第28話 インターホン、スーツケース、ネズミ
ドアを開けて、私たちを見つけた
しばらくして、音月さんは、深々とため息をついた。部屋着にしていたらしきゆるいパーカーのひもをくるくるもてあそびつつ、秋緒さんのニヤニヤ笑いを見つめて、言う。
「どこでこの子捕まえたの」
「シャノワール」川沿いのカフェの名前を出して、「席が一緒になって」
「あんな店で?」
休日の昼でもがら空きのあの店で、偶然相席になんてなるはずがない、という意味だろう。音月さんは、秋緒さんのことをしつこく疑っているみたいだった。
「久々に帰った日本で、カフェにいた女の子に話しかけちゃいけない?」
「いつからそんなに軽薄になったんだか……」
「そんな話はいいから、入れてよ。立ち話もなんだし」
「……そうね」
ちらっと秋緒さんの足下のスーツケースを見て、「ごめん、帰国したばっかなんでしょ」とつぶやき、音月さんは私と秋緒さんを部屋に招き入れた。
「急に来るから、何もないよ」
そう言って、音月さんはキッチンの棚に手を伸ばし、カップを3つ取り出す。秋緒さんはスーツケースを音月さんの足下に置くと、そのまま我が物顔でリビングのテーブルに腰を下ろした。
テーブルの上には、近所のベーカリーの紙袋。
「パン、ひとつ食べていい?」
「好きなの取って」
音月さんはあきらめたように言い、それから、まだ玄関前にとどまっていた私を見て苦笑した。
「行きなよ。お茶は私がやるから」
「いえ……あの、すみません。びっくりさせちゃって」
「いいよ、
音月さんは首を振って、
「あのひと、前から図太いっていうか、ひとの迷惑なんて気にしないとこあったけど……海外に行ってから、よけいにひどくなったみたい」
ひどい、という言い方には笑いが混じっていた。そうでなくとも、彼女が秋緒さんのことを悪く思ってなんていないことは、その表情を見れば一目でわかる。
秋緒さんのものとおぼしき、デフォルメされたネズミの柄のカップを、音月さんはそっとシンクの脇に置いた。
「飲み物、何がいい?」
「なんでもいいですよ、おかまいなく」
「そ」
言いながら、音月さんは棚の奥から花柄の缶をがさがさと引っこ抜くように出してきた。軽くひねって蓋を開け、パックを取り出す。
横から手出しするつもりはなかったけど、だからといってここを離れる気にもなれず、手持ち無沙汰に私は彼女の手つきを眺める。
指先がすこし荒れてるみたいだった。パーカーのよれよれの袖に隠れて、ちいさな虫刺されみたいな腫れができている。
音月さんは、ポットからカップにお湯を注いで、ひとつずつパックを浸していく。
「で?」
「はい?」
「真依は、なんか用事? あのひとにつきあわされただけ?」
「えっと……」
用事がなきゃ会いに来ちゃいけないんですか、なんて言えば、音月さんは黙っちゃうだろう。別にそんなふうに言い負かしたいわけではない。むしろ、勝ち負けなんてつけたくない。
どう答えればいいのか、妙に考え込んでしまって、自分でも自分の気持ちがよくわからなくなってくる。
「……ごめん。変なこと聞いたかな」
音月さんは、カップを3ついっぺんに持ち上げる。リビングの方に歩き出しかけて、彼女は、ちょっと振り返る。
「きっかけはどうでも……来てくれるのは、なんか、助かる」
「そう、ですか?」
「当たり前でしょ」
音月さんの笑顔は、すこしだけ困ったようにも見えた。
若葉の街と、だらしない魔法少女たち 扇智史 @ohgi_
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。若葉の街と、だらしない魔法少女たちの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます