第2話


 俺は一冊の本を眺め、音楽を勝手に想像し、その写真を真似て勝手に始めただけだ。不思議だが、その形のある本を開くとメロディーが流れてくるんだ。今でも変わらず、毎回違うメロディーが俺の頭の中に溢れ出す。

 俺は写真を見て楽器を作った。六弦、四弦、打楽器。俺は勝手にそう呼んでいたよ。今ではそいつから教わった名前でみんなに親しまれているけれどな。写真の見た目以外には、全てが俺の想像力の賜物だよ。なんていってもさ、演奏風景の写真が何枚もあったんだ。しかもカラーでね。なんとなくのイメージを掴むのはそれほど難しくはないんだよ。

 さらに俺には、協力者がいた。それはもうご存知だよな。ライクアローリングストーンの打楽器奏者だ。あいつはミカンと呼ばれている。その理由もご存知だよな。鼻の皮膚がミカンの皮のように凸凹しているんだ。

 ミカンは、俺のイメージと写真をもとに三つの楽器を生み出した。最高の仕上がりだよ。俺にとっては、ノーウェアマンの演奏と遜色のない音を出す。しかしそいつには、違って感じていたそうだ。俺の言葉に反応をし、やっぱりそうなのかなんて言いやがる。俺は少しイラっとしたよ。なんせ、ノーウェアマンの音源を聞いた直後だったからな。俺は正直、衝撃を受けていたんだ。音楽そのものにっていうよりも、そいつの作り出す曲は、言葉も音も、全てが最高に気持ちいいんだ。俺の作り出す音とは、似ている部分もあるようでいて、まるで別物だった。俺はそいつに、俺たちの音楽をバカにされたんじゃないかって感じたんだよ。

 あんたらの曲は、俺たちには作れない。俺はそう感じたんだ。楽器の音も似ているようで独特なんだよな。不思議だったんだ。俺たちには出せない音を出しているのはなぜかってね。その理由が少し、わかったよ。まさか手作りの楽器だったとはな。あんたら、凄すぎるよ。

 俺にはお前たちが羨ましいよ。手作りじゃないっていうんなら、どうやって手に入れた? っていうか、本物の楽器はやっぱり違うな。こんな音は初めて聞いたよ。

 するとそいつは、声を出して大笑いした。俺たちの音が本物だって? あんたにはそう聞こえるのか? 確かにそうだな。俺たちが使っている楽器は、文明以前から残されている遺品だよ。けれど俺には、あんたらの音の方が本物に聞こえる。俺たちのはただ、文明以前の焼き直しをしているようなものだからな。

 そいつはそう言ったが、決してそんなことはない。本物が持つ音は、やっぱり凄いんだ。俺には出せないその音に、俺はときに嫉妬する。まぁ、だからといって俺は、そいつの真似なんてしない。俺は俺らしく、偽物の楽器で勝負する。そして今では、そんな偽物さえ本物とみなされているんだから、俺もたいしたもんだってことだ。そいつは言っていたよ。あんたらは間違いなくオリジナルだってね。当時は意味のわからない言葉だったが、今ではわかるよ。その後に湧き出たバンドは、どれもがノーウェアマンとライクアローリングストーンの物真似だったんだからな。唯一の存在である元ネタは、俺たちとそいつらだけだってことだよ。

 とはいっても、面白いバンドは結構いるよ。俺には想像もつかない音が、幾つも聞こえている。しかし、どんなに音楽の幅が広がったとしても、その根本は変わらないんだよ。楽しむことを否定した音楽は、存在しないってことだ。俺もそいつも、音を楽しむために音楽を生み出したんだからな。

 この前俺は、孫を連れて小さな音楽フェスに顔を出したんだ。そこで嬉しい光景を目にしたよ。俺たちがやってきたことは、確実に未来に繋がっている。そう感じたな。言っておくが俺は、孫の付き添いで顔を出しただけで、演奏はしていないよ。そのフェスは、保育園で行われていたんだ。メインホールは普段は給食やお遊戯会にも使うそうだよ。大きな保育園でさ、音楽室やらアトリエやら、実験室とかおままごと室とかもあったな。中庭を囲む建物はぐるっと一周できるようにもなっていた。庭なんてまるで森だよ。自然が溢れる保育園ってのがコンセプトのようだ。俺がそこに行ったのは初めてだが、孫は毎日通っている。一緒に来て欲しいってうるさくてね、俺はお忍びで出向いたってわけだ。

 大した変装なんてしなくても、帽子をかぶれば誰にも気づかれない。俺なんてそんなもんだ。まぁ、気づいていたとしても、ああいう場で無闇に話しかけてくる奴は少ない。俺は孫との時間を楽しんでいるんだ。邪魔する奴は、普通じゃないね。実際にその日、俺を見つめる奴はいても、誰も話しかけてはこなかった。俺が嫌味な雰囲気を出していたわけじゃない。俺はいたって普通の日常を楽しんでいただけだからな。

 保育園での音楽フェスは、大人も子供も楽しめるってのがコンセプトだそうだ。まぁ、それって当たり前だろとは思うが、現実としては難しい。どちらかに偏ってしまうのが現実だ。大きなフェスに子連れが集まることはあるが、大抵は親の付き添いだったりする。   子供向けだとその逆だ。だからこそ、会場が保育園なんだな。なかなかいい選択だよ。大人も子供も無理せずに楽しめるからな。音楽以外の展示も子供目線で楽しかったよ。そしてなにより、そこの園長が面白かったな。あれはまさしく変人だ。俺と同じ匂いがする。

 俺が驚いたのは、園長がメインになっての不思議な講演会のような催しだ。幾つかの楽器が置いてある音楽ルームというか、ちょっと広めの談話室って感じの部屋だったよ。まぁ、椅子なんてなく、机も隅に二つあるだけだったけどな。その部屋で園長が始めた音楽と保育についての話は、俺には退屈だったが、熱心に耳を傾ける母親が大勢いたよ。俺が楽しめたのは、後半になってからだ。部屋にある置物やらおもちゃを一つ一つ手にとっては音を鳴らす。そしてそれを観客に手渡していく。まぁ観客といっても、ステージもなにもない教室で決められた場所もなく床に散らばっているんだけどね。園長が手拍子をし、みんなで音を鳴らす。手に持つなにかがない者には、床や壁を叩けと言う。心地良い音が、部屋を占めた。俺も一緒に床を叩いたよ。あれこそが音楽の始まりって感じだったよ。そこにいるみんなの気分が高まったとき、園長はおもむろに壁に立てかけてあったギターを手にしたんだ。ギターはわかるだろ? 俺はまぁ、それを六弦と呼んでいるんだけどね。園長が持っていたのは、俺が手作りしたタイプの物ではなかったからな。ノーウェアマン式だったんだよ。

 園長がギターを掻き鳴らすと、空気が一変する。楽しい気持ちが更にもう一段階高まるんだ。すると観客の中の一人が立ち上がり、部屋の隅に鎮座していたドラムセットに向かい、立ったまま演奏を始めた。するとまた一人が立ち上がり、今度は踊り始めたよ。なんとも楽しい光景だったね。音楽っていうのはそういうことなんだ。俺たちが始めたことは、確実に今に繋がっていた。そして未来にも繋がっていくんだと確信したよ。

 俺は音楽をそんな感じで生み出したんだ。園長がやっていたように、物を叩いたり、声を出したり、踊ったりしながらな。踊りだって音楽だろ? 俺はそう思っている。現に、踊りの文化は音楽の誕生と同時に始まっているんだからな。俺がステージで身体を動かしたり走ったりしているのを元に今の踊りがあるんだよ。まぁ、当時の俺にそんな意識はなく、後になって聞いた話なんだけどな。踊りを生み出し、その楽しさを世界に広めたあいつが、俺のステージを参考に始めたんだと言ったんだよ。

 そいつは少し、俺とは違う。っていうか、日本っていう国は、当時から謎だらけなんだ。あの国だけはわからない。同じ島国でも、こことはまるで別世界なんだよ。まぁ、魅力的ではあるんだけどな。

 そいつらの国では、闇が多い。文明以前の遺跡が今でも多く存在する。文明以前の文化を守ろうという風潮もあるようだよ。まぁ、それって国際的には許されないことだから、国としては否定しているんだけどな。特定の場所に行けば、形のある本や楽器が割と簡単に手に入るんだよ。俺は何度かそんな場所に足を運んでいる。まぁ、当然合法じゃない。あの国では、政府もグルになって文明以前の文化を守っている。と、俺は確信しているよ。なんせあそこら辺をうろつくと勝手にスティーブの調子が悪くなる。なんの設定もせずにだよ。あそこら辺にはスティーブを妨害するなにかが漂っているんだろうな。

 俺は思うんだよ。そいつは否定しているが、日本に暮らす奴らは文字が読めるんじゃないかってね。結構な量の形のある本を目にしたよ。あれだけあれば、解読する奴が現れても不思議じゃない。そいつが読み方を解読しているのもきっと、そういつだけじゃなくみんなが知っているんじゃないかと思う。さらにはその意味まで解読済みかも知れない。そいつは否定しながらも、いくつかの言葉の意味を説明していたからな。

 そいつは音楽の形のある本を手に入れる前に、すでに楽器を目にしていたそうだ。日本では、密かにではあるが、音を楽しむって文化が残っていたという。そいつは子供の頃からよく、そんな場所に通っていたそうだ。ギターやベース以外にも、三味線やら二胡やらバンジョーやら、シロフォンにマリンバ、ドラムやカホン、ありとあらゆる楽器が眠っていたそうだよ。俺が知らない楽器もまだまだ眠っているんだろうなって思うと、なんだかワクワクするよ。音楽はまだまだ進化する。もっともっと毎日が楽しくなるってことだ。

 そいつが言うにはだが、楽器はあっても、演奏をする者はいなかったそうだ。飾りとして、闇の店に置いてあったそうだ。

 そこでの音の楽しみ方は、少し今とは違う。音楽とは違い、踊りとも違い、なんて表現すればいいんだ? 喋ったり動いたり、口を使って普段とは違う音を出してリズムをとる。身体を叩いて音を出したりもする。そんな感じだ。そいつはそれを、ヒップホップと表現していたが、俺には意味がわからなかった。今でもそうだ。それはとても特別な楽しみ方であり、一般的には広まっていない。言ってみるのなら、日本という国の、伝統音楽なのかも知れない。

 そいつはそんな音に触れながら、音楽を創造した。飾られていた楽器を勝手に手に取ると、様々な音が鳴ることに気がつく。これって楽しい! そう思ったらしいよ。そこでそいつは、勝手に演奏を始めた。けれどまぁ、耳を傾ける者は一人もいなかったらしいけれどな。

 それからそいつは、色々と闇の世界を調べたそうだ。楽器について、音楽について、なにかのヒントを探った。そしてようやく、一冊の形のある本に出会ったというわけだ。そいつはまだ、形のある本が存在することを知らなかった。日常的に闇が溢れている日本でも、形のある本を探すのは難しかったようだ。今のそいつや俺はその存在を知っているから、探すことができるが、その存在を知らない当時のそいつには、とても難しいことだったんだ。今でもそうだ。その存在を知らない者にとって、それを探し出すのは至難の技なんだよ。

 そいつは運が良かった。というか、俺も同じだが、なにかに導かれているんじゃないかって思うことがある。運だけで人生が進むっていうことは、そういうことだろ? 俺たちの人生が仮に誰かが書いた物語だとして、その誰かが人生を導いているのと同じことだ。現実を生きている俺たちだって、そういう見えないなにかに導かれるように生きていくってことだよ。

 なんて言うけどさ、俺は俺だ。俺らしく生きてきたらこうなっただけだ。そいつも同じだろうな。運が良かったとか、なにかに導かれたとか、そんなこと言われても困るだろうな。

 音楽について書かれた形のある本を、そいつは店で拾ったんだ。前に座っていた客が忘れていったなんて、俺の国じゃありえない話だ。まぁそこが闇の店だってのがポイントだけどな。いくらあの国でも、普通の店に形のある本を置いていくバカはいない。スティーブに見つかれば大事だ。

 それでもやはり、俺の国ではありえない。形のある本だって、俺が手に入れたのは物凄い奇跡なんだ。俺の国にだって闇はあるが、形のある本が転がっているなんてありえない。

 ウークっていうのは、噂だとあんたの国の名前らしいよ。そいつがそう言っていた。そんな国、聞いたことがない。学校でも習わないし、スティーブだって教えてくれない。ただ、そのUKの文字を知っているだけだ。この国はスコットランドだろ? 俺がそう言うと、そいつは笑う。それはそうだけど、そうじゃないとも言えるんだよ。あんたの国は確かに文明以前からスコットランドだ。けれど、ウークっていう別名もあったんだよ。俺の国がアジアって呼ばれていたのと同じじゃないかな? そいつはそう言うが、ちょっと違うんじゃないかって俺は思う。アジアっていうのは地域の名前だろ? この辺はヨーロッパと呼ばれているんだ。ウークなんて聞いたこともないね。

 けれど俺は、そいつの言葉を信じることにした。なぜかはわかるだろ? UKってのは、俺が手に入れた形のある本に書かれていた文字なんだ。三つのバンドらしきグループの写真がいくつも掲載されている。ウークが本当に国の名前なら、きっとそのバンドが俺たちの先祖ってことだろ? まぁ、それは大袈裟だけど、大昔に、この地にいたってことは確かだ。それはとても嬉しい事実だよ。だから俺は、そいつの言葉を信じている。それに、UKの文字は、この国の至る所で発見されている。まぁ実を言うと、同じこの島の別の国からも発見されているんだけどな。

 俺が手に入れた形のある本には、多分だけど、当時のウークを代表する三つのグループが紹介されていたんだ。数多くのアルバムが紹介されていたから、解散後に作った形のある本なんだろうな。そいつが言っていた言葉はここではあえて無視をするよ。ここではそいつから聞いた意味とは関係のない、俺の感じたことを話しているってことだ。その辺を感じながら聞いてくれると助かるよ。俺はその形のある本の中からLike a rolling stone.の文字を見つけ、なぜだか惹きつけられてしまったんだよ。その形のある本の中にNowhere Man.の文字もあったんだよな。この国が音楽の発祥地なのかも知れないって俺は本気で思っているよ。まぁ、形のある本の中にはUSAの文字もあり、それがアメリカのことだって知ったときはショックだったけどな。たまたま記載されていた言葉だと信じることにしているよ。音楽のルーツは、やっぱりこの国に相応しい。少なくとも、この時代ではそうだからな。スコットランドと日本から生まれた音楽が融合し、今に至っているんだよ。

 俺はその形のある本を、闇で見つけた。その闇ってのは、ちょっと普通とは違う場所って言う意味だ。俺は、家の中で見つけたんだよ。爺さんの暮らす古びた煉瓦の家の地下室の、壁の裏側に隠されていたんだ。爺さんの家のあるあの場所は、この世界の闇に存在する。と言ってもな、他の闇とはちょっと様子が違うんだ。荒地の真ん中だが、堂々と建っているし、特に隠そうという意思もない。爺さんは普通にそこで生活をしていたし、俺も普通に通っていた。あそこが闇だという理由はただ一つだ。スティーブがそう判断しているってこと。爺さんの家は、爺さんのなん代も前からスティーブを妨げるなにかを発している。

俺はその形のある本の現物を爺さんに見せたが、知らないと言われた。見たこともないその姿に、燃やしてしまえと言う始末だ。俺はなんだか危険な感じを受け、形のある本の存在を他では口にしないと決めたんだ。ライクアローリングストーンのメンバーにも、今に至るまで話してはいない。まぁ、そいつには知られてしまったんだけどな。

 爺さんの家は、全体が煉瓦造りで、地下室の壁までが煉瓦を貼り付けている変わった家なんだよ。今時は、全てがプラチナ加工ってのが常識だろ? 煉瓦なんて土だよ。叩けば壊れる家なんて、怖くて仕方がない。

 けれど爺さんは、煉瓦造りの家に拘ってきた。その理由は、代々受け継いできたからだなんていうつまらないものだったけれど、それはそれで素晴らしい理由でもある。煉瓦ってのは土を固めて焼いて作るんだよ。プラチナに比べれば脆くもあるが、日常生活の上では頑丈でもある。手入れをすれば数千年は持つんじゃないかとも言われているからな。爺さんは、訳も分からずに一冊の形のある本を守ってきたってわけだ。そこにそれがあることすら知らずにね。

 いつの時代の誰がそこに隠したのか、見当はつかない。まさかあの家が文明以前から存在しているとは思えないしな。いくら古いとはいえ、それはありえないと俺は思っているよ。今度鑑定でもしてみるかっていつも思っているんだが、ついつい忘れてしまうんだ。余計な詮索って、なんだかあまりいいイメージが湧いてこない。しかし、案外と本当に文明以前からの建物だったりしてな。そう考えると、あの家の丈夫さに納得ができるんだ。似たような建物は以前には幾つかあったが、あんなにも長持ちの家は他には存在しないんだよ。長年の手入れで、煉瓦は強度を増していく。とは言ってもまぁ、やっぱりそれはありえないな。

 爺さんの家の地下室は、俺にとっては憩いの場だった。俺は子供の頃からよく通っていたよ。なにかがあったときはもちろん、なにもなくても顔を出す。あんまり綺麗な部屋じゃないんだが、埃だらけのソファーが俺の定位置だ。いつ行ってもそのソファーには埃が被っていたな。部屋の中には俺の知らない飾り物やらなにやらが溢れていたよ。まぁ、どれもが埃が被っていて、俺は触ったこともないんだけどな。蜘蛛の巣だっていっぱいだよ。気味が悪いっていう印象しか残っていない。まぁ、それも魅力の一つだったりしているのが不思議だけどな。

 爺さんの家は、少しばかり遠かった。俺の家は賑やかな街中にあったんだけど、爺さんの家は山の麓の荒地にあったんだよ。小川の流れる自然だらけの場所だったな。子供の頃の俺は三十分かけて走って行った。学生時代には、乗り物を使い、大人になってからは転送している。全く便利な世の中だと思うよ。今では子供だって転送できるんだ。乗り物の価値が減っていくのは残念だけど、いずれ消えゆく運命なんだ。仕方がない。乗り物の事故で死んだ人の数は、たったの五十年でこの文明が始まって以来の病死者の数を超えたって噂だよ。まぁ、それは大袈裟かも知れないが、それほどまでに多くの人が事故で死んでいるんだ。病気とは違って、ある日突然なんの前触れもなく罪もない大勢が死んでいるってことだ。病気っていうのは、生活習慣を変えたり薬を服用すれば直すことも不可能じゃない。どうしようもない病気も存在するが、それはある種あがなえない運命のようなものだ。けれど乗り物での事故は違う。無茶な運転をする奴は別だが、巻き込まれる側はたまったもんじゃない。それを運命と呼ぶ奴を、俺は許さない。だからまぁ、事故が減っているこの現状は、喜ぶべきなんだよな。

 俺が乗っていたのは、スニークと呼ばれる二人乗りの光浮遊装置だ。今じゃめっきり見かけないが、当時は流行っていたんだよ。馬をイメージしたフォルムがお気に入りだったんだ。後になってわかったことだけど、あのデザインは文明以前の文化からいただいたようだよ。誰が作ったのかはよく知らないが、形のある本でそんな乗り物を見たことがあるんだ。

 スニークは箱型の方が主流だよな。五人乗りが標準だったけど、三十人以上ってのもある。荷物を運ぶでっかい荷台つきもあるしな。基本二人乗りをホンダと呼び、箱型をトヨタと呼ぶんだ。荷台付きはヒノなんて呼ばれているよ。まぁ、その意味は不明だ。

 俺はホンダが好きでね、今でも所有はしているんだ。敷地内でしか使用していないけれどな。

 転送はあまり好きじゃない。けれど、今となってはあれなしの生活は無理に等しいよな。どこへ行くにも、転送なら五分とかからない。昔と違って危険もないしな。ツアーの日だって、五分前まで家で寛げるんだ。最高だよな。まぁ、そのお陰で失った娯楽も多いんだけどな。旅する楽しみは、半減だな。っていうか、世界中の全てがご近所なんだ。どこへ行っても近所への散歩感が拭えない。スニークでの旅は、出会いもあちこちに転がっていた。飛行型スニークなら海外へも行けるし、海底型や海上型だってあったんだよな。俺の好みは海底型だ。海の景色を眺めながらってのは気分がいいものだよ。

 昔はごく当たり前にスニークが街中に溢れていた。固定通路式のスニークは、いっぺんに百人くらい乗れる箱を十箱くらい繋げて引っ張っていたんだ。今じゃ世界のどこにも残されていないが、あれで仕事や学校に通うのが当たり前の時代だったんだよな。連結型スニークって呼ばれていたんだ。俺は主に、一人旅を楽しんでいた。見知らぬ人との出会いが多く、楽しいんだよな。男とも女とも、色々楽しませてもらったよ。箱型はツアーの移動でよく使っていた。その街々で出会った女達を乗せては楽しんでいたな。旅っていうのは、そういう楽しみで一杯だったんだよ。

 旅の楽しみは出会いだけじゃない。俺はさっきから出会いが楽しいって言っているけどさ、勘違いはするなよな。出会いってのは、あんた達が思うような下心でいっぱいってだけじゃないんだよ。同じ連結型スニークに乗っているってだけでも出会いなんだ。街でのすれ違いだってそうだ。店員との会話なんて、それはそれは大きな出会いなんだよ。俺は老若男女区別なく、出会いを楽しんでいたんだ。

 しかし今では、そんな出会いも過去の遺物だよ。まぁ、ちなみにだけど、俺はそんな出会いの中から最初の女房を見つけたんだ。だから余計、連結型スニークがなくなったことが哀しいんだよ。思い出が一つ、消えたってことだからな。

 あの頃の俺は、ライヴや音楽制作の合間を見つけては転送装置と箱型スニークを活用して旅を楽しんでいたんだ。忙しかったが、隙間ってのはいくらでもあるもんなんだよな。転送装置のおかげもあって、簡単に遠出ができるんだよ。旅先から急に呼び出されても対応ができるしな。なかなかにいい時代だったな。転送装置とスニークが共存していた短い期間が、俺にはある意味では最高の時代だったと思えてならないんだよ。

 俺が旅したのは、スオミって言う名の小さな国だ。夏には太陽が沈まないんだよな。まぁ、地域によって差はあるらしいが、一ヶ月程度は続くんじゃないか? その逆に、冬にはやはり一ヶ月程度は太陽が昇っていかない。と言ってもさ。完全に真っ青な夏や完全に真っ暗な冬は短いらしいな。まぁそれも、地域差があるってことだ。北と南では違うってことだよ。

 俺が旅したその日は、白夜だった。太陽が沈まないってのは、不思議な感覚だな。夜でも明るく太陽が輝いているんだ。俺は転送装置でロバニエミまで行ったんだ。あそこにはサンタクルースがいるんだ。知ってるか? サンタクルースにはモデルがいるそうなんだよ。十月の最後の日、近所の子供達にプレゼントを配っていたじいさんがそのモデルだ。玄関をノックし、悪い子はいねえか? と言い、いい子にしているよと答えるとプレゼンを貰えたらしいんだ。その風習は今でも残っている。まぁ、少しばかり今風に代わってはいるけれどな。当時のモデルになったじいさんの姿は、ボサボサの黒髪に無精髭だったそうだ。服装はどこへ出かけるにもしっかりとしたスーツを着ていたんだ。まるで今のサンタクルースの姿とは違うよな。

 俺はスーツなんて着たことがないよ。スーツってのはこの世界の正装なんだよな。それは知っているし、俺も一応は持っているよ。けれどまぁ、俺は好きじゃない。理由はないんだが、おかしな感じがするんだよな。一枚の長い布を身体に巻きつけるなんて、面倒だしな。正直俺には、上手に着こなす自信がないな。別名がサリって言うんだろ? 女性が着たときにはそう呼ぶことが多いって言うよな。その名前は気に入っているんだ。サリを着ている女性にも魅力は感じるよな。俺の最初の女房も、出会ったときにはサリを着ていたんだ。なんせあいつの名前がサリって言うんだからな。

 現代のサンタクルースはスーツなんて着ていない。俺の普段着と同じで、着物姿なんだよな。着物ってのはまぁ、着る物の意味なんだけど、この世界では、黒のジャケットと白の袴に帽子っていうスタイルなんだ。帽子に拘りは少ないな。どんな帽子でもいい。色も形も自由だよ。サンタクルースは、白いボンボンがついた赤主体のナイトキャップを被っている。俺は黒のぺったんこ帽子だ。まぁ、ステージ上での俺の姿は少し違うんだけどな。俺のステージ衣装は、今じゃあスーツ以上に普及をしていている。今日の俺を見れば分かるだろ? って言うか、あんた達も俺と似たような格好をしている。スーツに代わる正装ってとこだな。まぁ、お堅い感じじゃなく、遊び向けの正装だよ。

 現代のサンタクルースは、そのロバニエミに暮らしているんだ。なんでかわからないか、サンタクルースには寒くて空の綺麗な街が似合うんだよ。そしてこれも不思議だが、現代のサンタクルースはトナカイと生活をしているんだよ。そのトナカイに乗って、十月の最後の日に世界中の子供達にプレゼントを配るんだ。モデルになったじいさんとは違い、そっと家に忍び込んで枕元にプレゼントを置いて行く。ちょっと怪しいよな。今の世の中、スティーブに制御されているから他人の家に忍び込むのは不可能なんだよな。すぐに通報されるか、どこかに設置されているスティーブからの攻撃を受けて動けなくなってしまうんだよ。サンタクルースはスティーブの化身じゃないかって噂だ。まぁ、俺はサンタクルースからのプレゼントなんて貰ったことはないけれどな。それどころか、サンタクルースの代わりに子供達にプレゼントを渡していたくらいだよ。

 けれど俺は、サンタクルースが好きで、スオミが好きなんだ。なんて言うか、スオミっていうのは暖かいんだよな。とてつもなく寒い国だっていうのにだよ。暖房設備の話をしているんじゃないんだ。住んでいる奴らの心の問題でもない。とにかく一度足を運べばわかるよ。何年か前には、世界で一番幸せな国って呼ばれていたからな。まぁ、サンタクルースの容姿に象徴されているのかも知れないな。ふっくらとした体型で、白い髭を胸の辺りまで蓄えている。

 俺は、ロバニエミからスニークを乗り継いでウツヨキを目指すことにしたんだ。理由なんて聞くなよな。なんとなくそうしようってだけで、なにも考えていなかった。連結型スニークだけではウツヨキには辿り着けないってことを知ったのは、終着駅に着いてからだったよ。初め俺は、なんとなく北を目指しただけだったんだ。ウツヨキを明確な目標にしたのは、サリを着ていたあいつが友達と話していた会話を耳にしたからだ。スオミ最北の街、サリはそこの生まれで、家に帰るところだったんだよ。サンタクルースの街で妖精の仕事をしているとかなんとか、友達と仲良く会話をしていたんだ。俺が興味を持ったのは、サリの瞳の色だよ。本当に妖精なんじゃないかって思うほどに薄っすらとした緑と青だったんだ。右が緑で左が青だよ。知っているか? 日本っていう国では、緑って言葉を使わないんだよ。緑系の色は全て、青なんだよな。分かるような気もするが、まるで分からないとも言えるよな。スコットランドはまぁ普通だが、スオミでは色の表現が多いんだよ。あいつはよく、その瞳を季節や時間ごとに細かく色分けして表現するんだよ。お前が勝手に作った言葉だろと聞いたが、スオミでは当たり前だと笑われたよ。スコットランドって、表現に乏しいのねとまで言われたからな。一年中雨が降っているからかしらの言葉には、思わず吹き出して笑ってしまったよ。確かにそうだと思ったんだ。スコットランドはほぼ毎日が曇り空だからな。色彩感覚が乏しくなる国民性には頷ける。

 連結型スニークの中、サリの友達が途中で降り、一人きりになった。俺はすかさず話しかけたよ。一目惚れってやつは確かに存在するんだ。人は見た目じゃないなんて訳の分からないことは言うなよな。人だけじゃない。生き物だけでもない。全ては見た目が大事なんだよ。この意味を勘違いされると困るんだけどな。心は見た目に表れる。どう感じるかは人によってかなり違う。この二つは大切な要素だよな。見た目ってのは確かに、慣れてしまえばどうでもよくなることもある。しかし、第一印象は大事なんだよ。単純に顔がいいとか、スタイルがどうとか、服装のセンスとかは問題ではない。その雰囲気に惚れてしまうんだよ。花を見て綺麗だって感じるのと同じだよ。屋台で見かける食べ物に興味を抱くのにも似ているな。

 綺麗な瞳だ・・・・ つまらない言葉だよな。俺ってセンスがない。本気でそう感じているよ。ちょっと前の話だけどさ、なんだかよく分からない世界的な賞の発表があったろ? 本来は大学やら政府やら国の仕事をしている御偉いさん方が頂いていたんだけどな。どういう訳か今回は俺たちのお仲間が頂くことになったんだよ。って言ってもまぁ、俺とは違って文学的な男なんだけどな。

 俺が誰のことを言っているのかは明らかだろ? あいつも大ファンのボブだよ。俺たちより後から出てきたくせに、今じゃあ俺たちよりも有名なんだよな。音楽を始めたのは俺たちだが、俺たちはグループで音楽を始めた。ボブはちょっと違っていた。本人は仲間が見つからなかったからだと言うが、それは違うと思う。ボブはやっぱり、一人が似合うんだ。

 ボブはギターを片手に一人で歌を唄う。まぁ、ときにはバンドを組むこともあるんだが、俺は一人のボブが好きだ。ボブの歌に余計な雑音は似合わないんだよ。ボブが奏でるギターの音色だけでじゅうぶん楽しめる。

 ボブのギターは、光エネルギーを使わないでも音が出る。なんていうか、優しく暖かい音色なんだよな。

 ボブが評価されたのは、そのギターとは関係がない。その歌詞が評価されたようだ。俺的には少し残念だけどな。俺は純粋に、ボブの歌が好きなんだ。曲も歌詞も含めてのボブだからな。

 その賞の名前がなんだったのかは、俺は覚えていない。ただ、あまりにも有名すぎるってことは知っているんだ。選ばれたボブは当惑していたよ。自分には不釣り合いなんじゃないかってな。そうなのか? まぁ、ある意味ではそうかも知れないな。ボブはそんなチンケな賞で計り知れる男じゃないからな。

 ボブならきっと、もっと素敵な表現をしたんだろうな。俺はつまらない言葉を言ってすぐ、そんなことを思い、恥ずかしくなったんだよ。

 本当にそう思うの? サリがそう言ったんだ。俺は顔を真っ赤にさせながら頷いた。するとサリは、あなたって可愛いのねなんて言いやがったんだ。参るよな。カッコいいとかって言葉には飽き飽きしていたが、可愛いって言われたのは始めてだったよ。

 俺はその場でサリに一緒にならないかと言ったんだ。恋をする瞬間なんてそんなもんだよ。見た目の雰囲気とちょっとした会話だけでじゅうぶんにサリがどんな人間なのかが想像できた。まぁ、それはちょっと大袈裟な言い方だけどな、俺との相性だけは確認できたよ。

 俺はサリと一緒に箱型スニークに乗り、ウツヨキへと向かった。空気が冷たく、綺麗な街だよ。ほのかに感じる甘みが、心を暖めてくれる。サリがこの街で生まれたことを、なぜだか誇らしく感じたんだ。

 俺はその日、白夜を体験した。不思議な感覚だよ。夜になっても暗くならない。夜更かしをしたときに感じる浮遊感とは違う、はっきりとした夢の中にいる感覚になるんだ。ちょっと表現に無理があるか? まぁ、一度訪れるといい。冬の極夜もまた、不思議な感覚を体験できるからな。

 その日のうちに俺は、サリの両親と会い、結婚をした。結婚をするには親の承諾が必要だろ? まぁ、親がいない場合はスティーブが代わりになってくれるんだがな。っていうか、親がいてもその届け出をスティーブにするってのはどういうことなんだ? 理屈としての説明の意味は分かるが、現実の感情としてはまるで理解不能なんだよな。この世界はいまだに、スティーブが牛耳っていると感じるんだ。

 この世界の全ての情報は、スティーブの中に保存されている。住人情報を記録するためにも、スティーブに報告するってわけなんだよ。面倒な世界だよな。結婚くらい自由にさせろってな。

 まぁ俺は、そんな不自由を苦にはしない。スティーブとは、うまく付き合っていくに限るんだ。結婚の情報を知らせるのだってそれほど面倒じゃない。書類の作成だって勝手に作ってくれる。特に審査があるわけでもないしな。なにかを規制しようって考えは、スティーブにはないはずなんだ。ただ、なにかをコントロールしようとはしているようだがな。

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