第5話 導きの光

「あれが、迎えの船です。シホ・リリシア様の船、『アイアンメイデン』」

「『アイアンメイデン』……」


 あの可憐な聖女が所有する大型船舶の名前が、あの悪名高い『鉄の処女』とは。ラインハルトは間近に迫った大きく美しい帆船を見上げて、その似つかわしくない名を繰り返した。

 村人に挨拶をして別れ、漁村に着いた迎えの小舟に乗り込んだ。数日を過ごし、ラインハルトに学びを授けてくれた村の浜辺からでも、『アイアンメイデン』の巨大な船体はよく見えた。それが近づくほどに、より大きく、聳え立った。


「『アイアンメイデン』は、ブラムセル王国教会へ、定期の連絡訪問のための航海中です。」


 なるほど、その途中で自分という『積み荷』を乗せるわけか。教会の船、それも最高司祭シホ・リリシアの船であれば、航海計画を神聖王国カレリア側に提出することはあっても、その実際の航路について、細かく言及されることはない。

『アイアンメイデン』の船体横に下ろされた梯子を登って、ラインハルトは小舟から巨船の船内に乗り込んだ。二人の騎士もそれに続いた。

 梯子を登りきり、甲板に出ると、その広さに圧倒された。だが、ラインハルトがその広さ、船体の美しさに感動している間はなかった。唐突に、殺気が迫ったからだ。

 訳もわからず、反射的にラインハルトは腰の剣、魔剣プレシアンを抜き放った。その切っ先に、鋼がぶつかる衝撃が返り、誰かが斬りかかったのだ、と理解した。理解しながら、とにかく体勢を整えようと、その場を飛び退る。しかし、相手はそのラインハルトに追い縋るように踏み込みの太刀を打ち付けて来る。ラインハルトはその一刀を辛くも払い除け、さらに一歩退く。幸い『アイアンメイデン』の甲板は広く、足場には事欠かない。さながら闘技場のようだ。

 誰だ。一体、なんだ。ラインハルトは無意識のうちにそれを確認するための余裕を持とうと、プレシアンの能力を発動させた。無数の幻視の映像がラインハルトの頭の中を駆け巡り……


「ばかな……」


 全ての映像がラインハルトに伝えた映像は、あまりのもあり得ない光景だった。思いがけず呟き、剣を下ろしてしまった。それほど衝撃的な映像だったが、ここで剣を下ろすことは、致命的な行為だった。


「ウファさん!」


 飛来した鋼鉄の輝きが、ラインハルトを切り裂く直前、優しげな、しかし凛とした芯のある女性の声が甲板を駆け抜けた。切っ先がラインハルトの顔の前で止まっていた。


「何をしてるんですか!」

「……挨拶だよ、挨拶。おれとこいつは、こういう挨拶しか知らねえんだ。」


 ラインハルトは向けられた剣の先の向こうに、その持ち主の顔を見た。

 箒を逆さにしたように立ち上がる髪。鼻が高く、整った顔をしているが、病的に白い肌。ぎろりと見開かれた目の力は、炎を纏っていた時と変わらぬ強さを持っていた。


「お前……なんで……」

「なんでかね……ただ、こうして生きているとなると、てめえのこれからの行いを見届けて、嗤ってやらねえと、と思ってな。」


 間違いなかった。ウファ・ヴァンベルグ。『怨讐の剣』に取り込まれ、炎の怪人と化した男。ラインハルトが救おうとして叶わなかった男が、目の前で動き、話をしていた。


「そういうことをされない、というお約束で、乗船を許可したのです。ここはわたしの船の上。従えない、というのなら……」

「わかった、わかったよ。全く……可愛い顔して、冗談が通じねえんだよな、聖女様は。」


 これはいったい、どういうことなのか。ラインハルトはまるで理解の追い付かない頭を巡らせて、女性の声の方へ目を向けた。

 甲板の後方、一段高くなった場所から、階段を一歩ずつ降りてくる女性の姿があった。天空神教最高司祭が纏う、金色に縁取られた白い法衣を身に纏う女性は、陽光色の髪を海を渡る風に靡かせながら、同じ色の眼鏡のずれを直した。


「シホ様! どうしてここに!」

「ブラムセルへ渡る前に、もう一度お会いしておきたかったのです。」


 階段を降り切り、同じ甲板に立ったシホは、ラインハルトに一礼をした。


「あなたが向き合うことを選び、実際に向き合ったことで、『怨讐の剣』を封じることができました。そして、ウファさんは、その命を救われました。これは、わたしも信じられないことです。」


 シホが言おうとしていることも、ウファが生きていたことにも理解が及ばず、ラインハルトは何から考えればいいのか、ただ、右往左往と思考をさ迷わせていると、シホは微笑みを浮かべてさらに歩み寄った。


「わたしはずっと、魔剣に捕らわれた人を救う方法を探していました。いまも探しています。もしかしたら、そんな方法はないのかもしれないと、思いかけていたところでした。『怨讐の剣』を封じれば、ウファさんも、文字通り跡形もなく消える。そう思っていました。ですが、あの時、ラインハルト様の剣は、『怨讐の剣』の力を封じ、ウファさんの命を生かした。」 


 さらに近づいたシホは、ラインハルトの両の手に両の手を重ねた。無邪気なほど力強く握られた手は、歓喜に満ち溢れていた。


「これからさらに詳しく研究しなければいけませんが、不可能ではないことを、あなたが証明して下さいました。あなたの選んだ生き方が、ウファさんを救い、わたしに目指す指針を示してくれた。」

「そんな……」


 大袈裟なことではない。自分はなさねばならない、と思ったことをなしただけだ。神殿騎士団の多くの人々の手を煩わせながら、それでも譲れない目的のために生きただけだ。ラインハルトはそう伝えようとして、ふと、あの漁村で過ごした数日を思い出した。

 誰もが誰かのために、何かをする、と息巻くわけではない。ただ、少しずつ気にかけて、自分のなすべきをなす生活。そこに救いを感じたり、喜びを見いだしたりして、人々は生きていた。自分は大それたことをしたつもりはない。それでも、誰かのためには、ここではシホのためになり、ウファのためになったのかもしれなかった。


「ブラムセルで、暫くは不自由もあるかもしれません。ですが、ラインハルト様。いずれ必ず……」

「ええ。必ず合流致します。シホ様の『聖女近衛騎士隊』に。」

「そのときは、おれも行くべきかい、聖女様よ?」


 すぐ隣に立っていたウファが、にやり、と笑う。ラインハルトはその言葉の意味を考えた。


「ウファ、お前、まさか……」

「言っただろう? おれはお前を嗤ってやろうと思ってここへ来たんだ。お前の従者として、おれもブラムセルへ渡る。いずれお前がこの聖女様の騎士団に入る、っていうならおれもやらなきゃならねえだろう?」


 まさか、本当にそうなのか。ラインハルトは唐突に訪れた、掴みたかった未来を、驚きながらもその手に納めた。

 その時、大きな音がして、主帆が張られた。錨が上がる音が続き、船が動き始めた。


「銀の騎士殿やお父上のことなど、道中、ご報告しなければならないこともありますが……一先ずは、船内のご案内を。」


 そう言ってシホは案内役の神殿騎士を呼ぶと、ラインハルトから離れた。

 ラインハルトは騎士に促されながら、遠く、流れ始めた海の景色に目をやった。水面が陽光を受けて輝いている。あの日、あの古城で見た、黄金の騎士姿のシホが、背後に背負った雫の輝きを思い出した。

 なさねばならないことがある。なしたいこともできた。いずれ、帰ってくる。その日まで、輝きが導いてくれる。

 ラインハルトは魔剣プレシアンを鞘に納めた。鍔鳴りが流れる潮風に乗って、遠くまで響いた。


〈了〉

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百魔剣物語——聖女と英雄と怨讐の魔剣—— せてぃ @sethy

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