07. 目覚め再び

 つめてえ。

 というか、息が出来な――。


 顔面に置かれた濡れハンカチを、必死の思いで剥がし取る。

 上体を起こすと、アリサが心配そうに顔を覗き込んできた。


「だいじょうぶ?」

「うん、ヤバかった。濡れた布をね、顔に被せるとね――」

「みて、イルカさん、なおったよ!」


 虹色のイルカを両手で握り、アリサは喜色満面で俺の鼻先に突き出した。

 ハンカチは、彼女が水呑場で濡らしてきてくれたようだ。

 熱が出たときの看病を真似したらしいけど、勇者は風邪を引かない。

 息は詰まる。


 しかし、また公園で目覚めるとは、既視感デジャヴの極みだね。

 向こうじゃ野宿が多かったせいで、妙に爽快に起きられるのが悲しい。


 ともかくも、直ったなら一件落着だ。

 打った後頭部をさすりつつ、息を整えるのに務めた。

 ハンカチを絞ってアリサへ返し、家まで送ってやろうと提案する。


「じっかにいく」

「ああ、そう言ってたな。どこだ? 道案内してくれよ」

「あるいては、いけない」

「は?」


 母親の実家は、佐雲さぐも市だと教えられる。隣町じゃねえか。

 バスで佐雲駅前の次、緑丘のバス停で降りた正面に家があるそうだ。


 アリサを独りで放り出すわけにもいかず、緑丘まで同行するしかない。

 こいつ、俺がいなかったら、どうやって実家・・へ行くつもりだったんだ。

 子供の浅はかさには、嘆息しか出ねえ。


 言われるがまま手を繋ぎ、俺はバス停のある大通りへ向かった。

 十年前でも、幼女連れの若い男は危険視された。そこは今も変わっていないだろう。

 むしろより不審に思われるようになったのか、しつこく視線を送ってくるオバサンもいた。オークっぽい感じの。


 出来るだけにこやかにしておこう。

 勇者スマイルで無害をアピールする。

 幼女趣味じゃありませんよー。女の子から手を握ってきたんですよー。


 この爽やかさを身に着けたおかげで、向こうじゃ結構モテたんだぜ。

 魔術師のとか、最後まで俺の横で……。

 やめとこ。また泣けてくる。


 バスの本数は多く、さほど待つこと無く佐雲行きがやって来る。

 だが、見るからに満員だ。

 ぎゅうぎゅう詰めの車内は暑苦しく、人々の息で窓ガラスが妙な曇り方をしていた。

 スピードを落とし、停留所の前を徐行するバスから、運転手の案内が流れてくる。


『本日、花火大会のため非常に混んでおります。申し訳ありませんが、次のバスに御乗車くだ――』

定員増加リミットブレイク!」


 皆まで言わせてたまるか、乗ろうと思えば乗れるんだよ。

 バスは停まり、乗車口が開いた。

 乗客たちが、決死の形相で二人分の隙間を空けてくれる。

 潰されて涙目の中年男たちには、少しだけ同情したけども。


 緑丘は、そこから十五分で到着した。

 前方の降り口まで行くのが大変だったが、なんとかミッションは完遂だ。


 アリサに引っ張られて、赤屋根の一軒家の前まで赴き、呼び鈴を鳴らす。

 祖母が顔を出し、アリサを認めると中にいた母と交替した。


 娘を置いて来てバツの悪い母と、未だ怒っているのかと不安を隠せない娘。

 今一歩、ぎこちない二人に割って入るようにして、俺はこれまでの経緯を説明する。

 怪訝な面持ちだった母親は、アリサからイルカを受け取ると一層のこと眉をしかめた。


「買い直した……んじゃないわね」

「おにいちゃんが、くっつけてくれた!」

「へえ……。さ、入るわよ。泥んこじゃない、ちゃんと手を洗いなさい」


 ガラス細工より、俺の顔へ遠慮無い視線が浴びせられる。

 このイルカが、どこまで大事な一品だったのやら。

 どっちにしろ、娘より大切とは思えないんだけどな。


 見知らぬ高校生と、長く話したくはないのだろう。俺だってそう思う。

 母親は娘の手を引いて、家の中へ戻ろうとした。

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