夜明け

 ふと、私は目を覚ました。



 薄暗い社の天井が、ぼうっと視界に映る。



「……」



 ……どうなったんだ、私。




 ——昨夜は。

 稲荷と勝負をして——



 ……それで……





「————!!」



 私は思わず横たわっていた布団から身を起こそうしたが、全身に激しい痛みが走り、手も足も思うように動かない。




 ——そうだ。

 弓月は。



 頭を動かして、自分の横を見ると——

 純白の紋付を赤く染めた弓月が、静かに布団に横たわっていた。



「……美弥さん!

 ああ、良かった……」


 側にいた弓月の父が私に気づき、疲れ切った顔を僅かに綻ばせてほっとしたように大きく息をつく。



「……あの……

 あの……弓月は……!?」



 必死にそう問いかける。


 そんな私に、弓月の母が瞳を滲ませた。



「先程まで、稲荷様が……命を絶った弓月のために、必死に祈祷をあげてくださいました。


 最後には力を使い果たし、狐の姿に戻ってまでも、その力を弓月に注ぎ続けて——

 空が白む前に、よろめくように神の世へ戻って行かれました。



 ——もう、大丈夫だと。

 夜明けとともに、弓月はここへ戻ってくるだろうと——そう仰いました」





 やがて——今日の最初の光が一筋、社の中に細く差し込んだ。





 その光に応えるように、弓月の瞼が微かに動いた。











 その後、弓月の身体は驚くほどの早さで回復した。

 稲荷様のご加護だと、彼の両親は心から嬉しそうに言った。




 やがて——これまでと変わらない日常が戻り、約ふた月が経った。





 そんなある夜。

 私は夢を見た。



 白い霧のかかる森の中から、美しい女がこちらへやってくる。


 ——結だ。



「——稲荷様」


 淡く微笑む彼女を何と呼べば良いのかわからず、そう呼びかけた。



「結で良い」


 彼女はさらりとそう答える。




「……そなたに、礼と詫びを言いに来た。


 ——弓月殿は、回復したのだな。

 ……良かった」


「はい。

 あなた様のご加護のおかげと、宮司が喜んでおりました」



「——美弥殿。

 そなたと弓月殿には、済まぬ事をした。


 ……あの婚礼の後、私に妻問つまどいをしに来た者がおってな。

 位の高い稲荷の使いをしていた白狐だ。

 聞けば、私をずっと好いてくれていたのだという。

 嘆き悲しむ私を見て意を決し、大稲荷おおいなり様に私への婿入りを願い出てくれたのだそうだ。


 今は、私もその者を心から大切に想うておる。


 そして——

 こうして深く想い合う相手ができて初めて、弓月殿を守りたいと願ったそなたの気持ちが、痛いほどわかるのだ。


 そなたと勝負ができて良かったと——感謝している」



 そんな事を穏やかに話す結の顔を、何だか不思議な気持ちで見つめ——私も、彼女へ深く礼をした。


「…………私も、あなたと向き合うことで得たものが、たくさんあるのです。本当に。

 ——ありがとうございました」



 私の言葉に、結はふっと優しく微笑む。


「今後は、人間から嫁や婿を貰い受けることのないよう、私から孫子へ伝えよう。

 ——これほどに辛い思いを味わわせてきたとは、少しも気づかなんだ。

 宮司のところへも、これからその事を伝えに行くところだ。


 ……美弥殿。

 弓月殿と、幸せにな」



「……え……

 いやちょっと待ってくださいそれは…………!!!」


 最後に結の口からさらりと出た一言を聞き流すことができず、私は俄かにわたわたと動揺する。



「私が弓月殿へつまどいをした夜に、そなた達が同じ夢を見たのは——二人の想いが、既に深く繋がっているということの現れなのだ。

 そなたが白宮家の嫁になれば、毎日そなたと会えるな。

 ——楽しみにしておるぞ」



 一気に真っ赤になる私に悪戯っぽくそう微笑むと、結は明るい霧の中に静かに消えた。









 そんな夢を見た、翌朝。

 学校へ向かう私は、不意に後ろから呼び止められた。



「——美弥」

「ふぎゃっ」


 その低く艶のある声に、最近私はこういう反応しかできなくなっている。

 あの婚礼の夜、彼が私に優しく囁いたあの瞬間が、どうしても蘇ってしまうからだ。


「ふぎゃって、どこの挨拶だよ?」

 そういう弓月も、私の顔を見るなりぶあっと頬を赤らめ、ぱっと視線を逸らす。

 こんな有様で、あの出来事以来私たちはほとんどまともに会話ができていない。



「——いや。

 これじゃいけない。


 ……美弥。

 お前に、話したいことがある」


「……なっ、なによ」


 微妙に後ろに退く私に、弓月はいつになく真剣な表情でじりっと詰め寄る。



「俺——

 大切なことをまだ何も、お前に伝えてない。


 今までずっと、思ってたこと。

 お前に、言わなければならないこと。

 俺の中に積もりまくって、どうしようもなくなってること。


 それを……今日は全部、お前に伝えたい。


 だから——

 今夜、一緒にうちに来てくれないか」



「……ね、ねえ弓月。

 そういう改まったの、私すごく苦手なんだよね、知ってるでしょ?

 そっそういうのは、もっと適当にぼちぼち……」


「いや、だめだ。

 これは俺だけの希望じゃない。

 今朝はなぜか親父も、絶対お前を連れてこいって異常にしつこくて。しかもすんげえニヤニヤ上機嫌なんだよなー……なんかいいことでもあったのかな気持ち悪い」



 ……あーー。

 結さん、まさか夢でお父さんにも何か余計なこと言ったんじゃ……???



「そういうことだから。

 今日は嫌でもお前をうちに連れてくからな。放課後までにしっかり覚悟しておけよ」



「〜〜〜〜……」





 ——そんなこんなで。


 世にも不思議な三角関係を何とか無事にほどいた私たちは。

 相変わらず、なんとなく……そして、最高に幸せな時間を過ごしている。



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私と彼と狐の話 aoiaoi @aoiaoi

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