第16話 チャーチルズとチャーチルと
灰皿の準備ができたので、ドンさんは私にチャーチルズと、シガー用の細長いマッチ箱とを手渡してくれる。
「さて、これがシガー用のマッチだ。これを使って、ある程度の時間、シガーの先端を火につける。ちょっとずつ回しながら点けると、割と満遍なく点いて良い。
シガーの場合は、口にくわえて吸うのは邪道で、味も崩れるからやめた方がいい。その方が点火自体はしやすいんだけどね」
ドンさんの説明を聞きながら、僕はシガー用のマッチを擦った。
右手に持っているマッチに、ボワッと火が点く。
左手に持っていたマッチ箱を脇にどけて、一時的に灰皿に置いていたシガーを代わりに握り、その先端を火につける。
ゆっくり回しながら点けると、火が点いたような気がしたので、一度試しに抜くと、一瞬光っていた火は、すぐに消えてしまった。
「ああ、まだ早すぎたかもね。初心者にとっては、点火の確認が一番難しいところの一つだろうね。カットなどは割と簡単だから」
今持っているシガーは、既にドンさんが自宅でカットしているので、カット処理は行わなかった。だが、簡単だというということは、そこまで大変ではないのだろう。
確かに、吸い口を切って作るだけなら、私だけでも一発でどうにかできそうな気もするし。
「とりあえず、もう少し火に長くつけておいた方がいい。マッチの火がシガーに移ったのが目に見えるようになってから、更に五秒ぐらい入れておけば、まあ大丈夫だろう」
もう一度火を入れようと思うが、マッチが随分と燃え進んで熱くなってきたので、私はその火を消して、新しい一本を擦った。
今度は、もう少し慎重に、長い時間火に入れておく。シガーのふちに、赤い光が走り、濃い煙がモクモクと立ち上がり始めた。
「それでとりあえず抜いてみて、外気の中でゆっくり回しても火が安定していればオッケーだ」
今回は、マッチの外で回してみてもシガーの火は落ち着いていたので、無事成功したようだった。
「さて、今度は吸っていく訳だが、前にも言ったように、肺まで入れず、口の中に煙を溜めて、その味を楽しむイメージで吸うといい。そうすると、最もよく香りを楽しむことができる」
一口、口で留めるように吸ってみると、懐かしい香りがした。
普通のタバコよりも、豊かな、香木のような香気が、口の中に広がっていく。
ゆっくりと口を開けて、その煙を吐き出す。
「そんな感じで良さそうだね。後は、灰を頻繁に落とし過ぎなければ、どこまで吸っても構わない。
フィルター付きの紙巻とは違って、明確な終わりはないから、その気ならかなりギリギリまで吸えるだろう。
香りの変化なども含めて、ゆっくり楽しむといいよ、オサム君」
イタリア語の愛のテーマの歌詞を聞きながら、お代わりのスコッチを口に含みながら、ゆったりと煙を楽しむ。
お金があれば、このような生活をずっと続けるのも悪くはないかもしれない。細くて短い紙巻は、それはそれで味はあるが、あまりにも儚い。
そんなことを考えながら、私がシガーを楽しんでいると、ドンさんが、またふと話し始めた。
「このチャーチルズというのは、前にも言ったけど、英国首相、サー・ウィンストン・チャーチルにちなんで作られた銘柄でね。
シガー愛好者だったチャーチルは、戦時中、演説へと人々の気を向けさせるために、針金を一本通したシガーを吸っていたと言われている。
ただでさえ灰が落ちにくいシガーに針金を通すと、通常、ことに紙巻を意識している大多数の庶民からすれば、考えられないほどの時間、シガーの灰は落ちない。故に、灰が落ちなければ、かえって大衆は、『落ちるのは、今か、今か』と思って、シガーに意識を集中させる。
シガーそのものに意識が向き過ぎたら、それはそれで演説が入ってこなくなりそうな気もするが、ともかく演説者の方に注目が向くから、全体として、演説が頭と心に残りやすくなる。
『チャーチルの演説は葉巻の灰がずっと落ちないから、シガー一本分の時間のはずなのに、紙巻一吸い程に感じられた。演説の中身は残ってないけど、とりあえず経過時間が短く感じられたということは、興味深いものだったのだろう』、なんて思わせられたら、ご本人としては上出来だったんだろうな」
「なるほど」
「シガーの愛好者は、他にも個性的なエピソードの持ち主が多い。聞きたいかい?」
「ええ、是非」
愛煙家のトークは、ゆったりした時間を紡ぎながら、決して退屈させない力がある。
私も、そういう話ができるレベルの愛煙家になりたいと思いながら、再び私は、ドンさんの話に耳を傾けるのであった。
妖精さんは紫煙がお好き 如空 @joku_novel
ギフトを贈って最初のサポーターになりませんか?
ギフトを贈ると限定コンテンツを閲覧できます。作家の創作活動を支援しましょう。
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。妖精さんは紫煙がお好きの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます