氷炭相容れずとも想う。





「どれ、少しお邪魔してもいいかな」


 容姿端麗な青年が烏兎たちの住処に現れたのは、ふもとの方角がやけに騒がしい晩のことであった。季節外れの夜祭りが行われているのだとしたら、この珍客は酔いが回って山中やまじゅう彷徨さまよい歩いているのではないか。烏兎はそう訝しむ。


「あれ、兄ちゃん……尻尾?」

「これは失礼。久方ぶりに大規模な幻術を使ったらこの有様さ」


 九つに分かれた狐の尾を腰元で揺らしながら、青年は微笑んだ。


「お互い歳は取りたくないものだねぇ。そうだろう、玉露ぎょくろ?」


 青年は気安い調子で、あなぐらの奥で寝たきりとなっている烏兎の祖母に声を掛ける。祖母にそのような可愛らしい名があったことを初めて知った烏兎が、思わず目を丸くした。


ハク、貴様……。ふらりと行方をくらませたと思ったら、今さら一体何の真似じゃ」

「はは、玉露は相変わらずだね。あやかしの王である僕にそんな口の聞き方をするのは、君くらいのものだよ」

「裏切り者の妖狐ようこが何を言う。人の臭いをぷんぷんさせおってからに」


 恨み節であっても、饒舌な祖母の姿をしばらく見ていなかった烏兎は安堵を覚えた。事の詳細は不明だが、白と呼ばれた青年は祖母の在りし日の知人のようである。


「まぁそう言わずに、僕の通力つうりきが回復するまで身を隠させてくれないか。それに、烏兎くんに伝えておきたいことがあってね」


 白は座禅を組んで、烏兎と向かい合った。彼の涼しい表情に、緋奈を失った傷心さえも見透かされているようで、烏兎は居た堪れない心地を味わう。


「横たわったままで良い。玉露も聞いてくれるかい?」


 玉露がふんと鼻を鳴らし、白はそれを承諾と受け取って続ける。


「実は烏兎くんのために、修羅に落ちようとした女の子がいたんだ」


 抽象的な物言いの白の真意を、烏兎は幼いなりに汲み取ろうとした。麓の騒がしさと何か関係があるのだろうか。もしかすると緋奈の身に、何かが起きたのかもしれない。


「この山はね、今も人里の者たちの中で燃え続けている。僕たちあやかしも、魑魅魍魎のたぐいも、未知へのおそれも恨みも何もかもを引っくるめて、焦土と化すまで燃え続けているのさ」

「……緋奈は、緋奈は無事なの?」


 祖母の前であるにも関わらず、堪らなくなった烏兎はその名を口にした。


「無事だよ。それに彼女だけは、僕の幻覚の外にいる」


 白の告白は希望の言葉であり、同時に苦悩の続きを意味していた。感情をまっさらに戻して平穏を生きる里の者たちと、光と闇の確執を背負ったままに迷いながら生きる緋奈。それはまるで、烏兎と玉露のように対象的な存在である。


 烏兎が次の言葉を懸命に探していると、玉露が激しく咳き込み始めた。


「玉露、煎じてあげるから薬を飲みなさい。烏兎くんをひとりにする気かい?」

「ふん、貴様の施しなど受けぬ」


 玉露の剣幕に、白は困ったように微笑んだ。へそを曲げる祖母の代わりに烏兎が薬の調合を願い出ると、彼は二つ返事で了承する。


「ありがとうございます。白さん、もうひとつお願いが」


 かしこまった態度で切り出す烏兎は、最早もはや洟垂はなたらしの顔付きではなかった。それを見た玉露の視界が、じわりと水滴で滲んでいく。玉露がこうしてとこせている間にも、月日は刻々こくこくと流れているのだった。


「尾を隠す術を俺にも教えてください。この羽根さえ無ければ、俺は人里に出られる」


 つい荒くなりそうになる語尾を抑える烏兎に、白が凛として答える。


「構わないけれど、茨の道だよ。誰も幸せになれないし、次の争いの火種になるかもしれない」

「それでも俺が迎えに行かなくちゃ、緋奈は苦しいままです」


 烏兎の真っ直ぐな瞳に、白は満足気に頷いた。緋奈が惹かれた理由を、そこに見出みいだしたのだ。


「それに白さんも同じでしょ? 尾っぽを隠して人里に降りているのはどうして?」


 唐突に子供の眼差しに戻って問う烏兎には、流石さすがの白も面食らってしまった。答えあぐねていると、玉露が意地悪く横槍を入れる。


「じっくりと話して聞かせてやるわい。おい白、さっさと薬をよこさんか」


 頭を掻きむしりながら、白がやれやれと言った。


「気難しい婆さまを持って、の未来は前途多難だね」と──。




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そらにはからす、ちにうさぎ。かはたれどきに、ゆめをみる。 五色ヶ原たしぎ @goshiki-tashigi

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