け入り、その首を取らんと隙を窺っておるだけじゃ」

「僕は……」

 カラン……と音がして、桃太郎が剣を取り落とした。


「僕はが強さだってんなら、もう強くなんてなりたくありません!」

「やれやれ……とんだ見込み違いだったようじゃ」

 帝がとうとう笑顔を引っ込めた。


「やはり身体がどれほど大きく育っていようと……心はまだまだ未熟。今のままのお主に、日本を任せる訳には行かぬ。猿田彦!」

「へい」

 名前を呼ばれた猿田彦が、鬼子の前に立ち塞がったまま首だけぐるりと振り返った。帝が不機嫌そうに鼻を鳴らした。


「お主は、その有象無象物の怪を殺せ。余はこの小僧に、ちとお灸を据えて上げねばならぬ」

「……殺さないように、頼ンますよ。せっかく久しぶりに見つかった後継者桃太郎なんだから」

 言葉とは裏腹に、猿田彦は嬉しそうに声を上ずらせた。



「……という訳だ。悪ぃがこの国のために、みんな仲良く死んじゃくれねェか」

 猿田彦がもう一度ぐるりと鬼子の方に顔を戻し、下卑た笑い声を上げた。鬼子は、ガクガクと震える足で何とかその場に踏み止まり、噛み付くように叫んだ。

「いや!! 鬼子、お、おおお父っちゃんを、助けなきゃいけないんだから!」

「ゲェッヘッヘェ! そうかい。だったら力尽くで通ってみなァ!」

「鬼子ォーッ!」

 すると、瓦礫の山の向こうから、ゴロゴロと黄色い蹴鞠のようなものが転がって来た。

「鬼子、大丈夫か!?」

「鬼美ちゃん!」 

 黄色い蹴鞠は鬼子の足元で止まると、心配したように鬼子を見上げた。やって来たのは、鬼美の首だった。鬼子はたちまち顔をぱあっと明るくさせた。


「鬼美ちゃん! 無事だったんだね、良かった……!」

「鬼子、後だ! ここまで来たら、もう腹くくるしかねぇぞ! お前が来たいって言い出したんだからな!」

「うん……!!」

「オイ、あんた!」

 鬼美の首がフランの方を振り返った。我愛無ガーナの心臓に寄り添っていたフランが、ビクッと体を震わせた。


「あんたは急いで、そのデカブツの心臓を持って体ン中に逃げろ! そんで、あたしの体を探してくれ! まだ胃袋ンところを泳いでるはずだ……」

「わ、分かったわ」

 フランが急いで立ち上がり、心臓を我愛無ガーナの口の中に転がし始めた。

「それから鬼子はあたしと、豪鬼さんの胴体を探そう。豪鬼さんが元に戻れば、こいつらなんか目じゃねえ」

「うん……分かった!」

 鬼子は力強く頷いた。やっぱり鬼美ちゃんは頼りになる。彼女の声を聞いているだけで、鬼子はいくらでも元気が湧いて来るのを感じた。


「それで……」

 猿田彦が暗闇に姿シルエットを溶かし、ゆっくりと鬼子たちに銃口を向けた。


「それを黙って、俺が見ているとでも?」

「気ィ抜くなよ、鬼子」

 鬼美が猿田彦を睨み上げ、牙を剥き出しにして唸った。


「まだ、何も終わっちゃいねえからな。あたしたちで力を合わせて……何とかここを切り抜けるんだ。なぁ、!」

「え!?」

 その向こうで、水たまりに姿を変え、こっそりと闘技場リングを後にしようとしていたかっぱえびに、その場にいた全員の視線が集まった。かっぱえびは、ゆっくりと水から元の姿に戻りながら、悲しそうに呟いた。


「え……あぁ、うん……。はぃ……そうですよね……」

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