十月一日の生存本能4

 それから、さらに十分ほど。

 コータがぼんやりと駅を眺めていると、制服姿のハナビが駅舎から飛び出してきた。秋服なのか紺色のブレザーを着ている。大窓越しに手を振る姿は、あの惨劇を微塵も感じさせない。

「あ、いらっしゃい、ハナビちゃん」カウベルに反応した店員は、コータ相手とはまるで異なる、いい笑顔になった。「飲み物は? 今日は紅茶? 新作ケーキもあるよ?」

「あ、じゃあ、その新作ケーキをお願いします。それと、ミルクティーを」

「はぁい」なんて、まるでハートマークでもついていそうな返答までしている。

『ル・コルビジェ』の店員は、ハナビにだけは優しい。

 コータはその対応の違いに不満を感じざるを得ないのだが、あの日から劇的に変化したハナビを見るに、可愛がるのも仕方ないかと思ってしまう。

 愛想はすこぶる良くなったし、目が隠れるような前髪をやめたらしい。元より黙っていれば美少女でとおる顔つきだ。キツい目つきは涼しげな瞳に、悪戯っぽい片笑みはイノセンティックへと解釈が変わる。もっとも、素の部分だけは何も変わっちゃいない。

 ハナビは店員が背中を見せた隙にこちらに振り向き、

(可愛いって得だよね!)

 と、唇だけ動かした。

 人によってはイラつきそうな態度だ。しかし、律儀にもくれてやった鯨のクリップで前髪を留めているのを見ると、怒るに怒れない。美少女の義理堅さは、武器である。

 俺は、すげぇ人たらしを作っちまったのかもしれない。

 コータは半ば感心しつつ席に来るのを待った。長らく待たされていた苛立たしさは、ハナビが持ってきてくれた本日六杯目となるコーヒーの香りに呑まれた。

「お待たせー。遅れちゃって、ゴメン。実は学校でサインお願いされちゃって……」

 ハナビはそう言ってはにかむように笑った。先ほど本人も口にしていた通り、まったく美人と子どもは得だと思う――が、それにしてもサインとは。

「まぁ別にいいけどな。遅れるときは連絡くれれば、だけども」

「うん。スマホの電池が切れかけだったから」

 言いつつハナビは新作ケーキ『サヴォア』を口に運んだ。何のことはない、コルビジェが設計したサヴォア低の形を模した、宙に浮いたような構造の真っ白く四角いオペラケーキだ。

 幸せそうに身悶えするハナビを見てコータは苦笑する。実に微笑ましい罠だ。

「スマホの電池が切れたってことは、友達できた?」

「……そういうの、気持ち悪いよ?」

 そう辛辣な回答をしつつもスマホをいじり、こちらに画面を向けてきた。写真用のアプリによって猫耳、猫髭が付いたハナビと見覚えのある少女が写っていた。

「……高宮さん、だっけか」

「そう!」ハナビはフォークを振りかざした。「あの日から妙にくっついてくんだよね」

「命の恩人に態度悪い人はいないでしょ……ハナビちゃん以外では」

「何言ってんのさ。私はコータにしかタイド悪くないから、優しいのだよ」

 ふふん、と鼻を鳴らしたハナビは、斉藤のところに送るはずだった履歴書をつまみ上げた。

「……で? 仕事決まったって?」

「そう! そうなんだよ。ようやく俺も新たな人生の始まりなんだよ」

「大げさすぎ」ハナビは微笑みながら不要となった履歴書を見つめる。「で、どんな?」

「……探偵。見習い」

「へぇ、探て……探偵ぃ? それマトモな仕事じゃなくない? なんで?」

 非難がましい目をしてハナびはフォークを置いた。ホワイトチョコレートでできた真四角のサヴォア邸は、角が少し欠けていた。

 少し身を乗り出したハナビは、こちらを向けとばかりに両肘をテーブルにつく。

「……誰か、探したい人がいるとか?」

「……そうだよ。まぁ、探して見つかるような相手じゃないんだけどさ」

「何それ?」

 目にすぅっと力が籠もった。さすがに察しが良い。たった半年、されど半年。過ごした時間とよく似た性格も相まり、言葉に隠し事があれば即座に見抜かれる。

 諦めたコータは「今から少しバカな話をするけど怒らないでくれよ?」と前置いた。

 ハナビが神妙な面持ちで頷く。

 言えば、いつの日かのように笑われるだろうか。いや、あの時のように、きっと受け止めてくれるはず。

 十も年下の少女に期待するのが滑稽に思え、コータは失笑する。

「言ってよ。大丈夫。コータが闇深オジサンなのは、もう知ってるから」

「ほんと、辛辣だよね」

 だが、当たっている。自分でも予想していなかったくらい闇が深い。人が死ぬ夢を見るのはそれほど珍しくはないが、自殺で、経験があったとなれば、深淵といっていい。

 井戸の底から陽の光が見えるのは、死ぬ間際まで人を足掻かせるためだ。

 コータは左右に首を振り、小さな相棒の言葉に甘えることにした。

「……実は、俺さ」

「うん」

「幽霊かもしれないんだよね」

「……うん………うん?」

 ハナビの眉が見るも無残に歪んだ。当たり前といえば当たり前か。

「……あの電話について調べたんだよ。そしたら、誰かにはつながったらしくてな」

「……つながったから、何? 全然、意味がわからないんだけど」

「まぁ簡単にいうと、俺は死ぬ前の俺と話をしたかもしれないんだよ。あるいは、俺は生きてて向こうが死んでいるのかもしれないし、どっちも生きているのかもしれないんだけど」

「意味わかんないし、自分で探すとか謎すぎだよ。幽霊じゃないなら警察が探すでしょ」

 顔を強張らせたハナビはフォークを手に取り、ケーキを真っ二つに切った。勢い余ってフォークが皿にぶつかり、ガチン! と硬質な音を立てた。

「電話のあいつ、ムカつくけど感謝してるトコもある。就職する気になったしな」

 コータとて自分が幽霊だなんて話は信じていない。電話回線を通じて十四のころに死んだ本当の自分と話していただなんて、信じられるわけがない。

 だからこそ見つけだし、お前は誰かと聞いてやらなきゃ気がすまない。

 イサミンがどうだったのかは知らないが、テツも、サッキーも、タケッチも、決して悪人ではなかった。たった半年、されど半年だ。

 なんで俺だけを助けやがった。

 凶暴な笑みを隠すように、コータは残りわずかとなったコーヒーを口に運んだ。

 ハナビは唇を軽く噛み、ケーキを半分に割って片方にフォークを突き刺す。

「それ、私も手伝っていい?」

「……見つけてからなら考える……って言っても、ハナビちゃんは聞かないだろうね」

「よくわかってるじゃん。手元に置いといたほうが安心だよ?」

 悪戯っぽく笑ったハナビは店員からフォークを一本もらい、ケーキの残り半分に刺した。

「そういうわけで、甘すぎるから、まずは半分、手伝ってもらおうかな」 

 コータは苦笑しながらケーキを取った。

「何か手伝うのが俺になってない? そういう駆け引きどこで覚えてくんの?」

「私、不登校児だからね。誰かに教わったりしないで、自分で考えるんだ」

 言ってハナビは歯を見せた。ケーキと人探しでは重さが違う。

 しかし、そんなのは彼女にとって意味のないことらしい。

 ケーキで乾杯。一応それらしく口に放り込んでみたが、甘すぎて胃もたれしそうだった。

 ハナビはその甘さを楽しむように目を細める。

「あとさ、ちゃんづけはやめて欲しいかなぁ、って。私はもう、半分くらい大人だから」

 やっぱり、まだまだ子どもだ。

 九月一日に鳴った電話の話は教えられそうにない。

 それに、何度も見ていた夢の変化も。

 ベッドの端から踏み出す直前、ハナビが扉を開けるようになった。

 そんな話、恥ずかしくできるはずがない。

 

「あ、就職先決まったんなら、この履歴書いらないよね? もらってもいい?」

「……まぁ、別にいいけど……何に使う気? 」

「秘密。悪いことには使わないよ」

 ハナビは不要となったらしい履歴書をつまみ上げ、覗き込んだ。いつもより少しだけキリっとした顔をしている写真、カッコつけようとしたのか角ばって傾いた文字列。眺めていくと、『なし』と書かれるのが普通の特記事項に『幽霊かもしれません』とあった。

 なにこれ、変なの。

 ハナビは微かに頬を緩め、コータの顔を盗み見た。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

九月一日の殺意 λμ @ramdomyu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説