第27話 キャッシュレス、人生訓、交差点
タクシーの座席というのはなんとなく落ち着かない。知らない人が運転する、乗り慣れない車に乗って、何もかもを他人任せで連れて行かれるというのは、やけに心細い。路線が決まっているバスや電車に乗るのとは、訳が違う。それに、魔法を使えるようになってからは、遠くへ行くのは自分の力でできることだったから。
私は肩を縮めて、ドアに近い座席にぎゅっとちいさく収まっている。
隣では、秋緒さんが堂々とした態度で座っていた。横目でこちらを見て、にっこり笑う。
「さっきも言ったけど、お金のことなら心配いらないよ」
キャッシュレスでふたり分払う、と
お金のことは、まあ、仕方がない。
私が暗い顔をしているのは、別の理由。タクシーに不慣れなことと、それから、
「ほんとにいいんですか?
「平気だって。どうせ部屋でパンでも食いながら寝てるでしょ」
ほんとに、そうだろうか?
「でも、出かけてるかも……映画とか」
日々の勉強が欠かせない、そうでないと怒られるから。
音月さんにそう告げたのは、ほかならぬ秋緒さんではないのだろうか。
彼女は音月さんのことを「弟子」だと言った。
音月さんがいつか寝言でつぶやいた「センセイ」は、秋緒さんだ。じかにそう聞いてはいないけど、きっとそう。
秋緒さんは、私の憶測混じりの目線を見もしないで、窓の方を向いたままだ。信号で止まったタクシーからは、色合いの薄い昼下がりの景色が見える。秋緒さんの長い髪が、暗い車内であやしげに揺れる。当たり前だけれど、うなじまできれいな褐色をしていた。
窓の外に問うみたいに、秋緒さんは言う。
「あの子、ちゃんと見てる? いろいろ」
「いろいろ、ですか?」
「いろいろはいろいろ。仕事でものを作るんだったら、なんでも見て聞いてしなきゃだめだから。素材を取り入れて、自分を更新しないと、すぐに限界が来るんでね」
振り返って、秋緒さんはにっと笑った。思わず私も笑い返して、それで、自分が緊張してたのに気づく。逃げ場のない車内で説かれる人生訓は、ちょっと恐かった。
「……ちゃんと、やってると思います。いっしょに見に行きましたし。映画とか、絵とか。あと、レアなフィギュアを見つけて」
「ああ、それはあたしも写真見たわ。カンナが送ってきた」
秋緒さんは一度うなずいた。
「何もしてないってことはないのか。ならいいや」
「……何もしてなかったら、やっぱり、叱るつもりでした?」
「それは様子を見ないと。心配の方が先に来るかもしれないし」
タクシーが交差点を曲がり、細く折れ曲がった道に滑り込んでいく。地元の人が迷惑そうに道の端に寄るのが見えた。減速する車内で、秋緒さんはすこし眉をひそめる。
「忙しくて寝るしかできないなら、せっついてもしゃあないし。そしたら思い切り寝かすか、病院に連れてくか」
「お医者さんはいらないと思いますけど」
「それくらいには元気ってわけ?」
「まあ……」
すくなくともひどい病気ではないはずだ。体調を崩している様子はないし、精神的な問題も解消した――私たちの魔法で解決できることは、だけど。
世界を救うことはできたし、それといっしょに、音月さんの心も回復させられたはずだった。私たちの戦いの最後で最大の成果が、それだった。
それと同時に、私は、彼女の友達になることを約束した。いまも、約束は続いている。
音月さんは、秋緒さんに、魔法や”リガ”の話をしただろうか? 約束の話をしただろうか?
「ならいいけど」
微妙な加速と減速を繰り返しながら、タクシーは細い道をよたよたと進んでいく。運転手さんは分厚いガラスの向こうで、無言のままハンドルを動かしている。
車体が前後に揺れる。秋緒さんの、赤いメッシュを入れた髪のひとふさがかしぐたび、彼女は笑っているようにも、怒っているようにも見えた。
「顔を見ないことには、どうにもならないこともあるし」
「……だから、こっちに来たんですか?」
「そ。むりくり休みとって、狭苦しい飛行機に乗り込んで」
ふにゃっ、と。その瞬間、秋緒さんの表情は、おどろくほど優しい笑みに崩れた。
この人は、音月さんを海の向こうに連れて行ってしまうつもりなのかもしれない、と思った。それは、魔法よりも大きくて逆らえない力なのかもしれなかった。
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