♪3 章灯、スマートフォンを買う 3/3
「……というわけで、色々大変だったんだよ」
と、疲れ切った
いつも通り無駄な装飾のない赤いエプロン姿で彼を出迎えた
「うん。アキとおそろいだな」
と満足げに笑う彼の顔を見ればさすがの晶でも――、
「私のとは型番が違うようですが」なんて無粋なことは言えない。
とにもかくにも彼は満足しているのだ。
それに同じY-Phone なら使い方も同じなのだ。いざという時に彼を助けることも出来るだろう。
「まずは何からしたら良い?」
照れたように笑ってそう尋ねられ、晶は、早速出番が来た、と居住まいを正した。
「では、えぇと――そうですね。何から教えたら……。とりあえず、前の携帯のメモリーカードから電話帳を移して、ですかね。何はなくともまずは大事な人と連絡がつくように――」
視線を宙に滑らせ、見えない手順をなぞるかのように指を動かす。まるでその何もない空間に手順が書き記されているのかと、章灯も思わずそちらを見た。が、自分が注目すべき点はその薄っぺらい板であることを思い出し、手元に視線を落とす。
「そうだな、何はなくともまずはアキと連絡がつかないとまずいもんな」
当たり前のようにさらりとそう言うと、晶は「えっ」と短く叫んでびくりと身体を震わせた。
「えっ?」
お互いに短い言葉を発して顔を見合わせる。
晶の方はほんの少し照れたように頬を染め、章灯の方はというと、驚いて目を丸くした表情で。
「えっ? って、何でだよ」
「いえ……その……そういうことではなくて……。あの、仕事関係の、という意味だったんですけど……」
有難いことに、お互いに相変わらず仕事は忙しい。
章灯の方では、前述の通り、
晶は晶で自分達の楽曲だけではなく、自身がプロデュースしている(もちろん彼女の本意ではないが)三十路の男性アイドルグループが予想外に売れ、彼女としては数曲で手放す気満々だったのだが欲をかいた社長の命により、まだしばらく面倒を見ることになってしまったり、ゲームアプリの楽曲依頼などは途切れることなく舞い込んでくる。その合間を縫ってシルバーアクセサリーのデザインをし、そういう忙しい時に限って自分達の曲が下りて来たりもして――、ととにかく忙しい毎日なのだ。
「そりゃ仕事もそうだけどさ。そっちのはホラ、名刺をもらってるからさ、そっちに電話番号もメルアドも載っているし、中には
「さすがきっちりしてますね、章灯さんは」
ただ単純に、自分にはとてもじゃないが真似出来ない、と褒めたつもりだった。
――が、予想に反して章灯はその言葉にがくりと肩を落とした。
「……なぁ、アキ」
「ど、どうしたんですか、章灯さん」
急に沈んだ声で名を呼ばれ、どきりとする。
「俺ってやっぱり細かすぎるのかなぁ」
「えっ?」
「いや、今日、
帰宅時に聞いたのは、新婚ほやほやの後輩夫妻に見立ててもらって
章灯がため息混じりに、マイ掃除機だ、空気清浄機能付きの加湿器だ、ズボンプレッサーだ、などと話すのを、晶は神妙な顔をして聞いていたが、ミリ単位に調整された仕切りが入れられた引き出しの話に差し掛かると、彼女はたまらず「ぷ」と吹き出した。
「あ! 笑ったな!」
「すみません……! でも、ちょっと……ミリ単位……は……!」
それでも一応章灯に悪いと思ったのだろう、必死に笑いをかみ殺そうとするものの、晶の身体は小刻みに震えている。
「使いやすいんだけどなぁ……」
口を尖らせ、ぽつりとそうこぼす。
そんなところが子どものようで可愛く見えてしまったが、ここでそれを指摘してしまえば彼は拗ねてしまうかもしれない。対章灯に限っていえば、それくらいのことはもうわかるようになっている。
「使いやすいのが一番ですよ。それに――」
そう言って、明後日の方を向いている彼の両頬を優しく挟んで無理やり視線を合わせる。晶はもういつも通りのポーカーフェイスに戻っていた。最低限の手入れしかしていないにもかかわらず、年齢の割に――というのは失礼なのはわかっているけれども――彼女の肌はきめ細かく、血色の良い唇はいつだってぷくりと瑞々しい。
「ウチの調理器具もいつもきれいに片付けてくれてますよね。お陰で、手際よく料理出来ます。ありがとうございます」
この家の料理担当は晶だが、彼女は料理の腕こそ一流でも、こと片付けに関しては三流であると酷評せざるをえない。だからそこについては章灯が管轄しているのだった。
この家では役割分担がはっきりとしている。料理は晶、掃除や後片付けは章灯、と。なので「そう思うんなら、いい加減アキも片付けを覚えろよ」と章灯が指摘することはない。「では、章灯さんもそろそろ本格的に料理を覚えましょうか」と返され――いや、そもそも、この2人がこういった内容で口論になることはない。
わざわざこんな体勢に持ち込んで言うのはそれかよ、と思わないわけでもなかった。
あともう少し近付けば、その唇に触れられる。それくらいの距離なのだ。
だからここから先は俺の役目だろう、と。晶の後頭部に手を回す。そして――、
「ちょっ」
その続きも丸ごと唇をふさぐ。
「も、もう、章灯さん!」
「何だよ」
「そういう感じじゃなかったじゃないですか!」
「そうか?」
一体いつになったら慣れるのかと思わないでもないのだが、そこがまた可愛いのだから仕方がない。なんて正直に言ったらもっと赤くなるんだろうな、と思い、止める。彼女のパターンなんてかなり早い段階でつかんでいるのだ。
「俺はいつだってそういう感じに持ち込もうとしてるからな。ははは」
「は……、ははは、じゃないですよ!」
「良いじゃないか、2人しかいないんだし」
と、再びその唇を奪おうとしたところで――、
「あ」
「あ」
鳴った。
インターフォンが。
そして、わざわざ、それが誰かとモニタで確かめるまでもなく――、
「おぉーいっ、アキー! 飯食わせろ~、飯~!!」
聞こえてきた
2人が良い雰囲気になると必ずといって良いほど、この、晶の父親はタイミングよくそれをぶち壊しにやって来るのだ。
それもいつもと変わらない。
それこそが日常、なのである。
「はいはい、いま開けますから」
章灯がそう言いながら玄関に向かうと、「何だよ章灯帰ってたのかよ」という憎々し気な、それでいて何やら楽し気な声も聞こえてくるのだ。そして、相手が章灯ならばもう遠慮はいらないと、湖上は「さっさと開けろや」などと語気を強める。
はい、ただいま、と開ければ、晶の好きな洋菓子店の箱を持った湖上が立っていた。相変わらずの銀髪に、そこそこの年齢であるにも関わらず、一向に落ち着く気配のない派手な恰好で。
「言っとくけど、お前は残ったやつだからな」
とは言うものの、きちんと彼が好きなものもその箱の中には入っているのだ。それもいつものこと。
きっと彼はテーブルの上の『Berry』というロゴの入った紙袋を見て、章灯がいよいよ持ってY-Phone を買ったのだということに気付き、これから小一時間はそれをネタに彼を揶揄うだろう。
そんなことまで予想が付く。
なぜなら、それが彼らの日常だからである。
果樹園の指と釣具店の声 Side Stories 宇部 松清 @NiKaNa_DaDa
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