滅びた世界で必死に生きる人々の姿が生々しく迫ってくる気がしました。みんな生きるために必死で、でも世界と同じようにどこか荒廃していく心も抱えていて、苦しんでいる姿が容赦なく描かれていきます。
吸血鬼と人間の間の憎悪、人間同士の争い、吸血鬼同士の争い。闘争と憎しみに満ちた世界で、ひとときの人間らしいふれあいがあたたかくも悲しくて、だからこそその後に描かれる葛藤が苦しい……。
ラストシーンの静けさと美しさが私はすごく好きです!
これから彼らがどうやって生きていくのか……人間だからやっぱり、なんらかの社会や秩序を打ち立てないと生き残っていくのは厳しいんじゃないのかなあ、とか、人間と吸血鬼が争い合い、奪い合うのではない、違う道を選んでいたらどんな世界になっていたんだろうとか、いろいろと思いを馳せつつ、物語の余韻を噛みしめました。
作中語られる「おにぎりとコーヒーの味」についておもった。
うんそうだよね、と。
そんなふうに、とても「ただしい」小説として読んだ。
吸血鬼とヤクザの関わるディストピア活劇だと思うのだけれど、
第二部からアクションシーンが迫力を増すのと同時に
ポスト終末を描く作品が背負うテーマやストーリーも浮き彫りになる。
それは「人間」そのものであり、
同時に「人間扱いする」ということだ。
この作品に「人間」でないものは存在しないにも関わらず
それでも「人間扱いされない」ことが存在する。
弱肉強食ではなく適者生存を生物の系譜の公式として当てはめるならば
適者とは「人間扱いされる側」なのか「人間扱いされない側」なのか。
「人間扱い」をそのまま「ただしい」と言い換えてもいいと思う。
「ただしい」小説をより正確に表現するならば「ただしさを問う」小説だ。
答えはなにもない。
答えを出すべき小説でもない。
でもときどき、考え、思いだす。
それぞれに「ただしさ」を携え生きた人間やヤクザや吸血鬼や
その間に幾星霜と存在した関係のことを。
そしてたったひとつ間違いのないこと、
この小説で一番印象に残っているシーンは、
「おにぎりとコーヒーの味」はそうであること、その告白シーンだ。
未来のない終末の福岡を、一匹狼の主人公はるまが自転車で駆け抜けます。というと、さわやかで切ないアンニュイ終末っぽいですが、めっちゃくっちゃ血なまぐさくて地面に這いつくばって闇を駆ける終末です。
闇といっても夜じゃないのがポイントで、満月とか流星とか、北極星を見あげて「変わらないもなんてひとつもないんだ」とか、そういうビッグなものに思いを馳せる系ではありません。この作品の闇とは、すなわち、太陽がないということなのです。建物の中、日陰、帽子そしてサングラスなどなど……太陽を避けて生きているのですよ。終末のボーイミーツガールだけど、キラキラロマティック~とかもないです。はるまとさなちゃんは、そういうんじゃないんです。ニワトリ一羽で押し問答するくらい力を振り絞って全力で生きていて、彼らが見ているのは遥か遠い彼方ではなく、目のまえに迫り来る恐怖なのです。
考えてみれば終末ってきれいなわけないですよね(わたしは大好きですが……)。本当の終末を経験したことがないので想像ですけど、最近、美しくてきれいな終末をアニメなどで摂取しすぎたなと思って……(大好きなので……)目が覚めました……もとい、ヒロインさなちゃんの必殺パドルで頭をかち割られました。
吸血鬼VS人間なのかなと思いきや、吸血鬼にもまともな吸血鬼とまともじゃない吸血鬼がいて、なんと人間にも、まともな人間とまともじゃない人間が出てくるんですね。どの勢力が完全悪とかではなく、本当に、どの勢力も、ただただ自分たちの「生きていたい」を体現してぶつかり合っていて、読み応えがありました。
なんでこんなに生きにくい世の中にしちまったんだよーーー!!!
って地団駄を踏みたいんですが、それは作中で主人公はるまも絶望しくさっていることで、わたしも何度でも絶望したい。なんでこんな生きにくい世の中にしちまったんだよ……。生きていたいっていう人間本来の欲求を叶えるのがこんなにも困難な世の中を、どうして作っちまったんだよ、崩壊前の人間たちよ。そしてその欲求を一つでも多く当たり前に叶えられるというのが豊さなのだなあとふと2019年NIPPONを振り返って思いふけったりするのです。
でも過去を悔やんでもしかたないということを、はるまは教えてくれます。そういう世界でもなんとか生きていかなきゃならない。生きて、生きて、生き抜いたエンディングが美しい。あたらしい尺度を手に入れたはるまの新たなる一歩が、希望を生むといいなあ。
(レビューとかtwitterで、みんながヒャッハーって言ってるのに、作中ではだれもヒャッハーって言ってなかったのがじわじわ衝撃でした……)
福岡には、行ったことがない。
しかし、この物語を読みはじめてすぐに、わたしは荒廃した「天神」なる通りに"居た"。
なるほど、著者は福岡に住んでいるらしい。それなら、と、容易に納得できるようなレベルでは無い。圧倒的な色彩や空気感をもって町は描き出され、容赦なく読み手を引きずりこむ。
ある吸血鬼への復讐心を胸に戦う主人公・榛真、彼の前に現れた紗奈の葛藤、敵対する組織、組織と相容れずもがく者、自分の存在すら憎む吸血鬼。
だれを信じ、どう行動すべきか。どのように己が命や大切なものを守り抜くか。物語は常に登場人物たちに、そして、読み手であるわたしたちに問いかけ続ける。
目の前にいるのは、ほんとうに敵か?
最終話、新たな決意をした榛真の心中は穏やかに、静かに描かれている。その瞳が映す未来を、思わざるにはいられない。
舞台が、滅亡後の福岡……。
福岡が滅亡するとどうなるのか、想像したこともない私には、まずそこが「どんな世界!?」といきなり気になるのです。
読むと、今現在の現実の空気を半分残したまま、誰もいなくなり、文明生活が消えてしまった、知らない世界がそこに。災害で突如、平穏な生活が奪われた街のような、人々が逃げ去った後の街が、読者の前に現れます。
一体この街に何が起きたの? と不安な気持ちで読み進むと「教えてやろうか!!」みたいな感じで、畳み掛けるようなアクションシーンが!
こっ、コイツ、モンスターなのにグーで殴ってきやがるぜ!? 物理!? ああだめ死んじゃうううっ!?
という、良質アクション・ホラー映画を見るような小説です。
書籍化経験者の作者様の、確かな文章力とストーリー展開。
殺らねば殺られる過酷な世界をサバイバルする主人公の強さと、ナイーブさ。彼をとりまく人々の、ひたむきに生きる優しさに、心が震えます。
それでも、いつ誰が死ぬかもわからないんだぜヒャッハー!!
みんな生きて!! どきどきハラハラ、しんみり!!
襲い来る困難を棒で殴ってでも俺の人生を突き進みたい(電動チャリで)熱いハートの若者や、無茶する息子が自立したけど危なっかしい、毎日心配で泣きそうな子育て系読者さんにも、ぜひ。
近畿在住読者ですが、福岡の地理を知らなくても、日本のある地方都市の物語として熱くなれますよ。