エスという美しさがある。

「マリア様がみてる」で、そのような文化があることは知っていましたが、現代のカトリック系女子校に通う生徒さんの全員が、必ずしも親の決めた相手ととしか結婚できないとか、そんな制約に縛られているとはちょっと考えにくく、若い上流女性のたしなみ程度に認識していました。でも大正時代ならどうでしょう。あるいはこの物語の世界のような「次元のはざま」であれば。

なぜ娘さんたちはこのような誓いを立てたのか。それは作中に登場するサナトリウム文学に憧憬を抱くのと同じように、若き籠の鳥たちのせめてもの自己主張だったのでしょうね。

同性だったら何してもいいのかという道徳論みたいなのは別として、それでも強く前を向き、制約の中で「自分の選択」をした柘榴先輩が、とても美しく儚いと思いました。

前日譚の方も読ませていただきたいと思います。

面白かったです。ありがとうございました。