後半


 手元に配られたカードはクラブの2、5、7。スペードの3、ダイアの7。

 ワンペアは揃っている。フラッシュも狙える手だ。

「どちらが先に賭ける?」

 私は彼女に言った。

「アンタでいい。どっちだって同じだ」

「それでは私から」

 私は手元のチップを一枚、ポーカーテーブルの中央に置いた。


「コール」と女が言い、チップを投げ入れるように卓上に置く。

 私はスペードの3とダイアの7を裏返したまま捨てた。そうして二枚のカードを引くドロー。ダイアの4とハートの7。

 スリーカードが揃った。

 一枚、チップを上乗せレイズする。


 女は三枚カードを交換し、上乗せレイズに応じた。互いに二枚のチップが卓上に並ぶ。命を七分の一に切り崩した、そのうちの二枚が。


 私はフラッシュ狙いでダイアの4とハートの7を捨てた。最後のドロー。しかし、フラッシュは揃わない。

 結局は役無し。

 だが、私はもう一枚チップを重ねた。

「……」

 女は二枚のカードを捨てて、入れ替える。表情が険しい。手元の五枚を睨みながら、長考している。


「どうするんだ? 賭けるのか、降りるか」

「黙ってろ。考えてるんだ」

「そういうワケにもいかない。決着は早ければ早い方がいい。時間は無限にあるとは言われたが、延々と考えこまれてはたまらないからな……いや、にか」

「うるさい、黙れ」

「だったら早くしてくれ」

 女は苛立たしげに舌打ちした。

「……フォールド」

 彼女はカードを投げ出す。役無しのノーペア。

 つまり、私と同じ役だ。

 勝負していれば引き分けだった。しかし女が降りたおかげで、私は二枚のチップを得た。

 手札を開示しないまま、トランプの山札に混ぜる。

「次はキミがディーラーだ」

 トランプを女に渡す。


 私は配られたカードを拾い、図柄を確認するフリをして女の表情を盗み見た。彼女の強張った表情が一瞬だけ緩んだ。良い手が入ったのだろう。案の定、女は強気に二枚のチップを賭けて来た。私は応じることなく一枚でフォールド。


 ポーカーはハッタリの通用するゲームだ。悪い手札でも強気に賭け金を吊り上げれば、相手は疑心暗鬼に追い込まれる。ブラフと見抜かれたら、つけ込まれる。だから感情を隠し駆け引きをしなければならない。しかし女はそこまで気が回っていない。表情にすべて出ている。


 お互いにポーカーのルールは頭に刻まれ、肉体も二十歳の状態にされている。

 これで条件は五分になるか? なるはずがない。


 生への執着が大きければ大きいほど、手札の良し悪しは動揺に現れる。彼女は負ければ文字通り人生のすべてを失う。私は命を賭けたところで、失うものは。人生の記憶すべてがないのだから。

 負ければすべて失う状況で動揺せず感情を隠すなど、無茶な話だ。失うものの少ない私の方に、状況は有利に傾いている。

「勝負を続けよう」


 トランプを集め、シャッフルし、一枚ずつ配る。

 女は必死の形相で手札を睨む。私の表情を見るような真似もしない。 

 私はチップを一枚賭けた。

「悪いがこの勝負、私が勝つ」

「ふざけるな。まだ二回しか勝負してないだろ」

「二回も勝負すればわかる。運は私に味方している」

「そんなの、わかるもんか。運なんて誰にもわからない」

「流れというものがある。それがわからないのなら、キミは私に負ける」

 賭けたチップを上乗せしレイズし、私は三枚を賭けた。

 応じるのなら女も賭けなければならない。残された六枚のうち半分を。

 女は手札を睨み、唸るようにして考えている。

「勝つのはあたしだ!」

 女は叫び、賭けに応じた。お互いに三枚のチップを賭ける。

「生き延びてやる。あたしは死ぬわけにいかないんだ」

「オーケー、それじゃ勝負だ」


 同時に手札を開く。女の手札はスペードのスリーカード。

 対して、私はワンペア。

 手札を開いた途端、女は歓喜の笑い声を漏らした。


「ただのハッタリじゃないか! わかったぞ、そうやってあたしを勝負から降ろして勝とうしたんだ」

 私は何も答えなかった。肩をすくめて、賭けた三枚を女に投げ渡す。

 私のチップが五枚、女が九枚になった。

「これで逆転だ。運なんて最初からアンタに味方してなかったんだ」

「わかったから早く配ってくれ」

「何を怒ってるんだよ。アンタだろ、流れだの運だの言い出したのは」

「そうだったな」

 彼女に聞こえるように、私は小さくため息を吐いた。


 三度目の勝負。彼女はいきなり二枚のチップを卓上に置いた。

「追い詰められるのはアンタの番だ。勝つのはあたしだ」

「静かにしてもらおうか」

 私も応じて二枚賭けると、女は更に一枚上乗せレイズする。お互いに三枚のチップが場に出ている。

 手札を睨みチップを睨み、私は長考するをした。

 私は残った五枚のチップを、すべて賭けるオールイン

 女の眉が、ぴくりと動いた。


「……正気? 負けたら死ぬんだよ」

「良い手が入った時は強気に攻めなければな」

「またハッタリだ」

「そう思うなら勝負すればいい。ここで降りればキミは三枚の損失で済むが、勝負すれば六枚失うことになる」

「誰が同じ手に、二度も乗るもんか!」

 バン、とテーブルを叩くようにしてチップを置く。お互いに五枚のチップを並べる。

「勝負してやる」


 私は手札を表に返した。

「フォーカード。ポーカーで四番目に強い役だ。どうした? キミもカードを見せろ」

 震える手で、女が手札を開く。女の手札はストレート。表情が凍り付いている。

「私の勝ちだ。強気に見せかけたのと同じ、今度は弱気に見せかけたんだ。悪いな」

 これで私のチップは十枚。

 対して、女は四枚。

 女は蒼褪めた顔で、トランプを持つ手も震えている。

「……さあ、続けようか」


 続く勝負で私が三枚のチップを賭けると、女はあっさりとフォールドした。

 女に残されたチップは三枚。私がトランプを配る。次の勝負では互いに二枚賭けて、私が勝った。

 女に残されたチップは一枚。

 もうこれで女は降りられない。


 お互いにチップを一枚賭けて、勝負。

 私はワンペア。女はノーペア。

 あっさりと、命を賭けた勝負の決着は付いた。


「ウソだ……だって、そんなの……」

「悪いが、勝ちは勝ちだ」

 私はチップに手を伸ばした。瞬間、女が動いた。

 イスを蹴倒すようにして立ち上がり、サイドテーブルに両手を突っ込む。

 女は両手で握った拳銃を、私に向けた。


 引き金に指を掛け、荒い息を吐きながら、ぶるぶると震えている。

「ダメだ……あ、あたしは……死ぬわけにいかないんだ!」

「誰だって死ねない理由はある」

「生き延びてやる!」

「私を殺してでもか? そんなにも自分の人生が惜しいか。人の命を奪ってまで生きたいと思えるものなのか?」

「アンタだって、負ければあたしと同じことをしたはずだ!」

「私は違う。死にたいとは思わないが、もしも勝負に負けたなら潔く死のうと思っていた。銃を下ろせ。人生の最後に、醜態をさらしたくはないだろう」

「うるさい、黙れ! あたしは生き延びる。チップをよこせ! イヤだって言うなら、アンタを撃ってやる!」

「無駄だ」

 私も拳銃を掴んでいる。銃口を彼女の胸に向けた。


「撃つのなら、勝負を始める前だったな。お互いに銃口を向けたこの状況では、無駄だ。キミが私を撃ったとする。もし当たったとしても、即死でもさせない限り引き金を引くだけの力くらいは残る。あるいは頭を吹き飛ばしたところで、私は反動で引き金を引くかも知れないな。キミも無傷とは済まない」

 銃口をお互いに突き付けたまま、睨み合う。

「試してみるか? それでも元の身体に戻れるかどうか」


 女の銃を持つ手が震えた。私を睨みつけるその瞳から、大粒の涙がこぼれた。

 彼女の手から、拳銃が滑り落ちる。


「なんで……なんで、どうして……」

 彼女は嗚咽を漏らし、流れる涙を拭う。無音の空間にしばらく、女の嗚咽だけが聞こえていた。

 慰めの言葉などかけられない。死に行く者の気持ちなど、誰にも汲み取ることはできない。私はただ女が落ち着くのを待った。


 拳銃をポーカーテーブルに置き、代わりにチップを掴んだ。

 これで私の勝ちだ。私は生き残り、彼女は死ぬ。

「せめて、キミの名前だけでも聞かせてくれないか」

「……同情のつもり? あたしが死ぬから?」

「そうかも知れない。いつかキミに花でも手向けてやれないかと思って。自己満足だな。忘れてくれ」

「ふん」女は涙で濡れた頬を拭った。

「……とびきり高い花だ。一番高くて、豪華な花を墓前に供えて。あたしの墓を探して花を供えてくれるって、アンタがそうしてくれるなら、名前を教える」

「約束する」

「そう。ありがと。良いヤツだね。あたしはアンタを撃とうとしたのに」

「気にしない。生きたいと願わない人はいないだろうから」

「あたしは愛原恵。それから、愛原ユウト」

 もうひとり、男の名前を、彼女は口にした。


「漢字は決めてない。父親の名前が優太だから、この子が産まれたら近い名前を付けてあげようと思ってた」

 愛おしむように、彼女は平らなお腹を撫でた。

「妊娠しているのか」

「臨月だよ。って言うか、出産が始まってる。予定日より一ヶ月も早く破水してね、救急車で運ばれてたんだ。そっから先は覚えてない。あたしは死に掛けてて、ここにいる」

「それがキミの死ねない理由か」

「でも、もういいんだ。不幸中の幸いなのは、この子の父親ももう死んじゃってるってことだね。あたしはひとりでもこの子を育てる覚悟をしてたけど……でも、こんな場所があるくらいなら天国だってあるかも知れない。今はそう思える。だからいいんだ。天国に行けることを願うよ。そうしたら、家族三人で一緒に居られる」

「いいや、その願いは叶わない」

 私は卓上に置いた拳銃を再び握った。


「なにを……」

 女に向かって手を伸ばす。十四枚のチップをすべて、彼女の手に握らせた。

「キミは天国には行けない。キミが行くのは地上だ」

 私は握った拳銃を、冷たい銃口を自らのこめかみに押し付ける。

「何のつもり?」

「単純な計算だ。私が勝てば助かる命はひとつ。キミが勝てば助かる命はふたつ。だったら、キミが生き残るべきだ」

「そんなの……あ、あたしが同情を引くための嘘を吐いているかも知れないのに?」

「聞かせろと言ったのは私だ」

「でも、勝ったのはアンタだよ」

「キミも強情だな。さっきは何としても生き延びるとか言っていたクセに」

「せっかく、あたしは死ぬ覚悟を決めたのに。どうしてそんな、揺らぐようなことを言うんだ! アンタだって死ねない理由があるんだろ!」

「そうでもない。何も覚えていないのでね」と、私は言った。


「記憶喪失というヤツだろうか。自分の名前すら覚えていない。どこで産まれ、どうやって育ち、どうして死にそうなのか……もしかしたら百歳近い老人で、自分が何者かも忘れているのかも知れないが。記憶がないのだから、私にはなんとしても生き延びたいという理由がない」

「覚えてないって……でも、だからって、人の代わりに死ねるって言うつもり?」

「もちろん、忘れたままで死にたいとは思わない。もしも地上へ帰れたら記憶も戻るかも知れない。だが、私の人生が取るに足らないものだったら? キミと、キミの息子の命を代償にして、それで私が残りの人生を無意味に送るとしたら? そう考えたら怖くなってね。少なくとも私が死を選べば、キミとその子のために死んだことになる。なかなかできない死に方だ。恰好が付くだろ?」

「そんなこと……」

「もう何も言うな。私が決めたことだから。それに、どうやら時間が来たみたいだ」

 彼女の手に押しやったチップが、あわい光を放ち始めた。


 周囲の空間に浮かんでいたものが、暗闇に沈み始める。遠くに見える螺旋階段、頭上に見えていた光はより強く輝き、足元に広がる暗闇はより暗さを増していく。

 私は拳銃を投げ捨てた。どうやら、自らの手で死を選ばなくても済みそうだ。私はこのまま消えて、天国へ行くのか地獄へ行くのか、あるいは永遠の眠りに入るのか。不安はあるが、人間が永遠に悩み続ける死ねばどうなるのかという回答を、もうすぐ得ることができる。


「私が生きたことに意味があったのかはわからない。だが、私が死んだあともキミたちが生きていると想えば、不思議と安らかな気持ちだ」

 最後に、私は女を見た。

 私が救ったふたつの命を。


「……どうして?」

 女は、震える瞳で私を見つめた。

「どうしてアナタが、あいつと同じことを言うの?」


 同じこと?

 聞き返すことはできなかった。私の身体は足元へと少しずつ沈み込んでいく。足元の暗闇へと落ちる私とは逆に、女の身体は光に向かって浮かび上がっていく。

「ダメ、待って!」

 女が叫び、手を伸ばした。私も彼女に向かって手を伸ばした。


 どうして? 彼女は私の手を握った。そしてその手の中にある魂のチップを、私の手に握らせる。

「ダメよ! 生き残るのはアナタ! アナタが生きて! あたしたちの分まで!」

 一瞬、時が止まったような気がした。

 さっきまでは感じられなかった何か。女の表情には恐怖と、それ以上の――彼女は歓喜に打ち震えているようにも見えた。


「ああ、こんなことが有り得るなんて! お願い、もっとよく顔を見せて」

 彼女は私の頬に手を伸ばした。

「キミは……キミは、誰なんだ?」

 私は彼女に尋ねた。彼女の白く、暖かい指が、私の頬を撫でる。


「あたしも同じ。あいつの言ってたこと、今ならわかる。あたしが死んだあともアナタが生きているって思うと、安心して逝ける。それに、あたしとあいつが生きたことにも意味はあったよ。アナタに会えて良かった」

 笑って、彼女は大粒の涙を流した。


「キミは……待ってくれ、キミは誰なんだ! 私を知っているのか!」

「知ってる。世界で一番知ってる。アナタはまだ何も知らないだろうけど、生きて。あたしたちの分まで」

 チップを失った彼女は、足元の暗闇に吸い込まれていく。私の身体は、魂は上昇し光の中へ飲み込まれていく。彼女の姿が見えなくなる。

「私はいったい、誰なんだ!」

「それは、アナタが決めるのよ」 


 声だけを残して、彼女は永遠に手の届かないどこかへいってしまった。

 私はどうなるのだろうか。生きていけるのだろうか。記憶を、何もかもを失ったままで。

 白い光に包まれて、世界のすべてが消えて行く。

 私には何もない。自分が何者なのかもわからない。もしも与えられた命で、無意味な生を送るのだとしたら恐ろしくなる。

 それでも、もしも生きたいと願うなら。


 私は――薄れていく意識と、眩しい光の中で、生きたいと強くを上げた。



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もしも生きたいと願うなら。 鋼野タケシ @haganenotakeshi

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