せめて太陽が沈むまで

水城たんぽぽ

せめて太陽が沈むまで

 ええか。

 おばあちゃんはな、お前にこのおまじないしか、もう残してやれんのや。


 もしお前がな、自分より大事な誰かと死に別れたとして。

 それでも一目でいいからもう一度会いたいと思えるならな。


 その時はばあちゃんが教えたおまじないを、一生に一度だけ。

 夕暮れ時に唱えるんや。


 がれ時言うてな、暮れ六つの時間には顔が見えへん神様がおる。

 本当にそれを願うなら、不憫に思った神様が、きっと願いを聞いてくれるでな。


***


 先に断っておくなら、本当に会えるだなんて思ってなかった。ただ子供の頃に聞いた話を思い出したから呟いただけだ。感傷に浸った人は、例え藁でも笑顔で縋るもんだろう?

 藁だと思って掴んだから、オレはそのおまじないに効果なんか期待しちゃいなかった。別れの挨拶みたいなもんだった。だから。


「ほんとに会えちゃったよ……」


 そう呟いた時のオレは涙ぐしゃぐしゃ、鼻水ずるずるの随分みっともない顔をしていたと思う。

 栗色の長い髪の毛に、柔らかそうな肌。色が覚えているのよりちょっぴり白いのは、まあ。死に別れた後なんてそりゃあそんなもんだろうなと思う。例えそれが直接見たんじゃなくっても、人伝いに聞いただけだとしても、あの子の頬がこういう時にどれくらい白くなるかはちょっぴり想像つくんだぜ。なにせオレは、世界で一番長くあの子の頬を見てきたんだから。


 そういやのんびり眺めているオレだけど、あの子はどうやら気付いていないみたいだ。後ろ向いてちゃそりゃそうだよな。もし本当に神様とやらがオレの願いを聞いてくれたんなら、せめて正面に立たせておくれよとちょっぴり不満だ。

 嘆いていても、不平を垂れてもあの子が振り返ってくれるわけじゃあない。仕方が無いからオレは、後ろからあの子の名前を呼んだ。


「おーい、リンちゃん」


 呼びかけた途端、あの子――リンちゃんはぴくんと肩を震わせた。そうそう、昔からオレが背中をちょんとつついてやると、同じように肩を震わせてたっけ。今って触れるのかな。やっぱりすり抜けちまうのかな。

 見た感じだと別に透けて向こうが見えるなんてことは無いから、もしかすると触れるのかもしれない。だけどオレは呼びかけるだけで我慢した。触れずにすり抜けちゃったら、さすがにオレとリンちゃんの仲だとしても怖いしさ。


「ユキ君? ユキ君なの?」

「そうそう、そうだよ。オレだよユキ」


 こういう、オレとばかり名乗るのってちょいと昔に流行ったんだっけ。悪い奴に。でもあれは直接顔を見ずに言うんだもんな、オレとリンちゃんは今顔がすぐ見れる距離と位置だし、まあいいか。

 振り返ったリンちゃんは目がくりっとしていて、やっぱり柔らかそうなすべすべの頬をしていて、ああ美人だなぁってオレは思うんだ。

 別に他の人と明確に比べたことは無いけれど、でもオレが知るどこの誰より美人はやっぱりリンちゃんだ。


 ところでリンちゃんは目に涙をいっぱい貯めていた。そっか、やっぱりリンちゃんも悲しいんだ。視線がオレをちゃんと捉えているし、会えなくて悲しいのはオレからだけじゃないんだと分かって胸の奥がくすぐったい。

 それが分かっただけでも、おまじないを唱えた甲斐があったってもんだ。とうの昔に天国に行ったばあちゃんには、感謝してもしきれないな。


 リンちゃんはオレの所へ駆け寄ってきて、そして。

 涙いっぱいの表情のまま、オレを優しく抱きしめた。

 ふわりと花の香りが心地いい。でもそれ以上に抱きしめられてる感触が心地いい。

 ああ死んでても触れるんだ良かった、なんて思うよりも心地良さでどうにかなっちゃいそうだ。


「ユキ君、本当にユキ君なのよね? ああよかった、またちゃんと会えたのね。嬉しいわ」

「お、オレもだよ。でもあの、ちょっとだけ離れようぜリンちゃん。オレだってこれでも男の端くれだ、こういうのは良くないよ」


 必死に冷静ぶってそんなことを言ってみたけど、どうもリンちゃんは感極まってて聞いてないみたいだ。何度か身をよじって、その肩を軽く叩いてようやく、リンちゃんは自分のやってることに気付いたらしい。慌てたように離れたリンちゃんの感触が、ちょっぴり名残惜し気にオレの肌に残ってた。


「ご、ごめんね、息苦しかったよね?」


 違うんだ。そうじゃあないんだリンちゃん。息苦しいわけあるもんか。できることならずっとあのままでいてほしかったけど、そうもいかないだけなんだ。オレ達男女だし、何よりこのおまじないは、そんなに長くは続かないらしいから。

 ばあちゃんに聞いた話じゃ、このおまじないが効くのははがれ時の間だけ。空が赤く染まって、太陽が完全に沈み切るまでの短い間だけ。


 死に別れた別れの挨拶も出来なかった相手と、せめて太陽が沈むまでの語らいを。粋なんだか、時間に正確が過ぎるんだか。顔のない神様とやらも随分と融通がきかないもんだ。

 境遇に同情してくれたっていうなら、もうちょっとばかり時間を伸ばしてくれたっていいんじゃないかい? まあいいさ。もう太陽は沈みかけてる。再会を喜ぶよりも、オレにはするべきことがある。お別れの挨拶だ。


「リンちゃん、オレたち火事に遭っただろう?」

「夜中に起きたら外が明るくて騒がしくて、とっても驚いたのよ。慌てて外へ逃げようとして、ユキ君がまだ逃げていないと思って探しに行って、それから後は、覚えてなくって」

「ああ。知ってるさ。俺はそうして探しに行くリンちゃんを離れたところから見て、慌てて家の中まで追っていったんだぜ。君が倒れてから、救助隊が助けに来たのはオレが案内したからなんだ。結局自分は逃げきれなかったけどさ」

「目が覚めたら病院のベッドの上で、お医者様には目を覚ましたことを奇跡だなんて言われて。なんであんな無茶したのってお母さんには怒られたわ」

「そりゃ怒るだろうさ。オレだって怒ったよ。なんだってあんな燃え盛ってる家に飛び込んでいくんだって」


 でも飛び込むときに叫んだ名前がオレのもので、じゃあオレを探しにあんな炎の塊の中に飛び込んでくれたんだってなったらさ、もうオレは怒れないよ。その結果オレが死んじゃっても、リンちゃんが無事ならそれでよかったって思えちゃうよ。


 死んですぐに状況は何となくわかってた。幽霊ってやつは案外その辺便利らしい。

 でもいくら便利だからって、まさかばあちゃんに教わったおまじないが、自分の方が死んだ側でも効き目があるとか思わないじゃないか、普通はさ。


 そんな話をしているうちに、太陽はじわじわとその姿を引っ込めている。もうそろそろ時間はないな。ええい、どうせ最後だ言っちまえ。


「リンちゃん! 聞いてくれ!」


 腹の底から力いっぱい吠える。犬でもこんなに力いっぱい吠えないよってくらいに。今までオレがこんなに声を大きくしたことないもんだから、リンちゃんもやっぱり驚いて目を見開いてた。


「ユキ君? どうしたの?」

「俺は! リンちゃんに会えて幸せだった! ばあちゃんや親や兄弟とも離れ離れになって、近所で喧嘩に負けてぼろぼろになってたオレを拾ってくれた! 飯をくれた! 居場所をくれた! きっと一生貰えないだろうなってあきらめてたものを、リンちゃんが全部くれた!」


 力いっぱい。声の限り。思いつく限りの言葉を全部。支離滅裂でもなんでもいい。

 このチャンスは一回だけだ。二度目は神様だってさすがにダメらしい。

 だったら。

 せめて太陽が沈むまで、オレはオレの胸の内にある暖かいものを、それをくれた暖かい人に投げ返す。


「ぼろぼろのオレを綺麗にしてくれた! 怯えるオレが何度引っ掻いても、怖くないよって笑顔で言ってくれた! 生まれて初めて暖かい部屋でふわふわの寝床をもらって、ぐっすり眠らせてくれた! 全部全部、君がオレを拾ってくれたからだ! 火事で死んじまったとしても、それだけは不幸だとしても!」


 四本の脚を地面にしっかり突き立てて、腹の底から息を吸って、リンちゃんが最初に「可愛い」って言ってくれた三角形の自慢の耳をピンと立てて。

 ユキって名前の由来になった真っ白な毛並みを、残り少ない夕日で光らせながら精一杯。


「オレの一生は君のおかげで救われた! 全部ひっくるめたらオレは、世界で一番幸せな一生を過ごした猫だった! 一生の最後に恩人の君を助けられたことを、オレは誇りに思うよ!」


 リンちゃんには、きっとオレの声は言葉になってないんだろう。にゃおうにゃおうと、昔リンちゃんが俺の声を真似した時に聞いたような、トンチンカンな鳴き声でしかないんだろう。

 それでも最後に、それを伝えられてよかったと。

 四角い窓越しに、完全に紺色になった空を見て、オレは満たされた気分で消えていったんだ。


***


 太陽が完全に沈み切った病院で、少女は病室の入口手前に立ち尽くしていた。


 ついさっきの光景は、夢だったのか、幻か。そんなことは少女にはどうでもよかった。

 ただ、半生をともにした白猫の姿と、最後の最後で向けられた鳴き声だけは、幻だったにしてははっきりと、鮮明にその心に刻み込まれていた。


 何を言っていたのか、それは彼女にはわからない。

 けれど、それはきっと悪い言葉ではなかったのだと、それだけは自信を持って言える。彼女が愛した白猫は、機嫌が良い時はいつだってその耳をピンと立ててにゃあと鳴くのだ。


「お別れの、挨拶だったんだよね」


 確証はないまま、彼女はそう呟いて華奢な自分の肩を抱く。

 火事に巻き込まれて酷い火傷を負った。


「ごめんね。でも私も、これからそっちに行くんだ」


 夕日はもう完全に沈んでいる。

 空気に融けていくように、その場から透けて消えてゆく途中で、少女は空を見上げて。


「もう一回、会えるといいな」


 そう呟いて、そこには誰もいなくなった。

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