パンクジャズ

@Hayahiro

第1話


 音楽のない世界って、想像出来るか?

 世の中はこんなにも音楽に溢れている。息をするのも歩くのも音楽だろ? 今では俺もそう思うが、以前はそうじゃなかった。音のない世界は、宇宙空間くらいだろ。海の中にだって、音は溢れているんだからな。

 この世界から音楽が消えて、少なくとも二千年近くは経過している。それはそうだ。俺たちの文明が生まれてから、音楽が再び生まれたのが、六十年前の話だからな。今の若い連中はもう、音楽のない世界なんて信じられないだろうな。どうやって例えを見つければいいのかも分からないよ。あの時代はまさに、地獄だな。俺はたったの二十年近くしか体験していないが、思い出すだけで寂しくなる。もう二度と、あんな時代が来ないことを祈るよ。

 俺はずっと、それが当たり前だと信じて生きてきた。音楽はなくても、正直不自由なんてなかった。けれどやっぱり、味気ない。なんて言うか、暗い世界だった。音が、少ない。活気もなかった。人の言葉数も、虫の鳴き声も控え目だった。

 この世界に音楽を取り戻したのは、この俺だ。と言っても、一人きりじゃないんだけどな。俺は音楽の存在を、一冊の本から知り得たんだ。

 その本っていうのは、この世界でいう普通の本とはまるで違う。驚くよな。形のある本なんて、どこを探しても見つかりはしない。まぁ、そんなことを言っても、俺は見つけたんだけどな。って言うか、現実には意外と多く存在している。その事実を知る人間が少ないってだけの話だ。

 普通の本っていうのは、たいていはこの頭の中に埋め込まれている。 古い本ならいつでもなんでも取り出せる。新しい本だって、検索すればいいだけだ。

 映像だって同じことだ。この世界の情報は、全てここに埋め込まれている。そしてそれは、随時更新されてもいるんだ。

 俺たちは生まれると直ぐ、頭とお尻に注射を打たれる。

 頭に打つ注射っていうのは、このコメカミのチップのことだ。こいつに全ての情報が入っているんだ。通信機能も搭載されているから、これによって俺たちは常にその行動を把握されている。誰が監視しているのか、俺には興味がないね。埋め込まれたこいつを取り出すなんてもったいないことだが、行動を把握されるのは困りものだ。まぁ、どんな物にも弱点はあるんだよな。こいつは無理に外そうとすれば爆発する危険な代物ではあるが、その通信機能だけを馬鹿にすることは可能なんだ。完全に機能をなくすなんてバカな真似はしない。適当に安全な街をうろついていると勘違いさせるってわけだ。まぁ、俺はご存知の通りの有名人だからさ、こんな機械がなくても行動が把握されちまってはいるんだが、ヤバい場所へ行くときだけ機能を馬鹿にさせているんだよ。けれどまぁ、それは有名になってからの話だ。以前は常に機能障害に陥っていたよ。俺はまぁ、それなりに危険な場所をくぐり抜けてきたからな。そうでなきゃ、世界を変える発明なんてできっこない。

 コメカミのこのチップは、スティーブと呼ばれている。それがなぜなのか、はっきりとした事実はわからないが、開発者の名前なんじゃないかって噂だよ。

 スティーブを使えば離れた誰かと連絡を取ることも容易にできる。言葉だけでなく、映像も送れるんだ。スティーブからの情報が、脳裏に浮かぶ。その声も、使用している本人にしか届かない。俺の言葉だって、心の中の声を読み取ってくれる。そしてその声を相手に届けるんだ。本音が漏れてしまうのはちょっと危険だけど、俺たちはまぁ、生まれたときからこういう状況下に置かれているからな、本音を心の中のさらに奥に押し込む術を心得ているんだ。こいつの機能はそこまでは読み取らないように制御されてもいるからな。たまにだけど、声を表に出して特定の相手と連絡を取る奴もいる。なんていうか、見ていて恥ずかしくなる。一人きりで歩きながら声を出すのは、ちょっと病気な奴だよ。独り言っていうのは、家の中で言うもんなんだよ。本を声に出して読む奴もいるけど、それもまた家でやればいいんだって思うよ。表でそれをするのは恥ずかしすぎる。まぁ、歌を歌うときは別だな。歌ってのは、声を大にして歌ってこそのものだからな。

 お尻に埋め込まれているのは、識別用のチップだ。俺たちはそれを、シードと呼んでいる。これはスティーブよりも厄介だ。取り外すことはできるが、直ぐにバレてしまう。なぜかは分かるだろ? シードはオナラに色をつけるための装置なんだ。俺たちは、オナラをする度に自己を表現しているんだ。人によって、それぞれ違う色を持っている。その色は匂いが気化するまで残るんだ。俺がそこに行ったっていう印になってしまう。オナラを我慢することはできても、完全になくすことはできない。そういう薬もあるにはあるが、完璧ではない。オナラは我慢すると、逆流をして口から出て行くんだ。残念なことに、そのときも色はついたままなんだよ。

 俺はあまりオナラをしない。口からも出すことは少ないな。っていうわけにはいかないんだよな。自然の摂理には敵わない。そういったパンツを履くと、色を誤魔化すことができるんだ。俺は常にそれを履いている。有名人っていうのは、その行動が筒抜けだと困ることが多いんだよ。まぁ、俺は有名になる前からそのパンツを履いているんだがな。

 形のある本は、この世界では失われた財産の一つになっていた。俺はそれを、裏世界で手に入れたんだ。どんな世界にだって裏はある。全てを封じ込めて表だけを見せるなんて、不可能ってことだ。確かに世界から音楽を消すことには成功していたが、その痕跡は一部、残されていたんだ。その一つが、俺が手に入れた形のある本だった。

 俺はそこで得た知識をスティーブに尋ねたが、スティーブは迷うことなくはっきりと、知らないとの答えを出した。それはとても怪しい答えだ。スティーブには学習能力がある。どんなに難しくても、答えのない問題でも、必死に考えるのがスティーブの個性だったんだ。それをあんなにもあからさまに知らないとの答えを出すっていうことは、なにかを隠しているっていう証拠に他ならないんだよ。俺は直ぐに、別の方法での調査を始めたんだ。スティーブに深入りをするのはよくないからな。

 本の中で得た情報は、音楽を楽しむグループの活動記録の様なものだった。UKと呼ばれる国だか地域の、三つの音楽グループを紹介していた。その本が発表された時点で二つのグループは解散をしていた。もう一つのグループも、すでに結成五十年を超えていて、メンバーの平均年齢も七十を超えていた。亡くなったメンバーもいると書いてあったらしいよ。まぁ、中身については少し後になって知ったんだ。当時の俺にはその本の文字なんてまるで読めなかったからな。なんてな。実は今でも読めないんだよ。当然だよな。もしもその文字が読めていたなら、それは大変な事件だよ。俺が知る限り、この世界にその文字を読める奴はもういないはずだ。まぁ、どこかにいるかも知れない可能性はあるんだがな。

 もういないっていう意味は分かるだろ? そうなんだよ。以前はいたんだ。俺はそいつから読み方を教わった。意味についても同じだな。まぁそいつも全てを知っているわけじゃなかったんだがな。読み方の法則はだいたい分かっていたようだが、意味については部分的に知っているってだけだったよ。誰かに教わったとか意味のわからない説明をしていたな。

 三つのグループは、UK三大ロックバンドと紹介されていた。ロックがどんなものなのか、俺には分からないが、その時代に相当な衝撃を与えたことは間違いない様だった。三つのグループが世界を変えたと書かれていたらしい。レコードというものを発表し、世界中で売れていた様だ。当時の俺にとってはなんだか得体の知れない楽器を手にしている写真も、そのライヴと呼ばれていた生演奏の写真も紹介されていた。俺は文字と写真だけだったにも関わらず、そのロックっていうやつに衝撃を受けたんだ。当時は当然、文字の意味もわからず写真だけを眺めていたんだが、それでも俺は物凄く衝撃を受けていた。そして音楽を調べ、写真の中の楽器を作り、仲間を集めて楽曲制作をし、世間に対して公表したんだ。まぁ、こうして言葉にするほど簡単な作業じゃなかったんだけどな。

 音楽を調べるといっても、当時の俺にはその本が音楽についてのものだってことすら分かっていなかった。写真を調べ、それが音楽と呼ばれる文明以前の文化だと知ることができたんだ。スティーブは使わず、裏の世界のコネを最大限に利用して掴んだんだよ。そして音楽っていうのが、音を楽しむものだとは知ったが、その意味がわからなかった。音なんて、なにが楽しいんだ? 足音も雨音も、当時の俺には雑音でしかなかった。イビキも赤ん坊の泣き声も、楽しむ余裕がこの世界にはなかった。俺だけでなく、それが当たり前の世界だったんだ。

 エイガって知っているか? 今の世界でも復活しているが、思ったほどの人気は得ていないからな。俺がその発起人なんだけど、人気がない理由は理解している。エイガっていうのは、時間が長いんだ。二時間程度の絵物語だからな。しかも俺たちは、エイガ館で座席に座ってじっとしながらそれを観るんだ。大きなスクリーンで、他の観客と一緒にな。俺はその臨場感やら一体感やらが大好きなんだ。しかしまぁ、それがあまり評判が良くなかったんだ。と言うか、俺たちにはスティーブがあるからな。そっちを使っての鑑賞に慣れているんだよな。実際にスティーブを使っての上映がされていた時代もあったんだ。ほんの一瞬で終わってしまったがな。確かにスティーブでの鑑賞は物凄く現実感があって、物語に入り込むことができる。それはそうだよな。頭の中で映像が流れ、物語が動くんだから。現実のようでもあり、夢を見ているようでもある。俺も体験したが、確かに最高な気分になれる。けれどまぁ、この世界の人間ってのは、じっとしているのが性に合わないようだな。エイガ館でも同様の理由で客の入りが悪いんだよな。まぁ、作品が評価されれば客が押し寄せることもあるにはあるんだけどな。それはもう、大昔の話になっちまったよ。

 スティーブを使っての上映には大きな問題点があったんだ。分かるだろ? 外出先で移動しながら鑑賞をし、目の前の現実が見えなくなり事故に遭う。そんな現実が多く、エイガをスティーブで鑑賞をすることが禁止されてしまったんだ。そしてさらに、今ではスティーブを使っての全ての映像鑑賞が十五秒までと決まっている。通信は別としてな。通信機能での映像は半透明になっていて、現実の世界が透けて見えるようになっているからな。けれど、エイガや映像作品でそれをすれば、しらけてしまう。エイガってのは、ある意味での現実逃避でもあり、それを楽しむ文化なんだよ。

 映像作品っていう点では、俺はエイガ以前から関わってはいるんだよな。まぁ、そのアイディアを考えたってだけで、それを形にしたのは俺じゃないんだよ。だからというかなんというか、俺はそんな映像作品を作ったことはない。考えることはしたんだが、それを始めて形にしたそいつの作品があまりにも素晴らしくてさ、俺は手を引いたってわけだ。その後そいつの作品を真似たものが蔓延したよ。いまだにそうだよな。音楽をやっている奴だけでなく、誰もがそんな作品を作り発表している。

 俺はそれを、コマーシャルと名付けたんだ。俺の爺さんが、そんな言葉を使っていた。お前はコマーシャルな人間だよと、子供の頃からよく言われていたんだ。どんな意味かは定かではない。辞書にはない言葉だからな。爺さんが言うにはだが、愛想がよくて商人向けの人間なんだとさ。スティーブさえ知らない言葉で、当然俺の家族以外でその言葉を使う奴はいない。きっと爺さんの造語なんだろうなって思うよ。俺はその言葉を拝借したんだ。

 コマーシャルはもともと、音楽に映像をつけたものだったんだ。音を楽しむのに、視覚は大切だからな。ただ単に演奏シーンを流すのは普通だろ? 俺はそこに、ドラマを持ち込んだんだ。曲とは関係のない映像を音楽に重ね、スティーブを通して世界に流そうと提案した。まぁ、そのアイディアには元ネタがあって、俺は少しばかりアレンジをしただけなんだけどな。誰もが知っているあのバンドのそいつが発表をし、世界で大受けしたんだ。そいつは元々演奏と映像を結びつけていたからな、なんの違和感もなく浸透していった。

 その後、コマーシャルは進化を続けた。物語なんてまるで関係のない映像を流したり、その逆で、音楽の言葉にピッタリな物語を映したり、映像先行で後から音楽をつけるなんてこともある。とにかく自由だったんだ。普通の作品は一曲ぶんでお終いだったが、数曲をつないで一つの物語を描くなんてのもあったな。まぁそいつがエイガの元祖とも言えるんじゃないかって俺は思うが、コマーシャルは基本、スティーブの機能を使って撮影するからな。エイガとはそこが大きく違うんだ。

 映像作品が十五秒までと決められたのには理由がある。進化したコマーシャルの一つの完成形が、十五秒だったんだよ。短いと思うかも知れないが、音楽も映像も、それだけの時間があればかなりの情報を伝えられるんだよな。まぁ、言ってしまえば宣伝ってやつだ。もともとコマーシャルは音楽表現の一つだったんだが、今では宣伝の道具ってとこだ。しかしまぁ、俺のエイガに負けないくらいにできのいい作品も多いんだよ。

 エイガに対しての知識もまた、形のある本から得たものだった。俺は形のある本に出会う才能があったんだろうな。形のある本は、紙で作られている。劣化が激しいから、その存在が後世に残りにくいんだよ。文明以前の世界ではそんな紙に頼っていたようなんだ。だからそんな形のある本が残されていることはとても珍しいんだ。しかも、今の世界は文明以前の文化を毛嫌いしている。その本当の理由は俺には分からないが、まぁ、単純に嫉妬しているんだよ。古い文化を今更真似るなんて恥ずかしいんじゃないか? 世の中の考え方なんて所詮はそんな程度なんだよ。

 形のある本は、世界でもまだ、数冊しか発見されていないはずだ。しかしそれは、表面上での話なんだけどな。俺が持っているその二冊は、当然その中には含まれていない。他にも沢山発見されているのは明らかだ。なんせこの俺でさえ、その二冊以外にも手に入れているんだからな。音楽やエイガもそうだが、それ以外にも突然生まれた新しい文化はきっと、そんな文明以前の本を参考にしているはずなんだ。全くの無から、新しい文化を生むのは難しい。そういった文化は、長い時間をかけて変化を繰り返し、成熟するもんなんだよ。

 エイガはその情報をもとにはしているが、俺が生み出した文化と言って間違いがない。しかし、音楽は少し違うんだ。確かに俺が生み出したと言ってもおかしくはないが、俺以外にもう一人、異国のあいつが俺と同時期に音楽を生み出そうとしていやがったんだよ。偶然っていうのは面白いよな。遠く離れた二つの島国から、音楽が同時に鳴り出した。あいつも俺と同じように、形のある本を手に入れていたそうだ。

 俺の国は、文明以前にはUKと呼ばれていたのかも知れない。この国では、UKの文字があちこちで発見されているんだ。遺跡からもそんな文字が刻まれた壁などが見つかっている。しかし、真相は分からないんだ。今の世界は、ほとんどの国が名前だけは文明以前から変わっていないという。小さな町の名前でさえ、受け継がれ続けている。本当かどうか確かめる術は少ないんだけどな。その理由だって分かってはいない。俺たちには、古代の文字がまるで読めない。例外を除いてだけどな。UKっていう文字も、その読み方がまるで分からない。ちなみにこの国は、スコットランドと呼ばれている。

 文明以前の形のある本を読むと、正直頭が痛くなる。文字が滅茶苦茶なんだ。色んな種類が混じっているように感じられる。噂では、当時は国や地域によって言葉も文字も違っていたそうなんだよ。それがいつの日にか、ごちゃ混ぜになっちまったのかも知れないな。俺の持っている形のある本は、まさにそんな感じだよ。

 この世界の言葉は、共通されている。文字だってそうだ。文明以前の形のある本の中の文字とはまるで違う形だよ。色んな種類があるにも関わらず、どれ一つとして似ていない。俺たちがまるで別の文化に育っていると感じるほどだ。まぁ、ある意味でその通りなんだけどな。

 俺たちの世界にも、文明以前の時代を研究している学者はいる。裏の世界でだけではなく、表立った世界でもな。その文字の解読を試みたり、その時代の文化を研究したりしている。どうして町や国の名前が当時のままなのか? その疑問からは様々な謎が浮かんでは解決され、文明以前の時代を知る手がかりになっているんだ。その文字だってな、解読した奴がいるって噂を俺は知っているよ。まぁ、そいつの言うことはデタラメばかりで信憑性は小さいんだけどな。とは言いながらも、俺はそいつから文明以前の言葉を学んでいたりするが、それは本来秘密なんだよ。

 俺たちのバンド名は最初、文字だけだったんだ。Like a rolling stone.なんて読めばいいのかわからないだろ? けれどこの文字感がいいんだよな。俺たちはこの文字の元に活動を始めたんだけどさ、バンド名を名乗れないっていうのは苦しかったよ。取り敢えずは音源を製作して世界に流したんだ。それ以前には俺の爺さんの家の地下室で演奏をし、仲間連中の知り合いやらに純粋に音楽を届けていた。

 世界は広いようで、狭いんだよな。そして、驚くような奴が大勢いるもんだ。俺が世界に流した音源を、そいつが耳にした。そいつはすぐに俺へと連絡を取ろうとした。

 スティーブの通信機能は素晴らしいんだ。見知らぬ相手から連絡が来ると、その相手の情報を先に表示してくれる。年齢も経歴も、どの町からなのかは当然として、その相手の出生までが表示されるんだ。俺は驚いたよ。そいつもまた俺と同じように、音楽を復活させていたことがわかったからだ。遠く離れた日本と呼ばれる島国で、自らバンドを組んで音楽を表現しているという。俺はすぐに、そいつからの連絡に応じた。そしてさらに、驚きを増すこととなった。

 ライクアローリングストーン、聞いたよ。その言葉には最初、意味がわからなかった。間の抜けた俺の顔がそいつに見えていたはずだ。そいつはすぐに、驚きの顔を見せてくれたよ。なんていうか、その顔もまた、間抜けだった。俺たちはそろって間の抜けた顔を見せたんだ。初対面でな。まぁ、現実の出会いじゃないのが救いだったな。通信での出会いは当てにしないってのが俺たちの世界での常識だからな。相手の表情や感情は伝わるが、その心は伝わらない。声を聞いてもやっぱり、面と向かって話さないと心を通じさせるのは難しい。まぁ、何度も顔を合わせている相手だと話は別なんだけどな。

 ひょっとして、違うのか? そう読むってはずなんだけどな。あの文字、あんたのバンドの名前だろ?

 そうだけど、そうなのか? 俺の言葉はやっぱり間が抜けている。

 読めないのにバンド名にしたのか? あんた、面白いな。俺たちはさ、ノーウェアマンっていうんだ。そう言うとそいつは、Nowhere Man の文字を送ってきた。

 その文字が読めるのか? 意味もわかるのか? とにかく知りたかった。俺の国で、文明以前の文字を読める奴はいないんだ。本当に読めるのなら、世界がひっくり返る。当時の俺はそう感じたよ。

 読めているのかどうか、正解はわからないけどな。多分こうなんじゃないかって、まぁ、半分は勘だよ。俺はさ、文明以前の辞書を手に入れたんだ。といっても、それが本当に辞書なのか、俺の使い方が正しいのかも不安だけどな。

 そいつは続けて、意味はまるで不明だよ。そう言った。

 辞書っていうのは意味を調べるもんだろ? 違うのか? そうは言ったが、俺たちの世界に、辞書なんて必要がない。あるにはあるんだが、スティーブが全て調べてくれる。自分で辞書を見るなんて行為はしたことがないね。

 文字の種類が多くてさ、解読なんてできやしないよ。たださ、その辞書には、っていうか、正確には辞書らしき本だな。俺だって辞書なんて目にしたことがないから、あれが辞書なのかどうかはわからないんだ。なにかを調べたり勉強したりする本であることは間違いないな。なんていうかさ、発音記号とでもいうのか? 口の形が横に書いてある文字を発見したんだよ。それをまぁ、色々調べてあの文字に当てはめてみたんだ。そうして読んだだけでさ、本当に合っているのかどうかは怪しんだよな。まぁ、俺は学者じゃないし、知りたい文字だけを読んでみただけだ。

 そいつは俺の知らないこの世界をよく知っていた。なんでもかんでも調べるのが好きなようだったよ。

 俺はそいつに聞いてみた。UK、この文字を知っているかってね。そいつはニンマリ笑って答えたよ。ウーク、多分そうだよ。ってね。

 どこでこの文字を? あんたも持っているのか? まさか、それを見て音楽を始めたのか?

 どういう意味なのか、ピンとこない言葉だと感じたよ。なにが言いたい? 言いたいことははっきり言えよと思ったね。

 そいつは俺に、文明以前の形のある本について問い質してきた。あんたも持っているんだろ? どこで手に入れた? そんなことを聞かれても困るんだよな。俺が説明をしたところで、そいつには伝わらないはずなんだ。俺たちの世界には、闇がある。そこは、スティーブでさえ理解しきれていない世界なんだよ。まさか、そいつの世界にも闇があるとは想像していなかった。人っていうのは、いつでも独りよがりなんだ。自分だけが特別だと感じてしまう悪い癖がある。

 心配しなくてもいいよ。俺だってさ、危険は犯しているからね。文明以前の本を調べること自体がこの世界では禁止されている。っていうか、その文字を解読しているなんてバレたら俺の命はないんだ。スティーブにはちゃんとその辺のことは言い聞かせているよ。あんただって同じだろ? まさか、この会話が筒抜けってことはないよな?

 そいつの心配はごもっともだ。俺だって不安だった。だからこそ、深入りをしない会話を心がけていた。しかしそいつは、案外遠慮なしの会話をしていた。俺を信頼していたのか、ただのバカなのかのどちらかだ。まぁ、ただのバカなんだと言いたいが、その両方ってとこが真実だな。文明以前の文字をバンド名に冠して世界に配信した俺の方がよほどの大バカってことだ。

 俺はちゃんと、スティーブに言い聞かせていたよ。この世界は厄介だ。全てが監視されている。まぁ、スティーブってのはそのために開発されているんだから仕方がない。しかし、裏道はいくらでもある。少しの改造をし、危険な言葉を監視の対象外にするなんて訳のない動作なんだ。俺とそいつの会話は、大事な部分が別の言葉に差し替えられ、監視している誰かに送られている。まぁそれは、永続的じゃないってのが欠点なんだけどな。それに加えて、監視している誰かってのも定かじゃない。

 俺は幾つかの音楽に関する本を持っているよ。今度あんたにも見せてやりたい。今ここで映像を送るのもいいが、それはちょっとばかり危険が大きいな。あんたはどうなんだ? ウークの文字を知ってるってことは、そうなんだろ? どうやって手に入れたんだ?

 それを先に聞くのか? 俺はお前がどうやって手に入れたのかを知りたいね。お前がやっているバンドについてもだ。お前は俺たちのことを色々と調べているんだろ? なんの考えもなしにいきなり連絡を入れるようなバカには見えないからな。お前のことを先に教えるのが礼儀じゃないか?

 俺がそう言うと、そいつは笑ったよ。そうだよな、なんて言いながら、まずはこれでも聞いてくれと、ノーウェアマンの音源を送ってきた。これが本当に驚きだった。音楽っていうのはこんなにも楽しいのかって驚いたよ。俺はそのとき初めて、自分以外の誰かが作った音楽を聞いたんだ。俺がそのことを話すと、そいつはまた驚きの顔を見せたよ。本当なのか? なんて言いやがる。当たり前だろって俺は思った。だってそうだろ? この世界から音楽が消えていたんだからな。

 しかしそいつの世界は、俺たちの世界とは少し違っていたようだ。

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