村焼き姫と魔女の焼き菓子

ピクルズジンジャー

お菓子にまつわる小さな昔話を一つ

 昔々、あるところに大きな国に挟まれた小さな国がありました。

 

 小さな国の仲睦まじいことで名の知れ渡る王様と王妃様の元にようやく待望の珠のように愛らしいお姫様がお生まれになった、そこからこのお話は始まります。


 お姫様がお生まれになったその日、王様は大層お喜びになりました。早速、七日後に行われるお姫様の名付けの祝いの場に招く人々へ招待状を送る作業にとりかかりました。

 待望のお子様のご誕生、それも小さな国の領土と国民を大きな国から守らねばならないという使命の下に生まれた方でもありました。

 王様が愛する小さなお姫様の名付けの祝いをできる限り華々しく盛大なものにしようと考えるのも当然のことと申せましょう。そこで王様は選りすぐった方々に招待状を送りました。王侯貴族や大商人、司教に賢者の他にも魔法使いや森に住まう妖精たちに至るまで。

 

 名付けの祝いの場で、ゆりかごの中のお姫様はお姫様は、様々な贈り物を授かりました。美しい晴れ着に珍しいおもちゃ、魔法の仕掛けで動く細工ものの小鳥といった目に見えるものは勿論、優しさ、賢さ、勇気、粘り強さ、高潔、気品に風格、といった形のないまで。形のない贈り物を授けたのは森からやってきた妖精達です。 

 この華やかな祝いの場で、この祝いの場に招かれなかった二人の妖精たちに思いを馳せるものはいませんでした。妖精のことを知らない人間たちはもとより、森にすむ妖精の仲間ですら。


 王様の招待状リストから外されていた二人の妖精、その名は〝あきらめ″と〝なぐさめ″です。

 大きな国と国との間に挟まれた小さな国のお姫様に、〝あきらめ″と〝なぐさめ″といった弱々しいものは不要。そんなものを持っていては隣の国につけこまれ、あっという間に滅ぼされてしまう。

 王様のそのようなお気持ちから、祝いの場に招かれなかった〝あきらめ″と〝なぐさめ″ですが、少し悲しみはしたものの気を悪くすることはありませんでした。二人だけ森で留守番を強いられるその意味をよく理解し、静かにお姫様の幸いを心の中で祈りました。



 そうして十六年が過ぎました。


 体があまり丈夫でなかった王妃様が身罷られるという悲しい出来事はあったものの、小さな国は小さいながらも独立と平和を保ち、その誕生を盛大に祝福された美しく賢い十六歳のお姫様は国民から尊敬の念を集めておりました。

 

 村焼き姫、という仇名で呼ばれながら。


 その勇ましい仇名は、数年前に起きた隣国との小さな小競り合いの場において、軍隊を率いたお姫様がそば付きの兵士に伝えた「あの村を焼け」という指示に由来します。

 国境の小さな村を焼いて敵の主力部隊をあぶり出し一網打尽にするというお姫様発案の奇襲作戦は見事に功を奏し、人々が覚悟していた大きな戦争は回避されたのです。

 それがきっかけでお姫様は国の人々から英雄と見なされ、敬われ崇められました。お姫様がいる限り、この国は安泰だと国の民は口々に言いました。

 しかし十六歳のお姫様にはそれを素直に受け止めることが出来ません。


 村焼き姫、です。


 妖精から賢さも授かっているお姫さまには、その仇名から尊敬と崇拝の念は感じても民が両親にむける親しみと敬愛は込められていないことを悟らずにはいられませんでした。それどころか、自分に対して恐れを抱いている。畏怖ではなく純粋な恐怖を、です。


 敬われ崇められても決して慕われてはいない、そんなお姫様の悩みを深めるような一つの事案がありました。十六歳になったというのに、縁談がまったく纏まらないことです。

 明るい金髪と澄んだ空色の瞳を持つお姫様は、誰がどうみても美しい姫君でした。近隣国のめぼしい王子様のもとへ両親が送った肖像画を見て「醜い」などという王子たちは一人もいません。しかし皆、この肖像画が評判の村焼き姫だと知るや否や、丁重な断りの手紙を使者に届けさせるのです。


 なぜ王子たちが自分との縁談にしり込みをするのか。

 それはきっと民が私を村焼き姫と呼んで恐れる理由と同じに他ならない。つまり私は怖がられているのだ。


 その結論に自らたどり着かねばならない程度に聡明なお姫様は、ため息を吐きながら魔法仕掛けの小鳥に相談します。名づけの祝いの場での贈り物の中でお姫様の一等お気に入りで赤子のころからの友でした。


「こうも怖がられては私の愛するこの小さな国は私の代で絶えてしまう。子々孫々の代までこの国を護るにはどうしても世継ぎが必要なのに。世継ぎを設けるには伴侶も必要。なのにその候補者たちですら皆私を怖がる」

「そりゃそうさ、ためらいもなく村を焼く姫が怖くないわけあるものか」


 賢者の知恵を頭に詰め込まれた魔法仕掛けの小鳥は甲高い声で遠慮なく囀ります。


「慕われ愛されるお姫様になりたいなら村以外のものを焼いてはどうだい」

「村以外のもの?」


 ちょうどその時は夕餉のしたく真っ最中で、お城の中は肉を焼く美味しそうな匂いに満たされていました。否応なしに食欲をそそるその香りにお姫様はうっとりと目を細めました。そしてその直後、稲妻のように頭の中で閃くものがあったのです。


 肉を焼く匂いは人を幸福にする。幸福を与えるものは人々に愛される。


 そう考えたお姫様はあくる日には王様に向けての書置き一つのこし、小鳥だけ連れてお城をそっと抜け出しておりました。

 人々に愛されるには何を焼くべきか、それを見極めるための遊山に出たのです。賢さを授かったお姫様には、民のすべてに焼いた肉をふるまえるほど自分の国は大きく豊ではないと考えることが出来ましたので。



 正体を隠すために粗末な外套をまとったお姫様が訪れたのは、活気あふれる市場です。予想していた通り、そこには様々な匂いに溢れています。お城の食卓に並ぶほど上等なものではないにしても、肉や魚を焼く香ばしい匂いも。

 人々の活気ある様子に満足しながら人々でごった返す市を歩くお姫様の鼻が、ふと、ある匂いを嗅ぎとめたのです。


 甘くて柔らかくて、人の心を豊かさで満たす、うっとりするような温かい香りです。

 ああ、お菓子の匂いだ。お姫様は足を止めてその匂いを吸い込みました。お城の暮らしで高価で珍しいものを口にすることもあるお姫様には、その匂いからそのお菓子の形を想像することが出来ました。

 卵と粉とバターを使った焼き菓子だ。きっと見た目は金色で、ふわふわと柔らかく、口にすると蜜と卵とバターの風味が広がって、豊かな気持ちになれる菓子だ。

 

 お姫様が想像した通りの菓子を手にし、嬉しそうにかじりつく薄汚れた姿の子供たちが脇を通り過ぎてゆきます。我に返ったお姫様は、子供たちがどこから来たのかを目で探りました。

 ほどなくそれはすぐに見つかりました。

 市場の片隅でぼろをまとった人々が列を作っていたのです。列の先頭には、大きな籠を腕に提げ、そこから金色の焼き菓子を一つ一つふるまう娘がおりました。

 農民の娘そのものの服をまとい、飴色の髪を布で覆ってまとめた娘は静かに微笑みながら菓子を手渡してゆきます。やつれ、汚れた人々はそれを有難そうにうけとるのです。ぼろを纏った人々が、菓子を手に取ったときは生き返ったような笑顔を浮かべてはその場を離れてゆきます。

 先刻すれ違った子供たちのようにすぐに口に入れてしまうもの、大事そうに懐に仕舞うもの、受け取った時の反応は様々ですが、娘に向ける笑顔の明るさや親しみは皆同じでした。


 彼らは菓子をふるまう娘を慕い、愛している。

 見るからに腹をすかし、病み衰えている浮浪者たちが、ほんのひと時を幸福で満たされた気持ちにさせる小さな菓子を手にしただけで、まるで天国を覗いたように喜び微笑んでいる。

 当然だ、この香りを嗅いで絶望と不機嫌のまま居続けるのは難しい。

 そして彼らがこの菓子を配る農民の娘にあのような表情を見せるのは当然だ。


 市場の片隅でお姫様はそう考えました。そして自分が村ではなくて何を焼くべきかを悟りました。

 そうと決まればお姫様の行動は迅速です。

 菓子を貰うために並ぶ人々の列の最後尾に立ち、行儀よく順番を待ちました。静かに微笑む農民の娘と菓子の匂いに緊張しながら少しずつ近づきます。そしてしばらくしてお姫様の順になりました。

 娘は空になった籠をみせながら、お姫様にこまったように微笑んでこう謝りました。


「ごめんなさい。今日のお菓子はもうなくなりました」

「それは構わない。私がお前に頼みたいのはその菓子の焼き方を私に教えてくれることだ。礼は弾もう」

 

 お姫様の申し出に、娘は困惑したように微笑みました。

 そして、私の作るこのような菓子は田舎菓子ですし貴方のような方が口にするものではありません等と口にしてお姫様の申し出をやんわりと跳ね除けます。お姫様の身から隠し切れない高貴さを感じ取ったのでしょう。

 飴色の髪でそばかすをちらした質素な身なりの娘のその申し出が、お姫様の胸に響きました。素朴で控えめで、恵まれぬものに施しを与える心を持ちながら、したくないことは毅然と断ることが出来る。気に入った。

 お姫様がこの娘に理由にならない親しみを感じたのも、まだ市場に漂う焼き菓子の残り香のせいだったのかもしれません。


「姫、頭を冷やすことだよ。このような身なりの娘がどうして施しを与えられる立場に立てる?」


 何卒頼むと娘に対して膝を屈し頭を垂れるお姫様に聞こえる大きさの声で、魔法仕掛けの小鳥が囀りましたが、姫様はおしゃべりを控えるように軽く睨みました。

 ちるちるちちる、小鳥は姫をからかうようにお姫様の肩の上で歌を歌います。その様子を目で追っていた菓子配りの娘は、一見根負けしたように見える苦笑いを浮かべてお姫様に言いました。


「本当の本当にただの田舎菓子ですが。それでもよいと仰るならどうぞおいでくださいませ」


 こうしてお姫様は、空になった籠を提げた娘の後を喜んでついて歩きました。

 魔法仕掛けの小鳥は首を少し曲げて、お姫様の肩からぱっと飛び立つとその頭上を旋回しながら、ちるちるちちると囀りながらもついていきます。


「姫、あの娘は街からも人里からも離れて黒い森へ向かってゆくよ」

「ああそうだな」

「黒い森の傍に粗末な小屋が見える。あれがどうやら娘の住処のようだ」

「私の目にもあの娘の住まいらしきものは見える。しかし他人ひと様のお住まいをそのように言うものではない」

「あのような掘立小屋に住み、麦の畑も家畜の小屋も持っていない。そんな娘がどうしてあれだけの菓子を拵えた上で施すことができる?」

「小鳥よ、賢いお前なら人を財産のみで判断してはならんことくらいはわきまえられるだろう?」


 お姫様の傍に時折舞い降りる魔法仕掛けの小鳥の囀りを窘めながら、賢さを授けられたお姫様もそこはたしかに奇妙に思わずにはいられませんでした。

 すると、前を歩く娘は振り返ってお姫様へ語り掛けます。


「菓子の甘味は森で獲れる蜂蜜を使っております。粉と卵とバターはさる高貴な方の施しです。数年前の戦で住まいと身寄りを失くして途方にくれていた所、これで菓子を焼いて市場で配っておくれとお慈悲を頂戴しました」

「おやおやなんと都合のいい話」


 お姫様が手で払うより先に小鳥は空高く舞い上がります。


「あの菓子は元々、私の母が祭の時には必ず焼いて村のみんなにふるまっていたものです。美味しい、美味しいという評判が領主さまを通してその方にお召し上がりいただく機会を得ました。母の菓子をお気に召したその方の情けで私はここで暮らせております」

「なるほど、見上げた慈しみの心だ」

「ええ、お前の菓子も母親の作った菓子のように人の心から棘を失わせる力があるからとその方は仰ってくださいました」


 そのような慈しみの心をもつ貴族がいるなら必ず評判になっている筈だが、とお姫様が首を傾げた時にはもう目の前に森の傍の小さな小屋の扉がありました。



 黒い森の傍の小さな小屋の前まで歩きついた頃、外はとっぷりと日がくれておりました。

 大きなかまどと最低限の家具だけがある質素な小屋のたった一つしかないベッドに、娘はお姫様を当然のように寝かせました。礼儀をわきまえたお姫様は当然辞退しようとしましたが、娘は頑なに自分が床に寝ると言い張ります。これでは埒があかないので、お姫様は礼ははずむと約束をしてからがさがさと藁の音がやかましい布団の上で眠りました。


 

 娘が菓子を市で振舞うのは七日に一度だけ、それまでは日々を当たり前に過ごします。

 あくる朝にそれを聞かされたお姫様は頷いて、娘がくるくるとまめまめしく働いて家の中を整え食事を整える様子を眺めました。手順が分かると娘の家政を手伝いました。菓子の焼き方を教わる身なのでそれくらいのことは当然だと判断したが故の行いです。

 娘は最初は戸惑っていたようですが、何度言ってもホウキをもって床を掃き、顔を真っ黒にしてもかまどの煤を払おうとするのをお姫様がやめようとしないので根負けしたようでした。


「あなたはどうしてそこまでしてあの菓子の焼き方が知りたいのですか?」

「皆が私を恐れず、親しみ愛してくれるようなものを焼きたかったのだ」

 

 娘に委縮されては困るので、お姫様はこういった謎々めいた物言いでしか自分の目的を明かせません。

 娘は困惑したように首を傾げたきり、森へと向かいます。蜂の巣箱の様子を伺いにいったのです。


 菓子を焼く前日に立派な身なりの使者が小屋の前に現れました。粉と卵とバターを届けに来たのです。

 小屋の裏で薪を割っていたお姫様は、その紋章を見て首をひねりました。国境周辺に領地を構えたあの貴族が天涯孤独の身の上になった娘に施しを与えるほど慈悲深い人物であるという評判を耳にしたことが無かったためです。

 いぶかしむ姫様の頭上で、ちるちるちちると聞きなれた囀りが聞こえました。肩に止まったのは案の定、あの日から姿を見せなかった魔法仕掛けの小鳥です。


「姫、よもやあの蝙蝠貴族の歪んだ心もあの娘の菓子が正しただなんて、めでたいことは考えてないだろうね」

「しばらく姿を見せないと思っていたら、どこで何をしていたんだ?」

「お城まで伝令を務めていた忠義者相手にその不機嫌な声はどうだい? なんにせよ姫、お前は菓子の香りに囚われ気味だよ。頭の中まで甘ったるく蕩けている」


 小鳥の忠告にお姫様は気を悪くしました。


「愛され親しまれたいなら村以外のものを焼けといったのはお前じゃないか」

「ああ、私だよ。そのことを私は今悔いているのさ。あの言葉はお前の頭を呆けさせた」


 この口さがない小鳥に揶揄われていると思った姫様は、肩に止まった小鳥を手で払いました。ことりはぱっと空へと舞いあがり、ちるちるちちると囀りどこかへ飛んで行きました。

 どこへなりとも飛んで行け! と長年の相棒だった小鳥へお姫様らしくない悪態をついてその姿を見送りました。



 菓子を作るのは次の日の朝早くからでした。同量の粉と蜜と卵とバターを混ぜ、型にいれて焼くという、ごくごく簡単な手順でつくられた菓子でした。

 単純であれば、なのでしょうか。娘は真剣な手つきで練った粉の具合を確かめ、かまどの火加減に気を配り、窓辺でさます菓子の仕上がりを厳しく見定めます。丸い金貨のような菓子が冷めるとあの籠の中につめてゆきます。

 朝日を浴びた娘の後ろ姿は敬愛を受けるにふさわしい、やさしさと慈愛に満ち、神々しいほどです。

 よろしければどうぞ、と言いながら少し焼き過ぎた菓子の一つを半分に割ったものを娘は差し出します。それを笑顔で受け取りまだ熱いそれを一口かじりました。


 ああ、とお姫様はため息をこぼしました。

 これほど美味しい菓子は食べたことは無い。掛け値なしにお姫様はそう思いました。温かくやさしい味わいの、誰かの懐に抱かれたような心地になるお菓子。お城の菓子職人にも出せない味の幸福にお姫様はうっとりと酔いしれます。


 娘はその菓子を配ることになっている市の片隅に向かいます。姫もそれに同行することにしました。そしてそのまま不在にしていたお城に戻ることにしました。


「そなたのお陰で皆が私を親しみ愛してくれるものがようやく焼けそうだ。約束どおり礼をしよう。なんなりと申すがいい」

「ならば一つお尋ねしてもかまいませんか? あなたは一体誰から恐れられているというのです? そんなに美しくお優しいあなたを怖がる方がいるなんて私には信じられません」


 それは自分が村焼き姫なる仇名で呼ばれる姫であるためだと、お姫様は正直に名乗るべきかどうかをしばし考えました。娘が戦で身寄りを失っている身であることを忘れたわけではない為です。

 お姫様のその心を見透かしたように、娘は重ねて尋ねます。


「本当の本当に、お礼はそれだけで結構です。貴方は一体どなたで、どうして私に菓子の作り方をおたずねになったのですか?」


 お姫様は、高潔さを授かっている身の上です。娘との約束を反故にしてはならぬ、という気持ちが先に立ち、気が付けば自分の身を明かしていました。いえ、本当は己の身分を明かしたいという誘惑に負けたのです。

 温かく優しい、豊かな味わいの菓子を作る娘なら、自分を恐れても受け入れてくれるのではないか。

 小屋を後にする前に味わった菓子の幸福な味が舌に残るお姫様にはそのような気持ちがあったのです。


「村焼き姫、の仇名を耳にしたことはないか? 私はそのような名で呼ばれるものだ。国の為、仕様のないこととはいえ、私は数年前にある領地内のある村を焼いた。そのため民や近隣諸国の王子からそう呼ばれて怖がられている」


 一度秘めた言葉を口にしたお姫様には弾みがついておりました。この娘にはすべてを明かしてしまいたくなったのです。


「私はそれが悲しかった。国や民を護る為にしたことだのに、血も涙もない命令を下した姫だと皆が私をそのように語るのが辛かった。王位が手に入るというのにだれも私を伴侶にしたがらないのはそのせいだと儚んで、それで愛され親しまれるために焼くべきもののことを考えた。その折に出会ったのがお前のこの菓子だよ」


 前を歩く娘は何も言いません。振り向くことさえしません。

 静けさが続いてお姫様が不安を覚えた頃、娘はようやく口を開きました。


「王様が〝あきらめ″と〝なぐさめ″の妖精に招待状を送らなかったことが悔やまれます。そのせいであなたは皆から愛され親しまれるという夢を諦められず、それが叶わなくても慰めるすべを持てない。まったく高慢で哀れなお姫様。村を焼かれた私よりもはるかに、ずっと」


 朝日に照らされた街道が、一瞬で夜に閉ざされたような冷えた心地にお姫様はおそわれました。


 目の前の娘がなぜ天涯孤独の身になったのか、黒い森の傍で貴族の慈悲に縋って生きているのか、その理由が明らかになったからです。妖精から賢さを授かったお姫様にしては気づくのが遅いくらいでした。


「たった一晩で家族と村を失くした私は森に逃れました。そこで〝あきらめ″と〝なぐさめ″に助けられ数年生き延びました。わかるのですよ、私達の村が焼かれたお陰でたくさんの人々が助かったのだと。諦めと慰めのお蔭でよおく。わからないのはどうしてあの晩焼かれたのは、私達の村だったかのかということだけです。他にも村はいくつもあるのに、何故? と」


 あの村が軍事的に最適だったたから、等と聡明なお姫様は正直に明かすわけがありません。


 しかし、あの村の犠牲者を悼む儀は毎年怠らないし、司教に命じて犠牲者は聖人として天国へ送りださせた。そなたの家族や親しい人たちの犠牲を軽んじて等はいない。私は王家の者として、その者たちの痛みを胸に刻んでいるのだ、と、お姫さはは娘の背に必死に語り掛けました。諦めと慰めを授からなかったお姫様は、どうしてもこの娘の理解を得たいという願望を諦められなかったのです。

 しかし語れば語るほど、その言葉がぬかるみに嵌った車輪のように空回るのを感じずにはいられません。それでもお姫様は訴えられずにいられませんでした。諦められないお姫様は自分の決断で国と民が助かったことは立派な戦果だという考えを捨てられませんし、慰めを知らないので娘の悲しみに寄り添うことが出来ないのです。


 そんなお姫様ができることは、自分の行いは間違いではないと言い募ることだけでした。しかしそれが賢さも授けられているお姫様への呪いとなりました。国と民の為に村を焼いた自分が慕われないのはおかしい、間違っているという傲慢をあぶりださせてみせたのです。

 聡明なお姫様は自分の中にあった卑しい心根を突き付けられ、絶句し、その場に立ち尽くしました。


 先を歩く娘はその時足を止め、ようやく振り返りました。


「慰めと諦め、それがあれば人の心を怒りと恨みから守ることができます。しかしその力はあまりに弱い。ああ、本当にこんなにも弱いものだったとは」


 お姫様にみせたその表情は娘がよくみせていた苦笑いによく似ていました。しかし一切の希望を捨て去ったような乾いた目には、お姫様の言葉をこれ以上耳にはしないという意志がみてとれました。


「ここで別れましょう、村焼き姫。あなたが良き伴侶と巡り合えることをお祈りいたします」


 そして振り返りもせず娘は市場へ向けて歩いてゆきました。

 しばらく立ちすくんでいたお姫様は、何も言わずに城へ向かいました。

 舌に残っていた菓子の後味は、砂粒を思わせるざらざらと苦いものに変わっていました。

 


 菓子を焼く修行に出たという妙な理由で城を何日も不在にしていた娘を涙目で出迎える王様への挨拶とお詫びもほどほどに、国境に領地を持つある貴族を城に呼び出すように頼みました。隣の国に通じている疑いがあるから、と。

 果たしてお姫様の予想した通り。諦めと慰めを友として生きねばならない貧しく恵まれぬ者たちへ、慈愛に満ちた優しい娘が食べるだけで幸福に満たされる菓子を施す。その清らかな娘の存在が貧者を中心として津々浦々に知れ渡った頃に聖女として担ぎあげ、国民からの親しみと敬愛を集めに集める。その後に「我々は大国に着くべし」と宣言させる予定であったと尋問の結果白状しました。それは大国の軍師が練った策であり、仲立ちをした貴族には今よりももっと高い爵位が与えられる約束であった、と。


「ずいぶん気の長い策だったな」


 その貴族を縛り首に、怪しい策略に手を貸した菓子配りの娘を火炙りにした後、王様は呟きました。



 こうして小さな国の平和は守られました。

 

 人心を惑わす怪しい菓子を配っていた罪で炎に炙られた娘から習った菓子だとは伏せたまま、お姫様は時々金色の菓子を焼きました。その菓子を王様も臣下も笑顔で召し上がりますが、お姫様だけは自分の作る菓子には味わいが不足していることを承知していました。


「あの娘が焼いたような優しい味わいがどうしても出せない」

「確かに技量でねじ伏せるような味わいだ。姫らしいといえばいえる」


 あの日森の入り口で飛び立って以来、数年間行方知れずになっていた魔法仕掛けの小鳥は、ある時たくましい人間の若者になって城に戻ってきました。巨人退治の武功をたて、秘宝の力で人間に姿かたちを変えてから、姫様の伴侶になりたいと王様に談判したのです。

 

「私はお前の補佐をするために授けられた贈り物だからね。魔女の甘い惑わしにお前が囚われないようにするにはこれが一番だと考えた」

「流石、愛されたいなら村以外のものを焼けと案を出した知恵者殿だ」


 お姫様はそう皮肉を口にしました。

  

 お姫様はかつて小鳥だった若者との間に子供たちを儲け、夫婦で小さな国の平和と発展に粛々と努めました。その結果がやがて身を結び、厳しいけれど本当は優しい国母様だと慕われるようになりました。


 かつて焼いた村を悼む日には、お姫様はあの菓子を焼いて皆にふるまいました。


「あの村人たちもきっとこれで慰められることでしょう」


 聖人たちに供えるように、と大聖堂に毎年届けられる金色の菓子の籠を受け取った司教はそのようにお姫様を称えます。

 

 その都度、お姫様の舌の上には砂粒のような味が蘇るのです。



 お姫様には秘密があります。

 その昔、貴族とともに捕らえられた娘をこっそり牢から逃がそうとしたのです。お姫様は諦めることができない方でしたので、このような咎で哀れな娘が処刑されることが我慢ならなかったのです。

 しかし娘は牢の中で、ゆっくり首を左右に振りました。


「私の菓子には諦めと慰めのまじないが掛かっています。あの菓子を口にしたあなたにも諦めと慰めの種が蒔かれました。貴女の心にも少しずつ諦めと慰めが宿りましょう」


 その顔は別れ際に見せたものとそっくり同じものでした。

 

「魔女の誹りは恐ろしくありません。しかし残りの命がある間、あなたに助けられた恥と怒りと恨みで心を荒れさせて生きる身になることは気が狂うほど恐ろしいのです。ですのでどうぞ私のことはお諦めください」


 これがお姫様が産まれて初めて諦めの味を知った出来事となりました。


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