もしも生きたいと願うなら。

鋼野タケシ

前半

「命は平等だと思いますか?」

 男が言った。慣れた手つきでトランプをシャッフルする。

 手の中でカットとしたカードの束が、淀みなく混ぜ合わされる。二つに分けた山を男は左右の手に持ち、パラパラと落とすようにまた混ぜ合わせる。

 男は私の返事を待たずに、続けた。


「社会においてあらゆる人は公平です。少なくともと願いをこめられ、社会は運用されます。しかし誰が社会の公平性など信じるでしょうか。社会とは人々の寄り合い、人が不完全である以上は社会もまた不完全。公平であれとの願いもまた不完全です。しかし命は?」 

 シャッフルを終えたトランプをまとめる。

「命は神の創造物。完全で、真に平等です」


 男はポーカーテーブル越しに私を見た。次いで、同じくテーブルを囲む女を見る。

 私と、謎の男と、知らない女。

 ポーカーテーブルを囲むのは三人だけ。

 他には誰もいない。


 ここはどこだ? 私は頭上を――空を? 見上げた。頭上には柔らかな、眩しさを感じない光が降り注いでいる。足元は、完全な暗闇だ。地面、床ですら存在しない。例えるなら宇宙に張られたガラスの上にいる、そんな感覚だろうか。


 遠くに、螺旋上の建造物が見える。まるで階段だ。天国か、あるいは地獄へと続く階段。階段、砂時計、鎖、オリーブ。脈絡もなくそれらの物体が、宙に浮かんでいる。階段はまるでこの空間を支える柱のように、遥か光の上空へと伸びている。

 何もない暗闇の上にポーカーテーブルが置かれ、そして私たち三人が囲んでいる。ポーカーテーブルがなければ上下の間隔さえわからない。


「美しい者、醜い者、富める者、貧しい者。健やかな者も病める者も、すべてが同じ戦場に立ちます。たとえ人の世の権力、財力をすべてかき集めたところでルールを覆すことはできない。咲くか摘まれるか、根を張るか腐るか……常にコインの表と裏、どちらが出るかの勝負が行われている。勝てば生き残り負ければ消える。それが命における平等です」

「くだらない話を聞かせるためにあたしを連れて来たのか!」

 バン、と女がテーブルを叩いた。

「さっさとあたしをに帰せ!」

「せっかちですね」

 女に凄まれても意に介さず、男は変わらぬ薄笑いを浮かべている。


「時間はあります。言葉通りここでは無限に。さて、最初で最後のチャンスがアナタたちには与えられています。希望と絶望の狭間にアナタ方はいるのです。絶望と希望、生と死の間です」

 男が言葉を切り、私と女を見た。

「現世で肉体の死に掛けている二つの魂。それがアナタ方です」

「それで、彼女と私に何をさせるつもりだ?」

「アナタは冷静ですね。良いことだ。しかし、何をするかは想像がついているのではありませんか? そう、ポーカーですよ。ドローポーカー。ただし」

 男は薄気味悪く、微笑んだ。

「ここから戻り、生き残れるのはひとりだけ。勝負をしていただきます。もしも、生きたいと願うなら」


「冗談じゃない!」

 女が声を荒げる。

「なんであたしが、そんな勝負をしなきゃならないんだ! 負けたら死ぬだなんて! 冗談じゃない!」

「これは慈悲ですよ。ほとんどの生き物はまだ生きたいと願いながら、死んでいく。ところがアナタ方は違う。どちらかは生き残れる。コレは地獄に垂らされた蜘蛛の糸です。幸運と思わなくては。本来ならば死ぬところを、生き残るチャンスが与えられたのですから」

「でも、あたしはポーカーのルールなんて知らない! そんな勝負、不公平だ!」

「ご安心を。このカードを見てください」

 男が卓上に五枚のカードを並べる。一枚ずつ、絵柄が見えるように並べていく。

「完成している役がわかりますね?」

「……フルハウス?」

 女は、困惑しながらも答えた。

「そう。アナタはルールを理解しています。ベット、チェック、コール、レイズ、オールインにフォールド。すべて言葉の意味がわかりますね? 頭の中にルールを刻みました。必要な知識はすべて、お二方にすでに与えられているのです。言語の違いでコミュニケーションが取れないなんて状況では、勝負も何もありませんからね……そして体力や脳の衰えによる差を減らすために、地上における年齢ではなくお二人とも二十歳の姿にしています。人の社会は不公平であっても、命は平等でなければなりません。もちろん、生き残りを賭けたこの場に置いても」

 男はフルハウスの5枚を回収し、再びトランプをシャッフルする。

「でも、負けたら死ぬなんて、そんなの、あたしは……」

「勝負から降りる、というのならそれで構いません。ただしその場合は無条件で敗北。このまま死というわけです。稀に生き残るつもりはないという方もいますから選択権はお二方にあります。片方が降りれば、無条件で残った片方が生き残ります。どうですか? 降りますか?」

 女が、悔しそうに唇を噛んだ。

「イヤだ……このまま死んでたまるか」

「でしたら勝負しかありませんね。貴方はどうしますか?」

 納得して死んでいく命などひとつとしてない。やり残したことがある。会いたい人がいる。まだ死ねないと思うのは当然だろう。誰にも死ねない理由がある。

 死ねない理由、まだ生きていたいという思い、生への執着。

 それが、私にはない。

「もしも貴方が降りるのなら、生き残るのは彼女ということです」

 試すように、男は言った。

 私は記憶を失っている。

 どのような人生を送り、何があって私は死にかけているのか。何ひとつわからない。地上で生きた記憶がない。すべてが欠落している。

 生きて来た記憶があればきっと、まだ生きたいと強烈に願うだろう。好きなもの、やりたいことがあったはずだ。

 私は誰だ? 私は、? 

 繰り返す日々を楽しんでいたのだろうか。あるいは、日々に鬱屈して苦しんでいたのか。友や、愛する人はいたのか。夢を追っていたのか、平穏な日々に幸福を感じていたのか。もしかしたら紛争地で育ち、命の危機と隣り合わせの日常かも知れない。あるいは絶望し、自ら命を断とうとした可能性もある。

 何もわからない。自分自身の命に価値を感じていたのか。生き残りたいと思える理由があるのか、それさえ。

 この命に価値があるのか、死を惜しむ理由があるのかわからない。だが自分の名すら思い出せずに、このまま死んでいくのはごめんだ。

 私は卓上に配られたカードを掴んだ。

「始めよう。勝負して、勝てば良いのだろう」

「結構です。では、参加金アンティは無しです。1対1の勝負ですからね。勝負を降りるのは自由ですが、参加は必須というワケですね」

 男はトランプを滑らせるように私と彼女に一枚ずつ、カードを配った。

 私も彼女と同様にポーカーのルールが頭に入っている。生前(と、まだ呼ぶべきか不明だが)の私にポーカーの経験があるのか、それともこの男に植え付けられたのかはわからない。いずれにせよ勝負するしかない。ポーカーで負ければ、つまりチップをすべて失えば負けだ。相手のチップをすべて奪えば、勝ち。

 相手のチップを。

「チップはどこにある?」


 私が尋ねると、男はわざとらしく手を打った。

「そうでした。チップがなければ勝負になりませんね。では」

 パチン、と指を鳴らす。私の椅子の横に、サイドテーブルが現れる。対角線上に座る彼女の横にも、同じようなサイドテーブルがあらわれていた。


「その引き出しにそれぞれ七枚のチップが入っています。一枚につき3グラムのチップが、七枚。相手のチップをすべて奪った方が地上へ戻ることができます。おっと、まだ開けないで」

 サイドテーブルに手を伸ばした女を、男が制する。

「引き出しを開ける前に、もう一度説明を。これは一対一、アナタ方の勝負です。生き残りを賭けた二人だけの勝負。勝てば生存し、負ければこのままお亡くなりに。よろしいですね?」

「しつこいんだよ」

 女は私を睨みつけるようにして言った。

「言っておくけどあたしは降りないからな。絶対に生き延びてやる」

「よろしい。これ以上の説明は必要ないでしょう。それでは、私はこれ以上の関与をいたしません」

 男は残ったトランプをポーカーテーブルの真ん中に置いた。

「では引き出しを開けてください。お二人に幸運を」

「話が長いんだよ、クドクドと……」

 女が言い、引き出しを開いた。

 私もサイドテーブルの引き出しを掴み、中を確かめる。

 引き出しの中には男が語った通り、七枚のチップが置かれていた。

 それと、一丁の拳銃が並べて置いてある。


 私は咄嗟に男の方を見た。すでに、男の姿は消えていた。ポーカーテーブルを囲むのは私と彼女だけ。

 一対一の勝負。男は確かにそう言った。ポーカーの勝負だと。チップを失った方が負ける。

 だが、この拳銃は?

 ダブルアクションの回転式拳銃。引き金を引けば撃鉄が起こされ、そのまま引き続ければ撃鉄は雷管を叩き、38口径の銃弾が飛び出す。

 私はこの拳銃を知らない。拳銃を握る感触を知らない。なのに知識がある。恐らくこれは私の記憶ではない。

 ポーカーのルールと同じ。今、この場にいるために植え付けられた知識だ。


 背中を冷たい汗が流れる。

 何故、そんな知識が必要になる?


 生き残れるのはひとりだけ。相手のチップをすべて奪った方が、地上へ戻ることを許される。

 ポーカーの体裁で、試されているのだろうか。

 相手を蹴落として、撃ち殺してでも生き残る意志があるかどうか。 

 あるいは……。

 あの男の薄笑いを思い出す。蜘蛛の糸にすがったカンダタはどうなった? 他者を蹴落とそうとして、蜘蛛の糸は切れた。


 私は女を見た。女も私を見ている。条件は同じはずだ。平等なのだろう。きっと女の手元にも拳銃がある。銃弾の威力があれば男も女も関係ない。私か彼女が19世紀のガンマンならば話は別だろうが、拳銃を扱ったことのない二人が勝負をするなら、先に撃った方が勝つ。


 もしも、女が拳銃を手にするのなら。


 女がツバを飲み込んだのか、喉が上下に動くのが見えた。女は困惑するように、瞬きを繰り返した。

 女はサイドテーブルから正面に、つまり私の方に手を向けた。

 開いた掌に、七枚のチップ。


「……チップをテーブルに置いて。勝負、するんでしょ?」


 じっと、私の顔を見る。目を逸らそうとしない。拳銃については、何も言わない。

 つまりはそういうことか。勝負はする。あくまでもポーカーの勝負だ。拳銃については触れない。実際がどうであれ手元にあるのだと明言はしない。

 これはあくまでもポーカーの勝負だ……少なくとも流れが決まるまでは。


「始めようか」

 私も同じように、七枚のチップを掴んだ。


 互いに拳銃ジョーカーを隠したまま、人生最後の勝負は始まる。

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