試練

 1


 「決勝戦、始め!」

 審判の合図に従い、バルドは力強い一歩を踏み出した。

 相手は静かに立ったまま動かない。

 ウォールモント・エクスペングラー。

 剣の腕ではバルドより上だ。ウォールモントは、バルドのようなたたき上げの剣士ではない。幼ないころから正規の剣術を学んできた超一流の剣士だ。

 バルドは大きく息を吸い込んで力をため、かっと目をみひらき、一気に決着をつけんと飛び出した。


 2


 パクラ領では、騎士や従騎士の模擬戦は毎日のように行われているが、今回の模擬戦には奇妙な点がいくつもある。

 まず、日にちを指定して呼び出されたこと。庭の練武場ではなく、城の大広間で行われること。そして、テルシア家の騎士のうち最高戦力といってよい十二人が全員参加していること。総当たり戦ではなく、勝ち抜き戦であること。どう考えても普通の模擬戦ではない。

 いずれにしても負けるわけにはいかない。テルシア家筆頭騎士を目指すバルドにとって、この模擬戦は神々からの試練のように思われた。

 テルシア家筆頭騎士になるという目標を立てたのは、三年ほど前のことだ。それは自分自身のためではなく、ジュールランのために立てた目標である。

 ドルバ領主カルドス・コエンデラの暴虐は、テルシア家の騎士たちを苦しめ続けている。カルドスの血を引くジュールランへの憎しみは、現在のテルシア家当主ハイドラが死んだあと噴出するだろう。ジュールランを守るため、バルドはどうしてもテルシア家筆頭騎士になる必要がある。

 ただしそれは不可能な願いである。郷士の息子にすぎないバルドがテルシア家筆頭騎士になりたいなどと口にすれば、それは不遜を超えて反逆を疑わせるふるまいとなる。

 テルシア家筆頭騎士は、強さを求められることはもちろんだが、武略においても領地の経営においても高度な判断を要求される。そして他家との交渉においては家柄が求められる。

 歴代の筆頭騎士を輩出してきたエクスペングラー家は、大陸東部辺境有数の名家である。その先祖は、はじめてこの地に足を踏み入れた〈はじめの人々〉の一人だといわれている。エクスペングラー家の名は辺境では重い。その重さがテルシア家の支えとなってきた。

 バルドがエクスペングラー家に取って代わるなど不可能であるし、かりに取って代わったとして、エクスペングラー家以上の働きができるはずもない。

 だからバルドのテルシア家筆頭騎士になりたいという願いは、現実にその地位を得たいという願いではなく、その地位にふさわしいほどの武徳と功績を積みたいという願いだといったほうがよい。

 神々に願いを立てた以上、人としてできるかぎりの努力をしなくてはならない。では何をすればいいかと考えてみて、魔獣の侵攻を防ぎ、主家の安寧をはかり、人民の苦しみを除く以外に、できることはない。

 とすれば、実のところ、やるべきことは、それまでと変わりはない。それまでも懸命に務めてきた騎士の責務を、より丁寧に、より確かに果たしていく以外、筆頭騎士に近づく道はない。

 バルドは務めた。

 武をみがき、人々の幸せのために力を尽くした。つまり、徳を積んだ。

 積もりに積もった徳が、やがて神々の目にとまるときがくる。その努力が神々を感動させたとき、奇跡は起きる。そう信じて日々を過ごした。

 それは、権力争いや出世競争とは異なる種類の努力だ。誰と自分を比べるのでもなく、誰を蹴落とすのでもない。誰のこともバルドはみなかった。ただ自分のできることを精いっぱいに行った。

 そうした努力の日々は、バルド自身からすれば、少年の日にテルシア家に迎えられて以来行ってきたことと、質的には変わるところがなかった。だが、周りからみればそうではなかった。

 もともとバルドは、どんな務めも自分一人で黙々とこなしていく人間だった。戦闘の場では連携を重んじたが、そうでない場では、自分は自分、人は人と割り切って、自分のすべきこと、できることにだけに、心を向けるところがあった。

 ところが願いを立ててからのバルドは、少しだけ変わった。テルシア家全体をみわたし、家臣たちが全体として役割が果たせているかどうかを気にするようになった。戦術だけでなく戦略にも目配りをするようになった。誰にでも、助言や励ましを与えることが、自然にできるようになっていった。

 それはわずかな変化ではあるけれども、〈大障壁〉の切れ目にあって、流れ込む魔獣を防ぎ止めるぎりぎりの戦いを続けるテルシア家にあって、大いに意味のある変化だった。そして当主ハイドラは、そのわずかな変化に気づくだけの鋭敏さを備えていた。

 そしてこの模擬戦が行われることになったのである。


 3


 テルシア家最強の騎士は誰か。

 そう聞かれたら、テルシア家の騎士のすべてが、バルド・ローエンの名を挙げるだろう。ただしその強さは魔獣を相手にしたときの強さであって、対人戦の強さでは必ずしもない。また、その強さは命をかけた戦闘における強さであって、試合での強さではない。人と人との試合におけるわざの切れならば、ほかに優れた騎士が何人もいる。

 以前には当主ハイドラがそうであったし、筆頭騎士ローグモントがそうであった。ハイドラとローグモントが年老いた今、対人戦最強の騎士はローグモントの息子ウォールモントであるというのが、衆目の一致するところだ。

 ウォールモントは貴族を絵に描いたような騎士である。美しく、上品で、そして、したたかだ。ただし魔獣との戦いの最前線に立ち続けるには、少しだけ線が細い。つまり、体力が足りりない。また、健康面でも十全とはいえない。

 それだけにウォールモントはわざを磨いた。年齢はバルドより二歳若く、この年三十二歳。今やその剣技の冴えは他の騎士の追随を許さない。バルドもここしばらく模擬戦では不覚をとり続けている。

 ウォールモントという難敵との試合で、今回バルドは最も大きな模擬剣を選んだ。両手持ちの大剣である。ウォールモントは取り回しのいい細身の模擬剣を持ち、左手には盾を構えている。

 飛び込んだバルドは大剣を右上から振り下ろした。すさまじい剣風がウォールモントを襲う。

 ウォールモントが左後ろにさがってこれをかわし、飛び出そうとしたところに、バルドが大剣をぐるりと回し、今度は左上から攻撃する。

 驚くべき反応速度で後ろに跳び下がったウォールモントは、強く石畳を蹴って前方に飛び出した。無理な体勢で二連撃を繰り出したバルドの隙を突くために。

 だがこの日のバルドの気迫は、予想を超えた動きを可能にした。再び大剣をぐるりと回し、真上から戦慄すべき威力の斬撃をウォールモントの頭上にみまったのである。

 それにさえウォールモントは反応した。とっさに体を左にずらし、盾を斜めにかざし、バルドの攻撃をそらそうとしたのである。

 バルドの強力無比な攻撃は、わずかにウォールモントの盾をかするにとどまった。

 そしてそのかすっただけの攻撃がウォールモントを吹き飛ばした。

 石畳にたたきつけられたウォールモントが跳ね起きたとき、目の前にバルドの剣が突きつけられていたのである。

 「それまで! 勝者、バルド!」


 4


 翌月、筆頭騎士ローグモントの引退が発表され、代わってバルドが筆頭騎士に任じられた。ウォールモントはエクスペングラー家の家督を継ぎ、テルシア家の貴臣として、パクラ領全体の運営を輔けることになった。

 こうしてバルドはテルシア家筆頭騎士となった。奇跡は起きたのである。

 ウォールモントは、バルドに一つの頼みをした。

 「息子のシーデルモントが十歳になったら、修業をみてやっていただけないだろうか」

 シーデルモントはこの年八歳である。ジュールランは四歳年下の四歳だ。次のテルシア家当主となるべきヴォーラは三十六歳なので、シーデルモントとジュールランは、その次の当主であるガリエラを支えてゆくことになる。

 「私でよければ、喜んで」

 バルドを筆頭騎士に任じた当主ハイドラは、翌年この世を去った。五十六歳だった。

 このときから二十年にわたって、バルドはテルシア家筆頭騎士として役割を果たし、その威名は大陸東部辺境のすみずみにまで鳴り響くことになる。

 そしてシーデルモントとジュールランは、バルドのもとで育てられ、誰もが尊敬せずにはいられないほどの実力と品格を養ってゆく。やがてシーデルモントはバルドのあとを受けてテルシア家筆頭騎士となり、ジュールランは領主の側近として働きを現すことになる。

 アイドラがそのようすを、温かなまなざしでみまもり続けたことは、いうまでもない。

 (おわり)

 

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