第15話 タバコと文芸

「キューバのシガーが文学作品の名前を冠するようになったのは、19世紀からだと言われている。その頃のシガー生産者は、暇なときには様々な文学書を愛読していたらしいのだ。その中でも代表的だったのが、『ロミオとジュリエット』と『モンテクリスト伯』だったという。

 それらの二つの作品は、そうした時代の名残で、そのまま今に続くシガーの銘柄の名前になったのだ」


 ドンさんは、そう語りながら、シガーを一口吸う。


「シガーは一本一本値が張るから、人々の出世を描くのにも使われることがある。

 有名なケースだと、三島由紀夫の『豊饒の海』で、ある男の四度生まれ変わっていく様を眺める傍観者、本多が、判事と弁護士の仕事で成功して財を成した後に、ハバナ・シガーを手にしていたはずだ。あれも、確かモンテクリストじゃなかったかな」

「なるほど」


 文芸雑誌の編集者でありながら、そして作家志望でありながら、有名どころの作品をあまり読んでこなかった私は、ドンさんの教養に内心脱帽すると同時に、今度機会があったら『豊饒の海』を読んでみようかと考えた。


 ドンさんは続ける。


「まあ、でもシガーは時間がかかるからね。金だけでなく、くつろげる時間がなければ、意外と楽しめないものかもしれない。

 映画ではマフィアが吸う印象があるけど、『ゴッドファーザー』のファミリー二代目であるマイケルも、紙巻で通していたはずだ。中々きびきびと動き回る人物だったからね。とくに、最初の二作の、大団円に向かう前の対立人物の一斉粛清は、中々スカッとする。

 映画そのものは結構長時間だが、機会があったら、色々見てみると面白いかもしれないね」


 思えば、ドンさんはSmokin' fairyに入った途端に妖精さんに、『ゴッドファーザー』の愛のテーマを流してもらうように頼んでいた。どうも、彼はこの映画の大ファンらしい。


「参考にします」

「このまま禁煙派・嫌煙派が力を増したとき、最後に生き残るのも、個人的には残念だけど、シガーよりもむしろ紙巻なんじゃないかなという気がしている。

 確か、そういう題材の小説に、筒井康隆の『最後の喫煙者』という作品があったかな。

 あらゆる場所で全面禁煙となったことに抵抗して吸い続ける道を選んだ作家の主人公が、最後の最後は国会議事堂のてっぺんに上って頑強に抵抗するお話で、中々笑えるが、その中に同調圧力の異様な不気味さが顔をのぞかせている、良作短編だから、これも、読んだことがなければ、おススメするよ」

「なるほど」


 しかし、今の時代だったら、紙巻よりも、煙が出ない電子タバコの方が生き延びるかもしれない、と秘かに思う。


 ドンさんは、もう一口吸って、ゴッドファーザーを一口含むと、一回シガーを置いて、言った。


「さて、シガーから始まってタバコと文芸全般の話を少ししてみたが、オサム君、せっかくの機会だ、良かったら一本試してみないかい?」

「いいんですか?」

「もちろんだ。さあ、このチャーチルズを、遠慮なく楽しんでくれたまえ」


 差し出されたのは、ドンさんが吸っているのと同じチャーチルズ。


「で、でも…」

「ドンさんは、いつでもこうなのよねえ。新顔が現れると、ついシガーを勧める癖があるのよ。まあ、せっかくの機会なんだから、試してみてもいいんじゃないかしら?」


 私が逡巡していると、妖精さんがうふふ、と笑いながら誘いに乗るように助け舟を出してくれた。

 いつも通りの、安心感を与えてくれる穏やかな笑みを見て、私は誘いを受けることとした。


「じゃあ、お言葉に甘えて」

「オッケー。それなら、妖精さん、これをもう一つ持ってきてくれないか?」

「了解。少々お待ちください」


 ドンさんが、シガー用らしい、陶器の灰皿を指し示すと、妖精さんはカウンターの裏側へと入っていった。


「この灰皿は、普通の紙巻用よりも脇の溝が深く、長さもあるので、シガーを安定して置けるようになっているんだ。シガーは太い上に長いから、普通の灰皿に置くのにはあんまり向いていない。あれは主に紙巻を想定して作られているからね。

 だからこそ、真にシガーを楽しめるよう、妖精さんに準備してもらっているのだ」

「なるほど」

「お待たせしました。シガー用の灰皿でございます」


 妖精さんが、私の前に、陶器製の大きな灰皿を差し出す。私は、残っていたスコッチを飲み干して、お代わりを頼んだ。


 いよいよ、人生で初めてのシガー体験だ。楽しみだな。

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