第3話


 サリとの結婚は、幸せしかなかった。離婚の原因は、特にはないよ。離れていたくなるときもあるだろ? その時間が長くなり、離婚という結果になっただけだ。

 結婚と違い、離婚は簡単だ。結婚には、自らの意思と申請が必要だが、離婚にそれは必要ない。スティーブは、俺たちの感情とその行動から、勝手に離婚を受理し、書類に書き込んでしまうんだ。同じ空間にいる時間がなくなり、連絡も取らなくなると、その二人の感情を考慮しながらも、離婚が成立してしまう。一緒に暮らしていても、感情の離れ方によっては離婚を成立させられ、離れて暮らすようスティーブに指示をされる。どちらかが死んでしまえば、残された方の感情には関係なく離婚扱いとなる。まぁ、全てを勝手に判断してくれるのは楽でいいよ。

 結婚も離婚も、所詮はスティーブの中で管理されている書類上の事実ってだけに過ぎない。つまりはどうでもいいことなんだ。家族の繋がりっていうのは、そんなに単純なものじゃない。会わないでいる期間が長くなるのは当然として、感情が離れることだって多々あるんだよ。それでも心の奥ではつながっている。それこそが家族なんだよな。まぁ、スティーブにはまだ、その辺のところが理解できていないんだよ。こう言っちゃなんだが、俺たちの生命体とは異なるってことなんだよ。考え方によっちゃ、心はあるかもしれないが、スティーブに生命はないからな。

 ウツヨキでの体験は、俺の心を少し、変えてしまった。サリへの愛情とか、そういうこととは別の話でだよ。俺の心がサリに奪われたのは事実だが、それとは違う、音楽的な心が変化をしたんだ。

 俺は一時期、音楽から言葉を排除したことがある。と言ってもまぁ、完全に発しなかったわけじゃないんだけどな。この声を、楽器として、この言葉を、音程として発したんだよ。まぁ評判は悪かった。評価は高かったのにな。

 ウツヨキの景色が、俺をそうさせたんだ。あそこに辿り着いた瞬間、俺の頭に音楽が流れた。ウツヨキの街は、音楽で溢れている。俺はそう感じたんだよ。まぁ、実際に誰かが演奏をしているとか、風のざわめきが音楽を奏でるとか、そういう意味じゃない。現実として、俺には聞こえたってことだよ。

 俺にだけ聞こえているんだって、始めは思っていた。とんだ思い違い野郎だよな。ウツヨキの景色は、俺だけのものじゃない。当然聞こえてくる音楽も、俺だけのものじゃないってことだよ。まぁ、俺のように聞こえてきた音楽を客観的に表現できる奴は他にはいなかったんだがな。

 ウツヨキから聞こえてくる音楽を、言葉で表現するのは意味がないんだ。だってそうだろ?母親の胎内で聞く音楽を言葉に表してなんの意味がある? それってさ、感じるものであり、伝えるものじゃないんだ。だから俺は、ただ単純に、感じたまでを表現したに過ぎないんだよ。

 俺が始めた表現は、ヒーリングなんて言われたっけな。ふざけた話だよな。言葉の意味は分かるだろ? 俺にそんなつもりは全くなかった。って言うか、そんな言葉になんの意味がある? 音楽ってのは、楽しめなきゃ意味がない。まぁ、その楽しみ方は色々なんだけどな。心が癒されるってのも、楽しむってことの一部だろ? 意味の分からない音楽のジャンルわけが俺は嫌いなんだよ。

 ウツヨキから帰るとすぐ、俺は曲を作った。まぁ、表現したって言った方がいいよな。楽しい時間だったよ。これは俺の考えだが、音楽ってのは身体の内側から溢れてくるものなんだよな。本来ならな。しかしこのときは違っていた。俺は外側からの音楽を感じ、表現できたんだ。不思議な体験だったよ。俺はあの日以来、そんな体験を多くしてきた。

 外側から感じたままを表現すると、一つの問題点が浮上する。分かるだろ? 俺が感じた音楽は、俺以外の奴も感じているんだからな。当然、他の誰かが騒ぎ出すんだ。何処かで聞いたことがある。誰かの真似をしたのか? そうじゃないことは明らかだろ? 俺はただ、感じたままを表現しただけで、誰かを真似なんてするはずもない。って言うか、できるはずがないんだよな。俺が表現した曲は、あくまでも俺がそう感じたってだけで、それが他人と共有できたってことは、俺の感覚と表現力が優れていたってだけのことだ。つまりは俺の作品なんだよ。俺が表現した曲が、実際にその景色の中に流れていたわけじゃないからな。俺の曲を聞き、何処かで聞いたことがあると感じたってことは、俺の表現力が客観的だってことだ。

 俺が始めたこの表現方法は、なかなかに面白いものなんだが、至極つまらないものでもあるんだよな。俺以外の多くの誰かも真似をしているが、耳触りはいいんだけど、それだけなんだよ。その景色を知っている者や、感受性があれば聞くだけで景色を想像できる。けれど、その先がないんだよ。すでに完成されちまってるいんだよな。正直、すぐに飽きてしまう。まぁ、つまらないってことだ。俺はすぐに、そんな表現方法をやめにしたよ。

 転送装置が一般的になる以前の世界だったなら、そんな音楽にも意味があったのかも知れない。知らない世界を感じることができるからな。しかし今は違う。いつでもどこにでも行ける。その音を感じたければそこに行けばいいんだ。自然の音楽を楽しむことができる。俺が表現した曲なんて、所詮は偽物だと気がつくんだよ。

 とは言ってもまぁ、今でもそんな音楽が、ヒーリングなんて呼ばれながらももてはやされている。正直、俺はまるで癒されていないんだけどな。

 俺たちの音楽だって、多くの心を癒している。って言うか、音楽っていうのはそもそもそういうことなんだよ。繰り返しになるが、楽しむって、そういうことだろ?

 サリとの出会いは俺をあらゆる面で変化させてくれた。息子が生まれたことは当然として、音楽的だけでなく、俺の内面が変化をしていく。

 愛っていうのは、そこかしこに浮かんでいる。俺はただ、その愛を掴んだだけだ。その掴んだ愛の片端を、サリも同時に掴んでいたってわけだ。愛し合うって、そういうことなんだよ。それはなにも、特別なことじゃない。異性に対しての性的関係を含めた愛もあれば、性的関係のない愛もある。同性同士にたいしての愛も存在するってことだ。だってそうだろ? 家族に対しての愛に、性的要素は一切ないんだからな。

 俺はサリと歩くのが好きだった。寄り添って手を繋いたり、少し離れて見つめ合ったり、その空間を共有するだけで楽しくなるんだ。今でもそうだよ。サリが側にいると、俺は機嫌がいい。ずっと一緒にいたいって、不思議と今でも感じている。

 そんな俺がサリと別れることになったのは、スティーブの意思によるものだったんだよ。気持ちが離れたわけじゃなく、サリが息子をウツヨキで育てたいと言ったんだ。俺はそれを承知した。息子は少し、身体が弱かったんだ。喘息って病気は、薬が効かない厄介な病気なんだよ。自然に逆らった代償なんだろうな、きっと。自然溢れる中に戻ればあっという間に治っちまうんだから驚くよ。

 息子とは頻繁に会っていたんだが、サリとは会わない日々が続いたんだ。連絡もしなかったのは、心で通じていたからなんだけどな。息子を通しての会話もしていたし、二人の気持ちは決して離れていなかった。まぁ、俺の気持ちはいつだって、一人に向けてなんてわけにはいかないんだけどな。それは仕方がないことだ。なんせ俺は、世界中のみんなを愛している。そして、その多くから愛されてもいるんだからな。

 サリとの離婚が成立したことは、突然スティーブから知らされるんだ。前触れなんてなにもない。伺いをたてることも一切なしだ。俺もサリもびっくりだったよ。けれどまぁ、ときはすでに遅しだよ。離婚は、スティーブの匙加減ってことなんだよ。

 けれどまぁ、俺は少しばかりの感謝をしてはいるんだ。そのおかげで二度目の結婚に辿り着いたんだからな。

 二度目の結婚は、なんとも微妙だったな。俺は確かにあいつを愛していたし、あいつも俺を愛してはいたんだが、まぁ、その感情の矛先は人それぞれってことなんだよ。あいつとの出会いには感謝もしているしな。

 あいつとの間には三人の子供がいる。あいつは俺を愛しているというよりも、俺の背景を愛していたんだよな。それが悪いとも、裏切りだとも思わないよ。ただ、俺としては面白くなかったってことだ。あいつの愛の矛先を感じるほどに、俺の愛が薄れていく。そしていつしか、一緒にいたいという気持ちが消えてしまったんだよ。

 そんなあいつとは、俺が主催したフェスの会場で知り合ったんだ。あいつはなんとかっていうバンドのマネージャーをしていたんだ。そのバンドを愛しているわけではなく、ただの仕事としてだけのマネージャーだよ。本人の言葉なんだが、俺と出会うのが目的で音楽の世界に入り込んだそうなんだ。あいつ以外にもそんな奴は大勢いる。だがしかし、あいつほどにストレートな奴は他にいないよ。あいつの名は、ナオコ。素直な子っていう意味だそうだ。

 ナオコは俺を、じっと見つめてくる。その瞳が、俺を吸い込んでしまいそうに大きく、引力を感じたんだ。つまりまぁ、俺はナオコに引き込まれちまったんだよ。出会ったその瞬間にな。

 ステージ裏から、ナオコが俺を見つめていたんだ。あいつがマネージャーをしていたバンドは、ちょっと離れた隣のステージで演奏を終えたばかりだった。ナオコはすぐにメンバーを連れて、俺たちのステージを見学にやってきたんだ。そのバンド以外にも、多くの出演者や関係者がステージ裏には集まっていたよ。俺たちのライヴは、今でもそうだが、一見の価値があるからな。特にその日は、いまだに語り継がれる最高のライヴになったんだ。

 音楽フェスを考えたのは、この俺だ。と言ってもまぁ、そのつもりがあって始めたんじゃないんだけどな。俺はとにかくお祭り騒ぎが好きだった。大勢が集まってなにかをするってのは、ただそれだけで楽しいもんだろ? そこに音楽を混ぜてみろよ。楽しくないはずがないんだ。俺はただなんとなく知っている音楽仲間に声をかけた。ほんの数人だったはずだ。いくつかのバンドで、朝から晩までライヴをする。金なんて取らずに、その辺の広場やら空き地でってつもりだったんだ。それがいつの間にか、大袈裟な話として広まってしまったんだよ。俺が勢いで日付と場所を言ってしまったのがいけなかったんだよな。当然俺は適当に言っただけで、スケジュールも場所も押さえてなんていなかった。

 大変な騒ぎになっているけど、本当にやるのか? そんな言葉を言ったのは、ミカンだ。なんのことだ? 俺は本当になにも知らないでそう言い返したんだ。するとミカンは、ならいいんだけどななんて言ったきり、話をそこで打ち切ってしまったんだよ。その後のことは、正直俺は関知をしていなかったし、その日が来るまで知らずにいたんだ。嘘みたいな話だろ? あれだけの大騒ぎになっていたのに、当事者の俺が蚊帳の外状態だったなんてな。まぁ、俺って奴はいつでもそんな感じだっていう奴も大勢いるんだがな。

 俺の耳に、少しも情報が入ってこなかったってわけじゃない。他のバンドやら関係者以外にも、ファンや街中の住人たちから声をかけられることは多い。頑張って下さいとか、楽しみにしていますなんて言葉に、疑問なんて感じない。また新しいことを始めるんですねと言われ、なんのことだ? とは感じたが、俺は常に新しいことを求めて活動をしているから、昔から続けていることだって相手によっては新しいことに感じるんだって思う程度だったんだよ。一緒のステージに立てるなんて幸せですなんて言う若いバンドの言葉も、俺たちが演奏したことのある同じ場所でライヴをやるんだろうくらいにしかとらえなかったよ。俺たちが演奏していた会場は、そのほとんどが音楽の聖地と呼ばれているからな。俺たちが世界で初めてライヴとして使った会場は多いんだよ。音楽専用の会場を作ったのも俺たちだしな。世界中のあちこちに聖地が存在してるってわけだ。このときのフェス会場もそうだ。今でも毎年続く老舗のフェスであり、やはり、聖地と呼ばれている。変な言葉だよな。聖地なんてさ。宗教的な匂いはあまり、好きじゃない。

 結果として、フェスは大成功だった。俺が生まれた街の農場を会場にし、幾つものステージを設置したんだ。俺は知らなかったが、参戦グループの数が百は超えていたらしいからな。俺が声をかけた奴らが、ねずみ算的に広げていったんだよ。俺は初めに、生まれ故郷で開催したいと言ったんだ。日付は、母親の誕生日にしようかと言ったが、俺の母親だけの日じゃちょっと自分勝手が過ぎるからな、母の日にしようと言い直したんだ。計画は俺を無視して進んでいき、母の日を挟んだ三日間の開催が決まった。ちなみにだが、俺の母親の誕生日は母の日の前日で、父親の誕生日が翌日だった。

 三日間のフェスは、夜通し行われる。全ての会場でってわけじゃないが、どこかの会場で必ず音楽が聞こえてくるようになっていた。俺たちは主催だからな。メイン会場でのトリを三日間任されたよ。

 ナオコがステージ裏に現れたのは、最終日のことだ。あいつの担当していたバンドの名前は覚えていない。残念なことだが、フェスに参戦した全てのバンドが俺のお気に入りだったわけじゃないからな。俺が知らないだけでいいバンドも多くいたことだろうが、つまらないバンドが混じっていたのも確かなんだよ。あいつの担当がどうだったのかは別としてな。正直俺は、一度見ているはずなんだが、まるで覚えていないんだよ。

 俺がナオコに気がついたのは、演奏がスタートして一時間ほど経過してからだった。俺はステージを走り回るが、ステージ上では一切水を飲まないんだ。それでも汗はかくからな。当然喉が乾くんだよ。曲の合間にステージ裏に走り、水を頂くことがある。だいたい俺は、二回ほど水を飲むんだ。五百ミリ入った一本のボトルを一気飲みだよ。あの日もそうだった。そして、一気飲みをしている俺の姿を見つめる視線に気がついたんだ。

 俺は飲みかけのボトルをそのまま落とし、視線の先へと歩き出した。ほとんど無意識だったよ。そしてそのままの勢いでナオコを抱き締め、キスをしたんだ。参るよな。その光景が映像としてステージ奥の壁に映し出されたんだからな。

 その後の俺は、いつもに増して元気が良かった。演奏も観客も、それまでで最高の盛り上がりだったよ。あれが演出じゃなかったのが良かったんだと俺は思うが、あの後からだな、ライヴ中の演出が増えたのは。次第に過剰になっていく演出の先駆けだったんだよ。

 ナオコとの結婚は、多くからの祝福を得たと、当初は感じていた。結婚会を挙げたのは俺とナオコが初めてだからな。今では驚きかもしれないが、結婚会って発想は当時はなかったんだよ。俺たちが初め、世界に広まっていったんだ。まぁ、好き好んでやったわけじゃないんだがな。世間がそれを望んだってだけだよ。あの映像が流れたおかげで、俺だけじゃなく、ナオコまでもが有名人になってしまったからな。俺が結婚することをライヴで告げた直後から、世間は大騒ぎだ。結婚するその瞬間を目撃したいっていう輩が多く出現したんだよ。だから俺は仕方がなく、結婚をするってことを大勢の前で発表することを決めたんだよ。これから結婚することへの想いや約束の言葉を述べ、スティーブへの報告をする。その後に友人やら家族やらが俺たち夫婦の過去やらこれからやらを語るんだ。余興を挟んで、豪勢な食事をしながらな。まぁ、今の結婚会と同じだよな。俺たちはそれを、大勢の前で披露したんだよ。スティーブを通しての中継もなされたよ。とにかく大勢が俺とナオコの結婚を目撃し、祝福してくれたんだ。その時点ではな。

 ナオコはエジプト人だったんだ。なんていうだろうな? 神秘的な瞳をしていて、顔も身体も整っていたよ。マネキンって知っているだろ? あれのモデルは文明以前のエジプト人だって噂だからな。エジプト系以外であんなに見事なスタイルの人間にはお目にかかったことがないよ。俺にとってナオコは、初めて出会うエジプト系だったんだ。

 マネキンってのは、等身大の人間を模した雛形のことだよ。まぁその大きさから親鳥形なんて言い方の方がしっくりはくるんだが、そんな言葉は、今のところ普及はしていない。

 言葉っていうのは、面白いよな。今の世界では共通の言語を使用しているが、文明以前では国ごとに違う言葉を使用していたらしいからな。町ごとにも違う言葉を使っていたと言う噂もあるらしい。そんな研究をしていたんじゃないかって思われる記録が、スティーブにも残されているんだ。まぁ、確証はないんだが、俺が見つけた形のある本に載っていた文字に似た文字を、スティーブはある記号として使用していたんだ。それの意味は俺にはわからないが、その文字は国によって違いがあり、さらに細かく分けると町による違いもあるんだが、国による違いはどう見てもその文字の成り立ちが違うんだよな。似たような文字もあるにはあったし、国が違っても同じ文字らしい国もある。町によっての違いは、なんとなくな違和感としか言いようがないんだがな。同じ国の同じ文字のはずなのに感じる違和感の正体は分からないが、確かに感じるってことは、そういうことなんだよ。俺はその文字を、今ではスティーブが認識していると考えているんだ。文明以前の文字としてな。その理由は簡単だよ。その記号は、あることをきっかけに変化をしているんだ。それは、誰かが形のある本を見つけたときになされるんだよ。俺は何度か形のある本を見つけているから分かるんだ。まぁ、その法則に気づいてからは、その逆を利用して形のある本を見つけた誰かを探し出し、会いに行ったりもしているしな。

 って言うか、スティーブのことはどうでもいいんだ。俺が言いたいのはさ、言葉ってのは常に変化をするってことだ。それでいいんだよ。きっと、そう言った変化を繰り返して今にいたっているんだからな。文字だって同じだよ。言葉が変化を続け、こうやって、例外はあるかもしれないが統一され、文字も同じように変化の結果として今の文字に統一されたんだよ。俺はそう考えているよ。まさか、神様がそうさせたなんて話は信じちゃいないだろ?

 待てよ。俺は今、そんな話をしていたか? そうだよ。違うよな。マネキンの話だよな。等身大の雛形を作ることに、最初は誰も意味を感じなかったよな。俺だってそうだ。あんなもんが街に突っ立っているのは気味が悪いからな。最初は洋服の宣伝に使うために考えられたそうだよ。スタイルの良い雛形に着せれば、ただ棚に並べているよりも全然見栄えがいいからな。スティーブの機能を使ってそんな映像を立体的に投影するって技術は遠の昔から確立されていたんだけどな、やっぱり本物の質感を完璧には表現できないんだよ。よく本物より綺麗な映像だと絶賛する輩がいるが、それって最悪のクレームだって俺には聞こえるんだ。本物を完璧に表現することができないからって、より綺麗にっていう逃げ道なんだからな。

 雛形に本物の洋服を着せることは、見事なほどに効果的だったよ。 そりゃあそうだよな。本物の洋服を身につけているんだ。しかも、最高にスタイルのいいエジプト系の体型でな。客観的に見て触れることができるってのがいいんだよな。まぁ、実際にスタイルの悪い奴が着ると、同じ物でも別物のように感じられることもあるにはあるんだが、この世界にスタイルの悪い人間は少ない。俺が見た文明以前の形のある本では、醜い体型の人間が多く見られたよ。背の高さや大きさがバラバラなのは、文明以前の人間がもつ特徴の一つだよ。

 俺たちは産まれてすぐから食事コントロールをされるんだよ。スティーブが管理をしているからな、逆らうことは難しい。ディーエヌエーの操作も、スティーブにはお手のもんなんだよ。俺たちは基本、生まれる前からこの体型をコントロールされているんだ。とは言っても限界はあるからな。今では死語になっているが、人種って言葉があるんだ。意味くらいは分かるだろ? 以前は人間の行動範囲が狭かったってことだ。狭い土地で繁殖していった結果、他とはほんの少し違う進化をしたんだよ。肌の色や体型、その程度だけどな。そんな人種間の長い歴史で培った僅かな差を修正することは、スティーブにも難しってことだ。ディーエヌエーの操作にも限界があるんだよ。まぁ、とは言っても、俺たちはかなり上手に制御をされているんだ。身長差は大人になれば五センチ前後ってとこだな。体重に至っては、誤差二、三キロだよ。それにはまぁ、別の要素もあるんだけどな。俺たちは毎月一度、薬を飲んでいる。悲しいことに、こいつは強制なんだ。色々な噂はあるが、俺たちの健康のためっていうのが一番のはずだ。あの薬は体重をコントロールしてくれる。スティーブへの影響を懸念している連中は間違っているよ。あの薬には、脂肪を燃やす細菌しかいなかったって、俺の知り合いが言っていたよ。あいつは俺の仲間だが、半分はそっちの専門家だしな。なんて言っても、確かにこの世界には太った奴もいるんだよな。理由はなんとなく想像つくが、太った奴はまず間違いなく政府側の人間だ。それ以外でのデブに、俺は出会ったことがない。

 雛形の使い道は、驚くほどに多様化している。正直俺は、あれが初めて街中の店に置かれたとき、邪魔だと感じたんだ。その便利さが、必要だとは感じなかったんだよ。俺は洋服を選ぶとき、必ず身につけて判断するんだよ。他人が着ている姿には惑わされない。けれど今の雛形は、愉快だよ。使い道もそうだが、街に雛形が溢れている光景が好きなんだ。人工的で冷たさを感じるこの街で、唯一暖かみを感じるからな。街のあちこちで、雛形はあらゆる仕事に大活躍だ。今では自動の雛形だって存在している。スティーブによる制御で動いているらしんだが、自らの意思を持ち始めているって噂もあるよ。そんな雛形は大抵、店番やら受付やらの仕事をしている。しかし俺のお気に入りは、街を歩いている雛形たちだ。あいつらは街の掃除をしたり、警備をしたり、工事をしている。ただぶらぶらしているだけだったり、風船や飴を配ったり、大道芸なんかをしいているのもいる。大道芸ってのは、ちょっと特殊で手短なショウのことだよ。人間離れした技を見せたり、コミカルな演技をしたり、まぁ、子供達にも大人気だ。

 マネキンが動くってのは、初めは怖かったよ。けれどその顔が、恐怖を薄めたんだ。そりゃあそうだよな。エジプト系の顔は、その美しさだけでなく、優しさも兼ね備えているんだ。

 結婚会はそりゃあ盛大だったよ。評判も良かったしな。しかし、その後が少し問題だったんだ。俺たちはちょいと調子に乗ってしまったんだよな。時代的な理由もあってな、二人で裸になり、ベッドに入る様子を公開したんだ。平和と愛を表現したってわけだ。ホテルの一室で、ギャラリーがいる前でな。大いに受けたことは確かだ。いまだにその画像をあちこちで見かけるからな。評判も良かったはずなんだよ。しかし、一部の連中が猛烈に批判をしたんだ。なんていうか、滑稽な連中だよ。カンガルー保護の連中によく似ているよな。

 カンガルー保護については知っているだろ? 俺はまぁ、元々食べたこともないし、食べたいと思ったこともないからどうでもいい話ではあったんだけどな。ああいうやり方は気に入らない。元は確か、大学生が始めた路上パフォーマンスだったんだよな。カンガルーの肉を食べるなんて野蛮だと言い出したんだ。あんなに可愛いくジャンプする生き物を食べるなんて可哀想なんだとよ。お腹の袋で赤ん坊を育てる母性と知性を冒涜しているらしい。まぁ、最初は誰も相手にしなかったよ。なんせカンガルーを食べるのはオーストラリアくらいだからな。他ではまず食べない。興味すら持てない言葉だったんだ。俺たち大人にはな。しかし子供の耳にはちゃんと届いてしまったんだよ。可哀想だよと、泣きながらスティーブに訴えた姿が世界に配信され、それが多くの共感を呼ぶことになったんだ。おかしな大人ってのはどこにでもいるんだよな。そんな感情を利用したんだよ。俺には意味がわからないが、カンガルーの肉を食べる輩を批判することで得られる利益があるんだとよ。全く、おかしな世界になっちまったもんだ。カンガルーってのは、今や世界中で繁殖しているっていうのにな。その数はまぁ、それほど多くはないが、食用にしても困らない程度の数はいるんだよ。そんなことは世界が分かっている。それでも、自分たちの利益のため、思ってもいない批判を繰り返す。俺たちへの批判も、そんな滑稽な連中が言い出したんだよ。

 平和と愛の表現が、理解できないんだよな。その意味を知らないって言った方が正しいかも知れない。平和も愛も、真っさらな心にこそ存在し得るからな。しかし連中は、そんな俺たちを下品だと言ったんだよ。よく言うよな。裸で愛を表現することが下品だとさ。俺たちは自然のままの行動をしただけで、いやらしいことは一切していない。そもそも、性を売り物にしている連中が多く存在するこの世界で、よく言うよなって感じる。言っちゃ悪いが、顔を表に出す商売ってのは、本人の意思とは関係がなくそうなってしまうもんなんだよ。それを分かった上で商売している奴は意外と多いんだよな。男も女も、見た目を着飾るってそういうことだ。俺はそれが悪いとは思っていない。こう言っちゃなんだが、俺だって性を売り物しているってことは理解しているからな。俺の踊りがいやらしいってのは、ずっと言われ続けている。けれどまぁ、それって悪いことじゃないだろ? 異性に対して性的魅力を感じてもらえるってことは、むしろ嬉しいことだよ。最高の褒め言葉でもあるって俺は感じているくらいだからな。けれどまぁ、俺とナオコは批判をされたんだよ。

 俺の人気は下がらなかったが、ナオコと一緒にいることだけは常に批判をされ続けたよ。離婚をした今でもそうだ。どうしてあの女と結婚をしたんだ? 理解に苦しむらしい。ふざけた言いがかりだよな。俺はナオコといる時期に、多くの傑作を生んでいるんだ。俺たちが始めたことで今では常識になっていることのほとんどは、ナオコのアイディアやアドバイスが効果的に作用している。ナオコはあれで、アーティストなんだよな。俺と出会う前から、個展なんかを開いていたんだ。仕事とは別にだな。なんでも学生時代に始めたそうだ。なかなかに面白い作品を展示していた。天井に穴を開け、中を見てと矢印で記す。近くに置いてあるハシゴを使って登り覗いてみると、楽しかった? なんて書いてある。俺のお気に入りだよ。ベッドイン後のナオコは、そっち方面への力の入れようが増していった。ベッドインの発想も、ナオコによるところが大きかったしな。注目を集めるってのは、あまりいいことじゃないのかも知れない。ナオコは注目されすぎた。ナオコにとっては、出産も作品の一部だったんだ。子育ても、生まれてきた子供そのものまでもを作品のように扱っていたんだ。まぁ、その点は俺にも非があるんだけどな。俺は娘の名前を題材に、曲を作っている。

 しかし、俺への非難はほとんどなかった。むしろ俺が作ったその曲は、世界中で愛され歌い継がれている。非難されるのは、いつだって妻の方だった。だがあいつは強かった。決して負けないんだよな。後ろに引くってことを知らないんだ。次々と色々な発想で作品を生み出していった。音楽についても同様で、俺と二人でおかしな作品を作っては表現していたんだ。

 ナオコがいなければ・・・・ なんて言葉を世間は多く発している。俺もそう思うが、世間とは意味が違う。世間では、ナオコのせいで俺がおかしくなったとか、ライクアローリングストーンの評判を下げたとか、つまりはまぁ、俺と一緒になったことへの不満ばかりだってことだ。けれど俺は、ナオコがいなければ今の俺はもちろんだが、これまでの俺の存在全てがなかったと思っているんだよ。ナオコからの刺激を受け、俺は成長した。まぁ、子供達からの刺激も大きいんだけどな。

 ナオコとの間には三人の子供がいる。全員娘だよ。娘ってのは本当に可愛いが、女は生まれたときから女なんだよな。息子と違ってガキンチョでいる時間がほとんどない。態度や仕草に色気がある。心配事が消える日は、いまだにやってこないよ。

 ナオコと別れたのは、まぁ、俺のせいかも知れないな。世間でなにをどう言われようが、ナオコに非はない。俺がそう言うんだから、間違いないし、それでいいんだよ。

 俺は娘達を可愛がり過ぎたようだな。やりたいことはなんでもさせ、欲しいものはなんでも与えた。ナオコはそれが気に入らなかったようだ。なんでかはよくわからない。まぁ、俺とは考えが違うんだよな。俺は子供達に自分と同じ人間になって欲しいとは思わない。俺ができなかったことをやらせたいと考えていた。しかしナオコは、娘達に自分と同じ様に育って欲しいと願っていたんだ。自分が子供の頃にしてきたことをなぞる様に、同じ習い事をさせ、学校まで同じ学校へと通わせたんだ。まぁ、どんなに遠くても、当時はすでに転送が一般的だったから問題はなかったんだけどな。そこまでしなくても、いい学校はこの国にもある。俺にはどうでもいいことだったがな。学校なんて、どこも似た様なもんだ。どんな学校に入るのかじゃなく、そこでどんな生活を送るかは自分次第の他ならない。

 それでもまぁ、俺とナオコの関係は良好だった。今でもそうだ。それほど険悪ってことはない。ナオコの個展には顔を出すしな。ナオコも俺のショウを見にきている。離婚をしたのは、本当のことを言ってしまうと、俺が若い娘に恋をしたからだ。仕方がないよな。誰かを好きになるっていう気持ちを止めることはできない。俺はただ、感情に従っただけだ。ナオコにしても同じことだ。感情に従い起こした行動に、俺は非難するつもりはないよ。ナオコは離婚をするための、会議を要求したんだよ。この世界は基本、なにをするにも自由だ。まぁ、見えない規制はこの際無視しての話だがな。しかし、他者間の意見が食い違ったりすると、多少面倒なことになる。スティーブに意見を預け、役人を交えての会議をしなくてはならないんだよ。どっちが正しいとか、どっちの意見を尊重するとか、和解案をどうするべきかとか、そう言った下らないことを決めるための話し合いをするわけだ。とは言っても、会議の内容はいつもだいたい決まっている。会議をするってことは、なんだかんだと言い訳やら屁理屈やら言いがかりをつけ金を要求することとイコールなんだよ。

 ナオコは俺から当時の財産を三分のニほど持っていったんだ。俺としては妥当だと感じている。俺はナオコとの出会いで更なる飛躍をしたって信じているからな。まぁ、俺からの不満と言えば、ナオコからの請求が金だけだったってことだ。俺は知っているんだ。あいつは初めから、俺の金を愛していたってな。それでも俺は構わない。って言うか、金を持っているってのも、今では俺の魅力の一つだろ? 貧乏が魅力の人間と、たいして変わらない。まぁ、魅力ってのは人それぞれの背景ってことだからな。

 ナオコは三人の娘を俺が預かることになんの迷いもなく合意した。それが最大の不満だな。ナオコが娘達を愛していないわけじゃないことは百も承知だ。俺が娘達を離すつもりがないことも知っていたはずだしな。それでも少しは抵抗するって俺は考えていたんだ。あんまりにあっさりした結果に、拍子抜けしたとも言えるな。

 ナオコと離婚はしたが、繋がりは全く消えていない。娘達とは毎日連絡を取っているしな。結局俺たちは、財産を分けたってだけのことだ。夫婦ではなくなったが、家族であることに変わりはない。俺は恋に自由になっただけだよ。

 けれど少し、悲しい現実がまだ残っている。いつまで経っても、ナオコへの非難が消えないってことだ。俺と別れてからも、非難され続けている。まぁ、財産を分捕ったと言われることは想定内だったけれど、ナオコはそれを思いの外楽しんでいる。その状況を巧く作品に反映させている。

 と言うか、俺には不思議なんだ。ナオコへの非難が消えることはないのに、その人気が消えることもない。あいつはやっぱり、凄い人間なんだよ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る