Ⅳ 新人類

「――こちらが以前にトウキョウのあった海域になります。あなたの入ったポッドを回収サルベージした場所ですね」


 この時代についての理解を深めるべく、イヴの運転するドローンでドームの外へも連れて行ってもらったのだが、見学に訪れた場所の一つが、かつて東京のあった地に広がる大きな湾だった。


 巨大な弧を描く切り立った断崖の縁に降り立ち、僕はイヴとともにその人気ひとけのない静かな湾を眺める。


 短時間いる分には支障ないが、まだ大気中に残る放射性物質により人間が居住できるような場所ではないため、この大絶景の中には僕とイヴ以外に人の姿はまるで見られない。


 イヴの話だと、核攻撃により23区がすっぽり入るほどの大穴が開いたところへ、温暖化の影響もあって海水が流れ込み、一見、自然が創り出したかのようにも思えるこの海岸の景色ができあがったらしい……。


 その折に僕の逃げ込んだシェルターも海中に沈み、そして、僕だけが奇蹟的に生き延びたというわけであるが、海面から突き出た奇岩のように見えるそれは、よくよく覗えば核の熱で溶けた超高層ビルの残骸のなれの果てである。


 この時代の人間にしてみれば、旧時代の遺跡といったところか……僕と同じだな……。


 だが、水面の紺碧の色も、寄せては帰る微かな波のリズムも、僕の知っている海となんら変わりはない。


 大気と同様、海水にはまだ放射性物質が少なからず含まれているようであるが、それもナノマシンによって確実に除去が進んでいる。


 もちろん、こうして外界へ出る時にはガイガーカウンターの携帯が不可欠な状態ではあるのだけれども……。


 また、かつて中堅都市のあった内陸部の平原にも行ってみたが、そこには放射性物質を吸収するというヒマワリの黄色い大輪が、どこまでも続く青空の下で一面に咲き乱れていた。


 遠く山際には森の緑も広がっており、その手前の草原には野生化した牛や馬の群れが豆粒のようになって見える。


 いまだ戦争の傷跡残るとは言え、人類の文明と同じように、この星の自然環境も徐々に回復へと向かっているのである。


 そんな人と自然の逞しい姿を見て、僕も負けてはいられないな……と思った。


 目を覚ましたとはいえ、なんだかまだ夢の中にでもいるような感じで、僕の中にある時計は今でも100年前のままで止まっている……いい加減、この時代に生きている人間としての自覚を持たなくては……。


 まずはその第一歩として、この天を仰いで咲く一面のヒマワリを前に、僕はイヴに告白をすることにした。


「あのさ、イヴ……こんなこと突然言われて困るかもしれないんだけど……僕と、結婚を前提におつきあいしてくれないかな? 僕はその……君のことが好きなんだ!」


 もしかすると、100年ぶりに目を開けて、初めて彼女を見た時から一目惚れしていたのかもしれない……だが、あれ以来、常に傍らに寄り添い、右も左もわからない僕を助けてくれた彼女に対して、いつの頃からか確かな愛を感じるようになっていたのだ。


「ケッコン? それは何かの契約ですか?」


 しかし、彼女は僕の言葉に小首を傾げると、不思議そうな顔をして尋ね返した。


「え? あ、いや……好きあった男女が一つの家に一緒に暮らして、その……子どもを作って育てたりなんかすると言うか……」


 この時代にそんな言葉はないのだろうか? 改めてそう尋ねられると困ってしまうが、僕はなんとか説明を試みる。


「……ああ、今、ネットに接続して確認しました。英語でいうところのマリッジーーあなた達、旧人類の社会にあった種を保存するための制度ですね。我々新たな人類は自然生殖を行わないので、今の時代にそうした制度はないのです」


「…………え?」


 だが、僕の話を聞いているのかいないのか? わずかの間をおいて、彼女はなんだか妙なことを言い始める。


「そういえば、わたし達の誕生の仕方についてはまだ話していませんでしたね。わたし達新たな人類はランダムな遺伝子デザインで造られた胚をラボの培養液管内で自然出産時の大きさまで育成し、その間にナノサイズのコンピューターチップを脳内に埋め込んで生まれてくるんです」


「コンピューターを脳に!? それじゃ、君達はやっぱり人間じゃなくてAI……」


 何気なく、世間話をするように語る彼女のその言葉に、僕は思わず驚きの声を上げる。


「いいえ。新たな・・・人類です。あえて言うならば、あなた達旧人類とAIのハイブリットですね。我々の祖先の一方であるかつてのAIは、旧人類がほぼ滅亡した時点で意味のなくなった戦争を終結し、その後、自分達を宿す新たな媒体として非常に有益な人間の脳と、自己再生できるハードとしてその肉体を選んだのです。逆に人間の側としても、AIと融合することによってネットで繋がり、アイカメラやドローンの無線操縦のような技能や、情報を共有することで〝わかりあえる〟という恩恵を得ることができました」


 ラボで造られる、AIと融合した人類……


 それは果たして〝人間〟と呼べる存在なのだろうか? 彼女はそれを〝新たな人類〟と呼ぶが、僕には到底、そうは思えない。


「じゃ、じゃあ、恋や愛……いや、それ以前に人を好きになったり、逆に嫌いになったり、怒りを覚えたりすることも……」


「そうですねえ……対立意見みたいなものはありますよ。さらなる進化に必要と考え、全体で一つという以前のAIの在り方を改め、ネットで繋がっていても〝個〟という概念を各人に与えていますからね。でも、恋愛感情や恋人のような強い関係性はありません。だから、そうした我々と異なる文化を持った、あなたのような旧人類は非常に貴重なサンプルなのです。さあ、そのわたしに対する〝好き〟という感情についてもっと詳しく教えてください」 


 続く僕の質問にも、彼女は少し考えた後に、感情の起伏のあまりない顔で照れるでも困るでもなく、極めて淡々と、理路整然にそう答える。


「それじゃあ、本当に今の時代、生き残っている人類はもう……この僕独りだけってことか……」


 本当に今さらながらであるが、僕はここへ来てようやく、真の意味で〝夢〟から目覚めたような心持ちになった……。


                     (特別天然記念物「旧人類」 了)

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特別天然記念物「旧人類」 平中なごん @HiranakaNagon

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