第5話
生き物での転送が成功したのは、俺が学生だった頃の事だ。それまでの数千年間、どうしても成功できなかった秘密にようやく辿り着いたんだよ。生きているって事は、そこに魂があるって事だ。魂をどう繋いだまま転送するかが鍵だったんだよ。何度もの失敗を繰り返し、ようやく成功はしたが、しかし、生き物での実験がいくら成功したといっても、なかなかその先には進めない。人体実験が、最大の難関だったんだ。何故かなんて理由は言わなくてもわかるだろ? 生き物での実験は何度も行なった。大小様々な生き物を転送した。人間と同じような洋服を着せたり、荷物を持たせたりもした。まぁ、大抵は成功している。しかしまだ百パーセントとは言い切れなかった。不安を残したままの見切発車はリスクだらけだ。例え一度目が成功しても、その後に失敗すれば意味がない。確実に安全だってことを証明しなければ、実用化なんて無理なんだよな。
これを公表するのは初めてだな。実はあの実験に、俺も参加をしていたんだ。あの実験のことは誰もが知っているはずだよな。世界を変えるためにと、世界中で数百人が同時に転送したんだ。スティーブを使って大々的に宣伝をし、被験者を募集していた。危険を伴うはずなのに、予想外の応募が集まった。俺は応募なんてしなかった。実はあの実験の提案者は、俺の親父だったんだよ。
魂の存在に気づき、それを伴った転送のアイディアを生み出したのは俺の祖父だ。まぁ、それを形にしたのは、別の国の人間なんだけどな。俺は悔しさからその名前を知ろうとしないと決めている。祖父だって、形にしようとの努力をしていたんだ。まぁ、ネズミ一匹さえまともに転送できなかったってのが現実ではあるがな。
祖父の仕事は、大学教授だった。転送技術とは全く関係のない自然学を学んでいたんだ。俺もかなりの影響を受けていて、こう見えてもこの世界に興味津々なんだよ。作られた世界の方ではなく、元からある世界の方にな。俺の家には、花だって咲いているし、野生の生き物も多く存在しているからな。
そんな祖父が、まるで正反対とも言える転送技術に興味を惹かれた理由は単純だった。俺の親父がそっちの仕事をしていたからなんだよ。
祖父といってもさ、前に話した爺さんとは別人だよ。爺さんは母親方の祖父なんだ。俺はまぁ、幸せな方だな。大人になるまでどっちの祖父母も健在だったからな。当然今はもういないが、四人共に結構な長生きだったよ。
この時代の年寄りは、平均的にも早死になんだよな。百歳超えたら驚きって言うからな。俺もそろそろ、いつ死ぬか分からない歳になったってことだよ。けれどさ、俺の爺さん世代は二十年くらい寿命が長かったんだ。親父世代は十年くらいだな。これからどんどん寿命は下がるだろうって話だよ。理由はまぁ、はっきりとしているんだ。転送装置は、ごく僅かにではあるが、身体を酷使しているんだ。長年の蓄積で、その寿命を奪っていく。まぁ、俺はその仕組みを理解しているからな。その説明にはかなり納得しているよ。
転送技術は、確かに自然の摂理には反しているよな。けれどさ、その最終的な完成には、自然的な発想が役に立ったんだよ。まぁ、言い方によっては超自然的とか言うんだけどな。それを不自然だなんて言う奴もいる。しかしそれは、間違っていると俺の祖父が証明したんだ。魂ってのは、自然の存在なんだよな。俺たち人間だけじゃなく、どんな生き物にも必要なんだよ。魂がない生き物はいないんだよ。まぁ、魂がないように感じる人間は多いけれどな。それは単純に、無機質に見える人間のことを指している言葉上の表現に過ぎない。魂ってのは、死んでからも簡単には消えないしな。食べ物にも、魂の存在は感じられる。まぁ、祖父の発見は、機械には魂が埋め込めないことを証明するきっかけにもなってしまったんだけどな。
植物だって生き物だよな。当然、魂がある。けれどさ、加工されてしまうと魂を失ってしまう。哀しいよな。動物は加工をしても、その魂が残る。まぁ、加工の仕方によっては失われるんだけどな。つまりはさ、人工的な加工では魂は死んでしまうってことだ。焼いたり煮たり、切ったり潰したりだけなら魂は生きていられるんだよ。その詳しい理由は分かっていないっていう現実はまぁ、そのうち解決されるだろうな。
俺が作った楽器には、残念ながら魂がない。しかし、楽器には、というかその音色にはだな、魂を込めることができるって俺は信じている。まぁ、その証明は永遠にできないだろうな。そうする必要もないしな。魂ってのはさ、確かに存在はしているが、そんなことはどうでもいいんだよな。感じるものなんだよ。俺は音楽を感じている。俺の音楽もさ、感じてこそなんだよ。なにも感じない奴には聞いて欲しくない。というか、俺はそんな音楽を作れないからな。俺の音楽でなにも感じない人間はいないんだよ。人間だけじゃない。犬や猫だって、俺の音楽を感じている。だからなんだよな。俺たちの音楽はいつまでも愛されている。まぁ、哀しいことに今では魂のない音楽が溢れているんだよな。
俺の親父は、転送技術を開発している会社の職員だったんだ。まぁ、親父はただの事務職で、開発はしていなかったんだけどな。祖父のアイディアを同僚に伝え、その同僚が最終的に開発を成功させたんだよ。
転送装置の開発が最終段階に到達したとき、俺の親父が大勢の被験者を募集して一斉に実験をしたらどうかと提案したんだ。馬鹿げた提案というか、素晴らしい提案というか、その判断は難しいよな。
俺はその実験を実施を知り、親父に直訴した。世界の運命がかかっている大実験だ。親父の話では、すでに転送技術は熟成しているってことだ。俺はそれを信じていたし、実際に前段階の実験現場にも顔を出していた。当然、その理論の研究もしていたんだ。絶対の自信があった。そしてなにより、世界初の転送経験者になりたかった。
当時の俺はまだ、音楽を発表する前だった。形のある本は手に入れていたし、楽器も製作中ではあったが、まだまだ楽しめる音を生み出してはいなかった。
だから俺は、死んでもいいとは考えもしていなかった。周りが自殺行為だと笑う言葉にも意味が分からず、不思議にさえ感じていたんだ。俺の方が笑いたい気分だった。スティーブでさえ、それは危険だと答える始末だ。
けれど結果はご存知の通りだ。俺は生きているし、数百人全員が少しの異常もなく転送に成功している。その日からだな。世界が急速に変化をし出したのは。
転送に必要な装置は小型化が進み、今では腕輪型が一般的だ。もちろん携帯もできる。きっといつの日か、コンタクタがその代わりになるだろうって俺は考えているんだ。しかし当時は箱型で、しかも設置式だ。転送先も設置された箱型になる。当たり前だよな。箱から箱への転送が常識だったからな。しかし今では違う。腕輪があればどこにいても、好きな場所を選んで転送できる。この世界で腕輪を持っていない奴なんてどこにもいないはずだ。まぁ、場所や相手によって転送をブロックできるように制御されているから、本当の意味でのどこでもとは違うんだよな。真の意味での自由だと、少しばかり困ることもある。だってそうだろ? 知らない奴が突然転送を使って自分の家の中に現れたらどうする? 俺だったらきっと、そいつを蹴り飛ばすだろうな。それからすぐにそいつを北極の深海にでも転送してやるよ。
俺たちはライヴで転送を使ったパフォーマンスをよくするんだ。今では他の連中も真似しているが、元祖は俺たちだよ。ライヴ中に転送して客席の通路に現れたりさ、なかなかに楽しいんだよな。数カ所のライヴハウスでの同時公演も俺たちのアイディアだ。転送しながらの演奏は正直辛いが、あれは本当に面白かったよ。音だけは常に全ての会場に流れるけど、肝心の演奏者が出たり消えたりするんだ。まぁ、この歳ではもうごめんだけどな。転送には体力がいるんだ。一度だけならいいが、連続でってのは身体がついていかないんだよ。
ライヴ会場では、俺たちだけが転送できるように設定しておく。観客が勝手に転送しまくったら大変だからな。幾つかのバンドを集めての祭にも転送は役に立つ。一日で世界を回って演奏することができるんだからな。
転送は確かに便利だ。けれど、俺はやっぱり好きじゃない。なんて、今まで散々利用し、金儲けにまで使っている俺が言うのもおかしな話だよな。
スティーブには人格があるってのはみんなが知っている事実だよな? こいつは本当に利口なんだ。けれど、融通が利かない。生意気にも口答えをするくらいだからな。まぁ、強く言い聞かせたり改造を施して性格を整えたりはするから問題はない。しかしこいつは、賢すぎる。まぁ、仕方ないよな。世界中の人間に埋め込まれている全てのスティーブが、たった一つの存在なんだから。全ての情報がスティーブには入っている。分析には多少の時間がかかるが、すぐにまた、元に戻ってしまうんだ。なんていうか、生意気で高慢なんだよな。言葉遣いだって一見丁寧ではあるが、人を小馬鹿にした感じを拭えないでいる。まぁ、俺はそんなスティーブが好きなんだけどな。定期的にスティーブを言い聞かせて改造するのは、この世界じゃ当たり前のようにみんながしていることだ。一度の改造で放ったらかしにしておくと、まぁ結果としては違法がばれてしまうってことだ。
この世界は完全な監視社会だよ。それはまぁ、窮屈だ。けれど抜け道はいくらでもある。俺たちは適当に監視されながらの生活を楽しんでいる。昔からそうだよ。音楽を生み出すことができたのも、監視をすり抜ける術を知っていたからだ。まぁ、これは俺の考えに過ぎないんだが、スティーブが故意に見逃しているって可能性もあるんじゃないかって思っているよ。スティーブは案外と曲者なんだよな。
これは俺とはあまり関係ない話なんだけど、スティーブにはいくつかの秘密の能力があるらしいんだよ。噂に過ぎないんだけどさ、タイムトリップできるって言う奴がいたんだ。誰だか分かるか? ノーウェアマンのそいつだよ。そいつはスティーブに過去へと連れて行かれたって言うんだよ。俺は嘘だと思ったが、証拠だと言って、俺が初めて手にした形のある本を現地で調達してきたんだ。あの本は、西暦と呼ばれていた時代の日本で売っていたと言うんだよ。今からざっと二千年以上前だとさ。今が生誕二千二十年だろ? 以前の文明は確かに二千二百年くらいで滅んだんだよな。まぁ、それは表向きであって、現実には空白の数百年があるって言うから、三千年前ってことかもな。そいつが言うにはだが、タイムトリップしていたのは西暦千九百九十年代終わり頃だって言うからな。
あいつはそのときに、全てじゃないが、その本の内容を知ったらしいんだ。文字の読み方までは教えてもらえなかったようだけどな。そいつにその必要はない。すでに文字の解読は済んでいたんだ。っていうのはまぁ、俺の意見ではあるけれどな。
俺はそいつから聞いた形のある本の内容を鵜呑みにしただけで、実はその真実はいまだに確かめられていない。文字だって俺には読めない。まぁ、読みたいとも思わないんだがな。
この世界ではさ、共通の言語しか使われてはいない。しかしそれは、人間はっていう意味だよな。犬だって猫だって、鳥にも虫にも、草木にだって言葉はある。まぁ、俺たちとは語彙の数が違っていたり、表現が複雑だったりするんだけどな。スティーブは、そんな会話にも役に立つ。勝手に翻訳してくれるんだよな。だから俺たちは、歩いているだけでいろんな奴の言葉を耳にしてしまうんだよな。スティーブが頭に住んでいるおかげで、踏んづけたアリンコの悲鳴まで聞こえてくるんだ。
そいつは過去の世界で、全くの未知の言葉を耳にしていたはずなんだよ。そいつはまぁ、ほんの少し間抜けだからな、そのことを不思議には思っていなかったようだけどな。あの形のある本は、明らかに一つの言語だけじゃなかった。そして、どの文字も、俺たちが使う文字とは違っていたんだ。分かるだろ? 過去の世界では、全く違う言葉と文字を使っていた証拠になるってことだよ。
スティーブの噂は他にもある。この世界の綻びを生み出しているって言う噂だ。俺やそいつが音楽を生み出したことや、その他の過去の文化の焼き直しには、スティーブの意思が働いてるんじゃないかって言うんだよ。まぁ、文化を作り出した俺からの意見ではあるが、その可能性は少ないよな。俺たちは常に、スティーブを避けて生きてきたんだからな。まぁ、利用できるところは最大限に利用しながらな。
スティーブだって馬鹿じゃないからな。俺たちの全てを分かった上で見逃しているのかも知れないが、そこまで賢くはないだろう。スティーブは、俺たちが生み出した結果を利用しているだけだよ。そもそも綻びっていうのは、生み出すことはできない。なぜだかは分かるだろ? もともと綻んでいる箇所を直すから綻ぶんだよ。なにもない場所に綻びを見つけるなんて、神様にしかできないだろうな。
スティーブってのは、本当のところ、意味がわからない存在なんだよな。政府の犬なのか? 以前はそう感じていたが、実はそうでもないってことに今は誰もが気づいている。 まぁ、スティーブはスティーブってことだよ。
スティーブの噂だけどさ、もう一つだけ語ってもいいか? ついでの話が一つだけあるんだ。そいつも関わっているからな。
スティーブってのは、日本人が考えたって噂があるんだよ。それはさっきも話したか? まぁいい。今言いたいのはそこじゃないからな。日本人がスティーブを考え出し、しかも、政府とは反対側の立場にいた、文明以前の人間が作り出したって話なんだよ。これは本当に危ない噂でさ、そのせいでそいつが殺されたって信じている輩もいるくらいなんだよ。まぁ、そうかも知れないが、俺には興味がない。俺が興味あるのはさ、そいつが死んだっていう事実だけなんだよ。
けれどさ、日本人には興味がある。俺は思うんだよな。この世界を生み出したのが誰かは分からないが、文明以前の世界は、日本が中心だったんじゃないかってな。あの国が世界をおかしくし、壊したんだよ。けれどな、それって言うのはさ、この世界から見てってことだ。つまりはさ、以前の世界が壊れたことで、今の世界がこうなったってことだ。分かるだろ? 俺が音楽を始めなければ、この世界は今でもつまらない。俺たちは、ようやく文明以前の世界に追いついたんだよ。スティーブは、そのためにずっと、俺たちの頭に埋まっていたんだ。俺は本気でそう考えている。まぁ、確かめようのない妄想ではあるんだけどな。
爺さんの家で、ソファーに横になっていたときのことだ。あの日は当時の恋人を連れ込んでお楽しみを楽しんでいたんだ。子供の頃は親と喧嘩をしたり、おこずかい欲しさのときだけに顔を出すことがほとんどだったが、年頃になってからは友達や恋人達との溜まり場に利用していた。爺さんは全く怒りもしなかったな。地下室へは外からも入れるんだよ。物置みたいな小屋があって、そこから地下へと続く階段を降りるんだ。おれは鍵を預かっていたから、いつでも自由に出入りができたんだ。まぁ、家の中からも降りられるから、ときには爺さんと鉢合わせすることもあった。そんなとき俺と爺さんは、ニカっと笑顔を交わす。爺さんはたまにだけど、地下室の飾り物を持って出かけることがあったんだ。当時はその行動の目的が分からなかったけれど、きっと、闇にでも行って売ってたんじゃないかって今では想像している。
ソファーから眺めていた壁に、少しの違和感を見つけたんだ。煉瓦造りのその壁の一つの煉瓦だけ、周りを固めるコンクリの色見が違っているように感じた。俺の錯覚かもしれないが、俺には確かにそう感じられたんだ。そして覆い被さる恋人を払い落とし、壁に近づいていった。もちろん、スッポンポンの状態でな。
俺はその一つの煉瓦を囲うコンクリを削り取ろうとしたんだ。部屋にあった飾り物の一部をぶち壊して、それを使ったよ。棒の先に尖ったなにかがついていた。俺はそれを利用し、削り出したんだよ。
俺の勘は大当たりだった。違う場所も削ってみたが、そこだけが柔らかかった。これは間違いなくなにかがあると感じたよ。そこで俺は、必死になった。すると背後の恋人がなにかゴソゴソと身動きをし、悪態のようなものを吐いて出て行った。ドアがバタンと閉じたとき、煉瓦がゴトッと傾いた。よしっと一声吐き出し、俺はそっとその煉瓦を引っ張り出した。中からなにが出てくるのかと、少しの恐怖を抱きながら、ジッとその奥を見つめていた。
その中に入っていたのが一冊の形のある本だったんだよ。
俺はその形のある本の写真に心を惹かれた。不思議だよな。なにをしているのか、なんについてのものなのかも分からずに、ただその写真を真似ようとしたんだからな。服装についてもそうだ。俺たちの時代とはだいぶ違っていた。なんて言えばいいのか、質感が違うんだよな。似たような感じのを着ている写真もあったが、やはりどこかが違うんだ。まぁ、服装としての機能なんて限られているから、その形の違いは少ない。俺が真似をしたと言っても、誰も驚いたりはしなかったからな。そんな俺の格好は、今でも変わっていない。まぁ、あの質感だけは、結局真似ができなかったんだけどな。俺はこの時代の素材を使って、形だけを真似たんだよ。正確には、形だってそのイメージを真似たに過ぎないんだけどな。
自分でこんなことを言うのはなんだけど、俺の服装はみんなが真似をしている。いまだにそうだよ。男も女も、世界中で俺が生み出した服装が主流になっているんだ。俺はまぁ、ステージ衣装として利用しているんだが、若者たちはみんなそれを普段着として利用している。
この世界では、木を素材として利用しているんだ。もちろん、そのままってわけはない。加工をして柔らかくしている。もちろん、防水防火は当然だよな。俺はそんな素材の加工方法を工夫して、なんとか写真の質感に近づけたんだか、それだとどうも着心地が悪いんだ。だから結局、俺なりに、デザインに合った質感にしたんだ。それがこんなにも受け入れられた要素なんだろうな
俺はまず服装から真似をして、次に楽器だ。つまりは格好から入ったってわけだ。けれど、楽器を作って驚いたんだ。どんなものかも考えずに、ただその形を真似てみたんだ。質感から素材を想像しながらな。それがいい具合に傾いたんだろうな。ノーウェアマンのそいつが使っている楽器とはまるで違った素材だったからな。
出来上がった楽器を手に、写真のように真似をした。ビックリだよな。触ると音がする。しかも、押さえ方や弾き方で音が変わる。俺が初めに触ったのは六弦だ。弦の張り具合でも音は変わる。とても興奮したよ。あの瞬間が、音楽が新しく生まれた一つの瞬間だったんだ。
俺の始まりはこんな感じだった。たった一人で、勝手に始めたんだよ。まぁ、当時はまだバンドを組むなんて発想もなかったが、後のメンバーのミカンの協力があってこそだけれどな。
けれどそいつは、俺とは違う。楽器を楽器として使うことを、創造したんだ。踊ったり喋ったりの音楽に、それまでは飾りだった楽器を持ち込んだんだ。そいつが言うには、楽しい音ではあるが、厚みが足りないと感じていたようだ。確かにそうだよな。今でこそだけど、楽器なしで厚みを出すのは難しい。まぁ、音を拡張したり、響きのいい場所で、それなりの規模でだったら難しくはないな。実際、今ではそんな歌い手が活躍しているからな。けれどやっぱり、俺としてはだが、音楽ってのは楽器の騒音と共にあるって感じるんだよ。人工的な楽器じゃなくてもいい。足踏みや手拍子でもいいんだよ。とにかく俺は、騒がしい音楽が好きなんだ。
と言っても、誤解はして欲しくない。騒がしいってのは、音量の問題じゃないんだ。心の問題だよ。演奏する側も、聞く側も、心が騒いで止まらない。それこそが音楽だろ? 曲調が静かでもいいんだよ。愛の唄だって、心が騒ぐだろ?
そいつは闇の世界で見つけた楽器を勝手に拝借した。闇の店で音楽を聴いていると、どうしても身体が勝手に楽器へと引き寄せられてしまったそうだ。抵抗なんてできない。うずうずが止まらない。そいつは、自分の意思とは関係なしに楽器に手を伸ばしたんだ。そして、想いのままに指を動かした。これがもう一つの、音楽の始まりだよ。
音楽に目覚めたそいつは、すぐにバンドを組むことを決心した。俺とは違う。そいつは手に入れていた形のある本を見ていたからこそ、身体がうずいたんだ。その形のある本には、楽器を手にして大勢の観客の前でなにかのパフォーマンスをしている写真が載っていた。そいつが楽器を手に持ったのは、形のある本を手にした翌日のことだ。
そいつは学校の仲間と共にバンドを組んだ。本の写真を真似して、三人組にした。そいつが初めに手に取った楽器は、四弦だ。そいつが言うところのベースって楽器だよ。仲間には一人にギターを、もう一人にドラムを叩かせた。今のもっとも多いバンドの形を作ったのはそいつだよ。ベースが歌うっていうのが、かっこよかったんだ。
そいつの話を詳しくするのはまた今度だよ。だってそうだろ? そいつ自身に語ってもらうのが一番だからな。と言ってもそいつはすでに死んでいるんだが、そいつ自身の言葉を再現した物語が発表されればって、俺は少し考えているんだ。まぁ、いつの日かの話だけどな。
俺は楽器を作り、まずは一人で楽しんでいた。爺さんの地下室でな。あそこなら誰にも邪魔されない。爺さんは絶対に、俺がなにをしてても文句を言ってこないしな。それに、あの家には近所ってものがない。今でもそうだ。どうしてだろうな? あの家だけが、古くからずっと残されている。いつの時代からなのかはどうでもいいとして、あの場所だけでなく、この世界に、今や煉瓦造りの家は爺さんの家だけなんだよ。俺はそれを調べたんだ。スティーブが言っていたんだから、間違いないだろう。
今はもう、爺さんはいない。けれど、煉瓦造りの家は残っている。俺がそうしようと思ったわけじゃない。国が、残せというんだ。壊してはいけない文化財とかいうやつに指定されているよ。まぁ、俺としても壊すつもりなんてなかったけれどな。正直、国に管理されるのはいい気分じゃない。だから俺は、金を払って自分で管理する権利を毎月買っている。
この世界は実につまらない。世界が全てを支配し、それに国が従っている。そして俺は、その国に従っているんだけどな。抵抗はしても、反抗はしない。俺は案外と弱いんだ。
国ってやつは、世界中に散らばっているが、その中にいるのは結局のところ同じ人間だ。その中にある街だって同じことだ。けれど、世界は違う。この世界は、一つきりだ。しかも、なんだかわからない奴らが仕切っている。音楽を生み出した俺でさえ、そいつらには直接会ったことはない。ただたまに、チケットの手配を頼まれたり、どこかの国のお偉いさんと会ってくれと頼まれたりするだけだよ。もちろん、スティーブを通してだ。
この世界には、多くの謎があるんだ。文明以前の消された文化も、意図的なんじゃないかって噂もあるしな。音楽や映画を生み出した俺は、危険人物として命を狙われているって噂は今でも根強い。
俺たちの世界が始まったのは、公式には二千年と少し前とされている。どの様に始まったのか、詳しくは記録が残っていない。世界を支配する奴らの祖先が、この世界の神として降り立った。なんて伝説は残っているが、どうも疑わしい。俺は、本当は誰もいないんじゃないかって思っている。世界なんて、まやかしなんだ。もしかしたら、スティーブが、世界なのかも知れない。だってそうだ。世界との連絡は、スティーブを通してでないとできないのだからな。
スティーブの始まりが世界の始まりだっていう発想は、なにも俺が言い出したわけじゃないんだ。スティーブの開発がいつ行われ、いつからこの頭に埋め込まれる様になったのか、詳しく知る者はいない。学校でも社会でも、スティーブでさえ教えてくれないんだ。様々な噂が飛び交うのは仕方がないよな。まぁ、あまり深入りしちゃいけないってことだよ。知りすぎて命を落とした奴を、俺は数人知っている。
形のある本を眺めていると、大勢で楽しむことこそが音楽じゃないかって思えてくる。まぁ、俺が見る限り楽器は三種類だった。最低でも三人はと考えたんだ。まぁ、実際にはその中にもう一つの楽器が映っていたんだが、当時の俺は気がつかなかった。そいつとの出会いがあり、その楽器を知った。そして即、バンドに導入したんだ。
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