花の齢のその頃に

中村天音

花の齢のその頃に

 近頃あの金時の様子がおかしいと貞光が気づいたのは、勅命により大江山で酒呑童子をともに討ち取ってから一月あまり経ってのことだった。

主である源頼光の屋敷で四天王(渡辺綱、坂田金時、碓井貞光、卜部季武)が集まった祝いの席でも、どうも気分が沈んでいるように見えたのである。思えばともに大江山へ向かった頃から、なにやら憂いを帯びていたような気もする。何か悩み事でもあるのだろうかと心配する貞光には、他の四天王よりも金時とは浅からぬ縁があった。金時がまだ幼く、足柄山で遊んでいた時分、彼の尋常ならざる素質を見いだして主の頼光のところまで連れて行ったのは、他ならぬ貞光だった。

 おまけに金時の父は他界しており、今でも母と都の小さな屋敷で暮らしているから、貞光は未だに金時の父や兄のような気持ちで彼を見ている節があったのである。


 やはり心配になった貞光は、相談にのろうと思い愛馬に跨がると、金時の屋敷へと急いだ。


 季節は春であり、春霞の中あちこちで桜の花が咲き誇っている。その桜と戯れるように、あちらこちらで舞う白や黒の揚羽蝶を見れば、ここが夢か現かを分からなくしてしまうほどだった。


 しかしこの浮世離れした美しい光景と相反するように、世の中は不穏であった。都では病や飢饉が蔓延しており、路の裏ではいくつもの死体が腐乱して放置されている。盗み、殺し、裏切り、人々は生きるためにはどのように恐ろしいことでもやっていた。

 今通った路地の裏では、新しい死体に、金目の物はないかと人々が群がる様が容易に想像できる。

 恐らく自分が罪を犯しているという意識すら、もう消えているのかもしれない。都の頭上にはいつも不気味に唸る黒雲がある。まるで遙かなる天空で悪鬼の親玉が都を狙っているかのようで、いつ何が起きてもおかしくないような有様だった。つい先日も、頼光四天王の筆頭である渡辺綱が羅生門で鬼を退治したばかりなのだ。


 貞光は風に揺れる桜を見ながら、ふと祖母の昔話を思い出した。美しい桜の木は地の下で地獄とつながっており、桜はそこから鬼を呼びだしているというものである。

 なるほど桜の美しさとは、そういうものかもしれない。


 鬼の大将であった酒呑童子を倒しても、都はいまだ長い悪夢の途中にある、貞光はそんなふうに感じていた。


 金時の屋敷に着くと、まるで貞光の訪れを予知していたかのように、金時の母と老婆が出迎えてくれた。すると金時は昨夜、人知れず外に出て行ったきり、まだ戻っていないというのである。

 貞光はますます心配になった。


 金時の母も老婆も心配と不安を隠せないではいたが、恩人でもある貞光を歓待し、気がつく頃にはもう夜になっていた。

「このようにわざわざおいでいただきまして、恐れ多いことにございます。あの子は大変な剛力ではありますが、田舎の山から出てきた世間知らずの、まだ十五の子供でありますから、わたくしもこの都で心配事は多いのです。花の齢は、誰しも悩みを抱え、影響を受けやすく不安定で、本人ですら何を考えているかも分からぬものでございます。そのくせ何者かになりたいといらいらと気だけが焦って何かに当たってしまう、けれどもそれは誰しもが経験のあることなのでしょう。貞光様、わたくしには都であなた様以上に頼れるお方はありません。どうかあの子を見守ってやってくださいませ」


 なるほど、あの年頃は誰でもそのようになるものだ。貞光は自分の若い頃を思い出して頷いた。それにしても、そう懇願する金時の母は天女のように美しい。やはり親子である。

 金時の美貌は間違いなくこの母の血にあろう。貞光は急に気持ちが落ち着かなくなり、頷いた後簡単な礼を言うと、屋敷を出ることにした。


 どこか甘い香りのする春の夜、貞光は馬でゆっくりと帰路へついた。不意に月を見ようと顔を向けたが、やはり空には黒い群雲があってなにも見えはしない。それで少しいらつく気持ちになると、そこで不思議と酔いが覚めた。このまま屋敷に帰るのもなんなので、どこかに寄っていこうと思ったのである。


 そう思った貞光は、気がつけば馬を羅生門へと向けていた。


 鬼が住むと噂される羅生門は、朱雀大路の南端にあった。かつての南都の羅生門ならいざ知らず、京の都の正門たるこの場所に鬼が出るなどあり得ぬ話と貞光は思っていたが、先日実際に出てしまった。茨城童子と名乗るその鬼は、酒呑童子の配下だったらしい。幸い綱が退治したから良かったものの、その鬼は後日、綱に奪われた腕を取り戻して逃げ去り、まだ討ち取られてはいないのである。貞光が導かれるように羅生門を訪れたのも、もしやその鬼がここに戻ってきているのでは無いかと思ったからでもあった。


 貞光が羅生門にたどり着くと、彼は驚愕せずにはいられなかった。あの堂々とした佇まいながらもどこか不気味だった門のまわりに、神々しいほどに美しい満開の桜の木がいくつも立ち並んでいたのである。あたりは異様なほどの静けさであり、貞光は刹那もしや自分は異界に迷い込んでしまったのではないかと思ったが、すぐに察しがついた。おそらくは先日の鬼の一件ですっかり寂れてしまった正門を心配して、朝廷の誰かが魔除けと人集めのつもりで命じたのだろう。


 それにしても尋常では無い美しさである。月のない夜にあっても、かがり火の明かりに照らされる桜の花びらは凄絶なほどに幽美そのものだった。

聞きなれた金時の声を貞光が耳にしたのは、彼が手に届く桜の花に触れようとしたまさにその時である。


 「兄者、どうしてこのようなところにいるのですか」 

 振り返るとそこには金時の姿があった。桜の花を背負う彼の姿は、まるで天女どころか魔性の美しさである。貞光は何か寒気のようなものを感じて、素早く馬を下りて金時の側へと寄った。

 白い顔がやはり桜のように眩い。


 「俺はお前が近頃どうにも心配で屋敷に出向いたのだが、お前がいないというので、なんと

なくここを訪れたのだ。お前こそ、一体どうしてこのようなところに。昨夜から屋敷に帰っていないと言うでは無いか。母君は心配しておられたぞ」

その言葉に金時は悲しそうな顔をして、うつむいた。


「そうなのですか」


「一体何があったのだ。お前がおかしいことに、俺は気づいていたぞ。相談に乗るからいってみろ」

 剛力で知られる金時は、まるで恥じらう姫君のように貞光をちらりと見た。


「兄者は大江山で、酒呑童子を討ち取った時のことを覚えていますか。私たちは山伏に変装して鬼を騙し、毒酒を飲ませて騙し討ちしたのです。私は鬼が最後に言った言葉が忘れられません」


 酒呑童子が最期に発したのは、「鬼に横道は無い」すなわち「自分たち鬼でもこのような卑劣な者はいない、お前たちは恥を知るがよい」という怨嗟の言葉であった。まだ年若く清らかな金時は、その言葉にとらわれていたのである。


「お前の気持ちは分からぬでも無い。しかしあの鬼どもは貴族の財物を盗み、姫君たちをさらっては食らっていたのだぞ。その邪悪な鬼を退治したことを誇りにこそすれ、恥じる必要はどこにも無い」

「それでは兄者は、悪には悪を、邪には邪を持って向かってもよろしいと思うのですか」


 そう問いかける金時は、その艶のある唇からこぼれる言葉と同じほどに、神々しいまでに清らかである。貞光はまるで菩薩にでも詰問されたような気がして、にわかに戸惑った。


「そういう事を積み重ねていると、いずれ自らも悪や邪に染まっていくのでは無いでしょうか。私はこの身が穢れていくことが怖い」


 なんという清らかさだろうか。若さだろうか。

 不安げに自らの肩を抱く金時の心に侵しがたい何かを感じ、、貞時は眩しいと思った。

「そう思うお前の心は尊い。だがな金時、天上におわす神仏や天女ならまだしも、この地上で生きている者は、その身を穢すこと無く生きて行けはしないだろう」


「しかし、それでは鬼になってしまいます。そう、私のように」


 言うやいなや金時は飛び上がって羅生門の屋根へと降りた。凄まじい跳躍に貞光が驚き見上げると、先ほどの群雲はどこかへと消え去り、空には望月が輝いている。その望月を背負って金時の姿があった。そして彼の額に二本の角を、はだけた左腕に傷跡をみつけて貞光は戦慄した。


 なんということだろうか。金時は花の齢のその頃に、人が一度は通る危うい季節に、狂気と魔に魅入られてしまったのだ。貞光はただ呆然として、金時を見た。


「私は鬼になってしまいました。鬼を退治するために鬼となり、自らの身と心にある悪に気づいてしまったのです。もうこうなっては母のところにも、兄者の元でもいられません。今までありがとうございました。しかし私だけが特別なのでは無いでしょう。今に都は、鬼の都となりましょう」


 そういうと金時は闇夜の天を駆けてどこかへと消えて行ってしまった。貞光が金時にあ

ったのはそれが最後である。


 その後、金時の姿をある山寺の枝垂れ桜の下で見たという者があったが、真相は誰にも分からなかった。

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