第42話 クリスマスとお正月(2)
二十四日、クリスマスイブ当日。何だか体の芯が冷えるなぁと思っていたら、午後からチラチラと雪が舞いだした。
私はがらんとした店内から、降り積もる雪をじっと見つめた。
「お客さん、全然来ませんね」
「そうだね」
横にいた悠一さんが苦笑する。
一応店にはクリスマスツリーやリースを飾りクリスマスムードを演出しているのだけれど、お客さんの姿はない。
そりゃそうだ。クリスマスと言えばクリスマスケーキ。わざわざお餅やおはぎを買う人なんていないのだ。
最近は日が落ちるのが早く、外はもう真っ暗。窓の外では、プレゼントを抱え足早に過ぎるお父さんの姿が見えた。
「ちょっと早いけど、今日はもうお店閉めようか」
「はい」
悠一さんに言われ、入口の鍵を閉める。
店の電気を落とすと、暗くなった店内で、チカチカとクリスマスツリーが光った。
商店街のスピーカーからかすかに聞こえるジングルベル。ああ、クリスマスがやって来たなぁという感じがする。
元々、クリスマスなんてそんなに好きじゃなかった。大人になり、一人暮らしをはじめてからはなおさら。
友達も恋人もいない人にとって、クリスマスというのは、いつもよりずっと寂しい日だ。
だけど今日は、そんなに寂しくないのはなぜだろう。
横を見ると、悠一さんが笑いかけてきた。
「そうだ。ケーキでも買いに行こうか」
「そうしましょうか」
うきうきしたような悠一さんの顔。てっきりクリスマスには興味が無いものと思っていたのに。
「でも予約もしてないし、どこの洋菓子屋さんも混んでるかもね。自分たちで作った方がいいかな」
「そうですね。せっかくだし、自分たちで作りましょうか」
私と悠一さんはお店を閉めると、二人、近所のスーパーに買い物に出かけた。
スーパーは、夫婦や家族連れで溢れていて、みんなオードブルやチキン、ケーキを買っていく。
私たちは、夕ご飯の材料とスポンジの材料、それに果物や生クリームを買いこんだ。
「……少し買いすぎでしょうか」
「余ったら明日も食べればいいよ」
「いざとなったら大吉さんや秋葉くんにも分けましょう」
「二人は今ごろデートかな」
「かもしれませんね」
薄く積もった雪を踏みしめ部屋へと戻る。
「ケーキのスポンジが焼けましたよ」
オーブンから丸く焼けたスポンジケーキを取り出すと、生クリームを泡立てていた悠一さんが腕まくりをした。
「よし、じゃあ飾り付けをしていくか」
さすが菓子職人だけあって、悠一さんは実にセンス良く生クリームを絞りフルーツを飾り付けていく。
「果歩さんもやる?」
とイチゴのパックを渡されたものの、悠一さんの飾り付けがあまりに見事なので私は丁重にお断りした。
「いえ、悠一さんがやったほうが綺麗なので」
「そう? じゃあ全部やってしまうか」
悠一さんは、ケーキを回して色んな角度からフルーツを飾った。それだけじゃない。栗に、あんこに、白玉まで。
「それって」
私が目を丸くしていると、悠一さんは少し悪戯っぽく笑った。
「ふふ、バレた? ちょっとクリームあんみつ風のケーキにしようかと思って。実はスポンジにも黒蜜を練り込んであるんだ」
「そうだったんですね」
ケーキにあんみつなんて、と思ったけど、出来上がったケーキを見ると、フルーツやあんこ、白玉が宝石みたいに輝いていて、まるで手作りじゃなくてお店で売ってるケーキみたいだった。
「わぁ、美味しそう! 二人じゃ食べきれませんね」
「明日、秋葉と大吉兄さんのところにでも持っていこう」
「そうですね」
悠一さんがケーキとサラダの盛り付けをしている間に、私はメインディッシュの準備を始めた。
一品目は、スウェーデン風のグラタン。
耐熱皿にバターを塗り、炒めた玉ねぎとじゃがいも、アンチョビを乗せ、生クリームとパン粉をかける。後はオーブンで焼いて出来上がり。
昔、スウェーデンではクリスマスにこれを食べるのだと留学生の子から教えて貰ったのだ。
二品目は、トマトソースで煮込んだミートボール。バジルとニンニクをたっぷりと効かせるのがポイントだ。
「できた」
二人でサラダやミートボール、グラタンを盛り付けてシャンパンを開ける。
本当は私はあんまりお酒は飲まないんだけど、こういう時くらいはね。
シュワシュワと泡のはじける黄金色のシャンパンを見つめていると、何だか気分が上がってくる。
「悠一さん、メリークリスマス」
私は麻衣ちゃんと一緒に選んだ紺色のマフラーを悠一さんに渡した。
「これ僕に? ありがとう。そうだ、僕からも――」
正直なところ、全く期待していなかったんだけど、悠一さんからも、綺麗にラッピングされた包みを渡される。
「わぁ、ありがとうございます」
「クリスマスだからね。開けていいよ」
包みを開くとそこには、おはぎがデザインされた若草色のブックカバーと栞が入っていた。
「わぁ、可愛い」
「大したものじゃなくてごめんね。でも果歩さんにピッタリだと思って」
「いえ、嬉しいです。ありがとうございます」
私は若草色のブックカバーを抱きしめた。
なんて事ないクリスマスだけど、どんな高級ホテルやレストランより幸せだと、私は思ったのでした。
◇
「お雑煮できましたよ」
「ああ、ありがとう」
そして年は開け、今日は一月五日。お正月は働き詰めだったので、久しぶりの休日だ。
というのも大晦日もお正月も、近所の神社に屋台を出してお餅の販売をしていて休みがなかったのだ。
だからようやく一休みといったところなんだけど、いつもの習慣で、六時半には目が覚めてしまった。
というわけで、特に面白くもないテレビを見ながら二人で余ったお雑煮を食べていると、悠一さんが提案してきた。
「果歩さん、今日は何か予定はある?」
「いえ、特には」
「そう。じゃあ、一緒に初詣に行かない?」
いつもなら億劫だと思うかもしれないけれど、何せこの日は暇だったので、私は二つ返事で了承した。
「はい。行きましょうか」
二人で歩いてすぐの小さな神社へと向かう。三が日は過ぎたし、平日だからそんなに人はいないと思っていたけど、神社は意外と混みあっていて、お参りのための行列ができていた。
十分ほど待って、ようやく順番が回ってくる。
えーっと、二礼、二拍手、一礼だっけ。
私がモタモタしている間にも、悠一さんは隣で祈り始めていた。
私も慌ててお賽銭を投げ、手を合わせる。
でも何を祈ればいいんだろう。前もって何にも考えていなかったから、いざお参りとなると慌ててしまう。
とりあえず、お店が繁盛しますように。それから――
「終わったかな、じゃあ行こうか」
お祈りを終えて顔を上げると、悠一さんと目が合う。悠一さんもちょうどお祈りを済ませたところみたいだ。
「はい」
薄く雪の降り積もった石畳を歩く。
「悠一さん、お祈り長かったですね」
「そう?」
「はい。私より早くお祈りを始めたのに、終わるのが私より遅かったので」
「ああ」
悠一さんが恥ずかしそうに笑う。
「別に大したことじゃないよ。果歩さんと一緒に、末永く兎月堂をやっていけますようにって祈ってたんだ」
「そうなんですね」
チラチラと、白い雪が宙を舞う。
「果歩さんは?」
「私もだいたい同じような願いです。あの、商売繁盛的な」
そこまで言うと、悠一さんはハッと顔を上げた。
「商売繁盛で思い出したけど、お店に飾るお守り買おうと思ってたんだった。買ってきていい?」
「はい。じゃあ私、あそこでおみくじ引いてますね」
神社に来たら必ずおみくじを引くというのは私のちょっとした習慣だ。
おみくじって吉か小吉か凶しか引いたことないからあまり期待は出来ないんだけど、楽しいことには変わりない。
そう思いながら恐る恐るおみくじを開けると――なんと大吉だった。
何だかいい事づくめじゃない。
それにしても――
私は再びおみくじをチラリと見た。
『この人ならばよし。』
迷信だとしてもこれは信じたいところ。
「果歩さん」
頭の中に一人の顔が浮かびそうになった瞬間、後ろから肩を叩かれる。
「ひゃっ」
飛び上がって振り返ると、悠一さんがキョトンとした顔で立っていた。
「ごめんごめん。お守り買ってきたよ。おみくじ、どうだった?」
「あっ、はい。大吉でした!」
悠一さんにおみくじを見せると、悠一さんは嬉しそうに顔をほころばせる。
「すごいね。僕、大吉って初めて見たかも」
「私も初めてで、びっくりしました。悠一さんも引いてみますか?」
「いや、僕はいつも凶か大凶しか出ないから。大吉兄さんとか秋葉はいっつもくじ運いいんだけどね」
「大凶って、それ逆にレアじゃないですか?」
私が笑いながらおみくじを気に結ぼうとすると、悠一さんは慌てたように言う。
「あっ、おみくじの結果が良かった時は、結ばないでそのまま持って帰ったほうがいいみたいだよ」
「そうなんですね。じゃあ、財布に入れておきます」
私はおみくじを畳んで財布の中にしまった。これで御利益があるといいんだけどなぁ。
「でも大吉って、本当に良い事しか書いてないんだね。願い事、叶うって書いてあったね。凄いなぁ」
悠一さんの吐いた白い息が、薄青い空に溶けていく。
「叶えばいいんですけどね」
私は先ほど神様にお祈りしたことを、心の中でもう一度繰り返した。
あのお店で、悠一さんとずっとずっと一緒に働けますように。
「さ、行こうか。足元凍ってるから気をつけて」
悠一さんがゆっくりた振り返り、左手を差し出す。
その笑顔を見て、私は初めて会った時みたいに、
あ、満月みたいだ。
と思ったのだった。
あの時の直感は間違ってはいなかった。
どんな時も私を照らし、導いてくれる人。
「……はい、行きましょう」
どうかこの願いが叶いますようにと、おみくじに祈り、私はその手の温もりと共に石段を降りたのだった。
【完】
甘い気持ちのわけを教えて 深水えいな @einatu
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