第25話 We Are The Champions

「チッ……あの小僧ガキ、メチャクチャしやがるぜ」


 瓦礫の山の中から、象二頭分ほどの大きさのコンクリートを押しのけて、猿田彦が顔を覗かせた。彼の後ろには、帝が険しい顔をして座り込んでいた。

「大丈夫ですかい? 天子様」

「フム……よもやこの会場を壊すとはの。我愛無ガーナめ、今日はよっぽどの”悪意”を腹に溜め込んでいると見える」

 帝は煙たそうに咳き込みながら、服に被さった大量の埃を払い落とした。帝の周りには、身を挺して瓦礫から主君を守った黒子や女たちが、岩に潰されて苦しそうに喘いでいた。


「く……苦しい……ッ」

「助けて……天子様……」

「豪鬼を呼べ」

 足元の呻き声を無視して、帝が猿田彦に告げた。猿田彦は驚いたように目を丸くした。


「良いんですかい? あのは……」

「構わん」

 帝は横たわる黒子の上に腰掛け、愛用の煙管キセルを咥え、ふうーっと白い煙を吐き出した。今や会場はほどんど原型を留めていなかった。機械仕掛けだった床は衝撃に絶えきれず抜け落ち、中央が落とし穴のように陥没している。辺り一面から黒煙と火柱が立ち昇り、悲鳴と絶叫が交差するそこは、今や地獄絵図と化していた。


「”悪意”には、”悪意”をぶつけようぞ。これほどの大立ち回り、見逃すなんて勿体ないじゃろう」

「しかし……」

「心配するな。万が一のことがあろうとも……」

 地獄の入り口に腰を掛け、帝が不敵な笑みを浮かべた。


「……この現世うつしよで、余に敵う者はおらん」


□□□


「グオオオオオオオオオオオッ!!」


 我愛無ガーナの咆哮が空気をビリビリと揺らし、動く度に地面が水のように波打った。その顔に、目に、鼻に口に牙に耳に腕に手に脚に爪に、桃太郎が怒涛の連撃を叩き込んで行く。

 観客たちは、今や逃げるのも忘れ、固唾を飲んでその様子を見上げていた。怪物が再生するよりも先に、目にも留まらぬ速さで剣を振るう少年のその姿は……まるで地獄に仏、あるいは戦場に咲いた花、はたまた鎮魂のための御神楽みかぐらか……もはや単なる剣技を超えた、神々しさすら放っていた。


「行けーッ!!」

「負けるな、小僧ーッ!!」

 やがて観客たちは、自然と桃太郎を応援し始めた。

「がんばって、お兄ちゃあん!」

「化け物を、ぶっ倒せぇッ!!」

 声援はそこで途切れる。遥か上空を漂っていた我愛無ガーナの尻尾が、割れた地面めがけて勢いよく振り下ろされた。紙一重のところでそれを交わした桃太郎が、すぐさま愛刀を振るい、巨大な尻尾を輪切りにした。一瞬間を置いて、観客から拍手が巻き起こった。


「……聞こえるか、この声援が」

「グオオオオオオオオオオオオオッ!!」

 薄暗くなってきた空に向かって雄叫びを上げる怪物を、桃太郎は静かに見上げ、ゆっくりと顔の前に刀を掲げた。


「これが、僕にあって君にないもの……」

 ひい、ふう、みい……合計九つに”再生”した尻尾が再び桃太郎めがけて振り下ろされた時、彼はすでに駆け出していた。我愛無ガーナの体に器用に足をかけ、桃太郎が猿のように上へ上へと昇って行く。やがて銀色に光る刃の切っ先が、一筋の光になって怪物の額を貫いた。

「うおおおおおおおおッ!!」

「グオオオオオオオオオオオッ!!」

 気がつくと、桃太郎も叫び声を上げていた。ミシミシと軋んだ音を立て、刀にヒビが入って行く。桃太郎が渾身の力を込めて刀を我愛無ガーナの中に押し込んだ。

「……これが人間の底力ッ! ”正義”の勝利だッ!!」

 パキン!

 と、小さく刀身が折れる音がした。


 途端に頭部から銀色の光が溢れ出して、我愛無ガーナの全身を包み込んで行く。怪物は最期に大きく空に向かって吠え……やがて糸が切れた人形のように、派手な音を立てて地面に倒れ込んだ。たちまち空を真っ黒にしてしまうほどの煙が舞い上がり、すでに半壊していた会場は、我愛無ガーナの重みで粉々に砕け散った。


□□□


「はぁ……はぁ……!」

 

 どれほどの時間が経っただろうか。すでに陽は沈みかけ、橙色に光る夕日と、深い青に染まった星空が、人の手の届かぬ遥か彼方で複雑に混じり合っていた。逢魔時おうまがときと呼ばれるそのときに、ついに動きを止めた化け物の頭の上で、桃太郎がゆっくりと立ち上がった。息を切らし、玉のような汗と返り血を全身から垂れ流し、使い果たした力で膝がガクガクと震えていようとも……彼の表情は、歓喜に打ち震えていた。

「思い知ったか、怪物め……っ!」

 それもそのはず、桃太郎は未だ誰も成し遂げていなかった、”怪物退治”をやってのけたのだ。

 桃太郎と我愛無ガーナ

 最後の最後に立っていたのは、人間の、まだ幼さを残す一人の少年であった。桃太郎が勝利の雄叫びを上げ、拳を天高く突き上げた。その拳に応えるように、崩壊した瓦礫のあちこちから、爆発するような歓声が湧き上がった。


「いいぞーッ!」

「良くやった!!」

「よっ! 日本一っ!!」

「ありがとう! 桃太郎さん、ありがとう!!」


 歓声は渦のように広がって、やがて悲鳴やら叫び声やらを飲み込んでいった。その場にいる全員が、怪物の上に立った少年を感謝と尊敬の眼差しで見つめ、英雄として褒め称えていた。

 鳴り止まない賞賛の中で、桃太郎は拳を掲げたまま息を整え、晴れ晴れとした顔で我愛無ガーナを見下ろした。彼は見開かれた怪物の目を覗き込み、嬉しそうに声を震わせた。


「僕の……人間の”善意”が、届いた……。”悪意”に、勝ったんだ。誰も勝てなかった化け物を、とうとう僕が殺した……」

「違うよ」


 すると、桃太郎のすぐ近くで、聞き覚えのある少女の声が聞こえてきた。桃太郎の笑顔が微妙に凍りついた。


「誰だ……?」

 桃太郎が拳を掲げたまま、辺りを見渡した。怪物の周りには、瓦礫に埋もれた観客たちが、未だに彼に拍手を送っているだけだった。

「善悪に、勝ち負けなんか無いよ……。この子は、心臓を抜かれたから、一時的に動かなくなったの。ただそれだけ。鬼とか物の怪は、心臓が弱いのが多いから……」

「一体どこに……!?」

 少女のくぐもった声が、徐々に桃太郎に近づいてきた。桃太郎は声のする方に目を凝らした。すると、夕闇の中、我愛無ガーナの口から巨大な心臓が突如「ぼこん」と音を立てて飛び出してきた。さらに心臓に続いて、怪物の口の中から二匹の小さな影が這い出してきた。


「君は……!」

 桃太郎は目を見開いた。現れたのは、見覚えのある少女……ついこの間、妖怪に襲われていたところを保護したはずの少女だった。雷模様の『布』に身を包んだ少女は、我愛無ガーナの上で立ち尽くす桃太郎を見上げて、申し訳なさそうに呟いた。


「……何もそこまですること、ないと思ったの」

「なんだって?」

「ったく、”河童使い”が荒いぜ」

 すると少女の隣にいた桃色の河童が、ブツブツと吐き捨てた。


「逃げりゃあ良かったのによ。オイラが血管の中を泳いで、心臓まで連れてったんだぜ? 。信じられるか?」

「さっきから一体何を言って……」

「ガーナ!!」

 桃太郎が戸惑いを隠せずにいると、今度は頭に蛇を生やした少女が、どこからともなく怪物の死体に駆け寄ってきて、動かなくなったその大きな顔にしがみ付いた。


「ガーナ! お願い、返事をして! ガーナ! あぁ、そんな……!」

「大丈夫……大丈夫よ」

 鬼子がそんな蛇少女を見下ろして、優しくほほ笑みかけた。


「この子の心臓は、まだ動いてる。助かるよ」

「本当……?」

「ケッ。”この子”ってガラかよ」

 かっぱえびが倒れた我愛無ガーナの巨体を見上げて、悪態をついた。

桃子おうこちゃん……」

 桃太郎が、三匹を見下ろして顔を歪ませた。

「君は……君たちは、物の怪の仲間だったのか……!」

 鬼子はそんな桃太郎を真っ直ぐ見据えて、静かに、しかし力強く語りかけた。

「桃太郎、さん」

「……?」

「あなたが”化け物”と呼ぶモノにだって、その”化け物”を大切に想っている、物の怪なかまがいるのよ」 

「な? だから、オイラ言っただろ」

 鬼子のすぐ脇で、かっぱえびが「やれやれ」と言った様子で肩をすくめた。


「コイツは”お鬼よし”を通り越して、バカなんだって。こんだけデッカくなっちゃった化け物、退治した方が世の為だって、そりゃ誰だってそう思うよ。人間の為にも、物の怪の為にも。だけどそれをしないのが、鬼子バカ鬼子バカたる所以なんだなァ」

「ちょっと、かっぱえびさん!」

「助かるのね……? ガーナ、あぁ良かった……」

 蛇少女が、ようやく安堵の表情を浮かべた。


「桃……いや、鬼子ちゃん……」

 そんな中、桃太郎はまだ拳を掲げたまま、呆然と三匹を見下ろしていた。

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