第4話 知るということ

「ハルトさんは下手くそだなあ。ちっとも上手くならないや。」

「ほんとほんと。それじゃあ漁に出れないよ。」


 二人の子どもが、膨れっ面をラインハルトに向けている。ラインハルトは苦笑いをしながら、手元の網のほつれを、よくよく観察する。観察し、子どもたちに教わった通りに修繕しようと思うが、確かに子どもたちの言う通り、上手くできない。この村へ来て、既に七日。漁で使う投網の修繕を習って五日経っていたが、その程度の時間では付け焼き刃の技術でしかないらしい。生まれてこの方、ずっとこの作業をしていると話す十歳と八歳の兄弟には、到底敵いそうもなかった。

 ウファと戦った古城から落ち延びて、既に十日。神殿騎士団が付けた二人の従者兼護衛は、身を偽って共にいるものの、ブラムセル王国への船はまだ到着する気配も、その報もなかった。

 鎧を脱ぎ、貴族然とした衣服も脱ぎ、一介の旅人の一行に変装したラインハルトと二人の騎士は、クラウスから指定された漁村に身を寄せて、その時を待っていた。漁村で宿とした民家は、天空神教の信徒一家とのことで、ずいぶん親切にしてくれた。時折、人懐こい子どもたちが通ってくる漁師の家で、遠慮よりも好奇心が勝つ、そんな奔放な子どもたちにとって、村の外から来た旅の一行にちょっかいを出さないでいることは、不可能だったのだろう。気がつけばラインハルトは質問責めに合い、ひとりひとり、丁寧に相手をしていたら、あっという間に子どもたちの輪の中で、彼らの日常に触れる数日を過ごすこととなっていた。

 従者兼護衛、兼、監視なのであろう騎士たちは、そんなラインハルトの様子になにもいうことはなかったので、ラインハルトは子どもたちの生活に触れる時間を、なるべく持つようにした。子どもたちに遠慮がないからではなく、何よりラインハルトが、彼らの生活に、強い興味を持って接していた。

 貴族として、市井の生活をより良い方向へ導くために、知識としては彼らの生活を知っていた。しかし、それは身を持って思い知らされたものではない。こうして寝食を共にし、仕事を共に営むことは、知識などを瞬く間に飛び越えて、彼らの本心、彼らの考え方をラインハルトに学ばせてくれた。

 この十日で、カレリアオードの紛争は終結したらしい。オードは陥落し、カレリアの統治する地となった。だが、信じられないことに、この地にはその報せは届いても、何一つ変化がなかった。村の誰もが、驚きも、慌てもせず、日々の生活を続けていた。変わらず漁に出て、その日の糧を得る。民芸細工を作るものは、変わらずそれを仕上げては、最も近い街へと売りに出ていった。

 穏やかな日々。ラインハルトからすれば、世の行く末に、興味が無さすぎるのではないか、と思えたが、それは違うのだ。この穏やかな日々が続くこと。それこそが、彼らが本質的に望むことなのだろう。だから、自分たちのできる範囲で働き、各々の役割をこなすことで、それを守ろうとしている。ひとつひとつは、細やかなことかもしれない。しかし、彼らがそうすることで、この地は、日々は、守られている。


「ねー、ハルトさんてさ。」

「いつ頃までこの村にいるの?」


 兄弟が投網の修繕を続けながらラインハルトに尋ねてきた。ラインハルトは苦笑いをしながら、


「わたしもわからないのだけど、もうそろそろ発つのかな。」


 と答えた。


「そうかー。やっぱり出ていっちゃうんだよな。」

「そりゃそうだよ。だってハルトさんは旅の人だもん。」

「つまんなくなるよな。」

「うん。つまんなくなる。ハルトさんからかうの、面白いから。」


 知識だけで人を導こうとする、それがどれほど愚かなことか。この子たちが笑う、その理由も身を持って知ることなく、独善と導くことの浅ましきことか。ラインハルトは笑いかける二人の兄弟に苦笑いを返し、考えていた。自分がもう一度、貴族として、騎士としての働きを担われるとすれば、何を為すべきか。ウファの言葉を思い出した。シホの言葉を思い出した。いまならば、自分にできることかある。

 正しい使い方を学び、考えること。今度こそ正しく使うこと。


「……それだけが、人が生きていく上での償いになる。」

「え、ハルトさん、何か言った?」

「独り言言ってないで、ほらあ、手元、まだ直ってないよ!」


 幾人もの子どもたちがこの家には出入りしていたが、特にこの兄弟はラインハルトに興味津々だったし、なぜかラインハルトの兄貴分を自称して回っていた。全く、敵わないな、とラインハルトが微笑んだ時だった。


「失礼。ラインハルト殿。」


 ラインハルトと兄弟が投網を直すために籠っていた漁の道具小屋の戸が、言葉と共に開かれた。眩しい光が差し込み、そこに立つものの顔は影になってわからなかったが、声で誰かはわかった。神殿騎士の片割れだ。


「沖に船が来ています。間も無く迎えの小舟が到着します。」


 神殿騎士はその手に自分たちの荷物の粗方を持っていた。間も無く、というが、本当に間も無く到着するのだろう。


「え、行っちゃうの、ハルトさん!」

「急だよ、急すぎる!」


 その時が来たか、と立ち上がったラインハルトの足に、兄弟がすがり付いた。さっきまで兄貴風を吹かしていた様子はなく、見ればどちらも目にいっぱいの涙を溜めて、鼻水を垂らしていた。


「また、来るよ。本当だ。」


 ラインハルトは二人の頭を優しく撫でた。引き留めることは無理だとわかっているのだろう。それでもこうして、すがってくれる人がいることが、こんなにも嬉しいことだとは思わなかった。

 結局、こういうことの積み重ねなのだろう。人が望むのは、こうして誰かに必要とされた、その喜びを胸に刻んで、少しずつ、生きていく他にない。


「約束だからな!」

「約束だからな!」


 兄弟はラインハルトから離れると、そう怒鳴った。これは必ず会いに来なければな、とラインハルトはまた微笑んだ。

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