猟奇☆おじさん

平中なごん

猟奇☆おじさん

 東京の下町某所にある昭和レトロ香るモダンな一棟のアパルトマン。


 ここに、書いても書いても果てしなく迫り来る原稿の〆切から逃れ、一時ひとときのバカンスを楽しもうと二人の著名ミステリ小説家が密かに同棲生活を送ってた……。


「――ただいまあ~」


 どこかの家で魚を焼く、夕暮れ時の臭いが橙色の世界を満たす中、色硝子のはめ込まれた瀟洒な玄関のドアを開け、六畳一間(台所、バス・トイレ付)の狭い部屋へ髪を後へ撫でつけたお洒落なオヤジ――セイシが買い物から帰って来る。


「わざわざ遠回りして、頼まれてた池袋の薯蕷饅頭じようまんじゅうも買ってきましたよ……あれ、ランポさん?」


 だが、一目ですべてを見渡せるほどの狭いその空間に、なぜかルームメイトの姿は見当たらなかった。玄関に鍵はかかってなかったし、出かけるような話もセイシは聞いていない。


「ハァ……またか」


 だが、彼は肩を落として大きな溜息を吐くと、所狭しと置かれたガラクタの中の、壁際にある一人用のソファへと迷うことなく近づいて行く。


「もう、そのネタはい加減飽きました。だからバレバレだって言ってるでしょう? ランポさんっ! フン!」


 そして、右の拳を固く握りしめると、マッサージチェアほども高さのある背もたれのド真ん中に、勢いよく振り上げたその鉄拳を食い込ませた。


「うごっ…!」


 すると、ドフッ…! という鈍い音とともに、低い男の呻き声がソファの中から聞こえてくる。


「痛ててててて……んしょ……フゥ……ひどいよ、セイシくん。いきなりボディブロウだなんて……」


 その声にも驚くことなく、しばし冷めた目でセイシが見つめていると、やがて背もたれのカバーが外れ、その裏から坊主頭にメガネの和装男性が悲痛に顔を歪めながら這い出して来る。


「ひどくないですよ。僕が出かける度に〝人間椅子〟やるのやめてください。そんな何度もやられたら驚きませんって。てか、リアクションに困るじゃないですか」


 しかし、この変態趣味を持つ友人に白い眼を向けたまま、セイシは淡々とした口調で反論する。


「よいしょっと……そういう君だって、銭湯行くといつもアレやってるじやゃないか。あの湯舟で逆立ちして脚だけ〝V〟の字ように出すやつ。〝犬神家〟だっけ?」


 対してソファから抜け出したランポの方も、負けじと相手が行っている入浴時の戯れについて文句をつけた。


「あれは他のお客さんを楽しませるためのパフォーマンスです。別にランポさん向けにやってるんじゃありません。自己満足的なあなたの〝人間椅子〟とは本質的に違います」


「フン! 何がお客を楽しませるためのパフォーマンスだよ。自分じゃそう思ってるかもしれないけどね、ほんとのとこはみんな迷惑してるよ? こどもなんか〝変態がいる〟って泣き出すし。君の方こそただの自己満足の迷惑行為じゃないか」


 だが、またも冷静な口調で反論してくるセイシに、売り言葉に買い言葉。ランポも攻撃の手をヒートアップさせる。


「め、迷惑行為ですと!? んじゃあ、言わせてもらいますけど、ランポさんが夜な夜な黒いアイマスクに黒マント羽織って街中を走り回ってるアレ。〝怪人二十面相〟ごっこだかなんだか知りませんけど、あれこそご近所迷惑ですよ! 怪人っていうよりも変人ですよ、変人!」


 言われたセイシは一瞬、その自分だけが知らなかった驚愕の事実に面食らうも、今度は梁にかけてあるランポの黒マントを指さし、ますますその声を荒げる。


「ヘ、変人て……じゃあさ、君が外出する時に着けてるその〝スケキヨ〟マスクはどうなわけ? しかも、僕の場合、みんなが寝静まった後の通りに誰もいない深夜だけど、君の場合、真っ昼間だよ、真っ昼間? つまりは白昼堂々とだよ? そんな白塗りのオバケみたら、それこそみんな絶叫だよ。こどもなんかきっとトラウマだよ?」


 一方のランポもお返しとばかりに、買い物袋の横に置かれた白いゴム製のフルヘッドマスクを顎で指し示し、よりいっそうの批判的な言葉を浴びせかける。


 思わず口を突いて出てしまったお互い常日頃から思っている各々の本音に、いよいよ二人の会話は口喧嘩の様相を呈始しめた。


「仕方ないじゃないですか。この季節、紫外線が強いんですから。スケキヨはあなたのように娯楽でやってるコスプレじゃなく、必要に駆られたやむを得ぬお肌対策なんです! ついでに言わせてもらいますけど、そのマントに限らず、あなたのそのコスプレグッズ。部屋狭いってのに場所とるし、前々からほんと邪魔だと思ってたんですよ。いい加減、どうにかしてください」


 自身もファツションについて批判されてしまったセイシは、二十面相用衣装に続き、部屋のガラクタの大半をしめる各業種の制服やら帽子やらカツラやらを見渡しながら言い返す。


「コスプレじゃなくて変装! それにね、これは別に娯楽でやってるわけじゃないよ? 変装して町に出ることで登場人物達の心情をより深く理解してるんだよ。邪魔っていうんなら君だって、ベランダに置いてあるあの〝菊人形〟。デカくて邪魔な上に、妙にリアルにできた首がたまに落ちるんで、偶然、その場に居合わせた通行人達が絶叫して逃げ出してるじゃないか。言ってもこの部屋の中で完結してる僕なんかよりもはるかに悪質だね」


 それにはランポも窓の外に覗くセイシお気に入りの実物大フィギュアを指さし、他愛のない悪戯から始まった口論はお互いの持ち物のことにまで飛び火した。


「その部屋の中を占領してるとこが問題なんですよ! それに僕の菊人形だって、執筆のための必要不可欠な参考資料なんです! ランポさんの場合、全然使ってない衣装とかも多いでしょう? 特に〝青銅の魔人〟やら〝電人M〟やらの着ぐるみ! そういうのだけでもどっか別の場所に持ってってくださいよ。ほら、〝パノラマ島〟でしたっけ? ここんとこ造るのにハマってた理想の島とかなんとか。そこに置いといたらいいじゃないですか」


「あそこはダメだ。資金難で現在工事ストップしてるからね。思った以上にお金かかってさ、どっかのお金持ちと僕が瓜二つで、入れ替わりとかできない限り経済的に完成は難しいね……てか、君こそ〝八つ墓村〟だかに見つけたっていう鍾乳洞にかさばるものは持って来なよ。〝龍のあぎと〟とかいう広い空間があるんだって、この前、興奮気味に騒いでたじゃないか」


 ガラクタを別の場所へ移動させるように言われると、何やらいろいろと問題を抱えているらしく、どこか悲しい顔をするランポだったが、こちらも思い出しかのように同様の提案をセイシに切り出す。


「こっちもダメです。使いたいのは山々ですが、なんか小梅さん小竹さんとかいう双子の老婆が洞窟に続く秘密の入口の前に居座ってて、ぜんぜん中に入れてくれないんです。その上、村に行くと濃茶こいちゃの尼とかいう変なおばあさんに〝八つ墓明神さまの祟りじゃ~〟って怒鳴られるし……て、論点ズレてますよ。迷惑って言ったら、あの〝芋虫〟ごっこ。なんだか知りませんが、体をほんと芋虫みたく包帯でぐるぐる巻きにしちゃって、あれじゃ宅配の人来ても応対できないし、みんな迷惑してるんですよ?」


 対してセイシの方も渋い顔で首を横に振ってみせるが、それでも話題を元に戻すと、なおも相手の迷惑行為を非難する。


「あれも小説書くために必要なの! 発禁処分にされちゃったあの作品をなんとか世に出したいからね。君の方こそ〝悪魔の手毬歌〟だかいうの深夜に歌うのやめなよ。この前、大家さんが言ってたけど、夜な夜な不気味な歌詞の歌が聞こえるって、ここの住人みんな怖がってるらしいよ?」


「あの歌も小説書くためのものなんです! ランポさんこそ、近所のこども集めて〝少年探偵団〟なんて遊びさせてるの評判悪いですよ? ホームズに出てくる〝ベイカーストリート・イレギュラーズ〟がモデルなんでしょうけど、そんなギャングの真似事なんかさせて、教育上よくないって親御さん達心配してましたよ?」


「教育上よくないって……少年探偵団は正義の集団だよ!? ギャングじゃなくて、むしろボーイズカウトみたいって言ってほしいね。そういう君だって〝人形佐七〟とかいう捕り物ごっこさせてるじゃないか。あれだって…」


 だが、そうして終わりの見えぬ不毛な言い争いを二人が延々と繰り返している時のことだった。


 ドン! ドン! ドン! ドン! ドン! ドン…!


「江戸川先生~! ここにいるのはわかってるんですよ~!」


「〆切とっくに過ぎてるんですよ~! いい加減、原稿くださいよ~横溝先生~!」


 けたたましく玄関のドアがノックされたかと思うと、そんな男達の大声が扉の向こう側から聞こえてきた。


「ヤバっ…!」


「チッ! 思ったよりも早かったな……」


 予期せぬその訪問者には二人も一瞬にして口論をやめ、大きく目を見開いてお互いの顔を見合わす。


 言わずもがな。出版社の人間がこの潜伏先を突き止め、〆切過ぎても放置したままにしていた原稿を取り立てに来たのである。


「〝悪魔が来たりて笛を吹く〟ならぬ、編集来たりてドア叩くですね……金田一も真っ青なしつこいさだ」


「ほんとに。こんなにも早くこの〝黒蜥蜴〟のアジト並に秘匿された隠れ家を見つけるとは。明智君にも勝る推理力と捜査力だね」


 どこまでも追い駆けて来る担当編集者達の執念に、呆れるよりもむしろ感心すらしてしまう二人であったが、そんな悠長に構えているような場合ではない。


「……おっと。無駄口叩いてる暇はなかったね。セイシくん、いよいよ例のやつの出番だ」


「了解。こんなこともあろうかと、用意しといた甲斐がありましたね……それじゃ、いきますよ。〝本陣〟システム作動!」


 気を取り直してランポが合図をすると、セイシは台所へと走り、ホースのついた水道の蛇口を目いっぱいに捻る。


 すると、最大限に放出された大量の水が一気にホースの中を流れ、そのホースが伸びた先――ベランダの雨樋に溢れ出し、今度は雨樋から流れ落ちると、その下にあった水車を回し始める。


 カタン、カタン…と回る水車の軸には丈夫な琴の糸が取り付けられており、水車の回転に合わせてグルグルとその糸が巻き取られてゆく……。


 一方、糸の反対端には上空に浮かぶアドバルーンが結ばれていて、琴糸が軸に巻きつくにつれて、それが徐々にベランダへと降りてくる。


 ドン! ドン! ドン! ドン…!


「先生~! 開けてくれないんなら実力行使に出ますよ~!」


「やむを得ん。やりましょう……せーのっ!」


 その間にも外の編集者二人はしつこくドアをノックし続け、ついにはドアに体当たりを食らわすと、ガン! という一際大きな音を立てて扉を金具から外してしまう。


「先生っ! もう逃げられませんよ……ええっ!?」


「早く原稿を……なっ!?」


 そして、壊れた扉を押し退けて強引に侵入する編集者達であったが、彼らが部屋へ踏み込んだ時にはすでに一足遅かった。


 見ると、開け放たれた部屋奥のサッシの向こう側では、ベランダの手摺りによじ登り、そこに浮かぶアドバルーンの下に垂れた縄梯子にランポとセイシの二人が足をかけているではないか。


「ここを突き止めたことは褒めてさしあげましょう。でも、最後の詰めが甘かったですね」


「ハハハハハっ! なかなか楽しいいゲームだったよ。さらばだ、編集者諸君!」


 縄梯子にしがみつくセイシが不敵な笑みを浮かべ、同じくランポが芝居がかった口調で高笑いを上げた瞬間、限界まで巻き取られ、一直線に張りつめた琴糸はその脇に突き立てられている鎌の刃に触れ、ビン! という音を立てて切れる。


 とともに、水車の引く力から解き放たれたアドバルーンは、パンパンに詰まったヘリウムガスにより再びゆっくりと浮上し始める。


「どうぞお元気で~! ご縁があったらまた会いましょう~!」


「今回も私の勝ちのようだね。ハーハハハハハ! ハーハハハハハ…!」


 慌ててベランダへ駆け寄った編集者二人が見上げる中、勝ち誇ったように手を振るセイシとランポをその下に下げて、アドバルーンは夕焼けの空へとぐんぐん登って小さくなってゆく。


「…………あ~あ、行っちゃったよ。探偵小説の怪盗じゃあるまいし、どうやって着地するつもりなのか」


「あれだけの労力あったら、おとなしくさっさと原稿かけばいいのに……」


 二人の消えた美しい橙色の空をポカンとした顔で見上げながら、彼らの担当編集者達は誰に言うとでもなくそう呟いた。


                          (猟奇☆おじさん 了)

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