死にたがり青年と殺戮少女―世界の夢を二人は見るか?―

〈金森 璋〉

夢と現の狭間の世界

「僕はね、たまに思うんだよ」

 す、とフィルター越しに煙草の煙を吸い込んで、ゆっくりと煙を吐き出す。

 口の中で煙を転がして、メンソールと、しびれを伴うタールの香りを楽しんで、青年は眼を細めた。

 青年は口からこぼれた煙を目で追い、顔を上向きに持ち上げる。柔らかなくせ毛がうなじから垂れ、揺れる。

 痩躯に薄い、黒色のタートルネックシャツに身を包んだその青年の肌の色はやけに白く、病的だ。青年のシャツは、日中の気温を完全に無視した長袖だ。

「何だ、笹塚ささづか。いきなりそんなことを言い出して」

「こうして、命をすり減らして煙草を楽しむことを是としていいのかどうか――楽しみながらも、死にたがっていていいのか、だよ、白鳥しらとり

 言いながらも、青年は煙草に口をつける。

「僕はいろんなものに助けられて生きている。薬に、煙草への依存に、痛みに、死への恐怖に。それこそ、世の中のありとあらゆるものに助けられている」

「当たり前だろう。生きてる人間なんてそんなもんだ」

「そういっても、だよ。そんなに助けられてまで僕は死にたいと思ってしまうんだ。なあ、白鳥。きみはこんな言葉を聞いたことは無いかい? 《あなたが死にたい一日は、生きていたい人の一瞬だ》なんてことを」

「ああ、よく耳にするな。それがどうした」

「理解があって助かるよ。否、むしろこれはきみが使う側の言葉なのかな」

「そうだな。これでも臨床心理士だ。建前とはいえ使うことはある」

「だろうと思った。だからこそきみに考えてほしい。僕の《死にたい悠久》をどうにかして《生きたい一瞬》にして分けてあげたい。僕だってそう思うんだ。どんな方法が取れると思う?」

「さぁな。心理士としてマトモな回答を返すなら《そんなことはできない》というだろう。だが俺という人間として答えるなら《人口の目減りになるからとっとと死ね》だな」

 本音を愚痴っぽく口にした白鳥は、目の前にしたショットグラスから、もう何杯目かになるウィスキーを煽った。

 筋骨がくっきりと薄いシャツに浮かぶほど鍛えてある体に、スポーツ刈りの頭。それは一見してラガーマンのような体育会系の人間を連想させた。白鳥に無理やり臨床心理士であることを印象付けるなら、フチなしのスリムタイプの眼鏡くらいだろうか。

 ひとつ、息を吐いて。白鳥は笹塚にいつもの説教をすることを決めた。

「笹塚。笹塚星彦。お前は間違っていない。この世界で生きたい奴ってのは一定数いるし、死にたい奴も一定数いる。人口が変わっても、何故か比率は変わらない。だから、人が《死にたい》と思うことは間違いじゃないんだ」

「ふふ、その説教をくらうのはもう何回目だったかな」

「煩い。何回でも言ってやる」

 白鳥は笹塚の方を向いて、これまで幾度も、笹塚と白鳥で酒を囲ったときに必ず出る言葉を暗唱する。

「いいか、《自殺ができる人間》は《生きることができる人間》だ。お前はそのどっちつかず、生きることも死ぬこともできない阿呆なんだ。だから――」

「どうせなら、手を汚したい人間が見つかるのを待て、だったかな?」

「…………」

 白鳥は、笹塚に言葉を奪われて口をつぐんだ。

 笹塚は、じっと。じっと白鳥の瞳を見ていた。感情が死んでしまったような、笹塚の濁った視線。それに耐えられなくなり、白鳥はまたショットグラスの方に目をやる。

「俺の患者にはまだ見つからない。だが、それでも《死にたい人間》と《生きたい人間》がいる以上に、《殺したい人間》ってのは確実にいるんだ」

「そんな誰かを待ってみようなんて、僕は本当に気が長いね」

「俺はそんな馬鹿につきあうのが本当に面倒くさいよ」

「ははっ、つれないなぁ」

 幼い子供のように、笹塚は背を反らして大きく笑った。

 いつか、現れる。

 現れてしまう。

 否。現れて……しまった。

 何十億かいる人口のうちの幾人か。確実にいるであろう、そのひとりに出会ってしまったのだ。

 それはイコールで笹塚の死にあたる。

「お前はまだ《死ぬことが幸せ》だと思っているのか」

「もちろん。そうじゃなきゃ、こんなことしないさ」

 笹塚は軽く左手首を振って見せる。袖口から覗く手首からは、何重にもひかれた赤い線が見えた。笹塚はそのアクションの流れのまま、フィルターぎりぎりまで吸った煙草を灰皿に押し付けて次の一本に手を伸ばした。

「生きてくれる気は、ないのか」

「死にたいという気しか、ないね」

「死は、幸せなんかじゃないぞ」

「でも僕は、《この世界にいること》が何よりも不幸で、何よりも辛苦だ」

「そう、か」

 白鳥は、三分の一になっていたショットグラスの中身を空にして、大きなため息をついた。

 頭の中で――とある患者を、思い浮かべながら。





「どうしても、私の気持ちは変わらないんです」

 三つ編みの黒い髪に、太い額縁の眼鏡。ブレザーの制服を着ているものの、その着こなしは流行りを完全に無視して規則に法り、実に古臭い勤勉学生の体だ。

「だから……織姫さん。俺は、その気持ちを別なベクトルに向けたいがために、こうして話をしてるんだけどな」

 織姫、と呼ばれた少女はまっすぐに、白鳥の瞳を見ていた。

 対する白鳥は、大人しめの私服の上から裾の長い白衣を羽織り、いわゆる「仕事場」のソファに座っていた。

 明るく、しかし落ち着いた色の照明と家具に囲まれたこの部屋は、とあるメンタルクリニックのカウンセリングルームだ。

 そのソファのひとつに、織姫は座っている。

 もうひとつのソファには、白鳥。

「そう言われても、私にはその感覚がわかりません」

「織姫さん、きみは命を大事にしよう、っていう気持ちはないのかな」

「ありません。そもそも《イノチ》って何ですか? 私のこの心臓が動いていること? 人間として知能があること? 呼吸をすること? それともそのすべてですか?」

「いや、だから」

「私にはわかりません。ただ、壊してみたいだけなんです。《イノチ》って箱が壊れたときに、何かが垣間見える気がするから、です」

「その何かって、何だ?」

「さあ。私にもわかりません」

「はぁ……」

 白鳥は、大きくため息をついた。

 正直、織姫に対してのカウンセリングは巧くいっていなかった。

 織姫がこのメンタルクリニックに通うことになった経緯は、動物虐待に理由がある。

 野良猫や犬、さらにはペットショップで処分に困ってしまった動物――小動物から大型犬まで――を、家の裏庭や山林で殺した。

 その行為に織姫は罪の意識を覚えていない。どころか、友人や親に行為が明るみになっても「それが何? どうして怒られなくちゃならないの?」と、むしろ誇らしい行為なのではないかと言わんばかりの態度をとっている。

 無論、警察が介入した。そうして精神鑑定が行われ、自己責任能力はあるものの、更生不可能の烙印を押されてしまった。

 そして出所して以来、織姫はこのクリニックに通い、白鳥とカウンセリングを重ねてきた。

「わからないモノを理解したいと思うのはいけないことですか」

「そうじゃない。数学の公式がわからないのは気持ちが悪いし、国語問題の作者の気持ちなんかを理解したい、とかなら俺も共感できるし、したいと思う」

「そうでしょう」

「だが、訳が違うんだ。命というのは――」

「それもう何度も聞きました。《いつか失われるものだからこそ、大切にするべきだ》」

「……わかってるんじゃないか」

「ええ。白鳥先生の言うことはわかります。私も馬鹿じゃないですから」

 織姫はそこで、テーブルに用意された紅茶に口をつけた。その仕草は優雅で上品だ。紅茶を飲むという行為ひとつさえ、マナーを正しく守り、適温になるのを待ってから音を立てず口に入れる。

 こういった知識面や知能面、社会的IQなど、計測できるものは限りなく計測した。

 その結果は――織姫は、人間として非常に完璧に近いという結論に決着した。

 異常性癖、以外は。

「そもそもですね、先生。命はいつか失われるものと、おっしゃいますけれど、それなら今すぐ失われても、遠いある日に失われても同じことじゃないんですか」

 織姫はカップをソーサーに戻し、会話に戻る。

「この瞬間だって、地球の裏側ではいくつ《イノチ》が失われているかわかりますか? 秒針が動くたびに、失われることを知っていますか? その《イノチ》は自分が何をしたいかわからないまま死んでいっているということを、理解できますか?」

「だ、だから」

 だから、の後を白鳥は続けられなかった。

 少なくとも、何をしたいかわかったまま生きている命を、ひとりだけ知っているから。

 その事実に、白鳥は絶望感を覚えることしかできなかった。

 涙が出そうになった。

 ずっと、ずっと死にたがっていた笹塚を支えたくてこの職についた。どうにか、助けたくて様々な方法を試した。

 それだけじゃない。殺したがっているこの少女を、織姫を、どうにか救いたくて懸命に努力した。

 もう、白鳥には限界だった。

 二人のこの欲望を処理する方法は、これしかない。

「もう、これしかないな」

「何ですか」

「俺が降参するって話だよ」

 白鳥はクリップボードに挟まれた書類をテーブルの上に投げ出して、胸ポケットを探った。銀色の名刺ケースを取り出して、そのうちの一枚を取り出した。

 その表面には、白鳥のフルネームである「白鳥めぐる」と書いてある

「名刺なら、以前いただきましたけれど」

「織姫さんにね、こいつを紹介しようと思うんだ」

 そう言って、白鳥は裏面に書かれている電話番号と、《笹塚星彦ほしひこ》の文字列を見せた。

「どういう意味で、この人を?」

「きみの欲望のためだ。こいつはね。誰かに殺されることを、待っている」

「え……」

「確かめてみるといい」

 白鳥は半ば押し付けるように織姫に名刺を押し付けて席を立った。

 もう、この先を見たくない。

 足早にカウンセリングルームを出て、扉のすぐ脇で力が抜けた。壁に背中をあずけ、そのままずり落ちるように座り込む。

 やがて、カウンセリングルームの中から、織姫の声が聞こえてきた。


「私、吉良きら織姫おりひめといいます。あなたが――――殺されたい人ですか」


 その問いかけに肯定されたのだろう。いくつかの会話が続けられる。

 耐えられなくなって、白鳥はその場から無理やり立ち上がり、職務室へと足を向けた。





「笹塚、星彦さんですね」

 織姫は、待ち合わせ場所のある公園の噴水前。

 笹塚はいつものように色の濃い長袖のタートルネックにジーンズ姿。ヘヴィースモーカーの星彦は今も、タール数の高い煙草を吸っていた。その特異な出で立ちで、織姫は簡単に星彦を特定することができた。

「やぁ。きみが織姫くんか。話し方が大人びていたからもっと年上なのかと思っていたよ」

 織姫は、ダークトーンの青色、群青のワンピースに透かし編みのベストをひっかけて、大きめの帽子を目深にかぶり、いつもの眼鏡をかけていた。同い年の少女たちと比較すると、少し野暮ったい印象だ。

 穏やかな、晴天に似合う星彦の笑みに対し、織姫の表情は凍っている。

「そうですか。すみませんね、殺される相手がまだ高校一年生の小娘で」

「いやいや。どんな人間でも僕のことを殺してくれるなら、それでいいさ」

 邂逅。

 二人の表情は対照で、目的は比例で、焦燥は反比例。二人の複雑な邂逅はこうして成された。

「そうですか。それなら、こちらも安心しました。もう、殺されにいきますか。それとも何か話しますか」

「そうだねえ……御礼という意味で、飲み物くらいはおごらせてほしい。近くに行きつけの喫茶店があるんだ。そこはいかがかな?」

「ええ、結構です。そちらに向かいましょう」

 その返事に、星彦はフィルターの端ぎりぎりまで吸った煙草を地面に落とし、靴底でそれを擦り消した。

 こっちだよ、と声をかけて織姫を先導する。

「しかし、面白いものですね」

「何がだい?」

「私の名前が織姫で、あなたの名前が星彦、入れ替えて彦星として、間をつなぐのが白鳥さんなんて」

「ははっ、確かに。今日という日に似つかわしい皮肉だ」

 星彦の左手首にまかれた腕時計の日付窓には、七日であるという表示がなされている。

 そして今月は、七月。

「白鳥は、僕たちに《殺し愛コロシアイ》なんていうおかしな愛を教えてくれたのかもしれないね」

「笑えませんよ、それ」

「まあ、そうだね。あいつには世話になったから、少し心苦しいとは思っているよ。」

「その意見には同感です」

「それは嬉しいね。さ、ここだよ。マスター、奥に案内してくれるかい?」

 入るなり発せられた星彦のわがままに、喫茶店の主は快く了承し、奥の小さなテーブル席に案内される。

 星彦はアイスコーヒー、織姫はアイスティーとの注文をそれぞれ伝えてから星彦は煙草に火を点け、飲み物が来るのをじっと待ち、注文の品が揃ってから、織姫は初めて口を開く。

「どうして、殺されたいと思っているんですか」

「どうしてって、何故だい?」

「いえ、私の《殺したい欲望》というのは、命が消えていく瞬間に見える何か、あるいは見えない何かを知覚したいからなんです」

「ああ。白鳥から聞いているよ」

「ですが白鳥さんは、あなたのことを教えてくれませんでした。どころか、口を開くのも、言葉を吐くのも辛そうで、それ以上を聞けなかったんです」

「そうか」

 短く言葉を切ると、星彦は天井を仰いだ。

 からん。

 グラスの中で氷がくらりと回転する。

 息を、吐いて。吸殻を灰皿に押し付けて、もう一本の煙草に火を点けてから、星彦は穏やかな表情で理由を口にした。

「僕はね。《僕の居ない世界》というものを見てみたいんだよ」

「あなたのいない世界」

「そう。僕がこの世界の主人公だというなら、エンドロールを。そうでなく、ただの脇役で、この世界に続きがあるのならばそれを。それ以上の、例えば天国や地獄なんていう場所があるならそれを――そんな《世界の夢》を見てみたいんだ」

「何故そう思ったんですか」

 間髪を入れない織姫の質問に、星彦は穏やかな笑顔に曇りを混ぜ、困ったように言う。

「きみは聡いなぁ」

「どうも」

「いやいや、誇るべきものだよ。いつもならここまで話をすると誰もが同情して、それ以上は踏み入ってこなかったからね」

「でも私は踏み込みます。そうじゃないと、せっかく知能のある生き物を殺すのに、その理由を知れないっていうあまりにも残酷な結末が待っていますから」

「じゃあ、話すよ」

「お願いします」

 アイスティーを一口飲んで、織姫は星彦の話の続きを待った。

「僕は、僕はね。親に異常な教育を施されてしまった。ネグレクトでも、虐待でもない、《教育》を施されたんだ」

「教育?」

「ああ。《笹塚星彦はこの世界に居てはいけない人間だ》《この世界に存在してはいけない》《今、存在していることは大罪で、それを償うには死しかない》《お前の存在はただの幻だ》《神様にお前のような悪い夢幻を見せてはいけない》……そんな感じだったかな」

「随分、教育熱心な親御さんですね」

「僕もそう思うよ。そうして、僕はその価値観を刷り込まれて、ぼくの居る世界の終わりと、僕という存在の消去を願うようになった」

 そこまで星彦が言い終わったところで、織姫は煙草の煙が小刻みに揺れているのに――星彦の手が激しく震えているのに、気が付いた。

 星彦もそれを自覚すると、蒼白な顔に苦笑を浮かべて織姫を見た。

「まあ、そんなことがあったのさ」

 一口、星彦は煙草を呑んで煙を吐き出す。

「僕は《世界の夢》の破片なんだ。それも、とびきりの悪夢の破片なんだよ。こんなもの、カミサマに見せていてはいけない。とっとと、どこかに行ってしまわないとね」

 星彦の震えはおさまらない。紫煙が、揺れている。メンソールの香りが織姫の鼻をくすぐった。

「……私からも、少しだけ話をしていいですか」

「どうぞ、聞く準備は整っているよ」

「私も、《イノチ》というものは《世界の見ている夢》だと思っています。《イノチ》という存在そのものが、《世界》であり、それを壊すことで《世界》を、《世界の夢》を見られるのだと思っているのです」

「そう、なのか」

「はい。これまで何回も《夢》を見ようと思って、《イノチ》を壊してきました。何回も、《ソレの存在する世界》を《夢》にしてきました」

「《世界の夢》を、見るためにかい?」

「その通りです。だから、私はあなたの《悪夢》にも興味がある」

「……偶然にしては、出来すぎだね」

 脱力するようなその言葉に。

「あはは、そうですね」

 織姫は、年相応の無邪気な笑みで応えた。

「やっと、笑ったね」

「え?」

「きみの表情というものを、今日初めて見たよ。素敵じゃないか」

 星彦が指摘すると、織姫は少し照れた様子で視線を逸らした。

 星彦がどうにか震えをおさえると、星彦は「マスター、《あれ》を」と、カウンターの向こうに告げた。

 マスターは黙って、しかし複雑そうな顔で、一本の鍵と布にくるまれた何かを出してきた。

 鍵を受け取った星彦は席を離れ、店のより奥へと進む。ひとつの扉の前で、織姫のことを手招きで呼んだ。

「何ですか、この部屋」

 鍵を使って扉を開き、中に入る。がらんどうの白い空間がそこに広がっていた。

「たまに使われる会議室のようなものだよ。もっとも、この部屋の存在自体を知らない人の方が多いけれどね」

「ふぅん……」

 そして星彦は、手に持っていた布の塊をほぐし、中にあるものを――

「織姫くん。きみに、これを」

――重厚な拳銃を、手渡した。

「これで、あなたを殺せるわけですね」

「そう。中々いいモノだろう」

「そうですね。ただ、扱うのは初めてですけれど」

「だが、使い方はわかるね?」

「はい、もちろん」

 拳銃を受け取ると、織姫は自分より数歩分、部屋の奥にいた星彦に照準を合わせるよう両手を重ねて持った。

「グレイト。あとは、引き金を」

「引くだけ、ですね」

 沈黙。

 喫茶店のざわめきや、店の外からの音。そんなものから完全に隔離され、互いの呼吸音が聞こえてきそうなほどの静寂。

「弾はひとつだけ、確実に頼むよ」

「わかりました。星彦さんの《夢》は、私がしっかり見届けます」

「ありがとう。それじゃあ、良い夢を」

「星彦さんも」

 ぐ、と。織姫は拳銃を持つ手に力を込める。しっかりと、確実に。心臓を貫ける位置に照準を合わせて引き金を――



――引いて――撃鉄が、弾丸が――




――――――がきん!




―――放たれ、なかった。


「え、なに、が」

「不……発……?」

 星彦の心臓に、弾丸は飛ばず。

 織姫の持つ拳銃は、薬莢を吐き出さなかった。

「……く、くく」

「ふふ、あっはははは!」

「ははは! なんて、なんて結末だ!」

「面白すぎますね、どうして! どうして私たちは!」

「《世界の夢》というものを見られないんだろうねぇ!」

 二人は、笑った。

 この人生の中で一番、笑っただろう。

 どんな演目よりも素晴らしく、どんな喜劇よりも面白く、全ての悲劇よりもシニカルな、不発弾。

「ああ、ああ、なんだかこれが、これこそが《きみといる世界》という《夢》なんじゃないか」

「私もです。星彦さんの《悪夢》を、《世界の夢》を垣間見ることができました」

 そうして二人はまた、笑った。ひとしきり笑って、呼吸を落ちつけて。そうしてから二人は互いの顔を見合わせた。

「私たち、とことんカミサマから……《世界》から嫌われているみたいですね」

「そのようだ。ああ、だが、清々しい。どうしてこんなに清々しいんだ」

「わかりません。わかりませんけれど、ひとつだけ確信したことがあります」

「何だい?」

「私は、あなたに――星彦さんに、恋をしてしまいました」

「はは、これもまた、偶然にしては出来すぎているね」

 星彦は両腕を開いて。

 織姫はその腕の中に飛び込んだ。

「《世界》って、残酷ですね」

「その通りだ。すごく、すごく残酷な《世界の現実》で――」

「――とても素晴らしい、《世界の現実》ですね」

 ぎゅっと、二人は抱き合う力を強める。

 二人は、《世界の夢》を見ることはできなかった。

 結局、全ての真実は二人の見る《世界》にある。

 真っ白の、味気ない空間。その中で、二人は色鮮やかな《世界》を見た。


【End】


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死にたがり青年と殺戮少女―世界の夢を二人は見るか?― 〈金森 璋〉 @Akiller_Writer

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