エピローグ

水神さまを怒らせてはいけない

 雲ひとつ無い快晴だ。


 変わり映えのしない、いつも通りの月曜日。いつも通りに自転車で登校し、退屈な授業を受け、休み時間は隣のクラスの悪友、篠原とバカな話で盛り上がり、そして行きと同じように自転車で帰って来る。

 ひょっとしたら、また伯乃姉の妙な占いに付き合わされるかもしれない。

 それでも変化があるとすれば、せいぜいその程度だ。

 どれだけ天気が良かろうが、どれだけ雨が降っていようが、特別何かが変わるわけじゃない。


 チャンスに弱く、ピンチに強い三峯圭太にとっても他の学生たちと同じ、どこか刺激の足りない毎日が繰り返される。

 何か心のどこかにぽっかりと大きな隙間が出来てしまった、そんな気分……。


(なぜだろう?)


 自分でも、おかしな事を考えるものだと思うのだが、その出所が何であるのか見当もつかない。


 教室へ入れば相変わらずである。

 どういう訳か新学期から席がひとつだけ中途半端に空けられている。そこに誰かが居たわけでもないのに、まるでこれまで居たクラスメイトの一人が突然居なくなってしまったかのようにポツンとひとつだけ……。


(何でだ……?)


 そんな疑問を抱くのだが、誰一人としてその事をさほど気にしていないというか、不自然とは思っていないフシがあった。


 誰かが居たような気がする……。


 時々、その空席を見てはそんな錯覚に襲われるのだが、きっと夢の中に出て来たか何かで、そう思わせるのだろうと圭太はあまり気にしないようにしていた。


 四月からの担任は今年からこの学校の教師になったという二十代の女性教師だった。

 けれど、新学期が始まってから既に二週間以上になるのに、どうも圭太はこのクラスの担任が男性だった気がしてならない。

 いや、この女性教師とは新学期開始から何度となく話した記憶はある。それなのに、どこか違和感が拭い切れずにいるのだった。


 休み時間に入ると決まって隣の教室から篠原がやって来る。


「そういや、今年から編入して来たって噂の子さぁ」


 篠原は何やら新しいゴシップネタを仕入れて来たようで、圭太のもとに来るなり下衆っぽい笑みを見せた。


「噂の子?」

「何だ? 見た事あるだろ? 中等部三年の……水分ヒサゴちゃんって言ったか。メチャクチャ可愛い子だよ」


 当たり前のように篠原は言うが、圭太は「はて?」とばかりに首を傾げる。


(そんな子……居たっけ?)


 名前を聞いて何か引っかかるものがあるような気はしたのだが、容姿が浮かんで来ない。


 大体、中等部の校舎は同じ敷地内とはいっても別棟ではあるし、まして今年から編入して来た子となれば自分たちに接点など皆無である。


(一度か二度見かけた程度じゃ覚えてねぇよ……)


 そう言ってやりたかったが、あまりに篠原が楽しげに話しているので水を差すのも悪かろうと思い、圭太は黙って聞いてやる事にした。


「その水分ヒサゴちゃんに誰が最初にアタックするか、密かに賭けの対称になってるらしいぜ? まあ、あんだけ可愛いとなぁ……狙ってる男も多いだろうし」

「賭け……ねぇ……」


 下世話な話だ……と思う。

 まあ、やりたいヤツには好きにやらせておけば良いだろう。そのうち教師陣に事が露見して大目玉を食う事になるであろう事は目に見えている。


(触らぬ神に祟りなしってね……)


 自分がチャンスにめっぽう弱いという事を圭太は自覚している。当然、そんな危ない橋を渡るような真似はしたくないし、厄介事に首を突っ込むのも御免であった。


 ただまあ、それほど篠原が「可愛い」と推す女子となると、さすがにどんな子なのか興味はそそられる。

 圭太とて、これまで浮ついた話が一切無いし、彼女が欲しくないと言えば嘘になる。いや、寧ろ手に入れられるのなら是が非でも手に入れたいとすら思っている。

 そこは圭太も一般的な男子高校生と同じであった。


 ***


 そんな休み時間に篠原と交わした会話も帰る頃にはすっかり忘れていた。

 特にいつまでも学校に残ってやらなきゃならない用事も無いし、圭太はさっさと帰ろうと自転車を置いてある駐輪場へと足を踏み入れた。

 しかし、自分の自転車の前まで来て、やはり何か物足りなさを感じる。


 これまでずっと一人で学校と自宅の往復をこの自転車で繰り返して来た。それなのに後ろに誰かが乗っていない事への違和感がある。


(何でだ……?)


 自転車なんて後ろに誰も乗せていないのが普通である筈なのに、どうしてそんな違和感を抱くのか……。自分の事ながら理解に苦しむ。


 そんな圭太の目に一人の少女の姿が映った。

 翡翠色の瞳に銀色の髪。どういう訳か首に注連縄を巻き、目鼻立ちの整った中等部の少女が駐輪場の入り口に立っていたのだ。


「あ……」


 彼女は圭太と目が合うと、少し怯んだ様子で俯いてしまう。


(あ……れ……?)


 その少女の姿を目にした途端、それまで大きな隙間の出来ていた圭太の心が一瞬の埋められて行く。まるで空になってしまった水瓶に清水が満たされて行くような感覚……。


「ヒサ……ゴ……?」


 圭太の発した、その言葉に彼女はハッとしたように顔を上げた。


「え……? どう……して……?」


 驚きのあまり彼女の声は掠れてしまっている。


「いや……何でだろう? ついさっきまでおまえの事、すっかり忘れてた」

「え? え⁉ そ、そんな……! ケータ……あたしの事、覚えてる筈……無いのに……」


 信じられないと言った顔である。

 同様に圭太も自分の身に何が起こっていたのか理解できず戸惑っていた。


「忘れてたんだけど……おまえの姿見たら全部思い出したわ。これまでの事、全てな……」

「う、うそ……」


 ひたすら目を白黒させているヒサゴに圭太は「ははぁん……」と、何となく合点が行ったようにイタズラっぽく笑った。


「さてはまた神さまのチート使ったんだろ」

「そ、それは……」


 圭太は自分がどうして記憶を消されていたのかは知らない。けれど、言葉に詰まっているヒサゴの様子を見れば、それが図星だという事は一目瞭然であった。


「で、でも、どうして?」

「記憶が戻ったって事か? さあね……。でも、オレって神性を封じる力を持ってるだろ? ひょっとしたら、それが何か作用したんじゃないのか?」


 根拠はない。けれど、本来であれば『神性封じ』というものはヒサゴの首に巻かれた注連縄のような触媒を必要としないものだと聞く。それに圭太にはピンチに強いという特性もある。

 きっと、そういった圭太ならではの特性が神の力によって消された記憶を蘇らせたのかもしれない。

 圭太にはそう思えた。


 いつまでも戸惑いの色を隠せずにいるヒサゴに、圭太は自転車の後ろをポンポンと叩いて見せた。


「ほら、乗らないのか? 帰るんだろ?」

「え? あ、う……うん……」


 圭太に促されるようにして、ヒサゴは大人しく自転車の後部に跨がる。

 まだ事実を事実として受け入れられない様子ではあったが、それでもヒサゴの顔はどこか嬉しそうで、どこか安堵しているようでもあった。


 ***

 

 風を切って二人を乗せた自転車は国道を越え、急な坂道を下る。

 昨日も同じ事をしていた筈なのに、腰に手を回して、しっかりとしがみついているヒサゴの手が何だか懐かしい。


「そう言えば、その注連縄……また巻き付いてるんだな。折角、外れたのに」

「え? ああ、うん……。それはまあ……色々あって……」


 ヒサゴはどこか歯切れが悪い。言いたくないのか、はたまた言えない理由があるのか。圭太の知るところではない。


「それ以前に、未だに分からない事があるんだけどさ……」

「なぁに?」

「あの時、どうやって注連縄を外したんだ? オレの願いって何だったんだよ」

「なっ……!」


 圭太にとっては素朴な疑問だったのだが、そんな質問を投げかけた途端、ヒサゴの顔色が変わる。そして次の瞬間には……。


――ビチャビチャビチャ……


「うわっ! 冷てっ!」


 例によって圭太の後頭部にヒサゴの手から放たれた、おじいちゃんのオシッコが如き水がかけられる。


「な、何すんだよ!」

「う、うるさい! それはあんたが知る必要ないこと! てか、金輪際その質問は禁止!」


 顔を真っ赤にして怒っている。

 圭太にしてみれば、まるでわけが分からない。


「理不尽じゃありませんかねぇ?」

「良いから忘れて!」

「はいはい……」


 もと通りに戻ったとは言っても、ヒサゴの圭太に対する扱いは変わっていなさそうである。

 それで良かったのかもしれない。あのままヒサゴとの思い出を、ヒサゴの存在を忘れ去ってしまっていたよりは……。


 けれど、圭太はあらためて思う。


 やっぱり水神さまを怒らせてはいけない……と……。




 完

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水神さまを怒らせてはいけない 夏炉冬扇 @tmatsu

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