08. 意外と悪くない

 只の高校生なら引き下がろうとも、これで終わりじゃ勇者とは言えねえよな。

 面倒臭いけど。

 とっとと帰れと言わんばかりの背中へ、俺は声を張り上げた。


「すみません! 差し出がましいようですが、話はアリサちゃんから聞きました」


 少女は母親の手を引っ張り、俺へと向き直させる。

 ありがたい、ナイスアシストだ。


「……夫のこと?」

「はい。仲直りはされるんですよね?」

「…………」


 母親の表情が、一気に般若の面へと変化へんげする。

 プライベートなことに口出しするなと、サラマンダーさながらに猛る母。

 口から吐くのは炎ではなく、唾だったが。


 何とか宥めすかし、彼女の考えを聞き出した。


 ――夫とは、これを機会に別居するつもりである。離婚も視野に入れている。アリサはお父さん子だけど、私を選んでくれたのは嬉しい。


 早口でまくし立てられて、俺はともかく、アリサの顔がぐにゃりと歪んだ。

 不穏な空気を感じ取った少女は、また泣きそうな面持ちで俺と母を見比べる。

 少女が何を訴えたいのかは、口に出さずとも理解できた。

 もう少しだけ、翻意を狙って粘ってみるか。


「一体何が原因なんですか? いや、赤の他人に話すようなことじゃないでしょうけど……」

「そうね。でもまあ、単純な話よ。性格の不一致ね」

「性格の、ですか」


 ソース! とアリサが叫ぶ。

 一体何のことかと思ったら、目玉焼きに何をかけるか、だった。


 娘が次々と例を挙げるせいで、母親も渋々説明してくれる。

 父はソース派、母は醤油派。父はカラオケ好きで、母は騒がしいのが嫌い。

 鼻のかみ方、笑いのツボ、音楽の趣味。どれも些細なことで、馬鹿らしくなる。


 オークに襲われた村を、こいつらにも見せてやりたいよ。

 俺が感想をそのまま口に出すと、母親は今一度ヒートアップした。


「そうよ、つまらないことでしょうよ。あなたも結婚したら分かるわ。そのつまらないことが、積もり積もるってのが」

「でも、そこはお互いが譲り合ってですね」

「譲り続けたわよ! もう我慢の限界なの!」

「おっ。もう一回」


 勝ったな。勇者をナメるなよ。


「何よ、もう我慢の限界・・だって――」

お前らいい加減にしろリミットブレイクっ!」


 憑き物が落ちたように、母の顔から険が消える。

 さあ、母親は黙った。

 後は効果範囲が問題なんだけど……。

 彼女のスマホが、着信を伝えて鳴動した。


「あなた……。ええ、うん。アリサなら一緒よ、すぐ帰るわ。……私こそ、ごめんなさい」


 これで丸く収まっただろ。

 アリサに親指を立ててやると、意味を理解したのか、少女も同じ仕草を返した。

 笑顔でね。


 用事は済んだと、俺は二人に背を向ける。

 歩み去ろうとするのを、母親が呼び止めた。


「車で送っていきます。私たちも帰るから」

「そりゃ助かります。夕飯に遅れたら、叱られるから」


 時刻は夕方、日暮れも近い。帰りが遅くなると、また俺の両親がオロオロするだろう。

 懸念を伝えると、アリサの母が代わりに家へ連絡を入れてくれた。


 その後、母親はガレージから軽自動車を出して俺たちの前に停める。

 散らかった後部席へ、俺とアリサはいそいそと乗り込んだ。


「花火はマンションの屋上から見ましょ。楽しみにしてたもんね」

「はなび! お兄ちゃんもいっしょがいい」

「え、そこはほら、家族水入らずで……」


 すっかり菩薩化した母が、アルカイックに俺へ微笑む。

 屋上は見晴らしがいいから、俺も是非どうぞ、と。

 夕食のあと迎えに行くからと押し切られ、今夜の予定が決まってしまった。


「それも悪くないか。久しぶりの花火も」

「やった! しゅっぱつしんこー!」


 ご機嫌な少女を横目に、俺は運転席へ急ぐようにお願いする。

 通勤時間と重なり、道行く車が多い。下手をしたら渋滞で立ち往生だ。

 母親より先に、横のアリサが得意げに返事した。


「アリサもおぼえたよ」

「何を?」

「まほう。りみっと、ぶれーくっ」

「ああ、なるほど」


 勇者の力で、道を空けてやればいいわけか。

 本家本元の魔法を、俺はアリサを見ながら唱えてやった。


信号規制解除リミットブレイク!」


 見通せる限りの信号機が、瞬く間に色を揃えていく。

 これで家までオールグリーン、十分後には美味い飯にありつけるだろう。


 意外と便利かもなあ。

 アリサの鼻歌も聞けたし。


 少しだけ女神ババアに感謝しつつ、俺は短いドライブと街並みを楽しんだ。







ひとまずの了

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勇者も帰還したらタダの人……でもないな、これ。 高羽慧 @takabakei

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