「おおーい おおーい」

夢月七海

「おおーい おおーい」


 初めての委員会の後、夕暮れで真っ赤になった町の中を、赤いランドセルの少女は急ぎ足で進んでいた。

 住宅街の緩やかな坂を下る途中、白線の外側にいると、


「おおーい おおーい」


 後ろから、そんな声が聞こえてきた。


 少女は振り返る。坂の頂上、暗闇が迫ってくる東側に、「それ」は仁王立ちしていた。

 電信柱くらいに背が高く、黒いクレヨンで塗り潰したような立体の影法師が、ゆっくりと異様に長い手足を揺らして向かってくる。


「おおーい おおーい」


 「それ」は、少女の方にそう声をかけてくる。

 少女は必死に走って坂を下りた。顔は引き攣り、息すらうまく吸えない。


 後ろを見て、まだ「それ」が歩いてくるのを確認した直後、少女は誰かとぶつかった。

 転びそうになったのを何とか持ちこたえて見上げると、中年の男性が不思議そうに彼女を見下ろしている。


「どうしたんだい?」

「……お化けが、お化けが、」


 少女はしどろもどろになりながら、背後を指差す。

 すると、男性はにっこりと笑った。


「怖かったね。おじさんのおうちへ逃げよう」


 少女のランドセルを背負った肩を掴み、彼はすぐ右にある、古い一軒家の門へと入っていく。

 庭を通り過ぎて引き戸の中へ少女を入れると、しっかりと施錠した。


「さあ、こっちへおいで」


 さらに男性は、少女の背中を押す。

 玄関から見て、すぐそばの部屋の中に入れた。


 ドアの真正面には窓がある。赤い夕陽が入ってくる以外は、コンクリートの壁が見えるだけだ。

 男性が部屋の鍵も閉めたので、少女は不安になり、彼の方を向いた。


「あの……」

「もう大丈夫だよ」


 振り返った男性は、満面の笑みでそう言った。

 しかし、彼の笑顔が凍り付き、静かに恐怖の表情へと移り変わる。視線は、窓の方向だった。


 少女は振り返る。

 窓を覗き込むように、風船のような形の真っ黒な顔がそこにあった。


「ひっ」


 悲鳴を上げようとした少女の目の前で、「それ」は窓を通り抜けて室内へと手を伸ばす。

 少女は恐ろしくなって、ぎゅっと目をつぶった。しかし、誰かから触れられたような感覚はない。


「――――!!!」


 背後で、言葉にならない悲鳴が響く。

 少女が目を開けると、黒くて長い手は少女の頭上を通り越し、この家の男性へと伸びていた。


 男性は、右手をあらぬ方向におられたまま、倒れていた。

 開いたままの目からは涙が、同じく開いたままの口からは泡が出ている。


 状況が呑み込めずに瞬きを繰り返す少女をよそに、黒い手は男性の上から離れ、窓の外へと戻っていく。

 その途中で、少女の頭を、掌が優しく撫でた。


「……お父さん?」


 少女は無意識に、自分が物心つく前に亡くなった者を呼んでいた。

 咄嗟に窓の外を見ても、そこには誰もいなくて、夕日が夜の帳を下ろしている途中だった。


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「おおーい おおーい」 夢月七海 @yumetuki-773

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