#8 顔面偏差値70

 桜花寮に住まう女生徒達が、日々の汗と疲れを流す憩いの場――大浴場。

 もうもうと立ち上る湯気の中に今日一日の気疲れを吐き出して、纐纈幸来は湯船に身を委ねた。


「はあああああああああああああ~~~~~……」


 湯が幸来の緊張をほぐしていく。肩腰のコリや足のむくみ、そして凛とクールに引き締まった表情筋すらも弛緩させる。

 結果、クール系美女幸来の顔面はへろへろになった。クールビューティーどこ吹く風である。


「お気に召しましたか、纐纈さん」

「さいこ~……」


 不意の質問に、気の抜けた返答を返してしまった。こんなものがクールであるものか、と緩みきった表情筋を引き締めて、幸来は隣にやってきた二階堂の横顔に視線をやる。


「思わず最高なんて漏らしてしまう気持ちも分かりますよ」


 二階堂は長い黒髪を結い上げていた。黒々とした髪に覆われて伺い知ることのなかった耳や輪郭、首筋のラインがはっきりと浮き上がっている。首筋から続く肩、背骨は湯船の中だというのに姿勢良く伸ばされ、弓なりに反った胸元の膨らみを強調している。

 直感した。二階堂榛那は救いようのない奇行さえなければ美人なのだ。

 それも幸来が目指している、クールビューティーに限りなく近い。


「え、ええ。そうですわね……」


 負けじと幸来も背筋を伸ばすが、少なくともサイズにおいては敵わないし、カタチにおいても勝ち目はないだろう。

 それより以前に、黒髪を結わえて湯船に浸かるという光景そのものがになりすぎて、幸来は心の中で密やかにシャッターを押してしまう。


「あの、二階堂先輩は――」


 流れる沈黙がどこか申し訳なくて、二階堂に尋ねかける。肝心の糸口が見つからず、幸来の口は名前を呼んで止まる。

 居心地が悪かった。

 もちろん周りでは、他の女生徒達の黄色い声が反響している。ともに湯に浸かっていたり、身体を洗い合っていたり。あるいはそそくさと物陰に隠れる者達があったり。

 彼女らのぶりを盗み見るのも悪いと目を逸らし、湯船の中に視線を落とす。

 二階堂榛那のような大人びたクールビューティーにはほど遠い、まだあどけない自身のシルエットが湯の中でゆらゆらと触れていた。


「……ズルい」

「どうかなさいましたか、纐纈さん」

「なんでもありませんわ」

「そうですか。急に「ズルい」などと仰るので、少し驚いてしまいましたよ」


 ふふ、と高すぎる顔面偏差値を保ったまま二階堂は微笑んでみせる。その余裕ぶりが――幸来ばかり心をモヤつかせていることに自分自身苛立って、それを抑えるべく瞳を閉じた。


「纐纈さん、お伺いしてもよろしいですか?」

「……なんですの?」


 小さく透き通った二階堂の前置きに言葉を返す。瞼に浮かぶ祖父との思い出のスライドショーが、湯浴みをする二階堂の美しい素肌に差し替えられる。


「纐纈さんはどうして、私を避けないんですか?」

「どうしてって……」


 瞼を開けて、傍らの二階堂を見る。顔面崩壊した妖怪髪舐めの姿ではない。画になる美しさに嫉妬してしまうほどの、凛と構えた顔面偏差値70超えの美女だ。


「避けようにもついてくるではありませんか」

「ですが、振り払う機会は何度もあったはずですよ?」

「曲がりなりにも先輩ですもの。無碍になんてできませんわよ」

「ご迷惑ですか?」

「いえその……」


 迷惑千万だとは思っていても言えない。二階堂のしおらしい姿を見せられては、毒づく気も失せるというものだ。しかも仮に毒づこうものなら、確実に幸来の方が悪者になってしまう。


「……迷惑ではありませんわ。多少、奇抜な方だとは思いますけれど」


 本心を押し込め、人当たりのよい大人の女を演じた。

 これぞクールビューティー、纐纈幸来が纐纈幸来たる証明だ。


「では、私と纐纈さんはお友達ということでよろしいですか!?」

「は、はい……?」


 ――いや待て、どういうロジックだ!

 本心をどうにかクールビューティー言語に翻訳して――どう伝えればクールビューティーっぽいセリフになるか考えている間に、二階堂はざばあと湯を切って立ち上がる。

 お湯も滴るいい女。驚異的なまでに女性的なボディラインを見せつけられ、またしても嫉妬の炎が幸来の心に灯る。

 が、突如事件が起こった。

 立ち上がった二階堂に両肩を掴まれ、湯船の壁にドンと背を押しつけられる。


「に、二階堂先輩……?」

「ふふ、ふふふ……」


 幸来の視界は、立ち上がった二階堂のシルエットに覆われた。

 突然の事態だ。あまりに気が動転して、本当にどうでもいい景色が瞼に焼き付く。例えば、あれだけ毛に執着する二階堂でもというような――


「失礼しました、気持ちを抑えきれなくてつい壁ドンを……」

「か、壁ドンってこういうものでしたっけ……!?」

「だって美しい髪を持つ濃茶の君、纐纈さんがお友達になってくださるのですもの……! ガマンができるなどとお思いですか……?」


 ハッ、として恐る恐る視線を上に――二階堂の表情を伺う。

 顔面偏差値は――


「お友達ということは……髪を撫でても触っても嗅いでも舐めても味わっても食べてもお守り袋に入れて後生大事に持ち歩いても許される関係……美しい濃茶の髪の毛を好きな時に好きなだけ堪能してもよい関係……!」

「ひ、ひぅ!? ひっ、ひぃっ!?」


 ――顔面偏差値3。

 恐るべき魑魅魍魎が姿を現した。逃げられない。


「あはぁ…………っ! 髪の毛の食べ放題……! バイキング! サブスクリプションッ! これからはお友達として纐纈さんの髪を美しくプロデュースできるのですね!?」

「いひいいいいいいいっ!?」


 幸来は思わず身体を揺らして激しく抵抗した。勢い余ってヘドバン気味に前のめりになった途端――


「うぐぁ!」


 ――二階堂の鳩尾にヘッドバッドをかます。そのままふたり揃って湯船に沈み、桜花寮大浴場に女二名の背中が浮かんだ。

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