雄しべ達の絡まり

千本松由季/YouTuber

雄しべ達の絡まり

あらすじ/美術大学の講師、徹は実は売れっ子の扇情小説家。あるカフェでウェイター、北原を見初め、そこに通い詰める。ネコが死んだといって号泣する北原。徹は彼に近付くチャンスをつかむ。


『雄しべ達の絡まり』

1

しばらく気になっている青年がいる。でもここに通っているのは、彼が目的ではない。このカフェはランチタイムを除けば静かだし、仕事をするには丁度いい。と、カッコよく言ってみたけど、やっぱりそれは嘘で、俺はその青年が目当てだ。初めてここに来た時から目を付けていた。もうひと月通っているけど、俺達の間にはまだ事務的な、最低限の会話しかない。

2

彼はウェイターで、白いシャツに黒いキャンバスのエプロンを着けている。固いキャンバスに隠れて見えない彼の下半身が気になる。彼はまるでアニメの登場人物みたいなヘアスタイルをしている。片側が刈り上げで片側がロングという大胆なアシンメトリー。分け目の位置も見事に計算されている。その髪は艶々と光って、どんなシャンプーを使ったらああなるのか知らないけど、いつも完璧に櫛が通っている。尖った顎に、目が切れ長で、そういう所もアニメの人物みたいだ。

3

「徹先生。」

田辺がやって来る。彼はアポイントメントも無しに、こんな風にいきなりやって来る。暑いのにキチンとネクタイまで結んでいる。

「先生と呼ぶのは止めろって言ってるだろう?」

彼は俺のことを「先生」と呼ぶのが好きで、どっちにしろ俺は美術大学の講師もしてるから、先生と言えば先生で。

「徹先生、こないだのアレ、単行本になるの決まりましたよ。」

こないだのアレって、どれのことだろう?まあ、別に自分の書く小説に興味ないからどうでもいいけど。

4

大学での俺の専門は、ルネッサンス期における芸術家のホモセクシュアリティについて。それしながら面白半分に、ゲイ雑誌に短編小説を書いていた。そしてこの田辺という編集者に見い出されて、今の仕事をするようになった。扇情小説。男と女の情事は書けない、と当然俺は断ったが、田辺は上手いことを言った。

「女のことは『花』だと思えばいいんですよ。」

確かに「花」だと思えば書けないことはない。想像力も広がる。花の色、形、そして香り。

5

ついに小説からの収入が、大学の講師のそれより上回った。でも俺にはそんな男女の扇情小説は価値のない物だった。田辺がおだてるから、そして金を持って来るから、続けている。俺はまたカフェに座ってパソコンを開く。きっと雨が激しくなってきて、カフェに避難する人達がいる。だから今日はいつもの俺のお気に入りのエリアに席が無くて、レジの側の人通りの多い席に座った。俺のお気に入りのエリアがなぜお気に入りなのかと言うと、それは俺のお気に入りのウェイターが担当しているから。

6

「花」をイメージに女を書いてきたけど、花の種類も意外と知れている。最近の俺は、ただあの青年の印象だけをモデルに、と言うか、彼に関する妄想だけを手掛かりに小説を書いている。いつもの奥まった席と違って、これだけ人目があると、激しい濡れ場を書くのもどうかな、って最初思ったけど、人々は忙しくて、俺が何してようが関心を持たない。俺は彼を捜したけど、いつものエリアにはいない。俺は彼のシフトや休み時間まで把握している。今までそんな可能性を考えたことなかったけど、ウェイターなんて普通は長く続ける仕事じゃない。もし彼が何の前触れも無く、俺の前から姿を消したら?

7

少し背筋が寒くなった途端、彼が女性のスタッフと一緒に裏から出て来た。

「北原君、ほんとに大丈夫なの?」

北原というのは俺の妄想の相手。彼の名は、ひと月通って、いつの間にか俺は知っていた。北原君の方を見ると、彼は泣いている。それどころかワーワー声を上げて泣いている。お客の数人が彼の方を振り返る。アニメの主人公らしく、頬を涙が滝のように落ちる。俺は彼の泣いているところなんて見たことない、と言うか、いつもクールな彼から今までどんな感情も覗き見たことはない。

8

俺は二人のすぐ側に座っていて、思わず声をかけた。

「どうしたんですか?」

女性スタッフは困った顔をしている。

「彼のネコが死んだらしいんですよ。」

ネコ、という言葉に反応して北原君は更に声を上げる。彼女は青年の背中を優しく撫でる。

「今日はここはいいから、キッチンに入って頂戴。」

彼はなぜか俺のことをチラって見て、そして裏に戻って行った。

9

泣いている彼を見て、初めて感情を表した彼を見て、俺の妄想が爆発して、気が付くともうカフェの閉店間近になっている。ストーリーの中に、濡れ場が3つ。俺にしては読者にサービスした方だ。私服に着替えた北原君が出て来る。こんなに遅くまでここにいたことがないから、彼の私服も初めて見る。白と黒のユニフォームしか見たことがない俺には、それは嬉しい経験だった。青を基調にしたチェックの半袖シャツに、シンプルな細身のジーンズ。ビンテージ風の茶色の靴。黒いボルサリーノで、腫れた目を隠すように歩いて来る。

10

忙しいレジの側にいると、タイプする手も速くなるということを発見して、俺は移動せずにずっとこの席にいた。だから彼は帰る時、俺のすぐ側を通った。待ち伏せしてた訳でも何でも無く、もし彼の方が、なぜかまた俺の目を見て立ち止まらなければ、話しをしようなんて全く思っていなかった。彼は礼儀正しく俺に頭を下げる。

「先程は失礼いたしました。」

「ネコのこと可愛そうだったね。」

ネコ、と聞いて彼はまた泣きそうな顔になる。

「ゴメン、ゴメン。また思い出させた?」

11

これが俺と彼の初めてのプライベートな会話だった。

「なんか恥ずかしいとこ見られちゃって。」

彼の口調は少しずつフレンドリーになっていく。

「泣くのは恥ずかしいことじゃないよ。」

俺はなるべくカッコよく響くようにそう言った。

12

カフェの電気が消えて、俺達は一緒に表に追い出される感じになった。

「僕、お客さんのこと知ってました。友達が去年、先生の授業を受けてて。」

俺はネコのことを避けて話しをしようとするけど、職場以外の彼のことは、ネコが死んだという事実しか知らないから、容易ではない。仕方がないから俺はしばらく黙っていることにした。そうなると彼が話さないといけないから、俺はもっと彼の情報を知ることができる。恋愛の駆け引きは得意な方だと思ってる。

13

そこは、俺の教えている大学の近くの、古くからある商店街に、新しい洒落たカフェやブティックなんかが混じった、そんな場所だった。

「先生はお仕事熱心ですね。土曜日なのに。」

そうなんだよな、今日、土曜日なのにわざわざ小説を書きにここまで来たんだ。俺の妄想の相手に会うために。彼は少しためらうようにしてから、口を開いた。

「先生、よかったら暫く一緒にいてもらっていいですか?」

そこまで早口で言って、俺のことを甘えるような上目づかいで見た。

「ひとりでいると、また思い出しちゃうから。」

14

彼に対する妄想の中で、俺が一番好きなのは、まず、二人で温泉に行く。部屋に露天風呂が付いてる部屋。お湯に浸かりながら俺は彼を膝に乗せて、彼は後ろ向きで、髪の短い側じゃなくて長い方を向かせて、その髪をどけて、頬や耳に舌を這わせる。俺はその妄想をもう一度頭の中で味わっていると、彼の声がする。

15

「先生。いいですか?」

彼は俺の買ったばかりのグッチのシャツを掴む。

「ああ、ゴメン。どこに行く?」

彼はまだ俺のシャツを離さない。

「先生いつも素敵な服着てますよね。イケメンだし。モデルさんみたい。」

俺の着道楽。ゲイの独り者なんて、他に金の使い道もない。俺達は当てもなく駅の方向へ歩き出す。商店街の店は次々にシャッターを降ろし始める。

16

俺の扇情小説、女を花にたとえて書いていた。俺達男は雄しべで、最後には雌しべに囚われる運命にある。でも、もし二つの花が雄しべを絡ませ合って、それが性行為になって。だとしてもきっと、俺達はいつまで経っても浮かばれない。俺は歩きながら、そんな狂ったイメージが浮かべていた。3つも濡れ場を書いた後だから、きっと脳が疲労している。突然、目の前の靴屋のシャッターが大きな音を立てて閉まる。それに驚いて、1匹のネコが飛び上がって道を走り抜ける。それは飼いネコとノラネコの中間位の風貌で、グレーのトラだった。

17

彼が立ち止まる。

「もう大分忘れたと思ったけど、実際見ちゃうとダメですね。」

彼の涙が落ちる前に、俺は彼をそこにある渋いバーに押し込んだ。こんな所にあるなんて、今まで気付かなかった程、小さなバー。店構えやボトルの並べ方はどこにでもあるバーと同じだが、ライティングが凝っていて、俺の専門であるルネッサンス期に創られたステンドグラスの色みたいだ。青、オレンジ、そして緑。北原君はバーのカウンターに座って、さっきのネコのせいで、やっぱり涙をこぼし始めた。俺は彼の短い髪の側か、長い髪の側かちょっと考えて、やっぱり長い方に腰かけた。俺達の間で髪が邪魔になる感じがセクシーだと思って。

「泣き過ぎて目が痛い。」

彼は顔を洗いに行くと言って席を立った。

18

店と同じくらい渋いバーテンダーがオーダーを取りに来た。俺は北原君に何がいいか聞いていなかった。男を落とす時、俺はシャンパンを二つオーダーするんだけど、ネコが死んだんじゃそれもできない。ボーっとしていると、バーテンダーが少しクスって笑う。

「お連れの方が戻ってらしたらまた来ましょうか?」

「ああ、すみません。」

「あの方なんであんなに泣いてらっしゃるんですか?差し支えなければ。」

「ネコが死んだそうです。」

「なるほど。」

19

その時なぜか俺は、この店には音楽がないな、って気が付いた。土曜日らしく、お客さんはそれなりに入っている。でも音楽がない。

「どうして音楽かけないんですか?」

「あのステレオね、いいヤツなんですけど、壊れちゃって。修理しようと思ったんだけど、静かでこれもいいかな、って思って。」

バーテンダーは他のお客さんに呼ばれて行ってしまった。そこへ北原君が戻って来た。かなりサッパリした顔をしている。

20

「君が何飲みたいか聞き忘れた。」

「すいません。でも僕、あんまりこういうの詳しくなくて。」

「じゃあ、ビールかなんか?」

彼は自分の邪魔な長い髪を耳にかけて、しばらく赤く腫れた目で俺を見詰めて、そして俯いた。

「少し酔った方が忘れられるかも。」

「いいよ、酔っても。」

「あ、すいません。なんかご迷惑ですよね?」

俺は手を伸ばして、彼が今、耳にかけた髪をまた降ろした。彼がビクっと反応したのが分かる。俺はロマンティックに囁く。

「この方がいいから。」

いかにも好色の男色家みたいだけど、だってそれほんとのことだし、ネコのこと忘れさせてあげるし。

21

丁度いい所で、田辺から邪魔な電話が入る。俺の優秀な編集者。さっき送った濡れ場3回の小説について。

「徹先生、あの小説読みましたけど、少し話しの辻褄が合わない箇所があって。」

俺の人生に辻褄なんて物は最初からない。この男は何を言っているんだろうか?

「そもそも季節が滅茶苦茶ですよ。一体、夏なんですか?それとも冬なんですか?」

それはいい質問だと思って、俺は真剣に思い出そうとする。

「男がツイードのスーツを着てるシーンがあるから、冬だ。」

「でも女は袖無しのドレスを着てるんですよ。」

「それは間違いだ。冬だ。毛皮のコートでも着せてやれ。」

俺は適当に電話を切った。

22

俺は北原君を大人の上等なテクで、いい具合に酔わせた。理性を失うちょっと手前で、情交を結ぶには支障が無い。ネコのことは経験が無いので分からない。大学の側に借りている俺のマンション。ドアを開けて中に入ると、彼がきつく抱き付いてくる。彼のボルサリーノが床に落ちる。少し酔わせ過ぎたか?軽くキスをしてやって、ベッドに連れて行く。いつもならここで、とっとと頂くはずなのに、俺の脳裏にどこからか、今まで芽生えたことのない「罪の意識」がやって来る。ネコが死んだことを利用するなんて。ベッドの上でスヤスヤ寝ている北原君のシャツのボタンに手が伸びる。俺はネコのことや、このひと月カフェに通い詰めたことや、俺の性欲や、色々考えた挙句に、カウチで寝ることにした。

23

日曜の朝。田辺の電話で起こされた。

「徹先生、新しい挿絵画家と打ち合わせだって、言ってあったでしょう?」

「挿絵画家なんてどうでもいいって、言ってあっただろう?」

「直接先生にお会いして、イメージを決めたいって。」

「そんなことはどうでもいい。そっちで勝手に決めてくれ。」

ケータイがベッドルームに置いてあって、北原君が目を覚ましたようだ。田辺の声が急に小さくなる。

「先生、今いいとこなんでしょう?分かりました。作家には日頃の経験が大事ですから。」

そう言って電話を切った。

24

俺はベッドの彼に優しくキスして、コーヒーを入れてあげる。キッチンのテーブルで俺達は向き合って座る。

「先生、相当お好きだっていう噂ですけど、僕じゃやっぱりダメですか?」

「君のネコのことがあったから。」

彼はネコ、という言葉に反応して目をパチパチさせる。しまった、また泣かせたかな、って俺は焦る。

「昨日は、ネコがいなくなって、マジでこれからどうやって生きて行けばいいの?って思ったけど。」

俺はうんうんと頷いて聞いている。彼のコーヒーを持つ手が目に入る。カフェでいつも見ていた手が、すぐここにある。

「もう大分落ち着きました。先生のお陰です。家にいたらきっと思い出して、一晩中泣いてたとこです。」

「よかった。君の生き物に対する心情の深さには恐れ入った。」

俺は心にも無いことを言って、実際は彼の服の下にある身体を想像している。

25

「先生、僕、謝らないといけないことがあって。」

甘えた声。目が揺れている。

「ネコが死んだことを利用して、貴方に近付こうとしてました。」

そんなこと言ったら俺の方こそ、思いっ切り利用しようとしてた。あの奇妙な「罪の意識」がやって来て、それを救った。

「おあいこだよ。俺だって。」

彼は不思議そうに俺を見る。

「君、今日は店休みだろう?食事に行こう。」

「でも僕、あんまりバカみたいに泣いたから、シャツよれよれで。」

「俺のクローゼットから何着てもいいから。」

俺がシャワーから出ると、彼はまだクローゼットの前で悩んでいる。

「すごい量の服ですもん。高そうなのばっかり。」

俺は白いTシャツの上に軽いリネンのジャケットを羽織る。

26

日曜のブランチ。白いテーブルクロスに銀の食器。

「よく似合うよ。」

彼は俺の服の中で一番カラフルな物を選んだ。漫画っぽいプリントのシャツ。天使がたくさん舞っている。濃いラベンダー色のジャケット。俺はいつも鏡の前で練習している、色んな決めのポーズを試す。彼はウェイターにも丁寧に応対する。

「どうもありがとう。」

そんな言葉が自然に出る。育ちがいいのかな?俺はそう思う。まだ彼のことを何も知らない。ネコのこと以外は。彼の顔に銀食器の光が反射して夢のように美しく見える。彼はポーズしなくても、どんな方角からもやっぱり可愛い。ちゃんと付き合おうかな?何年振りかにそう思った。死んだネコのミステリアスな力で結ばれた俺達。





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