#9 キューティクルの守護者

「散々な目に遭いましたわ……」

「私としたことが、すみません……。湯に濡れた濃茶の髪を思うと、ああせっかくの髪が傷んでしまう、どうにかしなければと居ても立ってもいられなくなってしまい……」

「髪よりも、私の体調を心配してくださいまし……」


 大浴場の外、脱衣所のベンチにふたり腰掛け、大型扇風機の風を受ける。

 ヘッドバッドの直後、たまたま居合わせた女生徒に回収された幸来と二階堂は、火照った身体を冷ますべくベンチに横になっていた。ようやく湯冷めも落ちついたところで、ふたり並んで涼んでいるのが現在の状況である。


「そう言えば、先ほどの生徒さんからお手紙を受け取りましたよ」

「世話代でも請求されるんじゃありませんわよね……?」


 「これです」と二階堂から手渡された手紙には、『纐纈幸来さんへ』と記されていた。どうやら、幸来に宛てられたものだ。当然、幸来は名乗っていないし名乗れるような状況ではない。

 救出してくれた生徒の顔は顔見知りなのだろう。あるいは一方的に顔を知られているか。いずれにせよ、よい報告であるとは考えにくい。


「開けてみてはいかがですか? 私は髪を乾かしてまいりますので」


 言い置いて、二階堂は脱衣所奥の化粧直しスペースへ向かった。姿が見えなくなったのを確認して、幸来は手紙の封を切る。


「なんですの、これは。? 脱出ゲームか何か……?」


 幸来が受け取った手紙には、メモ書きが一枚だけ入っている。それ以外のものは何もない。目を皿にして封筒の中身や文言・筆致を確認するも、手掛かりらしい手掛かりは見当たらなかった。

 ならば、と考え方を変える。幸来に手紙を渡すときに、名乗る必要がない者は誰か。こんな妙な指示書を送って、幸来に調査を依頼してくる者は。


「――あ!」

「あら、なにか頼まれごとですか?」

「も、もう髪を乾かし終えたのです?」

「いえ、せっかくお友達になったのですから纐纈さんの髪を――」


 一瞬、二階堂の顔面偏差値が下がったが、すうっと深呼吸してなんとか持ち直す。


「――乾かしてさしあげようと思いまして。お手紙を読みながらでも、髪は乾かせますもの」

「け、結構ですわ。自然乾燥派ですので!」

「それはいけません! 美しい濃茶が損なわれてしまいます! この二階堂榛那の目が黒いうちは、纐纈さんの髪の毛が纏ったキューティクルの一本たりとも破壊はさせません!」


 テコでも動かぬとはこのことだろう。二階堂は幸来の手を取って洗面スペースへ直行し、ドライヤーのスイッチを入れた。温風と二階堂の指が幸来の頭をくすぐる。くやしいが気持ちいい。


「気持ちいいですか、纐纈さん?」

「ま、まあまあですわね……」

「私はとても気持ちよいです! はあ! バージンヘア特有の手触りにしなやかさ! 私の指をすり抜ける様などはまさに……そう、愛撫! 愛撫です! これは私の指と纐纈さんの髪の毛の実質セ――」

「に、二階堂先輩!?」


 さっきは耐えたのに結局二階堂の顔面は崩壊した。

 周囲の女子生徒達の視線が突き刺さる。お願いだからこちらを見ないでほしい。そして二階堂榛那×纐纈幸来のなかよし妄想を脳内で繰り広げないでほしい。後生だから。


「……声が大きいですわ、皆さんに聞かれてしまいます」

「ああ、これは失礼いたしました! たしかに公衆の面前で髪の毛に耽るのは問題がありました!」

「いやそちらではなく! ていうかどういう倫理観していますの!?」


 結局、鼻歌交じりに公開羞恥ブローの時間は終わった。二階堂の好みのままに椿油、ヘアオイルを馴染ませられた幸来の髪は、普段よりも恐ろしくまとまり、さらさらと揺れる。


「……よし。いい仕事ができました」

「それはよかったですわ。では私はこの辺で……」

「お待ちになって」


 立ち去ろうとしたが、そうは問屋が、いや二階堂が卸さない。


「先のお手紙には何とあったのですか? 私、恋文を見るのは初めてで!」

「そ、そんなものではありませんわ! 少々謎めいてはおりましたが」

「謎……? 秘めたる恋は謎が多いということでしょうか……?」


 うんうん唸り始めた二階堂を放置してどこかへ逃げたかった。だが、洗面スペースに落ちた自身の髪の毛を見下ろしてため息をつく。

 放っておくとこの魑魅魍魎、何をしでかすか分からない。


「……いえ。おそらくは新聞部の先輩から、七不思議の調査を頼まれまして」

「あら、纐纈さんは新聞部でしたの? ですが、濃茶の髪にインクの香りは付着していませんでしたが……」

「それは……」


 ――お前のことを知り尽くして、金輪際近づかれないよう完璧なる対策をするためだ。

 とは当然言えるはずもなく、幸来はどうにかこうにかごまかす方法を探した。連想ゲームの要領だ。

 七不思議と言えばオカルト、オカルトと言えば幽霊、幽霊と言えば心霊写真、心霊写真と言えば――


「……そうですわ、写真」

「写真?」

「じ、実は私、なにを隠そう写真部ですの! 新聞部から提供された七不思議のルポをまとめて、面白おかしくまとめてほしいそうで!」

「まあ、楽しそうですね! とても有意義な活動だと思います!」


 二階堂は手をパンと叩いて、ころころと微笑んだ。

 彼女は髪の毛さえ絡んでいなければとにかく物腰の柔らかい美女なのだ。言葉にウソ偽りがないだろうことは想像に難くない。くわえて褒められるとなんとなく気持ちがよい。


「それで、どのような七不思議を?」

「お待ちください、ええと……」


 興味津々といった様子の二階堂に急かされ、幸来はメモを開いた。

 《次の指示に従え》の下に視線が移る。そこに書いてあったのは――


「《ノリカスペシャル》? なんですのこれは……?」

「謎ですねえ……」

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いずれ菖蒲か杜若 パラダイス農家 @paradice_nouka

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