夜明け
ふと、私は目を覚ました。
薄暗い社の天井が、ぼうっと視界に映る。
「……」
……どうなったんだ、私。
——昨夜は。
稲荷と勝負をして——
……それで……
「————!!」
私は思わず横たわっていた布団から身を起こそうしたが、全身に激しい痛みが走り、手も足も思うように動かない。
——そうだ。
弓月は。
頭を動かして、自分の横を見ると——
純白の紋付を赤く染めた弓月が、静かに布団に横たわっていた。
「……美弥さん!
ああ、良かった……」
側にいた弓月の父が私に気づき、疲れ切った顔を僅かに綻ばせてほっとしたように大きく息をつく。
「……あの……
あの……弓月は……!?」
必死にそう問いかける。
そんな私に、弓月の母が瞳を滲ませた。
「先程まで、稲荷様が……命を絶った弓月のために、必死に祈祷をあげてくださいました。
最後には力を使い果たし、狐の姿に戻ってまでも、その力を弓月に注ぎ続けて——
空が白む前に、よろめくように神の世へ戻って行かれました。
——もう、大丈夫だと。
夜明けとともに、弓月はここへ戻ってくるだろうと——そう仰いました」
やがて——今日の最初の光が一筋、社の中に細く差し込んだ。
その光に応えるように、弓月の瞼が微かに動いた。
*
その後、弓月の身体は驚くほどの早さで回復した。
稲荷様のご加護だと、彼の両親は心から嬉しそうに言った。
やがて——これまでと変わらない日常が戻り、約ふた月が経った。
そんなある夜。
私は夢を見た。
白い霧のかかる森の中から、美しい女がこちらへやってくる。
——結だ。
「——稲荷様」
淡く微笑む彼女を何と呼べば良いのかわからず、そう呼びかけた。
「結で良い」
彼女はさらりとそう答える。
「……そなたに、礼と詫びを言いに来た。
——弓月殿は、回復したのだな。
……良かった」
「はい。
あなた様のご加護のおかげと、宮司が喜んでおりました」
「——美弥殿。
そなたと弓月殿には、済まぬ事をした。
……あの婚礼の後、私に
位の高い稲荷の使いをしていた白狐だ。
聞けば、私をずっと好いてくれていたのだという。
嘆き悲しむ私を見て意を決し、
今は、私もその者を心から大切に想うておる。
そして——
こうして深く想い合う相手ができて初めて、弓月殿を守りたいと願ったそなたの気持ちが、痛いほどわかるのだ。
そなたと勝負ができて良かったと——感謝している」
そんな事を穏やかに話す結の顔を、何だか不思議な気持ちで見つめ——私も、彼女へ深く礼をした。
「…………私も、あなたと向き合うことで得たものが、たくさんあるのです。本当に。
——ありがとうございました」
私の言葉に、結はふっと優しく微笑む。
「今後は、人間から嫁や婿を貰い受けることのないよう、私から孫子へ伝えよう。
——これほどに辛い思いを味わわせてきたとは、少しも気づかなんだ。
宮司のところへも、これからその事を伝えに行くところだ。
……美弥殿。
弓月殿と、幸せにな」
「……え……
いやちょっと待ってくださいそれは…………!!!」
最後に結の口からさらりと出た一言を聞き流すことができず、私は俄かにわたわたと動揺する。
「私が弓月殿へつまどいをした夜に、そなた達が同じ夢を見たのは——二人の想いが、既に深く繋がっているということの現れなのだ。
そなたが白宮家の嫁になれば、毎日そなたと会えるな。
——楽しみにしておるぞ」
一気に真っ赤になる私に悪戯っぽくそう微笑むと、結は明るい霧の中に静かに消えた。
*
そんな夢を見た、翌朝。
学校へ向かう私は、不意に後ろから呼び止められた。
「——美弥」
「ふぎゃっ」
その低く艶のある声に、最近私はこういう反応しかできなくなっている。
あの婚礼の夜、彼が私に優しく囁いたあの瞬間が、どうしても蘇ってしまうからだ。
「ふぎゃって、どこの挨拶だよ?」
そういう弓月も、私の顔を見るなりぶあっと頬を赤らめ、ぱっと視線を逸らす。
こんな有様で、あの出来事以来私たちはほとんどまともに会話ができていない。
「——いや。
これじゃいけない。
……美弥。
お前に、話したいことがある」
「……なっ、なによ」
微妙に後ろに退く私に、弓月はいつになく真剣な表情でじりっと詰め寄る。
「俺——
大切なことをまだ何も、お前に伝えてない。
今までずっと、思ってたこと。
お前に、言わなければならないこと。
俺の中に積もりまくって、どうしようもなくなってること。
それを……今日は全部、お前に伝えたい。
だから——
今夜、一緒にうちに来てくれないか」
「……ね、ねえ弓月。
そういう改まったの、私すごく苦手なんだよね、知ってるでしょ?
そっそういうのは、もっと適当にぼちぼち……」
「いや、だめだ。
これは俺だけの希望じゃない。
今朝はなぜか親父も、絶対お前を連れてこいって異常にしつこくて。しかもすんげえニヤニヤ上機嫌なんだよなー……なんかいいことでもあったのかな気持ち悪い」
……あーー。
結さん、まさか夢でお父さんにも何か余計なこと言ったんじゃ……???
「そういうことだから。
今日は嫌でもお前をうちに連れてくからな。放課後までにしっかり覚悟しておけよ」
「〜〜〜〜……」
——そんなこんなで。
世にも不思議な三角関係を何とか無事にほどいた私たちは。
相変わらず、なんとなく……そして、最高に幸せな時間を過ごしている。
私と彼と狐の話 aoiaoi @aoiaoi
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★77 エッセイ・ノンフィクション 完結済 1話
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