悪魔狩りの罪

朝海 有人

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 はい、宇美とは恋人同士です。付き合い始めてから、今月でもう一年が経ちますね。今でも信じられないですよ、ついこの間まで一緒にいた宇美が死んでしまったなんて……これが夢なら、早く覚めてほしいです。

 えぇ、恋人同士ですよ、刑事さん。それが一体何か……あはは、確かに教師と生徒が恋人関係を結ぶなんて、ふしだらと思われるかもしれませんね。教育の現場で働く私たちの肩身も、一昔前に比べたら大分狭くなったと思います。一人の生徒に肩入れしているのがバレてしまえば、面目が立ちません。親としても、えこひいきをする先生に自分の子どもを預けたいとは思いませんよね?

 でも、最近の学生の風紀は、それこそ一昔前に比べたら大分乱れていますよ。いえ、むしろこれが普通と言えるかもしれません。何せ今は、携帯電話やインターネットで世界中の人間と繋がれる時代です。多様な価値観を取捨選択して、彼らは独自の文化を形成しています。だから、教師が生徒に恋をすることも、もちろんその逆も、今は別段珍しくもないんですよ。

 勘違いしないでくださいね? 私たちはいたって健全な関係です。私も教師である以上、不純異性交遊を認める訳にはいきませんから。説得力がない? それは私も認めざるを得ませんね。

 宇美が恨みを買うような人物だったかどうか、ですか。なるほど、他殺の可能性ですか。それはあり得ません。宇美は心が綺麗で、とても優しい子です。間違っても、誰かから恨みを買うようなことはしません。

 そう言いきれる根拠……私と宇美は相思相愛の関係です。宇美が結婚できる歳になったらすぐにでも籍を入れようと話をしていたぐらいですから。

 宇美は私に隠し事なんてしません。私が見えないところで、何か良くないことをしている、ことは絶対にありません。私は宇美を信じています……それだけじゃ根拠が薄いですよね。

 そこまで言い切れる理由ですか。そうですね、少し長くなってしまうかもしれませんが、お話ししてもよろしいですか? 出来れば手短にですか。それは何故……あぁ、まだクラス全員から宇美についての話を聞けていないんですね。わかりました、では手短に伝えるよう努力します。


 順を追って話すのであれば、まずは私の生い立ちから話す必要があります。えぇもちろん、なるべく簡潔に話しますよ。あくまで補足程度に話しますのでご安心を。

 私は平々凡々な一家の元に産まれました。両親と私の、ごく一般的な家族でした。そうです、でした、です。ある日をきっかけに、私たちは一般的な家族じゃなくなったんです。

 覚えてますか? 二十年前に起きた殺人事件、ワイドショーで何日も取り上げられたそうですし、今でもたまにドキュメント番組で扱われていますね。逮捕された犯人の証言から、「悪魔狩り事件」と呼ばれていた事件。とある教師が自分の勤務している学校の校長先生と、そこに在学していた生徒数人を殺害した、あの凄惨な事件です。

 その事件の犯人なんですが、実は私の父なんです。驚かれましたか?

 名字が違う? そうですね、逮捕された犯人の名字は 今崎で、私の名字は海原。はい、海原は母の旧姓です。

 父はとても真面目で厳格な、正に教師が天職の人でした。その職業柄、教育に関してはとても厳しかった思い出があります。五歳だった私にも、一切の妥協をしていませんでした。

 特に父は、嘘を嫌う性格でした。前に火遊びをして家の床を焦がしてしまった時、追求してきた父に私は嘘をついてしまいました。その嘘がバレた時の父の表情は、今でも忘れられません。その時初めて、私は父に頭を叩かれました。それぐらい、父は嘘に対して敏感でした。

 でも、決して乱暴な父ではありませんでした。良いことをしたら褒めてくれるし、悪いことをしたら叱ってくれる、自分の信念にとても忠実な人で、その姿は皆が思い描く正義そのものでした。小さい頃は、当時放送されていた勧善懲悪のヒーローアニメに、父の姿を重ねていたぐらいです。

 そんな父が、警察に連れていかれるのを見たときは子どもながらにとてもショックでした。警察に連れていかれる、ということがどういうことなのか、その時の私は既にわかっていました。だから尚更信じられませんでした。それからの父に関して覚えているのは、母と二人で面会に行ったときの父の言葉です。

 ーー奴等は皆悪魔だった。だから殺した、俺は悪魔を殺した。

 この事件が悪魔狩り事件と呼ばれているのも、父が裁判でも同じことを証言したからなんですよね。殺した人たちは人じゃなくて悪魔だった、だから罪悪感は少しもない、だって殺したのは殺されるべき悪魔なんだから……父が裁判で言ったことを知ったのは、つい最近です。

 その時の私は、父の言っている悪魔という言葉の意味がわかりませんでした。悪魔、という言葉自体は知っていましたし、絵本等でどういう存在として描かれているのかも知っていましたが、父があのとき言っていた悪魔という言葉は、そんな子どもが思い描くようなステレオタイプの悪魔とは違うような気がしました。

 父が言う悪魔とは何なのか。結局それを父から聞くことは出来ませんでした。刑事さんもご存じですよね、父は「極めて悪質で情状酌量の余地無し」ということで死刑を求刑されてしまいました。だからもう、父に悪魔という言葉の真意を聞くことはできません。

 その後、私たちは母の実家に引っ越しました。

 母は一粒種の私のために、一生懸命働いてくれました。私の世話を祖父母に頼み、朝から晩まで働き詰めでした。時には、私が寝ようと自室に戻ったときに帰って来て、私が朝食を食べようと自室を出た時に家を出ていったこともありました。

 そんな忙しそうな母でしたが、運動会や合唱コンクールなどの行事には必ず来てくれていました。どんなに忙しそうにしていても、私の晴れ姿を母は必ず見に来てくれました。それだけで私は、母からとても大事にされているということが分かりました。

 晴れ舞台に立つ私を見守る母の姿を見ると、心の奥底がポカポカと暖まり、幸せな気分になりましたし、もっと頑張って、母にかっこいい姿を見せようと奮起させられました。

 私がこうして教師をしていられるのも、暖かく見守ってくれた母のお陰です。

 反対されなかったのか、ですか? それは何故……罪を犯した父と同じ職業だから? なるほど、そう考える人もいるんですね。驚かれるかもしれませんが、私に教師の道を示したのは他でもない、母なんですよ。

 父が逮捕されてからも、母は父を片時も忘れることはありませんでした。今思えば、母はきっと父が言っていた言葉の真意を、全て分かっていたんだと思います。そして母は、父を信頼していました。父の凶行も、何か理由があっての行動なのだ、と。それほど、母は父を尊敬していましたし、愛していました。

 母は、私と二人でいるときによく父の話をしてくれました。立派な先生だった、信念を決して曲げない強い人だった、母が父を語るときの言葉はいつも違っていました。

 そして必ず、最後はこの一言で締め括ります。

 ーーあなたも父のように、立派な先生になりなさい。

 不思議ですか? 殺人者である父と同じ職業を目指せなんて。それに、父のようになれ、というのですから、刑事さんが苦い顔になるのもわかります。確かにそうかもしれませんね、だけど、母にとって父はいつまでも、どんなことがあっても尊敬できる立派な人だったんです。もちろんそれは、私にとっても同じです。私は父をすごく尊敬しています、私が教師を目指すきっかけの一つは、間違いなく両親の教えによるものです。そして私が立派に教師を勤められているのも母と、そして父のお陰でもあるんです。

 すいません、なんだか長くなってしまいましたね。私としては短くまとめたつもりなんですけど。

 分かりました、では続きを話させてもらいます。なるべく短くできるよう、私も努力します。

 そういえば、連絡が取れていないという生徒とは連絡がとれましたか? まだ、ですか。えぇ、もちろん心配ですよ。大切な生徒が何か事件に巻き込まれているんじゃないかって、とても心配です。

 それに、宇美が死んでしまったと聞いた皆の精神面も心配です。クラスの仲間にもう会えない、という現実を前に、皆きっと悲しんでいます。担任としてこれほど心苦しいことはありませんし、少しでも力になってあげたいものです。

 良い先生ですか? ありがとうございます、そう言っていただけると、天国の父も喜びます。



 私が宇美と出会ったのは、私が教員試験に合格して、最初の中学校に赴任してきたときでした。一年目で早速二年生のクラス担任を務めることになり、初めて生徒たちの前に先生として立ったとき、そこに宇美の姿はありました。

 それまでの私は、特に恋愛というものをしたことがありませんでした。クラスで人気の子がいても、特に琴線を揺さぶられることはありませんでしたし、本気で誰かを好きになるという経験がその時の私にはまだありませんでした。

 だから、宇美を初めて見たとき、自分の心がどうなってしまったのかわからず困惑しました。それがいわゆる、一目惚れだということに気づいたのは、しばらくしてからでした。

 気づけば私は、自然と宇美のことを目で追うようになりました。まるでストーカーですよね、自分でもおかしいと思います。

 だけど、それがあったから、私は宇美と親密なれたんです。

 ある日、私はいつものように宇美を目で追っていました。気が付けば、登校してくる生徒の群れから宇美をすぐに見つけられるようになりました。

 しかしその日、宇美は学校には入らず、校舎の裏側の方に入っていってしまいました。不思議に思った私は、宇美が歩いていった方に行ってみました。

 宇美は校舎の影になっているところで隠れるように座っていました。何をしているのかと覗いてみると、そこにいたのは一匹の犬でした。

 その時、私が不用心に近づきすぎたせいで犬が吠えてしまいました。驚いた宇美は私の方を向き、とても困惑した様子で私をジッと見ていました。

 後で聞いたのですが、どうやら怒られるのではないかと思っていたそうです。だから宇美は、人目を忍んで校舎裏に隠れていたようです。

 宇美は怯えていましたが、私は怒る気はありませんでした。それよりも、何故こんなところで犬を飼っているのか、ということが気になりました。

 宇美はクラスの中でも真面目な子でした。いけないことは決してやらない律儀な子だったので、そんな宇美が何故こんなことをしているのか、私はそれを尋ねました。

 宇美は怒られないを不思議そうに見つめてから、安心したのか私にポツポツと語り始めました。その話は、宇美の人生観に関わるものでした。



 宇美の家は、両親と祖父母が全員教師という家庭でした。そんな家に生まれた宇美も、生まれたときから教師になることを運命付けられていました。

 だから宇美は、確固たる自分というもの、いわゆる意志のようなものを持っていませんでした。家での生活も通う学校も、付き合うべき友達も人生哲学も、全て親に決められていました。

 だから宇美は、他人に全てを委ねていました。自分で考えることを放棄し、他人の判断に従うことが正しいと思っていました。だから親に反発することもなく、人形のように毎日を過ごしていたと、宇美は言っていました。そんな宇美の生き方に、大きな変化をもたらす出来事が起きました。

 事の始まりは数ヵ月前、宇美が二年生に進級する少し前のことです。その頃、クラスでとある遊びが流行っていたそうです。始めたのは、当時クラス内で幅を効かせていた不良グループの男子生徒でした。

 その内容は、クラス全員にアンケートをとる、というものでした。それだけだったら大したことないと思いますよね? でも、そのアンケート内容は「クラスで一番死んでほしいと思う人は誰か」というものでした。

 当時、中高生の間でデスゲーム物の漫画が流行っていました。いわゆる「負けると死んでしまう理不尽なゲーム」を描く物語です。どうやらそれを真似たのが、この遊びの発端でした。

 最初はその男子生徒も、単なるおふざけでやっていたそうです。参加する方も、友達同士で名前を書きあったものをその場で公開し合って笑う、みたいな冗談程度にしか思っていませんでした。

 しかし、その空気に待ったをかけた人がいました。アンケート用紙を持ってきた不良グループの男子生徒に、「絶対に僕は書かない!」と断固拒否した男子生徒がいました。

 当然、不良グループに男子生徒にそのことをしつこく糾弾しました。「何で書かないんだ」「皆は書いてくれたぞ」と口々に責め立てましたが、「冗談でも言って良いことと悪いことがある」と男子生徒は一貫して書かない姿勢を見せていました。

 教師である私としては、その男子生徒の行動を賞賛するべきでしょう。言っていることは何一つ間違っていませんし、自分の信念を決して曲げないその姿勢は、とても素晴らしいことだと思います。

 しかし、一クラスメイトとして見ると、一当事者として考えてみると、これがいじめに発展するのは当たり前のことだと思いますし、空気を読んで嘘の一つでもついていればよかったんじゃないか、とも思います。もちろん、それを許すわけにはいかないのが私の立場なんですけどね。

 空気を読む、という行為が社会でどれだけ重要なことか、刑事さんもわかりますよね? 例えどんな信念を持っていても、事と次第によって意見をコロコロ変えないといけない。周りに合わせて考え方を変えないといけない、それが今の社会です。

 個性よりも協調性が重視される。それは社会人に限った話ではありません、むしろ未成熟な子ども達だけの空間の方が、よっぽど重要かもしれません。

 不良グループの男子生徒は、その男子に対していじめを始めました。上履きを隠す、教科書に牛乳をかけて使えなくする、ガラスを割ってその責任を全て押し付ける、ひどい時には教室の真ん中で服を脱がそうとまでしたそうです。

 子どもはとても残酷で、狡猾な生き物ですね。それらの行為は全て、担任の先生が見えないところで行っていました。そしてその行為を見ていたクラスメイトには、必ず最後にこう言っていたそうです。

 ーーチクったら殺す。

 それ以降、いじめを行っていた不良グループのクラス内での地位が大幅に向上しました。その頃のクラスの雰囲気は、まるで独裁者による独裁政治のようだった、と宇美は言っていました。力を持つ者に逆らえば殺される、だから誰も、いじめを黙認せざるを得なかったそうです。

 それに伴って、いじめもどんどんエスカレートしていきました。誰も自分たちに逆らう人はいないと思った彼らは、自分たちが本当に王様になった気分だったのでしょうね。

 彼らが最後に行ったのは、事の発端でもある冗談で始めたアンケートでした。「クラスで一番死んでほしいと思う人は誰か」、同じアンケートをクラス全員に取ったそうです。「あいつの名前を書かないと殺す」という一言を添えて。

 クラスメイトは報復を恐れて、それに逆らわなかったそうです。これによって彼らは、自分たちの行いがクラスメイトの声を代弁していると完全に錯覚したのでしょう。アンケート結果の下に、「クラス全員でとった本気アンケートです」という但し書きまでしていたそうです。

 アンケート結果は、SNSを通じてクラス全員に発表されました。不良グループに同調して面白がっていた人、良くないことだとわかっていながら言い出せない人、投票しておきながら我関せずを貫き通す人、十人十色だったそうです。

 そして、アンケート結果が発表された次の日、いじめられていた生徒が自室で首をつって死んでいるのが発見されました。

 遺書のようなものはありませんでしたが、十中八九自殺で間違いない、というのが当時の警察の見解で、突発的な精神不安による衝動的な自殺、最終的にはそれで片付けられたそうです。

 私も宇美からその話を聞くまで、この学校でそんなことがあったなんて知りませんでした。つい数ヵ月前の出来事のはずなのに、学校外でその話を知る人は誰もいなかったのです。きっと私も、宇美からこの話を聞かなければ永遠に知り得なかったことでしょう。

 男子生徒の自殺といじめの事実は、学校と警察の力によって隠蔽されたのです。えぇ、確かに刑事さんの立場上、それを認められないのもわかります。ですが、刑事さんはこの話をご存じでしたか? そうですよね、きっとかなり上の立場の方々が隠蔽に尽力されたのだと思います。私みたいな末端には、そんな話が届くわけもありません。

 それに、この学校は名門と呼ばれている由緒ある学校です。そのような事実を公表されると、学校の名前に傷がついてしまいます。一人の生徒の命と学校の未来、それを冷静に天秤にかけた結果、このような判断を下したのだと思います。

 話がそれましたね。宇美は、そのいじめに荷担したクラスメイトの一人でした。しかし宇美は、面白がって同調したり、脅しに屈したわけではありませんでした。

 宇美は、判断を全て他人に委ねてしまう子でした。それは善悪の判断も同じで、自分の行いが正しいと思っている主犯の男子生徒にその判断を委ねてしまいました。

 結果、宇美は男子生徒の判断に従い、迷いなく正しい行為としていじめに荷担してしまったのです。そこに、宇美の意志はありませんでした。

 酷いですか? そうですね。皮肉なのは、宇美がそれを正しい行為であると思ってしまったことでしょうね。せめて、善悪の判断がつくようになったのがもう少し早ければ、何か変わっていたかもしれません。

 宇美の心に変化が訪れたのは、それからまた数ヵ月後、進級する直前の頃でした。

 何事もなかったかのようにクラスは元通りになり、一つ上の学年に進級する直前で、学年全体が活気づいているときでした。

 宇美は家に帰る途中、いじめの主犯格の不良グループを見つけました。彼らは、公園で捨てられていた子犬を囲み、エアガンで撃つ遊びをしていました。きっと、男子生徒を間接的にとはいえ殺してしまったため、慎重になっていたのでしょうね。彼らはいじめの対象を、人間から小動物に変えたのです。

 宇美がそれに気づいたタイミングで、彼らは撃つのをやめて走り去っていきました。

 残された犬は小さく震えながら弱々しく鳴き、ゆっくりと歩き始め、そこで宇美の方を見ました。

 目が合った、宇美はそう言っていました。今にも消えてしまいそうなほどか細い鳴き声を出しながら、何かを訴えるような目で、犬はジッと宇美を見ていたのです。

 そこで初めて、宇美は命というものを目にしました。そして、自分以外の生き物のリアルな死を目の当たりにしたのです。

 宇美に限らず、人間は自分以外の命を軽んじています。死という言葉が日常的に使われるようになったのも、食事前にいただきますを言わなくなったのも、そういう背景なのではないでしょうか。彼らにとって命とは、銃で撃たれて死んでもすぐに生き返る、まるでゲームのようなものなのでしょうね。

 しかし、宇美が見たのはもっとリアルな死でした。今まさに、そこまで迫ってきているもの。命の灯が消えそうになっている瞬間。自分以外の命が確かにそこにあるのを、宇美は初めて感じたのです。

 宇美はその日、初めて自ら行動を起こしました。理屈じゃない、目の前で消えかかっている命を救わなければならないという強い思いが、宇美に自意識を与えたのです。

 宇美は、初めて門限を破りました。そして、両親に使い道を強制されていたお小遣いを、初めてそれ以外の事で使いました。それは、今まで判断を他人に任せていた宇美が、初めて自分で行動した瞬間でした。

 それから宇美は、自分が助けた犬を大事にしてきました。家では飼うことが出来ず、放してしまえばまた危害を加えられかねない。色々考えた末、宇美はしばらく校舎裏に犬を隠し、誰にもバレないように世話を続けていました。



 宇美は私に全てを話してくれました。そして、両手を広げて犬を庇うようにして立ちながら、どうか見逃してくださいと私にお願いをしてきました。

 元から私は、宇美を怒る気はありませんでしたし、犬に対して何かしようとも思いませんでした。

 必死に犬を庇う宇美の姿が、私の父と重なりました。自分の信念に忠実で、決して嘘をつかず全てを明かした宇美は、私が尊敬する父の姿に似ていました。私が宇美を好きになったのは、きっと尊敬する父と同じものを感じたからだと思います。

 宇美の力になりたい、私は本気でそう思いました。だから私は、犬を引き取ることを提案しました。

 その時の宇美の表情は、まるで花が咲いたかのようでした。私の手をギュっと握り、何度も「ありがとうございます」と言い、最後にはうっすらと涙を浮かべていました。

 その姿を見た私が、優しい心を持った宇美をよりいっそう好きになったのは、言うまでもありません。

 犬はその日の内に、宇美と共に私の家に運びました。しかし、私には犬が家に来ることよりも、宇美が自分の家に来ることの方が大事でした。こんなことなら、部屋をちゃんと片付けておけばよかったと激しく後悔しました。一人暮らしというのは、どうしても部屋が散らかりがちになりますからね。

 幸い、おとなしい犬だったので吠えて周りに迷惑をかけるようなことはありませんでしたし、暴れて物を壊すようなこともありませんでした。ペットを飼ったことがない私には、色々と新鮮なことばかりでとても楽しかったです。

 何よりも、宇美が犬の様子を見に私の家に来てくれるようになったのが、一番嬉しいことでした。宇美が家に来てくれるときは、学校が終わると二人で私の家に帰りました。そして、宇美の門限ギリギリまで私と宇美と犬で遊びました。時間にすると一時間も無かったのですが、私はその時間が永遠に続いてほしい、と思えるほど幸せな時間でした。

 宇美も、その時間が一番好きだと言ってくれました。最初は週に二回だったのが、三回、四回と増えていき、最近は週に五回は私の家に来てくれるようになりました。その数だけ、私と宇美の仲は深まっていきました。

 しばらくしてから私たちは、正式に交際を始めました。きっかけは、宇美が私に言ってくれた一言でした。

 ーー先生は他の人と違う、どこか私とそっくり。

 その言葉が何を意味しているのか、その時は分かりませんでした。だけどその言葉がきっかけで、私は宇美に告白をすることができました。宇美が私を受け入れてくれたあの日、二人と過ごしたあの時間は今でも忘れられません。

 正式に宇美と恋人になれたその日、私たちは一つの目標を立てました。

 それは、二人で海に行くことです。

 付き合うよりも前に、私たちは近い内に二人っきりで旅行に行こうと話していました。犬と遊びながら、どこに行こうかと色々話し合っている時、宇美が思い付いたように手を叩いて言いました。

 海に行きたい、と。

 宇美は今まで、親から教師になるための教育しかされてきませんでした。だから、家族でお出掛けというものを経験したことがありませんでした。精々行くとしたら、母親に連れられて近くの本屋に参考書を買いに行くぐらいだったそうです。

 何故海なのか、そう聞くと、宇美は楽しそうに笑いながら「二人の名前」とだけ言いました。私と宇美には共通して「海」という文字が名前に入っているんです。

 きっとこれは運命だ。私も宇美もそう思い、犬も連れて皆で海に行くことを約束しました。その証として、私は宇美にアクアドームをプレゼントをしました。ガラス玉の中に海を表現したジオラマが入った、綺麗なアクアドームです。

 すいません、少し涙ぐんでしまいました。二人で海に行く夢はもう叶わないのだと思うと……はい、もう大丈夫です。

 続きを話しても大丈夫ですか? ありがとうございます、刑事さんのお心遣いに感謝します。

 見つかってない生徒、ですか? すいません、私には何も。では、続きを話させてもらいますね。




 宇美と付き合い初めて数ヵ月が経った頃です。

 その頃は私も心に余裕ができていて、生徒一人一人に対して気配りができるぐらいになりました。それまでは教科担任とクラス担任の業務に追われ、とても生徒個人に目を向ける余裕がありませんでした。

 自分のクラスと改めて向き合うことができるようになった頃、宇美の様子がおかしいことに気づきました。

 それは、小さな変化でした。いつも私の家で食べているお菓子を食べなかったり、犬と遊んでいるときもどこか上の空だったり、私の家に来るといつも明るくなる宇美が、その頃から徐々に陰りが見え始めたのです。

 その時、私は宇美がこうなってしまった理由を知っていました。だから、どうすれば良いかを常に考えて生活していました。心に余裕ができた時期で、本当によかったと思います。

 それを知るきっかけになったのは、体育の先生との会話でした。いわゆる熱血教師を地で行く、悪く言うと暑苦しい先生です。

 そんな先生からある日、宇美の話が上がりました。何事か聞いてみると、それは宇美を貶す言葉でした。

 彼女は協調性に欠けている。皆がやろうとしていることを彼女はしない。彼女は足並みを揃えたがらない。彼女は努力をしない。彼女はすぐに諦める。

 その先生は、集団行動の大切さを説き、努力は必ず報われると熱弁する先生でした。正直、私はこの手のタイプが苦手でしたし、女子生徒からも暑苦しい、ボディタッチが多い等と言われていてあまり好かれてはいませんでした。そんな先生から、宇美を貶す発言をされては私も面白くありませんし、納得もしません。

 そもそも宇美は、元々体がそんなに強くない子でした。宇美の親もそれを分かっていたため、体育の授業も教えなくてはならない小学校の教師は避けさせようとしていたみたいです。勉強に熱を入れさせていたのは、きっと体育の不足分を知識でカバーさせようと思ったのでしょう。

 今までは自分の体調に合わせて欠席していた宇美は、ある日をきっかけに体育を頑張るようになりました。

 それは、海に行こうと約束した日からでした。宇美は自分の体が弱いことを気にしていたようで、海に行くまでに少しでも体力をつけようとしたのです。それも全て、海で倒れたりして私に迷惑をかけないように、そして長く一緒に遊べるように、という私への想いの表れでした。

 それを聞いた私は宇美を止めることができず、ただ無理をしないようにという一言を添えることと、体育の先生に宇美の体のことを伝え、無理をさせないように言うことぐらいしかできませんでした。

 それなのに、先生は宇美を厳しく批判しました。途中で諦めていると言うけれど、宇美は体育の度に自分の限界を越えようと努力していましたし、少しずつ記録も伸びていました。

 それでもその先生は、彼女に対して刹那的な判断しか下していませんでした。限界を越えて体が動かない宇美を、先生はサボっていると判断したのです。

 最後にその先生は、「ちゃんと指導してください」という一言で締め括ります。それがいっそう、私を腹立たせました。お前に宇美の何がわかるんだ、そう言おうとする自分を止めるのが、私には精一杯でした。

 どうして良いかわからない私に、宇美は屈託のない笑顔を向けてくれました。この前よりも記録が延びた、次はもう少し速く走れそう、嬉々として宇美は語っていましたが、疲れの色を隠しきれてはいませんでした。それがいっそう、私を内側から苦しめていました。

 一体どうすればいいのか、ただひたすら悩み続けて答えが出せないまま、事は起こりました。

 いつまで経っても姿勢を変えない宇美に、遂に先生の堪忍袋の緒が切れてしまったのです。まるで一昔前のスポーツ漫画のように、先生は宇美を怒鳴り付けながら何周もグラウンドを走らせ続けたのです。酷かったのは、その行為をクラス全員の前でやらせたことです。

 きっとその先生は、宇美がようやく努力して走りきったところで「努力することは素晴らしい!」という大団円を演出しようと思ったのでしょう。しかし、そんなのはただの見せしめでしかありません。後で聞いたによると、クラスメイトの半数以上が宇美のことを嘲笑っていたそうです。

 そしてそんな先生の熱血シナリオは、宇美が倒れたことで全て破綻しました。宇美がその時聞いたのは、最後まで自分を叱責し続ける忌まわしい体育の先生の声と、嘲笑うクラスメイト達の笑い声だったそうです。

 それから宇美は、クラス中から嘲笑の的にされたのです。途中で諦める根性なし、簡単なこともできないヘタレ、酷いときには病弱女と陰口を叩かれていました。彼らは担任の私にバレないように、宇美へのいじめを始めたのです。

 私がそれを知ったのは、宇美が倒れてから数週間後の事でした。いつも通り私の家にやって来た宇美は、目を真っ赤に充血させていました。そして私の部屋に入るや否や、私に抱きつきわんわんと泣き始めたのです。

 落ち着かせようとしましたが、宇美は一向に泣き止む気配はありませんでした。悲痛な泣き声に混ざって、宇美はうわ言のように声を発していました。

 もうお嫁にいけない、宇美はずっとそう言っていました。

 きっかけは、クラスで行われていた些細な会話だったそうです。中学二年生になると、男子生徒は今まで同じ教室で授業を受けていた女子生徒を、一人の女として見るようになります。そのため、彼らが女子生徒を見る目は既に女を見定める目に変わっていました。

 その内、一人の男子が声をあげました。このクラスで誰の裸が一番興奮するか、と。

 声を上げた男子は、いじめの主犯格だった不良グループの男子でした。彼は表立ってクラスを支配することはなくなったものの、未だクラスの中心人物として高い人気を誇っていました。中学生にとって、大人ぶって悪いことをしている人というのは総じてかっこよく見えるものです。

 しかし、彼の本質は変わっていませんでした。そんな彼にとって、クラス中から嘲笑されている宇美は絶好の餌だったのです。

 すぐさま不良グループは宇美を取り押さえました。力の弱い宇美は抵抗しましたが、すぐに押さえ込まれ身動きを封じられました。

 そして彼らは、教室のど真ん中、全員が見ている中で宇美の服を脱がしたのです。着ているものがはだける度に上がる男子の歓声が、宇美に強い恐怖を与えました。

 幸い、ブラウスが脱がされる前にチャイムが鳴ったため、先生にバレるのを恐れた彼らはそこで脱がすのをやめました。その後は全員、何事もなかったように授業を受けていたようでしたが、宇美だけは心を深く傷つけられ、逃げるように私のところへ駆け込んできました。

 その話を聞いたとき、私の心の中にどす黒いものが湧いてくるのを感じました。油断していれば、その黒いものは私を飲み込もうとしてきて、だけど私は、その黒いものに身を委ねることに何の抵抗もありませんでした。

 それを繋ぎ止めてくれたのが、胸で泣き続ける宇美の存在でした。黒いものに飲み込まれようとする私を、まるで鎖のように宇美が繋ぎ止めてくれました。

 私の中で、宇美の存在はそれだけ大きくなっていたのです。だからこそ私は、泣き続ける宇美を大事にしなければならない、と改めて思いました。

 依然として宇美は泣き続けていて、お嫁にいけないと何度も何度も言っていました。それを何度も聞いている内に、私の中で何かが弾けました。

 そして私は、無意識に心の中にある全てを宇美にぶつけました。

 絶対に宇美を嫌いにならない!

 宇美が十八歳になったらすぐに結婚しよう!

 絶対に宇美を幸せにしてみせるから!

 本当はもっと数えきれないくらい、痛々しいことをたくさん口走っていました。いつの間にか泣き止んでいた宇美に、笑いながら制されたぐらいですから。出来れば私も、思い出したくはありません。

 だけど、言ったことは全て嘘偽りはありませんでした。それは宇美も理解してくれたようで、泣きながら私に、ふつつか者ですが、と返してくれました。

 私の一世一代のプロポーズは、見事に成功しました。




 それからしばらく、宇美は休学することになりました。服を脱がされた時から、宇美は少なからず男子に対してトラウマを抱くようになりました。それらのケアが必要であると判断し、宇美の親と何回も面談を重ね、宇美の休学を学校に届け出ました。

 その時に、私は宇美の親にご挨拶をしました。真剣に交際をしていて、ゆくゆくは結婚まで考えていること、全てを宇美と共に話しました。

 最初はどんな仕打ちが来るかと心配していましたが、宇美の両親は寛大に私を迎え入れてくれました。厳しい教育をしてきたという印象だったので身構えていたのですが、全て杞憂で終わりました。

 話を聞くと、両親共に宇美に干渉しすぎていたと後悔していたようでした。自分で答えを見つける、という行為の大切さを教えることを忘れていたと、深く落ち込んでいたそうです。

 だから、宇美が自分の意思で恋人を見つけてくれたことが両親は嬉しかったようで、私は泣きながら両手を握られ、娘を頼みますと言われました。その日の夜は、宇美の家族と豪華な食事を共にしました。

 それから私は、休学中の宇美の元に足しげく通いました。もちろん、宇美も私の部屋に何度も来てくれました。学校で会うことは無くなりましたが、宇美と私は互いに愛を育み続けました。

 そしてそれが、結果的に宇美の復学を早める結果にもなりました。

 赴任してから一年が経ち、クラス替えも担任替えもなく、私は引き続き同じクラスを受け持つことになりました。宇美も無事復学し、三年生として学校に通うようになりました。

 きっと宇美の復学は、私という精神的な拠り所を見つけた影響が大きかったのでしょう。男子に対する苦手意識はまだ残っているものの、学校に通うことができているのは、私という存在が宇美の中で大きくなっているからかもしれません。教師として、恋人として、こんなに嬉しいことはありません。

 そしてそれは、宇美のクラスでの振る舞い方にも影響を与えました。

 復学後、宇美はクラスメイトの中で影響力のある生徒になりました。今まで嘲笑っていた人たちからは慕われるようになり、遠巻きに笑っていた人も宇美を笑わなくなりました。その証拠に、宇美は三年生の学年委員に選出され、全校集会では学年代表として登壇し、全校生徒の前でスピーチも披露しました。

 宇美の個性が、次第に周りの人間を動かしていったのです。今まで他人に流されるだけだった宇美が、他人に影響を与える人物に育った、それが私は何よりも嬉しいことでした。

 名門私立高校への推薦入試も終え、宇美も私も順風満帆の日々を過ごしていました。

 それが音を立てて崩れたのは、それからすぐのことでした。




 宇美の復学、そして学年委員に選ばれたこと、何より皆に慕われるようになったことに不服を感じる人がいました。宇美の服を脱がした不良グループです。

 三年生になり受験シーズンを迎えると、浮わついていた意識が引き締まり、学年全員が真面目に物事に取り組むようになりました。

 しかし不良グループの彼らは、そんな事お構いなしに騒ぎ続けました。彼らの成績は、学年平均を大きく下回っていて、担任の先生は進路相談にとても頭を悩ませているそうでした。本人達もあまり危機感を持っておらず、「名前を書けば入れる」と揶揄されている高校に入ると自慢げに話しているのをよく耳にしました。

 そんな彼らが、今度は嘲笑と迫害の対象になりました。能天気野郎、バカがうつると、今まで支配していたと思っていた人たちに煙たがられるようになったのです。

 彼らは次第に焦り始めました。支配していたものが手から離れていく恐怖、今までできたことができなくなっていく焦り。そしてその矛先は、全て宇美に向けられました。

 自分たちの空間を宇美に邪魔された、あいつは俺たちの居場所を奪った、根性なしの分際で戻ってきたのが気にくわない。

 あいつなんか死んでしまえばいい。そう周りに言っているのを、何人もの生徒が聞いたそうです。

 思えば、その話を聞いたときから私が注意しておくべきでした。彼らは、宇美と私が学校内で会っているのを見つけてしまったのです。それを怪しんだ彼らは、宇美の携帯から宇美が私と付き合っていることを突き止めました。

 彼らは最良のネタが手に入ったと喜びました。早速、私の名前と共にそれっぽく書いた手紙を下駄箱に忍ばせ、宇美を誰もいない教室に誘い込みました。

 男子生徒たちはすぐさまやって来た宇美を囲い込みました。逃げ場を無くし、じりじりと歩み寄りながら主犯格の男子生徒が宇美に話しかけました。

 まず、彼らは先生である私との関係をばらすぞと宇美を脅しました。警察にチクれば、不純異性交遊で先生は捕まるぞと脅しましたが、宇美は全く動じませんでした。

 私と宇美の関係は親公認です。肉体関係も結んでおらず、親からの了承がある以上、その脅しは無意味なものでした。

 次に、先生がどうなってもいいのかと、今度は私に危害を加えようとしたそうです。しかし、宇美は私にどんなことがあろうとも、絶対に裏切らないし好きで居続けることを宣言しました。出来ればその宣言は、直接聞きたかったです。

 男子生徒は焦りました。一向に自分の思うようにいかない、どんどんと自分がちっぽけな存在になっていく、そしてそんな自分を昔いじめていたやつにバカにされていることが、男子生徒の理性を狂わせました。

 男子生徒は半狂乱状態になり、宇美に掴みかかりました。突然の出来事に宇美も、そして周りの男子達も困惑してしまいました。追い詰められた人間というのは、とても恐ろしいものです。

 必死に宇美は抵抗しましたが、男子と女子では力に差がありすぎて、宇美は一方的に掴まれたまま、ずっともがいていました。

 流石にこの状況はマズイと思ったのでしょう、男子生徒の数人で主犯格の男子生徒を止めようとしましたが、半狂乱状態で全く聞く耳を持っていませんでした。この時点で既に、何人かは怖じ気付いてその場から逃げ帰ったそうです。

 もはや主犯格の男子生徒を止めることはできず、彼は宇美を思いっきり突き飛ばしました。

 突然突き飛ばされて、宇美は何をすることも出来ず、後ろに飛ばされました。そして不幸なことに、宇美が飛ばされた後ろには机があり、宇美は机の角に頭を強く打ち付けてしまったのです。鈍い音が教室に響き渡った直後、宇美はだらんと両腕を下げたまま、その場に倒れて動かなくなってしまいました。

 その場にいた男子生徒全員が凍りつきました。あまりの突然の出来事と、宇美の様子に怯え、一人、また一人と教室から逃げ出していき、最終的に残ったのは主犯格の男子生徒と取り巻きの二人でした。

 彼らはしばらく、机にもたれ掛かったまま動かない宇美を眺めていました。この時点で救急車を呼ぶか、もしくは誰か先生を呼びに行っていれば、もしかしたら宇美は助かったかもしれません。

 しかし、彼らはそうしませんでした。何もせずただ宇美を見つめていた主犯格の男子生徒は、ポツリと言いました。

 ーー殺したんじゃない、こいつは勝手に死んだんだ。

 その言葉で、取り巻きの二人も目を覚ましたかのようにハッとなり、三人はすぐさま自分達が殺した証拠を消そうとしました。まず、乱れていた机を元通りにし、宇美が持っていた手紙をビリビリに破き、ポケットに突っ込みました。

 そして彼らは宇美は自分達が殺したのではなく、自殺をしたということにしようとしました。彼らが宇美を呼び出した教室は三階にある三年生の教室だったため、窓から落とせば自殺に見えると判断したのでしょう。ご丁寧に指紋がつかないように服で宇美の体に直接触らないようにして、ゆっくりと窓際まで運び出し、宇美の体を外に投げ込みました。

 全てを終えた彼らは、ここであったことは誰にも言わないことを約束し合い、逃げるようにその場から立ち去っていきました。




 その時、私はいつも通り宇美を待っていました。校舎からしばらく歩いたところにある門の前が、宇美と私の待ち合わせ場所でした。

 その日はいくら待っても宇美がやって来ないので、私は何度もメールしましたし、電話もかけました。しかし、宇美は一向に反応してくれませんでした。

 何か都合の悪いときや、急な用事が入ったとき、宇美は必ず私に連絡をしてくれます。何の連絡もなしに宇美が遅刻することはあり得ないことでした。だから私は、宇美に何か良からぬことが起きているのではないか、と心配になりました。

 一度学校に戻って宇美を探しにいこう。ちょうどその時、校舎の方から大きくて重いものが何かとぶつかる音が聞こえてきました。第六感、というのでしょうか、途端に私は心臓を締め付けられるような緊張に襲われました。嫌な寒気が全身を駆け抜け、いてもたってもいられず私はすぐさま校舎に向かって走りました。

 最初に私の目に飛び込んできたのは、変わり果てた宇美の姿でした。絨毯のように赤く塗られたアスファルトの真ん中で、壊れた人形のように手足の曲がった宇美がそこにいました。

 その時、私がどんな声を上げたのか、自分でも分かりませんでした。気づいたとき、私は宇美の体を抱き起こしながら、大きな声で泣いていました。

 質の悪い夢かと思いました。きっと目が覚めれば、宇美はいつも通り私に笑顔を向けてくれる。いや、今自分が見ているこの光景がきっと夢で、実は宇美も生きているんじゃないか。その時の私は、本気でそう思っていました。

 何度も笑いながら宇美の名前を呼び続けました。冗談はこれぐらいにしよう、いくら夢でもやりすぎだよ、何度も笑いかけ、何度も名前を呼びました。しかし、宇美は一向に反応してくれませんでした。

 現実が私の心をチリチリと焦がし始めました。胸の痛みが次第に増していき、いっそこのまま死んでしまいたいと思いました。だけど、胸の痛みも心も私を殺してはくれませんでした。

 宇美の名前を呼び続ける私の声は、次第に嗄れていきました。そして自分でも何を言っているのかわからなくなった時、宇美の声が聞こえました。

 それはか細く、微かな声でしたが、私の耳にははっきりと聞こえました。その時宇美が言った言葉を、私は忘れることができません。

 宇美はたった一言、私にお願いしました。

 ーー殺して。

 その言葉がどういう意味なのか、その時の私には分かりませんでした。だけど宇美は、たった今自分を抱いているのが私だということを分かった上で、私に殺してほしいとお願いしてきたのです。

 そんなことできるはずがない、私はそのお願いを拒みました。すぐに病院につれて行こうとしましたが、最寄りの病院は全力で走っても二十分はかかる距離にありました。息をすることすら苦しそうにしている宇美に、そんな時間的猶予はありませんでした。

 救急車を呼ぶしかない、そう考えて携帯電話を取り出した私の腕を、宇美が弱々しく制しました。そして精一杯の笑顔を浮かべながら、私に一言、お願い、とだけ言いました。

 以前宇美が見た、リアルな死が私の目の前にありました。宇美が犬を助けた決断をしたように、今度は私が決断を迫られていたのです。願いを聞き、宇美を殺すか。苦しめても尚、宇美に生きてほしいと願うか。

 もはや、震える自分の身体を押さえつけることすら叶いませんでした。宇美はどんどんと弱まっているのに、私は決断することを躊躇っていました。どちらにしても宇美は私の前からいなくなってしまう。その事実が私を追い詰めました。

 最初から、何を選択するべきかはわかっていました。息をするのも苦しいはずなのに、手を動かすのも辛いはずなのに、宇美は力を振り絞って、私に微笑みかけてくれました。目の前に迫る死に苦しみながらも抗って、宇美は私にしかできないお願いを最後に私にしてくれたのです。

 そこまでの願いを、無下にすることはできない。もう、迷っていられない。これ以上、宇美を苦しめられない。宇美が苦しむ姿を、これ以上見ていられない。

 私は宇美の首に両手をかけ、力を込めました。騒ぎ立てる自制心に耳を貸さず、逃げようとする自分を必死に押さえつけ、私は宇美の最期の瞬間まで、ずっと宇美の顔を見つめていました。

 そして、私は抱いていた想いを最期の時まで伝え続けました。優しい心を持った宇美が好き、努力を続ける宇美が好き、宇美と一緒にいられて幸せだった。約束通り、私はこれからもずっと、宇美を好きであり続ける……聞こえているかどうかは分かりませんでしたが、宇美の表情は最期まで安らかでした。

 長くなってしまいましたが、これが私と宇美の関係、そして宇美が死んだ理由です。

 宇美が死んだのは私のせい、宇美を殺したのは私です。お願いされたとはいえ、一人の人間を殺してしまったのは事実です。この先の人生、死んで尚消えない罪を背負い続けることになりますが、その覚悟は既に出来ています。

 これで私の話はおしまいですが……なんでしょうか? 何で宇美が屋上から投げ出されたことを知っているのか、ですか。それは、彼らから聞いたからですよ。

 どういう意味と聞かれましても、そのままの意味ですよ。わかりました、ではそれについても話させてもらいます。




 宇美の命の灯が消えたのを見届けた私は、塞き止めていた悲しみに襲われました。滝のように流れる涙も、掠れた叫び声も、自分の意思で止めることはできませんでした。

 手にはまだ、宇美の首に手をかけた時の気持ち悪い感触が残っていました。それを消そうと、私は何度も両手を地面に打ち付けました。いっそ両腕ごと無くしてしまいたいと、何度も自分の手を傷つけましたが、気持ち悪い感触はいなくなってくれませんでしたし、全身を襲う悲しみも私をさらに苦しみ続けました。

 自分の意思で体が動くようになった時、日は完全に落ちて真っ暗になっていました。どれだけの時間が経ったのかは分かりませんでしたが、何度見ても、宇美の表情は変わっていませんでした。宇美は死んだ、もう二度と、あの楽しかった日々は戻らない、認めなくてはいけない現実を、私はようやく受け入れる覚悟をしました。

 そして、最後に宇美をもう一度抱き締めたとき、あるものに気づきました。宇美の胸ポケットに、何かが入っていました。それまで私は、ずっと宇美の顔しか見ていなかったので、宇美の体、ましてやポケットの中までに目が行きませんでした。

 抱き締めたときに感じた、小さくて固い感触。その正体は、エアガンの弾でした。何故これが宇美の胸ポケットにあるのか、私は少し考えました。

 そもそも、宇美がこれを意図的に所持しているのはあり得ないことだと思いました。ならば考えられる可能性は、もらったか、意図せずして入ったか、この二つでした。

 ふと私は、宇美と初めて話したときのことを思い出しました。犬を庇った宇美が、私に話してくれたこと、宇美が自分で行動するようになったきっかけの話。その時に宇美が言ったことと、このエアガンの弾が私の中で繋がりました。

 私はすぐに三階の教室の全てを回りました。既に暗くなっている教室の中、注意深く足元を観察していると、それはありました。

 窓の位置と、宇美が落ちた場所の位置関係も一致していました。そして床には数個のエアガンの弾が転がっていました。間違いなく、宇美は自分のクラスの教室で落とされたのです。それも、第三者の手によって。

 そう考えた私の心に、前にも湧いてきたどす黒い何かが再び出現しました。あの時は、宇美が私の心を繋ぎ止めてくれたため、黒い何かに飲み込まれずに済みましたが、もう宇美はいません。私を繋ぎ止めてくれるものはいなくなり、私の心は完全に飲み込まれ、私はその黒い何かと完全に同化しました。そんな私の頭に、父の言葉が蘇ってきました。

 ーー奴等は皆悪魔だった。

 悪魔。父が最後まで言い続け、結局最後までその意味がわからなかった言葉。今もその意味を知らないはずなのに、私の中でその言葉がピタリとはまりました。父が言っていた悪魔という言葉の意味に、初めて私は納得の行く結論を導きました。そして、私は決意しました。

 宇美を殺した悪魔を探す。それが、私の決意でした。

 そのために、私は宇美の死体を一時的に隠しました。たった一日だけ、宇美が死んでしまった事実を隠すことが出来ればよかったのです。だから私は、宇美を校舎裏の倉庫の奥に隠しました。

 血で濡れたアスファルトは上から絵の具で塗り潰し、宇美の両親には、宇美は私の家に一日泊まってそのまま学校に行くと伝えました。

 次の日、私はいつも通り学校に来ました。塗り潰した血もバレることなく、学校はいつも通りの一日を迎えようとしていました。

 そして、ホームルームが始まる直前に、私は事前に持っておいた宇美の携帯を使って、メールを送信しました。

 メールは、クラス全員に送信しました。まず、あの現場に誰がいたのかを特定しなければなりません。そのために、私は宇美の携帯を使って生徒たちにメールを送りました。

 何も知らない生徒は、宇美からの突然のメールに対して驚きませんでした。中には律儀に返信を返してくれた人もいました。しかし、ホームルームの時間にクラス全員の顔色を伺っていると、明らかに動揺している人たちを発見しました。

 それが、宇美をいじめていた不良グループの男子生徒たち、主犯格の男子生徒とその取り巻きの二人でした。彼らはメールを見て、きっと驚いたことでしょう。何せメールの送信主は、昨日死んだと思っていた人ですから。

 彼らは焦った様子で教室を出ていきました。気になってついていくと、彼らはメールの内容を見て焦燥しきっていました。

 確かに昨日殺したはずなのに、本当に死者が甦ったのか。次々に上がる彼らの恐怖の声に、私は思わず頬を緩めました。こんなにも簡単に騙されてしまうとは思いもしなかったので、予想以上の効果に私は大満足しました。

 遂に尻尾を掴むことができた。私はそれが嬉しくなり、意気揚々と次の準備に取りかかりました。今日の日程全てが終わるまでに仕上げを済ませ、決行するのは今日の放課後、昨日宇美が死んだ時間とほぼ同じ時間に決めました。

 授業の合間、給食後の休み時間を利用し、私は最後まで手を抜かずに準備を続けました。何度も確認し、理想通り準備できたことに満足した私は、最後の仕上げに取りかかりました。

 それは、特定した男子生徒に呼び出しの手紙を送ることです。やり方は宇美と同じで、それらしく書いた手紙を下駄箱に入れ、教室に誘導するやり方です。幸い、彼ら三人には宇美と同様、名前を出せば怪しまずに従うような恋人がいました。私はその恋人の名前を拝借し、三人それぞれに違う時点を指定し、それらしく文章を書いて下駄箱に入れました。

 結果は全てうまく行き、彼らは私の思惑通りに動いてくれました。私はすぐさま全員を殴って気絶させ、全身を縛って借りてきた車に詰め込みました。

 人通りがほとんどないところにある防風林の中に入り、私は三人を縛った状態のまま車から放り出しました。気づけば三人共、既に意識を取り戻していました。

 取り置きの二人は完全に怯えきった目で私を見ていました。突然殴られ、縛られた状態で人気のない防風林の中に連れ込まれたことが、よほど怖かったのでしょう。

 しかし、主犯格の男子生徒だけは、私をジッと睨み付けていました。ここまでされて、怯えるどころか私を睨み付けることが出来るとは、彼の胆力には舌を巻きます。

 私は早速、彼らに尋問を行うことにしました。何故宇美を殺したのか、それを彼らの口から聞かなければ、私の気が済みませんでした。

 しかし、取り巻きの二人は恐怖におののき口を開けることができず、主犯格の男子生徒は相変わらず私を睨み付けたまま口を開こうとはしませんでした。やれやれと思った私は、出来れば使いたくなかったものを使うことにしました。

 用意したのは、エアガンです。不良グループの彼らが使っていたものとは違い、サバイバルゲームなどで使われる威力が強いものを用意していました。

 縛られて動けない状態の彼らに、とりあえず数発撃ち込みました。威力が高く、至近距離で発砲しているため、彼らはすぐに傷だらけになり、苦悶の表情と呻き声をあげました。

 苦しい。取り巻きの一人がそう言ったのを聞いて、私は再度彼らに弾を撃ちました。宇美の苦しみはこんなものではない、それを他人に与えておきながら、自分だけが苦しめられていると思っている彼らが、私は憎くてたまりませんでした。それに、彼らも犬に対して同じことをやっていたのに、自分達だけが苦しいと思うのが理解できませんでした。

 やがて彼らは、痛みに負けてポツポツと話し始めました。取り巻きの二人は、自分たちはついていっただけだと言い、主犯格の男子生徒は教室内での出来事を全て話した上で、殺すつもりはなかったと言いました。

 全てを話し終えた彼らは、助けてくれと私に懇願してきました。しかし、私は最初から彼らを解放する気も、助ける気もありませんでした。だって、彼らは一つ大きな嘘をついているのですから。その嘘を認めたら、一生残る傷を負わせて永遠に罪の意識から逃れられなくする程度にまで恩赦しようと思いましたが、彼らは嘘を認めませんでした。もはや、救いようはありません。

 私は、彼らが宇美を窓から落とした後の話を彼らにしました。宇美はまだ微かに生きていて、私に殺してとお願いしてきたこと。もしかしたら、宇美が机に頭をぶつけた時点で、彼らが先生を呼ぶなり救急車を呼ぶなりしていれば、宇美は助かったかもしれないということ。

 そして私は、彼らの嘘を指摘しました。確かに、宇美が机の角に頭をぶつけたのは単なる事故なので、殺すつもりはなかったというのは間違いないかもしれません。しかし彼らは、自分達の意思で宇美を窓から放ったのです。しまいには制服で指紋つかないように偽装し、宇美を自殺に見せかけて自分達の保身を優先したのです。殺すつもりはなかったなんてのは大嘘です、彼らは明確な意思をもって宇美を殺したのです。

 そう言うと、彼らは遂に泣き始めました。小さくごめんなさいと呟きながら、必死になって私に許しを請おうとしてきたのです。

 しかし、私の心は既に決まっていました。泣けば許されると思っている彼らの、その場しのぎの謝罪の言葉が私は許せませんでしたし、許す気もありませんでした。

 そして、泣いている彼らに対する同情は少しもありません。

 私は携帯を開き、画面を彼らに見せました。しばらく画面を見ていた彼らが次第に青ざめていくのが、とても愉快でした。

 三人はそれぞれ、同じ学年の女子と交際関係を結んでいました。だから私は、彼女たちを標的にしました。彼らが私の大事な宇美を壊したように、私も彼らの大事な恋人を壊すことにしたのです。

 そのために私は、彼女たちの個人情報を入手しました。メールや電話番号は宇美の携帯から、住所等は学校のパソコンで一律管理されているため、閲覧するのは簡単でした。

 一番用意するのに苦労したのは、彼女たちの写真です。男の性的欲望を喚起するような写真が欲しかったのですが、流石に独力で揃えるのは困難だったため、協力を仰ぎました。その協力者は、宇美が嘲笑されるきっかけを作った、あの忌まわしい体育の先生です。

 彼は体育館の管理を任されているのですが、毎朝必ず女子更衣室に入ってはカメラを回収し、また新しいカメラをつける、というのを続けている、言わば盗撮魔です。体育の先生になった理由も、発育途中の女子に興奮するからという徹底した男です。それを知っていた私は、盗撮の事実を黙認するのと引き換えに、彼女たちが着替えているときの写真のデータを入手しました。

 全てを用意し終えた私は、インターネットのとある掲示板に彼女たちの写真と共に個人情報を書き込みました。本名から住所、電話番号から個人の嗜好まで全て書き、その最後に「会いに来てくれる人募集」という一文を加え、彼女たちがいつも溜まり場にしている場所を載せました。

 ネットの拡散力はすさまじいもので、ものの数分もしないうちにたくさんの返信が返ってきました。特殊な性癖を持つ人からは、画像を保存してネット上に二次公開すると言われました。

 書き込んでから既に半日は経ちましたから、画像はもちろん、住所などの情報も広く拡散されていることでしょう。そういえば、話を聞けていないのは三人だけですか? そうですか、では彼女たちは、まだ大丈夫なようですね。

 当然、それを見せられた彼らは怒り狂いました。主犯格の男子生徒は縛られている両手足をじたばたと振り回し、私に掴みかかろうとしてきました。

 面白かったのは、取り巻きの二人でした。彼らは暴れるようなことはせず、ただワンワンと泣きじゃくってから、主犯格の男子生徒を責め立てました。

 お前があんなことを言わなければこんなことにはならなかった! お前が余計なことしなければ! お前のせいだ!

 信頼していた友人からも裏切られた男子生徒は、最後の最後で、私の神経を逆撫ですることを叫びました。

 ーーあんな奴、死ねばよかったんだ。

 ついに悪魔が本性を表した。その時初めて、私は父が言っていた悪魔という言葉の意味が分かりました。

 彼らは人を殺すことを何とも思っていない。いや、むしろ正しい行為とさえ思っている。だから彼らは、自分たちの思い通りにならない生徒、そして宇美を殺したのです。

 自分たちとは違う人間を、何の躊躇いもなく殺す。それはもう、同じ人間のできることではありません。だから父は、そういう人間を悪魔と呼んだのでしょう。

 実は少し前に、父が起こした事件について調べていました。父はその時、とあるクラスの担任をしていました。そのクラスでは一人に対するいじめが頻繁に行われていたそうです。と言っても、実際にいじめを行っていたのは数人だけで、他は傍観していたか、我関せずを貫いていたそうです。

 父はいじめを止めようと尽力しましたが、いじめられていた生徒はある日、首をつって亡くなっているのが発見されました。

 当然、父はいじめがあったことを学校や警察に訴えました。しかし、学校側は名前に傷がつくことを恐れて事実を隠蔽し、警察もそれ以上介入せず、結果自殺した生徒は精神不安による突発的な自殺として片付けられました。

 それでも父は、最後までその生徒に寄り添おうと努力したそうです。しかし、クラスメイトは誰も父の言葉を聞きませんでした。それどころか、中には男子生徒が死んでせいせいしたと言った生徒もいました。

 父が彼らを悪魔と思ったのは、その時でしょう。悪魔が人を殺すのであれば、その逆もまた道理にかなうはずです。それが父の言っていた悪魔、そして父が起こした悪魔狩り事件でした。それに気づいた時、私も父のように三人の悪魔を殺していました。

 ようやく私は、父が言っていた言葉の真意にたどり着きました。長年追っていた父の背中に、ようやく手がかかったような気がして、私は達成感に満ち溢れていました。ただ一つ残念なのは、それを宇美に伝えることが出来ないことでした。




 その後しばらくしてから、倉庫を見に来た用務員が宇美の死体を発見して今に至ります。彼らを探すのでしたら、学校から車で二十分ほど離れた場所にある防風林を探してみてください。

 私が父のことを知ることができたのは、宇美の両親のおかげでした。宇美の両親は共に、父が最後に担任をしていた生徒でした。つまり、いじめに荷担していた人たちです。

 二人は父が言った悪魔という言葉に、とても恐怖しました。実際にいじめを行っていたわけではありませんが、父の理屈に沿うのであれば、見殺しにした宇美の両親も悪魔です。

 二人は自分たちも悪魔であることに怯え、悪魔から人間になろうとしました。少しでも多くの人間を救えば、悪魔から人間になれる。そう信じた二人は努力して、私の父と同じ教師という立場になり、宇美を授かりました。皮肉なのは、人間になろうとした二人の子供が、少し前まで悪魔だったことです。

 いじめを黙認し見殺しにするのも悪魔だというのであれば、宇美も悪魔でした。だけど宇美は、自分の力で悪魔から人間になろうとしました。きっと私が宇美に一目惚れしたのは、その時既に宇美が人間になっていたからだと思います。そして宇美が私のことを好きになってくれたのも、宇美が私と似ていると言ったのも、私が悪魔ではなく人間だからなのではないでしょうか。

 そして同じ人間だからこそ、宇美は私に殺してほしいと願ったのだと思います。悪魔に殺されるぐらいなら、同じ人間の手で死にたい。直接聞いたわけではないですが、私はそう思いますし、私が同じ立場になったらきっと同じことをお願いすると思います。

 罪悪感ですか? 私が殺したのは悪魔です。悪魔が人を殺すことに罪悪感を覚えないようい、私も悪魔を殺すことに罪悪感を覚えません。私が行ったのは、父が行ったのと同じ悪魔狩りです。

 それに私は、悪魔狩りが終われば自首をする気でいました。父の教えは嘘をついてはいけないということでしたし、宇美を殺してしまった事実を隠すことは私にはできません。私が背負うのは宇美を殺してしまった罪、人殺しの罪です。悪魔狩りの罪を背負う気はありませんし、罪があるとも私は思いません。

 これで、私の話は全ておしまいです。これからは、宇美への贖罪のためだけに生きていこうと思います。この後、私の処遇はどうなるか、刑事さんはご存じですか? ならば一つだけ、質問させてください。


 あなたは人間ですか? それとも、悪魔ですか?

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悪魔狩りの罪 朝海 有人 @oboromituki

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